PART4
勝利の咆哮は束の間に、そして呆気なく鳴り止んだ。
膨張する水面に出来上がった真っ赤な球体の中でそれは形を変え姿を変えて、その中でイサミは全身を駆け抜けて行く凄まじい痛みに悶えていた。
全身が押し潰されるように苦しくもあって、引き裂かれるように痛くもあって、事実として彼女のセーラー服の下に隠れる柔肌は体内で暴れ回る歪骨たちに押され突き上げられ四方八方へと追いやられていた。
内臓が押され、骨格は歪骨へとその姿を変える。その為に折れ、そして砕けて行く度に激痛がイサミを襲うが、研ぎ澄まされて行く感覚故にそれを忘れることも叶わない。
痛い苦しい熱い、だがそれ以上に歪を思えばそれが憎い。
「――殺してやる」
やがてイサミの肉を切り裂き、皮膚を突き破って沢山の歪骨が全身のあらゆる箇所より突き出し始める。
めきり、ぱきりと音を立て尚も変形して行く歪骨はずたぼろになり己の鮮血で真っ赤に染まるイサミの体を包もうとして行く。
そうしている間にも、喉が引き裂け血が噴出するほどの悲鳴を挙げた彼女がその背を反らせると、膨らんだ彼女の胸を引き裂いて異形と化した肋骨が無数に飛び出した。
それはまるで蟲の足のようにわらわらと細かく動きながら、溢れ落ちようとして行くイサミの臓物を抱き留め内部へと押し込む。
「――殺してやる!」
イサミ自身も臓物を抱えるように両腕で自らを抱きしめ背中を丸めるが、そうすると今度は背に浮かび上がった背骨がそこの皮膚を突き破って外へと飛び出す。
それに引き摺られるようにして一対の巨大な歪骨もその姿を現した。
鬼の形相を浮かべるイサミがその顔を持ち上げ、黒いシルエットとして浮かび上がる歪を睨み付ける。
「――殺してやるッ!!」
首を突き出し、そこを節くれ立たせながら吼えたイサミの顔面に縦に真っ直ぐ切れ目が走ると、彼女の完全に歪骨と化した両手の指先がそこに掛かり、そして一気に左右に引き裂いた。
血飛沫の中、露わになるのは巨大な顎とそれに生え揃った牙たち。上顎と下顎を備えたその歪骨は恐竜か、現代で言うならばシャチに似る。
だがシャチとは異なる形状をした巨大な眼孔の暗闇の向こうに浮かび上がるのは紅い輝き。
そして膨張した水面を吹き飛ばし、錐揉みしながら天高く飛び上がったのは対の歪骨で出来た翼を羽ばたかせる異形の歪。それは悪魔インペルーザーの現し身。
大歪はそれに向けて顎を割り再び咆哮を上げる。そしてその口腔、舌に当たる箇所に見られるのは、歪と同化した少女の上半身であった。
「――ッ――!!」
もはやそこにイサミの言葉は無い。
だが吼えるイサミであったその歪の声は彼女のもので、翼で宙を打った彼女は獣の手足を揃えた歪としての体躯で大歪へと突撃を行う。
向かう先は大歪の大顎。そこへと飛び込もうとするイサミを噛み砕かんとそれは顎を大きく開けた。
そして彼女がそこへと入った直後、大歪はその顎を勢い良く閉じた。がちんという威勢の良い音が響き渡る。
だが大歪の顎はしかし最後まで閉まることはなく、と言うのも飛び込んだイサミが全身を被った歪骨の硬度にかまけて左腕と背中で上顎を、趾行性へと変形した両脚と新たに生え揃った尻尾で下顎を押さえ付けると、後は背骨の硬度だけを支えとして大顎が閉じるのを妨げる。
だが大歪の咬合力は見た目の通りに強力で、最終戦闘形態へと変化したイサミの歪骨と言えども長く持ちこたえることは難しい。既に左腕の付け根や股間部分、そして背骨には亀裂が生じ始めておりぎしりと軋んでいた。
眼孔の奥の輝きが、大歪の口腔にあって今はイサミの眼前に居る少女を射抜く。イサミの目的ははじめから彼女にあった。
「――、――」
獣のような呻き声を上げたイサミは、唯一自由である右手を少女へと伸ばす。
左手と同じく巨大な歪骨の手と化したその右手は徐に少女の顔へと寄せられて行き、切っ先鋭い爪を携えた指先でそっとその頬に触れた。
「――!!」
その直後、大きく開かれたイサミの手が少女の頭部を包み込みそして握り締めると、彼女は咆哮を挙げて右手へと力を加えた。
くしゃりと、まるで卵が割れたかのような小さな音が響くと、少女の体がぐったりと下顎に倒れる。首から先を失った少女はそこから鮮血を溢れさせ、そしてイサミはそれを機に大歪の口腔から飛び出した。
追い縋り大顎で執拗にイサミを狙う大歪を避けて行きながら、翼で上昇したイサミはそれと向かい合う。
怨めしそうに咆哮して、水面に立てた前肢で沈む下半身を持ち上げてイサミを追う大歪に対し、イサミは少女の血で染まった右手を振りかざした。
めりめりと音を立てて、背中から這い上がってきたのは幾つもの節を持ち百足のように動く一本の長大な歪骨であった。
それは背中から右肩へ、右腕を伝うと最終的には右手に到達し、その直後にその手に鷲掴みにされる。強く握り締められ悶えるようにくねくねと踊った歪骨であったが、それもすぐに大人しくなる。
すると節々は可動のための隙間を次々に閉じて行き、真っ直ぐ伸びた百足は長大な槍へと姿を変えた。
そこから更に、イサミが歪骨で出来た槍を両手で構えると、切っ先付近の節の幾つかが解放されそこだけが曲がり倒れた。そうなると槍と呼ぶよりは鎌に近い形状にそれは変わり、イサミはそれを携えたまま迫り来る大歪へと再びの突撃を行った。
イサミを向かえ入れんと大顎を目いっぱいに開閉する大歪に対し、彼女もまた歪の体で咆哮を挙げた。
手にした大鎌を振りかざし更に加速をかけるイサミ。そして遂に二つの歪が接触する。
ばくんとイサミを飲み込み顎を閉ざした大歪。咆哮を挙げ、天高くその体を突き上げたそれは、しかしそのまま縦に割られ二つになる。
左右に分割された大歪のそれぞれから、中に詰まっていた大きな臓物が雪崩の如く溢れ出し、その様は夾竹桃の果実ようであった。
大歪に飲み込まれながらも振りかざした大鎌によりその巨躯を断ち切り、既に体外へと脱出していたイサミは歪と化した姿のまま立ち尽くしていた。朽ち行く大歪に振り返ることは無く、見詰めるのは水面に映る己の姿のみ。
憎い。歪が憎い。自分が憎い。
心中に渦巻くその思いに焼かれながら、ゆらりとただ一つ残った
ばしゃりと音と飛沫を上げて水面に仰向けに倒れたイサミのその姿は歪でこそ無いながら、まるで人体模型のようだった。臓物は外気に曝され、神経に直接外的刺激が伝わる。その度にイサミの体は痙攣したように震え上がる。
だがそれも束の間のこと、徐々に皮膚が形成され彼女の体を覆い始めた。そうしてようやく熱く焼けるような痛みより解放されたイサミは、何時までも赤い空を見上げている紅い瞳をそっと閉じたのだった。
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