迷乱
黒い甲冑の騎士から、妙な依頼を受けた旅御者レイゼン。それは、ふたりの少女を南半島のさらに南端に位置する沿岸区ヴォーレンまで送り届けるというものでした。しかも、少女たちは理由あって、街道の通る中央都には近づけないと言います。かつて冒険者だったレイゼンは記憶を頼りにナズルの断崖を貫く洞窟を往く旧道を選びました。崩落の先に抜けるため、自らこじ開けた脆い穴の向こうにふたりが消えたと気がついたとき、レイゼンは暗闇の中で呆然と立ち尽くし、自分の選択を強く後悔しました。ただ、ふたりが生き埋めになったなどと信じたくなかっただけかもしれません。それでも、ウィゼルたちの友であるフィンクの穏やかな様子に、彼女たちは無事洞窟を抜けたのだと、不思議と確信できたのです。レイゼンは閉ざされた道を引き返し、東西と南を繋ぐ要衝である中央都経由でヴォーレンへ向かうべく、単身、街道を走りました。
中央都は人々の不安なざわつきにあふれ、マクアの霊泉の加護を失った後の暗い世界の噂がそこかしこに飛び交っています。騎士団はそれをよそ目に、多くの兵を動員し魔獣の出没に備えて都の防備を固めていました。
中央都からヴォーレンへ伸びるただ一つの街道に入ると、数人の兵が見張る簡易な関所が敷かれ、ひなびた平野の景色はそこだけが物々しく様変わりしていました。
「止まれ!」
道の両脇に貼られた天幕の近くに差し掛かったところで番兵に制止され、レイゼンはフィンクを止めました。一人の兵士が駆け寄ってきて、問答無用でほとんど空っぽの荷車の中を調べ始めると、その態度にレイゼンは黙って方をすくめます。
「都を出るのは構わんが、向こうからは戻れないぞ」
「へえ……何かあったのか?」
「災いを招く異端者二人を捕らえろとのお達しだ。一人は霊泉の簒奪者の娘。もう一人は外界から流れ着いたという娘だ。何か知らないか?」
「いやあ、記憶にないな。俺は払いの見込める客しか載せない主義なんでね」
「そうか。行くなら行っていいぞ」
そう言って兵士は荷車から飛び降りました。
「どうも」
レイゼンはフィンクに足で合図を送りヴォーレンへ向けて再び走り出します。
騎士団が本格的にふたりの捕縛に乗り出しているということは、何らかの目撃情報があったということでしょう。レイゼンはその事実に安堵を覚えながら、これからのことを憂慮しました。
「さて、どうやって嬢ちゃん達にこいつを返したものか……」
荷車を引く三頭のフィンク達は調子良く軽快に街道を走ります。ウィゼル達が連れていた一頭は特に元気で足が速く、レイゼンは足並みを揃えさせるため細かく指示を送っていました。
――――
ウィゼルの姿が古城の中に消えてから、もう幾日も経っていました。ミュリはルス老人のもとで日々、本を読み、料理をし、つかの間の家族のようになっていました。
「大した材料もなしに、存外いい味を出すじゃあないか。誰かの手料理など、ついぞもう口にすることもないと思っておったが、懐かしい……堅苦しい宮廷の会食などついぞ口に合わんかったが、唯一好みだった味を思い出す。これも誰かの仕込みかの?」
ミュリが夕食にこしらえたスープを飲んで、いつもの椅子に腰掛けたルスは満足げに笑います。
「ラエア……私たちの先生。でも、ウィゼルを殺そうとした」
翳るミュリの声に、ルスはうむ……と小さく唸って目に皺を寄せます。
「噂に聞いたことがある。騎士団にも魔術院にも属さず、華やかな宮廷の裏で汚れ仕事をする者らの存在を。その中には普段使用人として振る舞いながら、城の隅々まで目を光らせる間者のような者もおったそうだ」
「それ……ラエアが?」
「確証はない。だが、その可能性は高いだろう。主らの存在を消したい何者かがラエアを使った」
「優しかったのに、信じられなかった」
ミュリは納得いかないといった表情で、湯気の上らなくなったスープの器を見つめていました。
「それは真に偽りであったのかも知れぬし、彼女自身、揺れ動いていたのかも知れぬ」
「本心じゃなかった?」
「誰かを育てるということは思い通りにならないことの方が多いものだ。それでもな、時間をかければ情は染み付く。いくら道を違えたとて、自らの手で摘み取るなど、そう簡単にできるもんじゃあない」
「そっか……もう一度会ったら、また料理教えてくれるかな」
ミュリはほどよくぬるくなったスープをするりと一口飲みました。もう舌に慣れた味。日暮れ近くの赤い光が小さな窓から射し込んで食卓を染めています。ウィゼルのいない何度目かの夕焼けが今日もじりじりと過ぎていきました。
またひとつ夜が過ぎ去ろうとしていた薄明の頃、ダンダンダン!と小さな東屋の扉が叩かれます。
「ルスじい!大変だ!」
少年の声が朝霧に包まれた岬の静寂を切り裂きました。
「マイルズか?何事だ」
早朝の空気を一人愉しんでいたルスが怪訝そうに応えると、本の山に埋もれて眠っていたミュリが飛び起きて扉を開けます。そこにはマイルズ少年が息を切らせて座り込んでいました。
「あ、姉御!大変なんだ!」
「マイルズ、落ち着いて」
「きし、騎士団がやってきて、姉御たちを出せって。じゃないと町を燃やすって!」
「えっ、どういうこと?」
「みんな姉御たちを探してる。そのうちここにも来るよ!」
「それは本当に騎士団なのか?そのような真似……」
「わかんない……。でもそう言ってた!ヴィンヤードって名前も言ってた。姉御たちのことも、最近来た女の子ふたりって、姉御たちだけだよ!」
「ヴィンヤードだと?確かベルクロイ家の……。とすれば宮廷の何者かの意思であることは間違いなさそうだ。この期に及んでまだ追っていたのか……マイルズ、よく報せてくれた」
「姉御たちが災いを持ってきたんだって、だから消さなきゃいけないって……そんなの俺納得できないよ!」
「行って話をつけよう。ミュリよ、お主はここを出るでないぞ」
「そんな、匿っているのがバレたら危ない!」
「なに、騎士どもとやり合うのは慣れておる。案ずるな」
ルスはゆっくりと椅子から立ち上がると、傍らに立て掛けてあった杖を手に取り、ミュリが思うよりしっかりとした足取りで歩き出しました。
「俺も行く!」
ルスが扉を開けるとマイルズも続きます。
「うむ。急坂はさすがに堪えるでの。頼む」
「ああ……私だけ何もできないの?」
「お主にはウィゼルを待つ役目がある。頼んだぞ」
夜明けの刻を過ぎても空は薄く翳って、湿った空気がゆっくりと降りて来るのをミュリは肌で感じていました。
「……うん。必ず戻ってきて」
ルスとマイルズを見送った後、ミュリは小さな東屋でひとり喪失感に暮れていました。
「ウィゼル……何処にいるの……?」
明るい活気に満ちているはずのヴォーレンの町は混沌の中に陥っていました。騎士ヴィンヤード率いる部隊が突如町を封鎖。住民達は異端の少女二人を差し出すことを要求され、それが叶わなければ町に火を放つと脅迫を受けたのです。海辺に生きるしたたかな人々らしく、多くは毅然とした態度を取っていますが、町を守るために少女の捜索を始める者たちと、理不尽な要求そのものを拒否し抵抗する者たちとに別れ、論争が起こっていました。中には混乱に乗じて暴力や盗みをはたらく者まで現れ、小さな港町は無法地帯となりかけています。
ヴィンヤードは町だけでなく岬全体を切り取るように東西の崖際まで柵を巡らせ、何人もヴォーレンより北へ出られぬよう、厳重な隔離体制を敷きました。
「くく……くくく…………」
騎士団のみに許される城壁の形を模した紋様が織り込まれた天幕の下、簡易な椅子に腰掛け、地図を広げた机に肘をついていたヴィンヤードは、側近の兵と会話の中で不敵に笑っていました。
「こんな小さな町、一日もあれば探し尽くせる。だが、万が一にもここで異端を取り逃すことは許されん。この岬全体に網を貼るため、追い込みまでは手が足りない。ならば、町中の捜索は住人自らにさせれば良い」
「は、しかし、騎士団としてはいささか要求が過大かと。このようなことを民に強いるのは――」
「異端を始末しなければ、この世界は終わりだ!」
ヴィンヤードは気が触れたように叫びました。
「魔獣が世に溢れ、多くの人々が死ぬ。それに比べれば、ちっぽけな町ひとつなど取るに足らない。これは魔獣討伐の任と同じだ。抜かりなく当たるように」
「は……」
苦渋の表情で聞いていた兵は絞り出すように返事をしてからヴィンヤードに背を向けました。
「ああ、私としたことが、大事なことを見落としていた。港はもちろん抑えてあるのだろうな?船で逃げることなどないよう、すべて沈めろ。小舟一艘残すな」
「……承知しました」
これまで献身的に民を守ってきた騎士らしからぬ非情な指示の追い打ちを背に受け、兵は振り返ることなく天幕を後にしました。
「ヴィンヤード様!」
出ていった兵と入れ違うように別の兵がヴィンヤードの元にやってきます。
「どうした」
「妙な老人がヴィンヤード様に面会を求めています」
「糾弾のつもりか。取り押さえて縛っておけ」
「それが……ヴィンヤード様の事を知っている様子でして……」
「何?」
ヴィンヤードが立ち上がり天幕を出ると、兵に両脇を固められ、杖を頼りに立つ小さな老人の姿がありました。ヴィンヤードはひと目見てその老人が魔術師であると直感しました。
「ウォルスの子がまあ立派に育ったものだ。覚えておるかの?ダリオスを教えておったルスと申す」
周囲の威圧的な空気も意に介さず、老人はのんびりと抜けた声でヴィンヤードに話しかけました。
「ルス……ダリオスの……?いや、思い出したぞ。確か魔術院を辞め宮廷を離れた師がいたと」
「さよう。今はこの辺りで考古学のようなことをやっておる」
「責務を放りだした隠居老人がのこのこやってきて、何ができると?」
「いやな……おぬし、小娘二人を殺めてこの世が救われるなどと、本気で思っておるのか?」
「これは私の意思だけではない。宮廷の総意だ!この世界を守るためにも、災いの種と疑わしきは確実に取り除かなければならない」
「マクアの霊泉が枯れ、聖域の森の加護が消える……それは何かに引き起こされたのではなく、起こるべくして起きたのではないか。永遠など存在しないのと同じように」
「それが……”今”だったと?……そんなこと、あってたまるか!悪意なくして、我が妹がこのような運命を辿るなど!」
ヴィンヤードは激昂してルスに詰め寄り、ルスのくたびれた外套を掴み上げました。
「妹だと?おぬしの妹が一体どうしたというのだ」
「くっ、貴様には関係のないこと……いや、代わりにひとつ聞かせてもらおう。魔術院時代、霊泉の加護……とりわけ加護を蘇らせる術を何か研究したことは?」
「ないな」
「貴様の他には?人身御供のような忌まわしい術を求めた者はいなかったか?」
「いや、わしの知る限りではそのような……まさか……」
ルスは小さな目を丸くして深く息を呑み、ヴィンヤードはひとつ大きなため息を吐き出します。その息は小刻みに震えていました。
「失われた加護を取り戻すための秘術。その贄として、私の妹オリオーネが選ばれた。ただ、最後に洗礼を受けたという理由だけで!オリオーネは何者かに誑かされ、その歪んだ宿命を受け入れている!私はオリオーネの将来とその幸福のためにずっと働いてきたというのに!なぜだ!」
「なんと……しかし、おぬしのやっていることは――」
「もはやこれに賭けるしかないのだ!異端を殺し、災いが止むことを証明できれば、まだオリオーネの魂は取り戻せる」
「ヴィンヤード……」
「わざわざ諫言をよこしに来たのなら、異端の者について何か知っているのではないか?」
ルスは黙って首を横に振りました。
「この町を諦めるなら、それもよかろう。おい、この老人をそこに捕らえておけ。杖は奪っておくように。他にも怪しい動きをする者は同様に対処しろ」
そう冷たく言い残すと、ヴィンヤードは陣幕の外の開けた場所まで歩いて行って、しばらくの間、薄くのっぺりした雲が覆う空を見上げていました。その様子は悲嘆のような、憤怒のような、声なき慟哭でした。
セイレン島の秘密 連星悠音 @a_notes
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