#5 井高野 弘司 ―予感―

「ホンマかいな、それ?」

「……ああ」


 翌朝――弘司は手筈通り訪ねてきた兄、憲一に何が起こったのかを話した。

 夜中、弘司と颯太は口論になった結果、颯太が家を飛び出し、そしてトラックにはねられるという交通事故に遭い、その後の行方が知れない、ということを。


 憲一は短く刈り上げた髪の毛を一度撫で付け、出されたコーヒーカップを手に取った。

 本来ならば、このまま憲一が颯太を連れて行く予定だった。向こうもそのつもりで遠路遥々やって来たのだから、面食らうのも当然だろう。


 兄は現在、奈良県の方で自営業を営んでいる。

 生まれは関東だが、長年関西圏に住んでいるということもあって、すっかり関西弁が板に付いてしまった。今では標準語で話す方が稀になった程だ。

 遠方に住んでいるだけあり、直接会うことは少ないものの、弘司は定期的に憲一と電話などでやり取りしている。

 兄弟仲は、一般的に見て良好だと言える。


 自営業、つまりは経営者である憲一に颯太を預けることにより、社会経験を積ませようと思っていた弘司の企図が、このような形で頓挫するとは。

 自身もブラックコーヒーを啜り、そして項垂れる。


「花織ちゃんは?」

「寝込んでいる。随分とショックを受けたようだ」

「まあ、そらそうやわな。涼花すずかちゃんは?」

「部活の朝練があるそうだ。早くに家を出たよ。そのうち戻ってくるでしょ、と随分軽く考えているみたいだったが」

「それも一つの考えやな」


 涼花――弘司の娘である。

 歳を重ねるごとに内向的になってしまった颯太とは真逆で、非常に活発で外向的な性格をしている。

 弘司と憲一とは違い、颯太との兄妹仲はお世辞にも良いとは言えないが、やはり行方が知れないと聞いた時は驚いていた。

 もっとも、口論の件も知っていた涼花は、兄の反抗的な行動だと踏んでいるようだが。


「しっかし、ボンチも大変やな。これから仕事やろ?」

「……事情は向こうにも伝える。場合によっては、早めに上がるつもりだ」


 兄は、弘司のことをボンチと呼ぶ。

 どういう意味かはよく知らない弘司だったが、兄曰く「ボンチはボンチ」とのことらしい。アダ名の一種なのだろう。


 しがないサラリーマン、という言葉がよく似合う弘司は、今日も当然出社せねばならない。

 朝に颯太を憲一に預け、そのまま会社に行こうと思っていたのだが、流石にこうなっては一生懸命働く気分にはなれなかった。


「警察は颯太を探してるんかいな?」

「一応、通達は各交番に出すとのことらしい。ただ、本格的な捜索、とまではいかないみたいだ。あくまで主となるのは、颯太が交通事故に遭ったということであって、行方が知れないのは副次的なものだから、だそうだが……」

「薄情なやっちゃな、警察も。そのトラックの運ちゃんは何も知らへんのか?」

「連絡先は交換した。後日、改めて話を聞くつもりではあるよ。ただ、どうだろうなぁ。結局、颯太の姿をちゃんと運転手は見ていないようだし」

「脇見運転か?」


「いや……根本的に、進入禁止の道を間違えて走ったって。長距離トラックのドライバーだから、この辺りの土地勘は皆無。コンビニを見付けたから、道路標識を見ずにそのまま走った結果、歩いていた颯太をはね飛ばした。一瞬の出来事だったようだ。ライトで急に颯太の像が浮かび上がったから、しっかりと姿を見ていないらしい」


 あくまで相手の言い分であり、鵜呑みにすることは出来ない。

 とはいえ、道交法上全く颯太に非はないし、それは相手も承知している。

 自分を庇い立てるような嘘をつくメリットも、ここまで瑕疵がハッキリしていればほぼ無いだろう。


 改めて話を聞いた憲一は、腕組みをしてうーんと唸っている。

 肉体労働も仕事内容に入っているからか、弘司と違って憲一は筋骨逞しい。齢五十とは思えない程だった。


「それでも普通、はねた相手ぐらい確認するやろ。ちゃんと警察呼んどるから、轢き逃げでもあらへんし。やのに颯太の姿を見てへんって、そらおかしないか?」

「気が動転していた、という言葉だけでは片付けられないとは思う。ただね……泣きながら『本当に見ていない』と主張していたんだ。おれも、警察も、頭を捻ったよ。落ち着いたら、ちゃんと証言するはず――って、警察は言っていたが」

「なんやそら。まさかとは思うけど、はねた颯太が吹っ飛んで星になったンちゃうやろな?」

「そんなマンガみたいなことがあるか。近い可能性としては考慮したらしいがね」


 大型トラックにはねられると、想像以上に人間は吹き飛ぶらしい。

 警察もそれは分かっていたようで、事故現場周辺にある民家の塀の中に颯太が吹き飛ばされていないか、一応確認は取ったとのことである。

 が、当然ながら颯太は見付からなかった。


 事故直後、颯太は何の痛みもなく動き回れたのだろうか。

 果たしてどこに向かおうとしたのか。そこまでの用事があったのだろうか。

 幾度となく弘司は考えを馳せたが、明確な答えは浮かばなかった。


「……家に帰りたくない、というのはあると思う。実際、今日こうやって兄さんに迎えに来てもらう手筈だったことを、アイツは知っているわけだし」

「それだけの理由で、事故った直後にフラフラどっか行くような根性あるか?」

「……さあ……」

「さあ、ってボンチお前な……。あー、まあ言うてもしゃあないか、ええわ」


 口論になると思ったのか、憲一はどこか上の空な弘司に対し言及を避けた。

 そのままコーヒーを飲み干した憲一は、「ごっそさん」と礼を述べ、立ち上がった。


「こっちで用事あるし、ボクはしばらくホテルに泊まるわ。何かあったら言うてんか」

「別に、ウチに泊まっていけばいいのに」

「颯太が連行拒否したら、泊まり込みで説得したろ思っとったけど、おらへんしな。花織ちゃんも不安がってる中で、ズケズケとボクが泊まったらアレやろ」

「……それもそうか。悪い、兄さん。心配掛けて」

「ええねんええねん。どうせ、三日もすれば颯太も戻って来おるて。そん時また呼んでや」

「分かった」

「ほな」


 ひらひらと手を振り、憲一は弘司の前から去っていく。

 心配性な弘司とは対照的に、憲一は昔から楽観的で大らかだった。多少のトラブルは気にしないその性質は、今の弘司にとっては羨ましくもある。

 憲一は、颯太がすぐに戻ってくると迷いなく考えているのだろう。


 だからこそ、弘司は言い出せなかった。

 胸中に渦巻く、言い様のない不安。

 根拠も理由もなく、単に心配であるから、と言ってしまえばそれだけだが――どうしても、颯太が戻ってくるとは思えないのだ。

 それを憲一に話したところで、笑い飛ばされて「大丈夫や」と励まされるだけだろう。故に、黙って見送るしか出来なかった。


 これは、後々になって分かることだが、颯太の肉親という血の繋がりが起こした、一種の本能的な予感だったのかもしれない。



 ――井高野 颯太に捜索願が出されたのは、それから数日後のことだった。



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異世界から息子が帰ってこない 有象利路 @toshmichi_uzo

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