PART5

 本当にこんな場所に居るのだろうか。勇作はそんな疑問を漠然と抱きつつも、他に手掛かりも無いので時間にして午前三時。そんな深夜に都内の廃ビルへと潜り込んでは上階を目指していた。

 以前起きたとある大事件により都内、と言うより日本全国には使い物にならなくなったビルや家屋が今は幾つもあった。

 順次解体され建て直すなり新たな建物を新設するなり、政府は対応しているがとてもすぐに終わるような規模ではない。

 勇作が登るビルは比較的原形こそ留めていたが、それでも各所痛んでいてそんなところを目にする度、彼の不安は煽られた。

 各階は既に撤去が済んでいてもぬけの殻。捜す分には面倒が無くて良いがと彼は思いつつも、見渡した先で割れたガラスや抜けた壁、床などを見渡すと此処で起こったことを考え表情が曇る。

 自分が居たからと言って何か出来たわけでは無いだろう。そうは思ってもやはり、むしろ胸が痛む。自分にもっと力があればと、この時ほど思ったことは彼にはなかった。


「……早く見つけて、今日は切り上げようっと」


 整髪料で整えたつんつんのとんがり頭に手を突っ込み、頭皮を掻きながら独り言ち。勇作は次の階段を数段飛ばして駆け上がって行く。稼動していないビルなので当然エレベーターなどと言うものは動いておらず、此処までも彼はこうして階段を駆け上がってきたが、“特殊”な彼にとっては大した労力では無かった。

 そうして辿り着いた階で、勇作は遂に目当てのものを見つけた。


「うえっ……!? 着替え持って来いってそう言うことかよ!?」


 勘弁してくれ。思わず口を衝いて出た言葉。勇作は顔面を手で被い溜め息を溢した。

 が、そうしてばかりも居られない。仕方ないと諦めを付けた彼はすぐにそれに駆け寄り、背負ったバックパックを背中から降ろす。

 彼が見下ろす先では、一人の少女があろうことか全裸でその体を埃まみれの床に横たえていた。長い黒髪をした、それはイサミだった。

 見てないよと繰り返し告げながら、取り敢えず己の来ている黄色に黒のストライプが入ったパーカーを脱いでイサミへと被せる勇作。

 これで良しと閉じていた両目を開くと、そこには既に目を醒まして彼を赤茶色の瞳で見上げているイサミが映る。

 反射的に飛び退いた勇作はそのまま着地もままならず尻餅を付き埃を巻き上げながらも彼女へと背中を向けると「これは不可抗力だから! さっきも言ったけど見てないし、触っても無いし!!」 と声を大にして言った。


「……何でも良いけど、着替え」


 あれやこれやと言い訳を繰り返す勇作の背後で体を起こしたイサミは彼がかけてくれたパーカーを羽織り前をとじ合わせながら、訊ねる。

 するとぽんと彼女に膝の上に勇作が背負っていたバックパックが放り込まれた。きょとんとした顔をしてイサミがそれを開くと中には以前彼女が彼に渡した着替えが入っていた。

 さっさと服を着てくれと懇願する勇作が可笑しくて、ついくすりと笑ったイサミは言われた通り、彼のパーカーからバックパックの中にあるシャツとズボンへと服を着替える。

 終わったことを勇作へと伝えたイサミは、ようやく振り返り服を着た彼女の姿にほっと安堵の溜め息を吐く勇作へとパーカーを手渡した。しかしそのパーカーを手に持ったまま何やら物怖じしている様子の勇作。イサミには何事か分かっていて、また一つ笑うと「アタシは別に気にしない」 と告げる。

 そうすることでやっとパーカーを羽織ることが出来た勇作はやや照れたような顔で咳払いを一つ。そしてイサミが訊ねる。


「ところで、その……」


「無事だよ」


 皆まで言うまでも無く即答を返した勇作に面食らったイサミの口からえっと言う声が零れた。

 勇作はその表情に笑みを浮かべながら、グローブの嵌められた手を持ち上げてそこにぐっと親指を突き立てたサムズアップをして見せる。


「オレの知り合いから連絡貰ってさ、モエギちゃん……ついさっき目え醒ましたって」


 その報告に、イサミは勇作の前だというのにその顔を綻ばせて嬉しそうに微笑んだ。そこには赤い世界での激情は無く、それを見た勇作もついつられて笑ってしまうほどだ。

 良かったなと彼が声を掛けようとした時にはもうイサミは彼に背を向けていて、呆れた様子の勇作が己の頭を掻きながら彼女に帰ろうと促す。

 しかしイサミは彼に背中を見せたまま首を横に振る。何故と勇作が彼女に尋ねると、イサミは己の右手を見下ろした。

 そこに残る確かな感触。赤い世界で握り潰した、あの少女の感触がそこには残っていた。


「アタシは会えないよ。だって、モエギを危険に曝したのはアタシだし。――殺したのだって……アタシ、何だから」


「夢なんだろ?」


「アンタらからしたら、ね」


「だったら――」


「アンタは夢の中でだとしても、殺されたことなんてある? 殺したことは?」


「無い……な。オレ、眠りは深い方だし」


「ふふ……あっ」


「笑ったな!?」


 笑われたとして、顔を赤くした勇作が吼えた。

 まさか笑わされるとはと、イサミとしても彼とのやり取りで笑ってしまったことを不覚と思っているのか、ばつが悪そうに己の頬を掻きながら横顔を勇作へと向ける。

 その後、改めて彼へと向かい合ったイサミは話題を切り替えるべく口を開く。


「とにかく、アタシはアタシがしたいようにする。やらなきゃならないことは、まだまだ沢山ある」


 全ての歪を殺すこと。それはいまだに達成されてはいない。

 そしてそれは今や投げ出すことの出来ない彼女の使命でもある。彼女が血海の魔女とそう呼ばれるように、それは彼女がその望みを叶えるために結んだ悪魔との契約だからだった。

 絶対の契約。少女は歪を殺すことを望み、悪魔はそれを叶えるための力を少女に授けた。そうして結んだ悪魔との契約は、歪を殺しきること。


「――お互いにね。そうでしょ? スーパーヒーロー、“U-フェンス”さん」


 不敵に笑ったイサミの、何処か小馬鹿にしたような言葉。

 勇作はそれにむっとしながら、そうだなと語気強めに言って彼女へと背中を向けた。


「けど、困ったことがあったなら、それもお互い様だ」


 勇作は首にかけていたはちまきを手に取り、それを目元へと巻き付ける。

 フードを被り、そして再びイサミへと向けた彼の顔は、はちまきに空いた二つの覗き穴から彼女を見詰める“U-フェンス”としての顔であった。


「……またな」


「――うんっ」


 U-フェンス――勇作はその廃ビルを後にした。残ったイサミは一人、割れた窓ガラスから見える暗い街並みを見下ろす。

 その景色は一変し、再び赤い世界へ。

 彼女の前には踊り狂う歪の姿があり、紅い瞳をしたイサミはそれに向かい走り出す。

 黒髪を風に流し、突き出した右手から憎き歪と同じ歪骨の爪を抉り出して、そしてイサミは歪を殺して行く。

 例え傷付き倒れても、調子の良い悪魔の囁き声に苛立とうとも、いつか大切な人たちが歪の居ない世界で生きて行くために。例えそこに自分の姿が無かったとしても。

 それが少女の、血海の魔女の進む道だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

血海の魔女 赤い世界で歪と踊り、殺す少女 こたろうくん @kotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ