バーサス・シュレディンガー

過鳥睥睨(カチョウヘイゲイ)

第1話 vs.辻馬車の怪

「お坊っちゃま、乗り心地はいかがですか?」


「ああ、ブリュンヒルデ。悪くはないよ」


 御者台から様子を伺うと主人の疲れ切った声が帰ってきた。よほど疲れがたまっていたのだろう、そもそも主人は体がお強くない。

 それでも押して精力的に活動する姿には誇らしさを感じ、猫背の背筋がピンと伸びるし力も入る。


 私はブリュンヒルデ。歴史あるリセス家のメイドで、お坊っちゃまの世話係で、ついでに今は馬車の御者をやっている。

 外見が20歳ほどのヒトであるせいか、間違いがあってはいけないと、時にお坊っちゃまから離れるよう提案されることもあるが……幼い頃から世話してきた私にとってはまだまだ世話のかかる子供だ。この座を譲るつもりはない。

 なによりお坊っちゃまと二人きりで旅をする時間が愛おしく、得難いものだとひしひしと感じていた。


 陽も傾き、夕日から照射される赤い光に荒野は真っ赤に燃えつつあった。

 もうじき日も暮れる、常識のある御者なら手前の宿場町で泊まって翌朝を待つ頃合いだからか、街道には人影がない。

 目印となる杭が打たれただけの粗末な土の道を走らせていると、少しずつ眠くなってくる。馬車の中から聞こえてくる寝息を背景に平坦な時間が過ぎていった。


 異変に気付いたのはそれから少ししたころだった。

 背後から蹄の音がする、想定していたが盗賊の類いだろうか?

 そう思って振り返ると、おかしなことに馬車が付いてくるではないか。馬車五つ分ほどの近いところを追走してくる。

 馬車を持つような賊がいるとは考えにくい。

 なにより、一目見てそいつがであることに気づいた。


「ハイッ!」


 小さく掛け声をあげて拍車をかけ馬を急かす、今はお坊っちゃまが車内で寝ている。派手な戦闘を避けて逃げ切るのが先決だと踏んだからだ。

 ところが追ってくる馬車も同じようにスピードを上げる。

 よく見ると後続の御者台は空っぽだ。そういう類の魔物だとわかれば大して驚かないが、普通の人間があんなものを見てしまえばのちのちまで夢に見るだろう。

 同じく恐怖を糧とする存在としては参考にすべきものがある、なんて感心していると背後で動きを察知して、同時に妨害を試みてみる。

 徐々に速度を上げてこっちに近づいてくるが、すぐ何もしないうちにガタンと大きな音を立てて減速した。


「横転狙ったんだけれどねえ、耐えるか」


 私の指から手綱へ、手綱から馬へ、馬の脚から大地へ。

 伸びる力の線は私のテリトリーであり、狩場だ。

 私の魔導によって大地は隆起して走行を妨害する。続けざまに魔導でボコボコと街道に小山を作って車輪を突く。ガタンガタンときしむ音が聞こえるけれど諦めていないようでまた少しずつ距離を縮めてきた。


「しつこいよっ!」


 ならばと土の杭を生やして対抗すれば体当たりで破壊してくる、パワーはそれなりにあるようだ、作戦を変えなくてはいけない。

 失速しないように注意しながら私の体を少しずつ溶かしてみる、馬は驚いたようですこし歩調が狂うけれど、問題ないように無理矢理動かしてやさらに体をゲル状にして馬と同化に成功した。こちらももう御者台に人間体はない、私と同化して一回り大きくなった馬に牽かれる馬車の完成だ。

 元が黒毛だから外観に問題はないだろう。

 魔導で作り出した足場の悪い地面に四苦八苦する魔物を強化した馬でさらに引き離そうとすると、獲物が逃げ出すのに焦る気配がした。

 どうやら見逃すつもりはないらしい、貪欲な奴だ。

 後から聞こえる車輪の音も徐々に近づいてきて余裕が無いことを告げてくる。そろそろ決着をつけなければ、魔導でお坊ちゃまをだますのにも限界がある……。


 まず手始めに同化した部分から霧を発生させてばらまく、この霧も私の体の一部だ。飲み込まれれば私の術中に……かかった!

 すぐさま幻術を発動して魔物に恐怖心を与える、本来追う立場の魔物には追われる夢を、効果があるのは聞こえてくる蹄の音が狂ったことで確認できた。

 なにより、対象が怖がれば私は強くなる。


 ずるり


 すこしずつ余剰分よじょうぶんの力を割いて馬との同化を進める。馬を素体に改造を繰り返してより強固な体になれるよう調節……調節完了。

 もうじき霧の効果も切れる。猶予はない、一撃で決める必要がある。

 意を決してまず目前にせりあがる坂を生み出す。

 ワン、ツー、ステップ!

 三歩目の蹄は壁に近い形状の坂を踏みしめ、同時に蹄は爪へ、ふかふかとした巨大な肉球は衝撃を吸収して勢いを反転させる。

 真っすぐ走っていた馬車は馬だった私と一緒に宙に放り投げだされてふわりと弧を描き、すぐさま眼下に見える地面へと落ちる。


「やめときな、お前が食らうには少し高級な肉だ。三下」


 落下地点にはちょうど霧で視界を失っている追跡者がいる、計算通り。私はおもいきり前足を振り上げて、魔物馬車に着地すると同時に振り下ろした。

 ぐしゃりとへこんだ馬車は勢いを殺せず横転し、そのまま吹き飛ばされ遠くに見える岩に激突、そのまま動かなくなった。

 忘れずに落ちてくるお坊ちゃまの乗った馬車をで受け止める。


「ブリュンヒルデ……なんか変な音がしたんだけれど」


「びゃっ!?」


 下ろそうとしたところで声をかけられるからうっかり馬車を落として軽く軋ませた。


「お、お、お、おおおおおおお坊ちゃま!?お怪我は!?」


「大丈夫だから落ち着いて、それより猫になるなんて何かあったの?」


 馬車の隙間から眠たげに覗いてきたお坊ちゃまは不思議そうにしている。


「追ってくる蠅を撒いていただけです、どうかもう少しだけ眠っていてください」


 私がそう言うと、お坊ちゃまはそう?とつぶやいてそのまま奥に引っ込んだ。

 馬車に異常がないことを確認すると、もう動かない魔物馬車を横目にまた走り始めた。

 今はもう馬じゃないから蹄の音はならない。


 ただガラゴロと馬車の音ばかりがすっかり暗くなった荒野に響く。

 そのシルエットを見たらきっと誰もが驚くだろう。人間一人丸呑みできそうなほどの巨大な猫が引っ張るそれなりに高貴なつくりの馬車だ。

 私とお坊ちゃま、二人だけの旅路に余計な音楽はいらない。ただ互いを確かめられる距離と、確かめる必要がないほどの信用が肝要かんようなのだ。

 かつては湖畔の化け猫と呼ばれていた私も、今では馬代わりに馬車を牽く忠実な従者に過ぎない。それは昔の寝床に比べれば狭いものだろうが、血の通った暖かいものでもあり。

 私はこの場所に一時の満足を得ていた。

 なにせ私は月の猫シュレディンガー。猫の寝床は狭ければ狭いほどいいのだから。




 補足「辻待ちの悪夢インビジブルキャリッジ

 全国的に散見される魔物。人の生活圏、特に街道沿いに出現し、目についた他の馬車を追いかけるようにして襲撃する事を好む。

 馬車の姿をしているが、御者はなく単体で走る。

 他の馬車を追いかけ回し、馬が疲れきって鈍ったところを魔物の馬車部分が襲いかかり食べてしまう。

 あくまで本体は車を引く馬であるらしく、討伐する際は馬を狙うといいが、生半可な戦士では太刀打ちできないので素直に活性化する時間帯と地域を避けるようにすることを勧める。

 この本の読者に蛮勇がいないことを願う。

 魔導生物原色図鑑出典 -著 ミュハン=サークレット

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バーサス・シュレディンガー 過鳥睥睨(カチョウヘイゲイ) @karasumasiro

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