七夕さま

「ヤバい! 今何時!?」


 焦る融の言葉に、ちゅんちゅんと長閑なスズメの声が応える。部屋に転がる死屍累々たちは高鼾でガン無視だがそんなことを気にしている場合じゃない。


「渚、シャワー借りるよ。ついでにスーツも一式貸して。待ってるよね? ね!?」


 そう叫びながらバタバタとバスルームに駆け込んでゆく。家に帰って着替える間なんて無い。多少サイズが合わなかろうが致し方無い。飲んで騒いで寝た後のヨレヨレのTシャツとパンツで出社する訳にはいかないのだ。


「ねえ渚くん、融くんが何か騒いでるわよ」


 美鈴と二人ちゃっかりベッドを占領していたかずこさんが、すぐ下に転がっている渚を揺する。因みに目は開いていない。


「んー?」

「スーツ貸してって。何だか急いでるみたいだから出しといてあげなさいよ」

「あー」


 返事をしつつも渚が動く気配は無い。返事はしていても、起きてはないし聞いてもないのだ。こんなときの返事を間に受けてはいけない。みんなも気をつけるんだぞ☆


「起きろっつってんだろうが!」


 ごいん。という鈍い音と共に渚の頭が揺れた。


「えっ? 何?」


 衝撃と痛みに流石に渚の目も覚める。けれど深酒と寝起きのぼんやりした頭ではなかなか状況を把握出来ない。


「え?」


 渚は半身を起こした己の手の間を二度見した。


 ……え?


「何でぴーちゃんちっちゃく……」


 ゴシゴシと目を擦る。二度見してもぴーちゃんはやっぱりちいちゃい。


「んなこたどうでもいいんだよ。さっさとスーツとやらを出せ。融が遅刻しちまうだろうが」


 巻き舌のぴーちゃんに凄まれてやっと渚は手を打った。そうか今日は水曜か。クローゼットの奥に押し込んでいるスーツを引っ張り出してハンガーラックに掛ける。そして何気なくベッドを見遣って。


「え?」


 また二度見した。


「何でかずこさんでっかいまま……」


 訳が分からず首を回せば、部屋の隅では黒髪の王子様がすよすよと寝息を立てている。え。何で? 何でぴーちゃんだけちっちゃくなってんの?


 動揺しつつもトースターに食パンを放り込んでコーヒーを淹れる。融も朝飯を食う暇くらいはあるだろう。無くても多少は腹に入れた方が好い。

 ぴーちゃんにも出してやりながらコーヒーを啜る。


「目が覚めたら夢も覚めるもんだろうが」


 食卓の上にちょん、と座ってぴーちゃんが小さなマグカップを口に運ぶ。両手でマグを支える様は、鬼瓦といえども愛らしい。ちょっと和む。


「そうよぅ。織姫に逢えるのは一日だけって決まってるでしょう?」


 欠伸をしながらかずこさんもとてとてと寄ってきた。なるほど起きたら夢が覚めるのか。かずこさんもちっちゃくなっている。


「寝顔にちゅーするなら今のうちよぉ?」

「しません」

「えー」


 かずこさんがくすくすと笑う。


「楽しかったわねえ。来年も晴れると好いわね?」

「そうだな」


 取り敢えず、酒盛り資金の積み立てを始めようと思う。

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おれのおっさん 早瀬翠風 @hayase-sui

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