第五話
ピアノの大きいふたが開けられて、中にハンドルのようなものを取り付け、音を鳴らす人がいる。ハンドルをいじり、音を三つ鳴らす。同じ動作がすでに10分は続いていた。その様子を、先生がソファーに腰かけながら見つめている。
調律というものが気になって見学していたけれど、自分の仕事もしなくてはいけないので、私はそっと応接間を出た。ピアノの音を合わせているから、音は禁物だ。私は台所でペットボトルを次々と開け、静かに中身を捨てていった。「治る水」というラベルも剥がしていく。それが終わったあとは、ほかの商品の段ボールも開け、分別していった。古い木造住宅にはピアノの音が響いていた。
それもしばらくしたら止んだ。調律が終わったのだろうか。私はそのまま物置の掃除を続けた。静寂が続いた後、控えめに、ポーン、とピアノの音がした。
調律の無機質な音の並びではない、音楽となった音が聞こえてくる。私は音楽を知らないから、その曲が何という名前かわからないけれど、ゆっくりとした、やさしい曲だな、と思う。
町田さんから、芦葉税理士事務所は今月でおしまいなのだと聞いた。そこで私の仕事も終わりという事だった。私は最後の日まで普段と何も変わらずに掃除をした。最後の日の仕事終わり、先生と、町田さん、八木さんにお世話になりましたと挨拶をする。先生も普段と同じように短く返事をして、それで終わりだった。帰るとき、八木さんが大きい封筒を差し出した。
「これね、先生から。あなたのこと結構気にしてたみたい。大きなお世話かもしれないんだけど、もらってやって」
「……ありがとうございます」
そう言って封筒を受け取る。何が入っているのか確認するのが少し怖くて、その場では開けなかった。家に帰り、気合いを入れて封筒を開けてみる。
中身は高校卒業程度認定試験という資格の資料だった。知らなかったけれど、調べてみたら、これに合格すると大学受験ができたり、いわゆる高卒の資格が得られるという事がわかった。高校を辞めるとき、誰もそんなものがあることを教えてくれなかった。
それともう一枚、細長い紙が入っていた。細くくずした字で、一行ある。
写真をどうもありがとう。 聡一郎
芦葉聡一郎のガラクタ 藤のよう @monohoshi-hare
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます