ゆきおんな

賢者テラ

短編

「さぶっ」

 良樹は、冷気に身を縮こまらせた。

 今日は、クリスマス・イブ。天気予報では雪が降るかもしれないと言っていたが、確率としてはそれほど高くはないらしい。夜の6時になってもまだ降らないことを考えると、今夜がいわゆる『ホワイト・クリスマス』になってくれるのは期待できなさそうだ。

 冬の街を行き交う人の群れは、なぜか普段よりも足早であるように良樹には思える。ジャンバーにマフラー、手には手袋といった風に完全武装をしても、今夜の冷え込みは強敵だった。これだけ寒いなら、もう雪が降ってもよさそうなものだ。

「まぁ、冬だからしゃーないね」

 横に寄り添っていた雪乃は、そう言って笑う。

「でもね、トモダチなんかは……夏より冬がいい、って言う子がいるよ。その子の言い分によるとね、『冬は寒けりゃ着込めばいいけど、夏はいくら暑くても、ある程度以上は脱げないでしょ?』 だって」

 分かったような、分からないような理屈だったが、良樹は笑った。

 出会ってから、まだ半年。大好きな雪乃の言うことなら、どんなことでもうれしい時期なのだ。



「あ……雪だ」

 良樹は、藍色の冬空からハラハラと散ってきた雪に気付いた。

 ホワイトクリスマスは絵に描いた餅かに思われたが、本当に降ってきた。

「あ、ホント!」

 雪乃は、手のひらをかざして、雪を受け止めてたりなんかしている。

「そう言えば、久しぶりに思い出したよ」

 急に立ち止まった良樹を振り返る雪乃は、興味津々に尋ねた。

「えっえっ、何か雪にまつわる思い出話でもあるわけ?」

「そっか。君にはまだ話したことなかったっけ。僕がこうして生きてられるのも、雪乃と出会えたのも、ある不思議な人のおかげなんだ」

 目的のデートスポットにたどり着くには、まだ間があった。

 良樹は、幼かった当時を思い出して、おぼろげに覚えている事件の顛末を語った。




【小雪の話】



 私がその家族連れを見たのは、ある雪が深々と降る午後のことだった。

「いらっしゃいませ。ご予約の……佐藤様でいらっしゃいますね?」

 絵に描いたような、幸せそうな家族。夫婦と、6歳くらいの小さなかわいい男の子。しゃがんで男の子の目線に立った私は、興味をもって聞いてみた。

「ぼく、お名前は?」

 ちょっとはにかみながらも、何とか「よしき」と答えて、すぐ母親の後ろに隠れてしまった。

「まぁ」

 母親は、笑いながら、私から旅館の部屋の鍵を受け取る。

「良樹、今日からこのキレイなお姉さんのお世話になるんだから、ちゃんと挨拶なさい」

 事務的なやりとりの後、宿泊客としてやってきた彼らは、早速この旅館の名物である温泉につかりに出かけた。ここは、かなり山深いところにある極寒の地ではあったが、昔から秘湯して知られ、観光客もそれなりに多かった。



 雪の眷族として生まれた私は、生きるために人間社会に溶け込む努力をし、冬だけは旅館の女中として働いている。

 そう、私は人間ではない。

「小雪ちゃ~ん、仕事ひけたら私らも温泉行かない?」

 同じく住み込み女中をしていた奈央子がフロントの奥から声をかけてきた。

「いえ、私は…結構です」

 ……冗談じゃない。そんなものにつかったら、私は溶ける。

「小雪ちゃんは熱いのキライなんだよ。勘弁してやりなって」

 旅館の主人、嘉助が助け舟を出す。75歳の老人だが体もかくしゃくとして、元気な人だ。

「……それにしても、今日は空調システムの調子が悪いな。どっか故障しとるんかいな?」

 嘉助はそう言ってしきりに首を傾げるのであった。



 暖かいところが苦手な私は、旅館のテラスに出て、目の前に広がる白銀の世界を眺めた。

 辺りは、もうすっかり夜だ。

 手を伸ばせば触れそうな錯覚に陥るくらいの、濃い藍色の闇が広がる。

 しかし、人工的な明かりはほとんどないのに、雪の白は淡く、その発する光を照り返していた。

 雪。私の母—— 吹雪。私の友達——

 何で、私は人間じゃなかったんだろ。

 旅館に泊まりに来る夫婦や若いカップルを見て、いつも思った。



 ……愛って、どんなものかな。幸せな気分、ってどんなだろ。

 楽しい、というのとはまた違うのかな?



 色々想像するけど、人間じゃないし、異性などという概念もないから、さっぱり分からない。

 でも、何だか胸の奥がね、こう……モヤモヤッってするの。

 多分、それを言い表すのに最もしっくりくるのは『うらやましい』 って言葉かもしれない。



「お姉ちゃん」

 声のしたほうを向くと、さっきの男の子。

「あら、道にでも迷っちゃったの?」

 テクテクと私の横まで歩いてきたその子は、並んで雪景色を眺めた。

「お姉ちゃん、そんなお着物だけで寒くないの?」

 確か……『よしき』くんと言ったかな?

 その子は私の顔をのぞき込んでそう聞いてきた。

「ううん、ぜんぜん平気」

 生まれた時からこの姿であり、言語も操れた私は『子ども』というものがよく分からなかった。

 でも、この時なんだか胸が締め付けられた。



 人間って、うらやましい。

 家族がいて、恋人がいて、子どもが作れて、暑いところでも寒いところでも生きれて——

「寒いのは平気なんだけどね、何だかココロが寒いの」

 こんなこと小さな子どもに言ったところで仕方がないことは分かっていたが、思わず口から出てしまった。

 よしき君は額にしわを寄せて考えるような顔をしていたが、やがて手を伸ばして私の胸に触ってきた。

「寒いの、このヘン? 温かくなるといいね」

 私には心臓なんてない。でも、まだ子どもだから鼓動がないのをおかしく思われずに済んだ。

 人間の体温は、平均して36度ほどある。

 よしき君の手のひらから熱が伝わってきて、正直私の肉体、正確には妖体だったが……は悲鳴を上げた。

 でも、なぜか私は我慢して耐え、よしき君のするがままにさせた。

 体は苦しかったけど、心の世界だけだったけど『あたたかい』っていう感覚を味わうことができたから。



 それは、深夜の1時30分に起きた。

 夜の帳が降りた旅館を、けたたましい非常ベルの音が襲った。

 廊下から、ドヤドヤと人が走る音。そして、飛び交う怒声。

「火事だ! みんな起きろ!」

 その直後、すぐに館内放送が流れ、宿泊客は全員外へ出るように、との指示がなされた。

 出火元は、空調システムと給湯を行うボイラー室らしかった。

 館長が不調を怪しんでいた矢先の、皮肉な事故だった。

 木造の建物だけに、火の回りも早かった。しかも、山奥の旅館だったから消防車もすぐには来れない。

 宿泊客と従業員を含めた約100名足らずは、とりあえずの服を着こんで安全なところまで逃げ、救助隊が来るまで待つべく焚き火を起こした。

「全員、いるのか?」

 嘉助は、宿帳を頼りに人数確認をしていた。

「……佐藤さん一家が、いないな」

 それを聞いた私は、気付かれないようにそっとその場を離れた。



 吹雪に変化して、かなり火の手の回った旅館に近付いた。

 旅館に入り口には、半狂乱になって我が子の名前を呼ぶ父母の姿があった。

 私は人間の姿に戻って、彼らのもとに駆けた。

「あの子が! 良樹が……まだ中にいるんです」

 話によれば、手を引いて逃げてきたのだが、途中燃え盛る柱が倒れてきて、別れ別れになってしまったのだという。

 この火の回りようでは、助けに行ったところで共に助からなくなるであろう。



 私は、考えた。

 愛って、いいな。

 家族っていいな。

 私には、何もない。

 でも、この夫婦にはよしき君がいて、よしき君には未来がある。彼もいつか、何らかの形で愛にめぐり合うのだろう。

 ……ま、いっか。

「お父さん、お母さん。ちょっと待っててくださいね。私が必ず連れ戻します」

 私は寂しく笑って、そう声をかけた。



 冷気を使役して一気に火事を消す手は使えない。

 その技は微調整が効かないから、火事は消せてもよしき君まで凍死させてしまうことになる。

 やっぱり、火の中を行くしかない。



 アイス・ストーム



 大きく息を吸い込んだ私は、冷気の突風を吐き出し、自分の身の回りに冷気流を作った。

 これで、何とか中に進める。

 20メートルほど進んだところで、よしき君の声が聞こえた。

「……助けて」

 叫び声ではなく、弱々しいかすれ声だ。これは、かなり深刻な状況だ。

 私は両手を広げて、熱のせいで十分に発揮できない力を、何とか引き出した。



 ケルヴィン・ブリザード



 雹を含んだ大風が、通路を吹きぬけた。これで、よしき君と私との間に、火の手は存在しなくなった。

 彼の姿を肉眼で把握した私は、ためらわずに駆け寄った。そして、抱き起こす。

「まだ、息がある」

 しかし、ある程度火傷も負っているようだ。手当のためにも、一刻も早くここから出してあげないと——

 その時だった。

 燃え朽ちた天井が、私の上におおかぶさって来た。 



 ……あついよう。



 私は、消えてしまうのね。

 まぁ、それは別にいいや。

 でも、この子だけは……

 これで、最後。

 


 小雪は、最後の力を使って良樹の周囲に不可侵の結界を張り、その上で死と引き換えに究極の精霊エネルギーを爆発させた。

 目を閉じた小雪は、良樹の額のすすを拭い、優しく口づけした。

 そして、カッと目を開いた。




 絶対零度!!




 焚き火の火に当たっていた避難客は、信じられないものを見た。

 良樹の両親もまた、放心して朽ち果てた旅館を見つめた。

 一瞬にして火が消えるどころか、氷で覆われ凍てついてしまった廃墟から、歩いて両親のほうへ向かってくる良樹の姿があった。




【再び良樹と雪乃】



「どう?不思議な話だったでしょ?」

 良樹と雪乃の周囲に舞う雪たちが、次第にその数を増やしてゆく。

 そして、まだうっすらではあるが周囲の風景を白いヴェールで覆ってゆく。

「へぇ~。その女の人のおかげで助かったんだね。私、その人に感謝しなきゃね。こうして助かったから、良樹と出会えたんだもんね」

 雪乃はそう言って、良樹の腕に可愛くしがみついた。

「オイオイ」

 体のバランスを崩す良樹から笑みがこぼれる。

 もうちょっと歩けば、予約を入れていたレストランはすぐそこである。



 その夜。

 気象庁は、かつてない珍しいデータを観測した。

 東京都の、とある区の、とある町だけに——

 雪が降った。

 そんな限られたエリアだけに雪雲が発生するなどというのは、常識ではあり得ないことだった。



 深々と降り積もる雪を窓から眺めながら、良樹と雪乃はテーブルをはさんで向き合い、ディナーを楽しんだ。

「きれいだね」

 ワイングラスを片手に、ふと外の通りを眺めた良樹はつぶやく。

 雪乃は頬杖をついて、潤んだ瞳で舞う雪の軌跡を追う。


 


「……私の、お友達」

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ゆきおんな 賢者テラ @eyeofgod

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