シャングリラ
山田波秋
第1話
金曜日、週末。誰もが明日からの休みに安堵の感を持つ頃、育美は仕事を終えて、駅のホームで電車を待っていた。
数年前、本社の都市集中化を分散させる法律が通ってから通勤電車は随分と楽になった。
よく考えてみれば、全ての情報がネットで流通する世界。接待以外に会社が一極集中化する必要は無くなった。随分前までは所謂”通勤ラッシュ”が苦で仕方がなかったが、今は都心を離れ移転した会社に通勤しているせいか、電車のラッシュは無くなり、土地代が安くなったので今までより広い部屋に低価格で住むことができるようになった。
「あと、十年もすれば、通勤ラッシュって言葉も死語になるのかな?」なんて思いながら、極々短い電車の行列に並んで電車を待っている。本数はそんなに多くは無いが確実に座って帰れる。
掲示板が”電車がまいります”の表示を始めた頃、後ろから声が聞こえた。
「育美ー!、育美−!」
同僚の郁代だ。ハァハァと息を切らせて近寄ってくる。「ハァ、あんたさ?これから暇?金曜日だし飲みに行かない?私、今日飲みに行くことになってるんだ。これは絶対なの。」
やれやれ、と思いながら育美は鞄から電子予定表を取り出す。スイッチを入れ、スケジュールを確認する。今日の予定は何も入っていない。
予定が入ってないので軽い気持ちで答える。「郁代、何時から?私、今日空いてるよー。」
「あぁ、良かった。話はこの電車に乗ってから。ゆっくり話すわ。」
やがて、ホームに電車が滑り込んでくる。確実に座れる電車だ。
電車に乗りながら郁代の話を聞く。
「今日さ、スケジュールを確認したの。そうしたら、赤羽のバー”シャングリラ”で飲むって書いてあって。今、場所を調べた所なの。」
「ハァハァ。それでさ、どうにも今日、会うらしいのよ。”運命の人に”。」
一瞬衝撃が走る。私たちが見ているスケジューラ、通称”国民スケジューラ”で、運命の人と会うと書いてあると言う事は、郁代はこの人と出会って結婚するのだな、って。
”国民スケジューラ”の言う事は絶対だ。国民の集合知を全て集めて、各人の趣味嗜好を全てデータベース化して、ニーズに合った人を紹介する。これは昔会った”お見合い”のシステムを国民全体でデータ化して調整し、データの結果を”国民スケジューラ”に提案する。
このシステムに沿えば、自分の理想の人に出会えて、理想の家庭を持てる。そして、理想の生活を演じることが出来る。このシステムは完璧であった。しかし、当時はジェンダーフリーの団体からの猛烈な抗議に合ったと聞く。しかし、その団体の人もこのシステムに沿えば…理想の人に出会えるのである。思想は思想、現実は”自分が一番可愛い”のである。その抗議もこのシステムが始まってからピタッと消えた。
育美だって、そのスケジュールに沿っている。成人式で、自分の理想の人生プランを入力した。後はシステムが理想の相手を見つけてくれる。お見合いなんかじゃない。偶然を装って出会わせてくれるんだ。ただ、時間と店は指定だけれど。
ベーシックインカムが整ったこの世界。どんな事をしても生活していけるようになった。これは先人達の実験の末であろう。ある程度の限界点が見えたのだ。
だから、高見を望まない人はそれなりに。高見を望む場合は、就職場所まで”国民スケジューラ”に支配される世界になった。
おかげで結婚率は驚くほど高くなり、同時に出生率も増えた。少子化問題に終止符を打ったのは、個人の考えでは無く、コンピュータの演算結果だったのだ。
:
「そっかー、郁代、今日、”運命の人”に会うのかぁ〜。いいなぁ〜。私のスケジューラには全然そういう予定入ってないよぉ。」と思わず口に出る。これが本心なのか、”国民スケジューラ”が決めた事だからなのかは…正直分からない。
「そうそう、私、専業主婦になりたかったから、これで仕事も終わりよ。後は今日、理想の男性に会うだけ。でも、でもね。ちょっと判断を見間違うと危ないからさ、育美に付き合って貰いたくて。友達でしょ?」
そういう時だけ友達と言われても…と思いながらも、よくお茶しているのが郁代だし、こういうのはコンピュータが決めるんだから仕方がないわ。いずれ、私にも…。そう思いながら、喜んで付き合う事にした。
しばらくして電車が赤羽の駅へと到着する。座って移動できる電車がこんなに便利な物だと痛感したのには本当に感服する。大体、全員が東京へ「上る」必要なんてないんだ。
赤羽駅で下車して、郁代は”国民スケジューラ”を立ち上げ、「シャングリラ」と書かれた文字の部分をタップする。すると、今いるGPS機能を用いて、自分が今いる位置から「シャングリラ」までの道筋を映し出してくれる。”国民スケジューラ”の本体は、十数年前に突然流行りだした携帯電話の次世代版、”スマートフォン”からの派生である。だから”国民”スケジューラだけでは無く地図機能やメールも全て可能である。電池も昔に比べて驚くほど長持ちする。と、上司が言っていた言葉を思い出す。「昔のスマートフォンなんてね、1日使えば電池切れだったんだよ。」
目的地はこれのおかげで驚くほど簡単にたどり着くことができた。
今では「道に迷う」なんて事は言い訳にならなくなってしまった。
シャングリラ 山田波秋 @namiaki
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