第16話 使用人保護団体の訪問

 オレが事務所で仕事をしていると、事務所に来客があった。


 依頼人が来たみたいだ。

 新しい仕事の依頼かもしれない。依頼じゃなくても、きっと見積もりくらいは取っていくだろう。

 オレはウキウキする自分を抑えながら、万年筆を置いて立ち上がった。


「いらっしゃいませ!」


 しかし、事務所に入ってきた来客者を見て、オレは違和感を覚えた。

 まるで喪服のような黒服を着た男が2人。背が高い者と、低い者の2人だ。そして室内でも帽子を脱ごうとはしない。ちょっと変わった依頼人なのかもしれないが、全体から漂ってくる不穏な気配に、オレは不安を抱いた。


 すると、黒服の1人がオレに気づいたようだった。


「突然失礼します。私たちは、使用人保護団体の者です」


 使用人保護団体。

 オレの不安は、的中した。


 ついに使用人保護団体が、オレの所にもやってきたのか。

 自然と、手に力が入ってしまう。こいつらへの対応次第で、場合によってはマリアと引き離されてしまうことだって、十分にあり得る話だ。使用人保護団体は、家事使用人取締法によってメイドを始めとした使用人の保護や雇用主の逮捕権が認められている。警察と同じだ。


 しかし、こんなところで怖気づいていては、マリアを守れるわけがない。

 オレは自分を奮い立たせ、毅然とした態度で応じた。


「立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」


 オレは男2人を、応接スペースへと案内した。

 男たちはオレの案内に従い、ゆっくりとソファーに腰掛けた。オレはその男たちの動きを見て、反対側のソファーにゆっくりと腰掛ける。


「代書人のシリウスです。本日は、書類の作成をご依頼ですか? それとも見積もりをご希望ですか?」


 オレが営業を始めようとすると、2人の男のうち、背の高い男が口を開いた。


「申し訳ないですが、代書人シリウス様へ書類作成のご依頼も、見積もりのお願いもありません」

「今回は、あなたがメイドを雇っていると知りまして、その実態の調査をさせてもらいにきました」


 背の高い男に続いて、背の低い男が云った。そして背の低い男はそう云いながら、1枚の紙をオレに差し出してきた。

 それはメイド禁止法施行直前に、オレが役所へ提出した家事使用人雇用契約書の写しだった。


「これによると、あなたはマリアという獣人族狐族のメイドを1名、雇い入れています。そして現在に至るまで、解雇したという報告も来ていません。違いますか?」

「違いませんが……どこでこれを?」

「役所の窓口で入手できますよ。使用人保護団体ですから」


 そんな権限まで持っているのか。

 つくづく、敵に回したくない連中だな。


 オレはゆっくりと、家事使用人雇用契約書の写しから顔を上げた。


「調査にご協力を、お願いできますか?」

「わかりました。マリアを呼んできます」


 オレはソファーから立ち上がると、居間に向かった。




 マリアが、使用人保護団体の男2人に紅茶を出し、オレの隣に腰掛けた。


「できれば、雇用主の方は席を外していただけますと、助かりますが……」

「ダメです」


 オレではなく、マリアがそうきっぱりと告げる。


「ご主人様と一緒でないと、協力したくありません」

「わかりました」


 背の高い男がそう云うと、ライティングボードと万年筆を取り出した。


「それでは、いくつか質問をさせていただきますので、よろしくお願いいたします」


 まるで面接をするみたいだな。

 オレがそんなことを考えていると、すぐに質問が投げかけられた。


「雇用主から、セクハラやパワハラを受けたことはありますか?」

「ありません」


 背の高い男からの問いに、マリアは答える。


「隠す必要は無いですよ。本当にありませんか?」

「ありません」


 オレもその意見には、同意だった。

 マリアにそんなことをした覚えは、たったの1度だってない。


「わかりました。では、食事が出なかったことはありますか?」

「ありません」


 再び同じ答えが、マリアの口から発せられた。


「食事は、わたしが作っています。食材の買い出しも、ご主人様がわたしに任せてくれています。食事が出なかったことなど、1度もありません」

「ありがとうございます」


 万年筆が、ライティングボードに敷かれた紙の上をサラサラと駆け抜ける。

 インクが次々に出て、紙の上に文字を描いていった。


「仕事が多すぎて、人手が足りない、手が回らなかったことは?」

「ありません。むしろ休む時間が多くて、こんなに働かなくていいのだろうかと思ったことがあります」


 マリアの答えに、背の低い男が目を丸くしていた。

 予想していたのと違う答えが飛び出してきたことに、驚いているようだった。


「専用の個室はありますか?」

「あります。わたしが初めて与えられた個室です」

「なるほど。ではつい最近までは、個室も与えられていなかったと?」

「いいえ。以前は救貧院に居ましたので、個室なんてありませんし、固いベッドでした。今は個室で、柔らかなベッドで寝られます」


 いったい、これらの質問をする意味があるのだろうか?

 あんたらが望んだ答えを、マリアから聞き出そうとしているだけなんじゃないのか?


 オレはそう勘繰りながらも、それを口に出そうとはしない。

 今、使用人保護団体の男が質問をしている相手は、オレじゃなくてマリアだ。

 オレが首を突っ込んだところで、何の解決にもならない。


「では……ベッドに無理やり引きずり込まれたことはありますか?」

「!?」


 背の高い男からの質問に、オレは耳を疑った。


 こいつ、女性相手に何を聞いているんだ!?

 この質問こそが、セクハラじゃないか!

 叩きだしてやろうか、このスケベジジイが!!


 オレがそんなことを考えていると、マリアが口を開いた。


「ありません」


 マリアの言葉に、オレは頷いた。

 オレは1度も、マリアをベッドに引きずり込んだことなどない。

 そんなことをしようと思ったことさえ、無いのだから。


 しかし、マリアの言葉はそれだけでは終わらなかった。


「わたしがご主人様のベッドにもぐりこんだことなら、あります」

「!?」


 今度は、マリアの言葉に耳を疑うことになろうとは!

 確かにマリアが、オレの寝ている間にベッドに入ってきたことはあった。

 しかし、そんなことを告白してどうするというんだ!?


 チラッと使用人保護団体の男たちを見ると、明らかに困惑しているのが見て取れた。

 いきなりこんなことを云われたら,混乱するのも無理はない。


「わ、わかりました。では、次の質問です……」


 背の高い男が、額にハンカチを当てて汗を拭き、質問を続けた。




「では、最後にお伺いします」


 やれやれ、やっと質問攻めが終わったのか。

 マリアもかなり疲れているだろうな。


 そう思って隣に座るマリアを見たが、マリアは先ほどまでと同じ表情で、疲れている様子を見せてはいない。


「雇用主について、何か云いたいことはありますか?」


 なんか最後になって、真面目な質問になったな。

 オレがどうでもいいことで感心していると、マリアが口を開いた。


「ご主人様は、とても優しいお方です。わたしを大切にしてくれて、この前には銀時計をプレゼントしてくれました。ご主人様には、感謝の言葉しかありません」


 そこまで云うと、マリアはソファーから立ち上がった。

 そしてオレに向き直る。


「……ご主人様、ありがとうございます!」


 マリアはオレにそう云って、頭を下げた。

 ヘッドレストが落ちるのではないかと思ってしまうほど、勢いよく頭を下げた。


 オレが驚いたのはもちろんだが、オレ以上に驚いたのは使用人保護団体の男たちだった。


「な……なんて生き生きとしているんだ」

「こんなメイドを見たのは、初めてだ……!」


 明らかに戸惑った様子でひそひそと話す、使用人保護団体の男たち。

 会話が丸聞こえだが、そのことにさえ気づいていないらしい。


「きょ……今日のところは、これまでにします」

「また近いうちに、調査に伺います。ご協力、誠にありがとうございました」


 使用人保護団体の男たちは、荷物をまとめると、足早にオレの事務所を出ていった。

 今度来る時は、依頼の1つでも持ってこい。そうじゃなかったら、もう2度と来なくてもいいよ。


 オレは心の中でそう云うと、紅茶を飲み干した。




「やれやれ……なんとか帰ってくれたな」


 なんだか、仕事をしていた時よりも疲れたような気がする。

 オレが大きく伸びをしていると、マリアが新しい紅茶を持ってきてくれた。


「ご主人様、お疲れではございませんか?」

「ありがとう、大丈夫だ。マリアのほうが、疲れているんじゃないか?」


 オレは紅茶を受け取り、ひとくち飲んだ。


「あんなデリカシーのない質問ばかりされて、疲れただろう。午後からは、ゆっくりしていていいよ」

「大丈夫です。あの人たちは少し怖かったですが、ご主人様が一緒だったので、心強かったです」


 すると、マリアがそっとオレの隣に腰掛けた。

 マリアのメイド服の胸元から、豊満な胸が少しだけ顔をのぞかせた。


「ご主人様、わたしはいつでも、ご主人様の味方です。だから、いつでもどんなことでも、仰ってくださいね」

「あ……ありがとう、マリア」


 オレは身体が熱くなるのを感じながら、紅茶を飲んだ。


 余計に身体が熱くなったような気がするが、きっと紅茶のせいだろう。

 オレはそう思うことにした。

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