週末のエビチリ

猫田芳仁

週末のエビチリ

 瀬良せらは師匠に恩がある。

 師匠というのは渾名である。

 

 師匠は瀬良よりひとつ年上の大学生である。面倒ごとに巻き込まれて途方に暮れていた瀬良を華麗に救い出してくれた男である。其れをきっかけに半ば殴り込むような格好で毎週のように瀬良は彼の家を訪れ、才気あふれるがたいへんものぐさな彼の家事を手伝っている。

 最初は気圧されていた師匠だが最近は完全に慣れてしまい、瀬良が来るのが当然になりつつある。「材料費は折半」と、瀬良からレシートを回収して精算するのは師匠の仕事だ。折半というくせに瀬良の取り分がちょっと多い。最初は返そうとしていた瀬良だが、そのたびに「手間賃だ!」と小銭を投げつけられるので、ありがたく頂戴することにしている。

 

 さて、女性なら押しかけ女房とでも言うところであるが、瀬良は男である。師匠の後輩が「押しかけ執事」と言ったことがあるが、執事は掃除や料理をする人のことではないと思う。今日も今日とて瀬良は師匠の家に来ていた。すでに合い鍵まで預けられている。瀬良もチャイムは鳴らさない。勝手に家に入って「こんにちは」と奥に言うだけだ。

 師匠は不在のようだ。まだ大学だろうか。

 食材の入ったエコバッグを提げて、キッチンへ向かう。

 

「……よし」

 

 思わず独りごちる瀬良。瀬良が押しかけた当初は見るもおぞましい惨状を呈していたそこは、ぴかぴかに磨かれていた。勿論最初に瀬良が一生懸命掃除したのだが、師匠も言いつけを守っていろいろ掃除の勉強をしたようだ。キッチン以外も、最初に比べて汚れのたまり具合が着々と減っている。

 何でも食べるが比較的洋食党の師匠が「中華食べたい」と連絡をしてきたのは昨日のことである。師匠から瀬良へ「○○食べたい」との連絡は「○○を食べに行こう」ではない。「○○作って」の意だ。

 

 炊飯器のタイマーを確認すると、そんなにしないで炊きあがるようだった。大学の同好会員も師匠と瀬良の間柄をよく知っているため、週末に師匠を引き留めることはしない。炊きあがり時間プラスマイナス30分程度で、おそらく帰ってくる。

 瀬良は持参したエプロンを、びしりと纏った。

 

 ***

 

 まずはメインのエビだ。殻をむき、背わたを取って、塩もみにする。よくすすいだらキッチンペーパーに包んで、水気を取っておく。

 次に野菜。ネギをみじん切りにする。ほんとうならショウガとニンニクも刻むところなのだが、チューブで済ますので、しない。

 最後に卵。白身と黄身を分けておく。このとき、殻の割れかたが上手くいかないと苦労するし、上手くいったと思っても殻に引っかけて黄身を割ってしまわないよう、注意すること。

 

 これにて下ごしらえは完了だ。

 

 フライパンにごま油を流して、加熱。

 キッチンペーパーを剥がして、エビの水気が十分取れていることを確認したのち、これに卵白をつける。その上から片栗粉と少量の塩コショウをあわせた粉をまぶし、衣にする。十分温まったフライパンに並べると、衣に染み入る油の音がしゅんしゅんと心地よい。菜箸で転がしつつ、ぎりぎり火が通る程度に押さえて別の皿へ移す。後でもう一度温めるので、ここでしっかり焼くと固くなってしまう。


 空いたフライパンにはチューブのショウガとニンニク、そして豆板醤を絞り、香りが出てきたらお湯で溶いたスープの素を流し込む。味見をしつつ塩とコショウで整えて、先ほど炒めたエビと刻んでおいたネギを投入。味が行き渡るようよく混ぜる必要があるが、あまり熱するわけにはいかないので手早く、だ。ここで溶いた卵黄を入れると、まろやかな味になる。

 水溶き片栗粉でとろみをつけて、完成。皿に盛って、香り付けにごま油を少しだけ振りかける。


「できました」

「待ってました! いいね、エビチリ。こういうの食べたかったんだ」

 

 スープの素が入った当たりで帰ってきていた師匠だが、調理中に喋るのもどうかと思い、おとなしくしていたのだった。


「汁物作っちゃうんで、先に食べてください」

「悪いね。いただきます」


 赤いあんがたっぷりと絡んだエビを口に入れた師匠は至福の表情で咀嚼した。1回。2回。3回目くらいで眉間にしわが寄る。青梗菜を切り分けていた瀬良は手を止めて、してやったりの顔でお冷やを供した。


「瀬良ちゃん、これ、辛っ! うまいけど、辛っ!」

「……ケチャップ、使ってないんで」

「じゃあこの赤いの全部豆板醤? それは辛いね……でもうまい。ご飯にばっちりだよ」

「どもです」

「でもこれ、もうエビチリじゃないんじゃないの」

「かもです」


 青梗菜と刻んだハムをさっと茹で、エビチリにも使ったスープの素を溶かす。片栗粉で少しだけとろみをつけて、静かに混ぜながら溶き卵を流し入れる。とろみがついただけで中華風になる謎は解けそうにない。

 師匠にスープをよそい、瀬良は丼に米を持った。その上から豪快にエビチリをかける。


「いただきます」

  

 箸ではなくレンゲでいただく。一昼夜何も食べていなかったような勢いで、がっつく瀬良。自分の分をやっつけた師匠はそれを面白そうに見ながら、スープの具を拾っている。


「いいな、丼。今度オレもやろっと」

「まだありますよ。エビも米も」

「さすがに今からは入らないよ。んっと、そうだなあ。来週あたり、なんか丼もの作って欲しいかも」

「丼ものですね」

「でも、気ぃかわるかもしれないし。確定しないどいて」

「はい」


 わがまま放題の要求に、微笑で応じる瀬良。瀬良のどんぶりは早くも空になっている。自分のどんぶり、師匠の茶碗を水につけ、師匠が使っていた皿に残りのエビチリを全てあけた。


「やりますか」


 冷蔵庫から出てきたのは、瓶ビール。師匠の相好が崩れる。


「よかった、ビールで」

「……?」

「中華でしょ。オレ紹興酒嫌いなんだけど、言い忘れてた」

「あれ……俺も苦手です」

「そうなんだ。悩んで損した」


 食器棚からグラスを2つ。何にでも使い回せる、持ち手も何もないシンプルなグラスだ。あんまり量は入らないが、それなら何度も注げばいい。ビールを注ぐのも瀬良の仕事だ。師匠は全部泡にしてしまうから。


「お疲れ」

「っす」


 安いグラスだ。乾杯の音も、ドラマのようにはいかない。

 それでも、今夜は充分に贅沢な夜だと、彼らは信じて疑わなかった。

 

 参考資料:Wikipedia「エビのチリソース」

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週末のエビチリ 猫田芳仁 @CatYoshihito

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