某日 書店
11月のある日のこと。髪にあしらった黄色のリボンを揺らしつつ、少女が雑踏を歩いていた。
さまざまな商店が並ぶ駅前通りから空を見上げると、巨大な病院の建物が周囲の屋根から抜きん出て見える。このごろ異様に冷え込む日の多い秋空は、雲の姿はなくとも薄く白さを含んでいて寒々しい。だが、少女の歩く雑踏には店が多いからか人も多く、ざわざわとした雰囲気が微かな熱気と共に満ちている。
その喧騒の中に書店の看板が見留められると、少女の足はそこで止まった。少女は現在高校二年生である。二年生の冬が来たろうともあれば、そろそろ翌年に控える受験に向けて成績が気になりだす時期なのだろう。少女は、適当な参考書を探す意をもって極めて珍しくも書店へ足を運んだのである。
「ようし……やるぞぉ」
気合いを一つ吐き出して、少女は自動ドアを潜った。参考書の売り場を見つけるべく精力的に歩き回りだした少女は、不意に、視界の端になにやら引っ掛かるものを感じて突然その場に立ち留まる。はっとしたような気分で、いったい何が自らを引き止めたのだろうかと、脇の本棚に視線を走らせていく。そうすると、点々とPOPが飾られた本棚の目立たない端の辺りで目を止め……何気なく、手を伸ばした。
少し気になる本を見つけた。刹那の少女にとっては、ただそれだけのことでしかない。棚から抜き出した本はどうやらエッセイの綴られた文庫本で、飾り気のない白地の表紙には、タイトルと筆者名のみが寂しく記されている。少女は、別にどうということもなく、そのエッセイ本の頁を捲ってみる。
確かに世界は残酷だった。ひとつの幸を掴むには、幾重もの不幸を連ねなければ叶わないようにできている。
だが、おそらくそれは、この世界自身もそうなのだ。どうしようもなく、悲しすぎるほど虚しく、何もなくても、いつか空虚なまま潰えてしまうとわかっていても……ここでこうして生きているのだから。ただ必死に、情けなくも生きているのだから。
彼女はその死の数分前に、あろうことがこれを伝えに私の病室へ訪ねてきた。ほとんど動かない足を引き摺って、壁だけを頼りにして歩いていた。彼女がこの結論に至るまでの間にどれだけの心象の移ろいがあったかは私には想像もつかないが、その経緯を思えば、彼女の遺言がなにを意味していたのかが私にも微かに解せるような気がしている。
認めていけたらいいのだと思う。あらゆる生死のあり方を、存在しているというだけのことを、きっと私も認めていけたらいい。
――川原貴弥著作「終末の過ごし方」より
11月のある日のこと。二冊の本が入れられたビニール袋を胸に強く抱きながら、少女、砂泉は空を見ていた。
あの向こうには絶対的な暗闇がある。それなのに、ここから見上げたところでは明るく薄い水色しか窺い知れないのだということが、痛いほどに息を詰まらせてくる。この無慈悲なシステムは、しかし自身らの生きざまも同じであると、あの本の著者は聞き及んだらしい。が、そこまで悟るには、砂泉にはまだ足りないものが多すぎるのだった。
「今日、だったんだね。瀬灯……」
冷ややかな風に舞い上げられそうなほどの穏やかで微かな声も、やがては蒼白い虚空に溶けてしまうのを知っている。砂泉は願う。風よ、どうか高く遠くへこの言葉を届けてはくれないだろうかと。とても願わずにはいられないが、当然それは、不可能を重々承知の上での行為となる。あれだけ遠く旅立った故人に祈りなどしたところで、もうどうしたって届きやしない。砂泉は、一年前の今日に、瀬灯についての記憶はおろか追悼の術さえ失っていたのである。
寒空は、今現在の砂泉の心によく似ていた。
それでも……と、声には出せずに、内心で砂泉は文言をめぐらせる。
それでも、思い出せたのだから。一年もの大遅刻だって、思い出すことができたのだから。
よく生き、よく死のう。身勝手で自己中心的でどうしようもなく空虚でもいい。情けなさを貫くことになろうともいい。そうやって生きていくなら、それでも構わない。ただ、世にあまねく存在の有りようを、すこしだけ貴んでみようと思った。
それだけの話だ。
11月は、もうすぐ終わる。
(了)
Lost Remembrance 朝の光 @yakijakejake
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