がんこ爺(じじい)

鈴木 星雪

第1話 沢庵

 朝日と共に我が家では、「ラジオ体操」が流れる。

ラクダ色の肌着にももひき、茶色の腹巻をした父がラジオ体操を始める。

父の話によれば、小学校一年生の頃から現在まで毎朝欠かさず五十年以上日課として続けてきたそうである。それは、太平洋戦争で軍に徴兵され戦地に行った際も変わらなかったということだ。その効果か、父は今でも病気知らずで頑健な身体は健康そのものである。

 太平洋戦争が終わり戦地から復員してきた父は、溶接工として造船会社に勤めた。母は、父が戦地に行く一年前に見合いをし祝言をあげた。そして、母は身籠り父が出征中に私を出産した。生来病弱だった私を、母は苦労しながら一生懸命育て、私が三歳になった時、父が戦地から復員してきた。母は、ホッとしたように逝ってしまった。父が帰るまで、何としても私を守り育てなければという一念だったように思う。病に倒れた母は、父に私を託し眠るように逝ってしまった。穏やかな母の死顔を前に、頑固な父が人前を憚ることなく号泣した。私の記憶では、人前で父が涙を見せたのは、このとき一度限りである。

 その後、私は父の男で一つで育てられ大学までいかせて貰い電子機器製造メーカーに就職した。仕事は、システムのプログラマ-だが、就職したての際は聞き慣れない職種だったこともあり近所の人達に、特に父の友人知人に説明するのに骨が折れた。そのうち、“何の仕事だ?”と聞かれると「電子機器の部品を作ってます。」ということにした。父の友人知人のお年寄りは、それで納得してもらえるのでその様にしている。私も、今の会社に入社して二十年ほど経ち四十一歳になっていた。今年は前厄である。結婚は、十年ほど前にお見合いをして所帯をもったが、何をするにも煮え切らない私に妻は愛想を尽かし出ていってしまった。孫の誕生を楽しみにしていた父は、

「お前も男なら意地でももう一度、生涯の伴侶を探し出すくらいの甲斐性を持て」

と檄を飛ばしてくれたが、当分孫の顔は見れまいと諦め顔で寂しそうだった。

 昭和も黄昏を迎えた昭和63年9月、ある夕暮れ時、父と二人での夕食の際テレビのニュースを見ていた。政界を揺るがすリクル-ト疑惑の報道が流れていた。

「リクル-ト・コスモス株が、竹下首相・宮澤蔵相のそれぞれの秘書達に譲渡されたそうですよ」「ふうん、そうか」

父は、ご飯を頬張り沢庵漬をバリバリ音をたてながら食べていた。

「政府は、大モメでしょう。」私は、味噌汁をすすりながら言った。「何でだ」

父は、沢庵の切れ端を唇につけたまま、真顔で私に言った。

「だって、これは収賄事件になりますよ」

「何で、コスモスにジョ-ロで水差したくらいで賄賂になるんだ」そう言いながら沢庵の切れ端を食べながら言った父に

「違いますよ。リクル-トという会社の株を市場に出る前に、政治家へお礼として渡したんでよ」「なぁにぃぃ」

父の癖である。この“なぁにぃぃ”が出て眉間に皺を寄せ歯を食いしばった時は、父が納得できず且つ怒りがこみ上げた時の癖なのである。

「何の礼だ」「それは、政治家と企業で利権や便宜をはかったということなんでしょう。このリクル-ト社は、就職情報誌を出していましたし政府・政治家に助けてもらったところがあったんじゃないですか」父の顔が、みるみる紅潮してきた。父の場合、怒りの度合いの測定が極めて分かりやすく、怒りが大きければそれだけ耳まで赤くなる為、どれくらい怒っているのか視覚的に判断しやすい。今も耳が紫色に近いぐらい色が染まっているので、かなり怒っているらしい。

「経済とは、“経世済民”じゃ。世の中を治め、市民の苦しみを救い以って経済と言うんじゃ。庶民の暮らしを良くしてこそ経済。“士君士権門要路に処れば、操履は厳明なるを要し心気は和易なるを要す”お前分かるか?」「分かりません・・・」

「大学までいかせてこのザマだ」箸を置きながら父は言った。

「いいか、良く聞け。いやしくも、君子たる者が重要な地位に就けば言行厳しく公明にして、気持ちは常に穏やかで優しくなければならん。それが政の心得じゃ。これは、今の国政に与るものとて同様。決して腹黒な奴等に近づかぬ。ましてやサソリの如き小人の毒に犯されちゃならんのじゃ。」漢文の好きな父は、妙なところで古い格言を持ち出してくる。ただ、今も父は沢庵の切れ端を口元につけたまま、耳を紫にし、顔を紅潮させて私にまくし立てている。しかし、その姿では何故か説得力が乏しく本人は、ご政道をまげている悪徳政治家に怒り心頭に達しているのだが、客観的にみると、寧ろ笑いがこみ上げてくる。

「でも、お父さん。国会議員だって聖人・賢者ばかりじゃありません。我々有権者が選んでいるんです。つまりは、我々有権者の等身大、保身・損得勘定・利権、まして政治家は、金は数、数は力。清濁あって世の中が成り立っているんですから。」私の言葉を聞いた父は、耳が完全に紫色になった。怒りが最高潮になった証拠だ。」「なぁにぃぃ」

「それじゃあお前は、政治家なんぞは庶民・平民から選ばれた俗物・奸物。少々ピンハネしたところで目くじら立てるなとでも言うのか?」そう言った父の口元から沢庵の切れ端がポロリと落ちた。

「そうではありません。私も清廉潔白な憂国の士が多く輩出されることが望ましいと思います。でも現実は、そのような人が選ばれることのほうが少なく、業界や団体の後押しがなければ当選しないような世の中になってるんです。ですから、自然選ばれた政治家達は、自らの支持母体の業界・団体の利益誘導に汲々となるのです。政治家に近寄る奴らも自らに利するようする為に、一つの手段として“金”を使うんですよ。」父は、口をゆすぐようにして味噌汁をゴクリと飲んだ。

「ああ、分かった。お前の屁理屈は、聞き飽きた。よし、じゃあわしもそのリクル-トとやらの株を市場で買ってくる。どの市場に売ってんだ。築地か?どこだ?」

私は、証券市場の仕組みを説明しようと思ったが、長くなりそうなので

「もう売っていませんよ。」と答えた。

「何だ、それじゃあ他の株でもいいぞ。リクル-トじゃなくウミル-トでもいいぞ。」「多分、それも無いと思います。」私は、ため息をついてテレビを見た。

「そうか・・・。よし、分かった。人気があるからすぐ売れるんだろう。今はもう晩だからな。明日の朝、三時に起きて行ってやろう。朝一番なら、築地に十個や二十個は売ってるだろう。よし、そうと決まれば呆けて夜更かししている場合じゃない。寝る。寝るぞ。」そう言うと父は、ラクダ色の肌着にももひき、腹巻姿で立ち上がりクルリと背を向けて襖障子に手をかけた。父のももひきの尻の所にさっきの沢庵の切れ端がついていた。「あの・・・」沢庵がついてますよと教えたかったのだが、父はサッサと茶の間を出て行ってしまった。

「全く馬鹿にしやがって。庶民をなめるなよ。テメェ達だけ濡れ手に粟のいい思いをさせてたまるか。」大声で叫んでいる父の声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

がんこ爺(じじい) 鈴木 星雪 @orumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る