アカの日
渡辺 料亭
第1話
「ピリリリ!」
アラームの音に叩き起こされて、ベッドから飛び降り急いでリビングに向かった。
「みのり!あんた遅刻ギリギリじゃない?朝ごはん食べる時間あるの?」
母の元気な声により、一層目が覚まされる。
「うん、駅まで走れば大丈夫!いただきます!」
白米と味噌汁と焼いたソーセージという和洋折衷な朝食を口に放り込みながらテレビに目を向ける。中堅と大御所の間くらいのキャリアのお笑い芸人が司会を務める情報番組が進行中だった。
「芸人は声も大きいしテレビ慣れもしてる、話の中で笑いも取れるから、気軽に見れる情報番組では重宝される存在になったんだな」と父が食後のコーヒーをすすりながら呟いた。
朝食を掻き込み終え、私も食後の牛乳を流し込みながら天気予報のコーナーに変わったテレビに目を向ける。
「続いてはお天気です。本日は東日本の山間部を中心に強めの雨となりますが、そのほかは全国的に晴れの日が多く、気持ちの良いお天気になるところが多いでしょう。しかし、関東地方の一部地域では午後からアカになるところがありますのでご注意ください」
私は思わず大きな声を出してしまった。
「えー!今日アカなの?昨日までの予報と違うじゃん!最悪だー」
学校を終えたら友達と買い物に行くつもりだったのに、相談して計画を立て直さなければいけなくなった。
「なんだ、今日は午後からアカか。なら社内の飲み会は行かずにさっさと帰ってくるかな」
父は冷静に現状を受け止めている。それに対し母がニコニコしながら言う。
「あら、お父さんが早く帰って来るなら毎日アカでもいいのにー」
「バカ言うなよ、毎日アカなんて気分が滅入って仕方がない。仕事にもならんよ」
母はアカなんてあまり気にしていないようだ。おそらく午前中に家事を全て済ませて午後は家でダラダラするつもりだろう。
「みのり!もう時間ヤバイんじゃない?傘持ってってね!」
母に急かされ靴を引っ掛けて家を出た。
走ればギリギリ電車には間に合うだろう。あぁ傘が邪魔だ、ホントにアカの日は気が滅入る。
電車にギリギリで乗り込み、鞄からタオルを取り出して額の汗を拭く。一息ついて車内を見渡すと、傘を持ったサラリーマンや高校生が憂鬱そうな顔で揺られている。
無理もない、連休明けの月曜日がアカなんてたまったもんじゃない。私だってズル休みを一瞬だけ考えたくらいだ。
チラホラ傘を手にしていない人を見かけるが、天気予報を見ていなかったのだろうか、私は折り畳み傘なんかじゃアカを乗り切れる自信はないし、アカの日は傘や生鮮食品の値段がすごく高くなる。いわゆる「アカ商法」だ、高校生にはすごく痛い出費になる。
駅から学校まで歩いている途中のお店では、早々にアカ用のポップを店頭に出しているのを目にした。
「今日はアカです!傘を忘れた人はお早めに!限定30本!1本3000円!」
可愛い配色と字体で書かれているが値段は暴力的だ、大人って汚い。
今日の夕方の予定は延期になるだろうな、と思った。
アカの日はなるべく早く家に帰らなければならない。イライラしやすくなり攻撃的になる人が増えるらしく危険だからだ。
部活動があっても帰宅に時間がかかる生徒は早めに帰るし、父が飲み会に行かないのもそれが理由だろう。
「アカの日に夜遅くまで外にいる大人はろくな人じゃないから、関わっちゃダメよ」と母は大袈裟にいつも私に言う。
教室へ入るとクラス中から聞こえてくる話題は、連休の過ごし方を話し合う生徒か、アカに対しての不満を述べる生徒で大きく2つに分かれていた。
「みのり!今日買い物どうする?学校終わってダッシュで行けば服買ってカフェくらい行けるかな?」
美香が私の机へ寄ってきて早口で言う。
「んー、でも午後からアカでしょ?何時からかわかんないけど、アカの中で買い物って微妙じゃない?」
私はあんまり乗り気じゃないことを正直に伝えた。
「やっぱそうだよねー、じゃあ延期にするかー。せっかく買った服汚されても嫌だしね」
美香の言うとおりだ、買った服をすぐアカに汚されたら全くやりきれないし、そもそも買い物中に建物内がアカにならないとも限らない。大アカの日には学校も休校措置をとることだってあるし、交通機関だって麻痺する。
今年に入ってからはまだ聞いてないが、毎年何十人もの人がアカによって亡くなっている。アカによって両親を亡くしてしまった子供たちのために募金を募る団体には、毎年多くの善意が集められる。
「他の先生方と話し合った結果、午後の体育は予定通りのカリキュラムでいくから、男子は武道の選択科目、女子は水泳な」担任が昼休み前にそう言うと教室中から不満の声が飛び交った。
「先生マジで言ってるの?午後からアカだよ!いつもどおり自習でいいじゃん!」
アカの日に体育なんてやってられない、そんなこと先生だってわかっているはずだ。
「アカが始まるのが夕方くらいらしいから、午後イチの授業なら大丈夫という判断だ。もちろん途中で激しくなってしまったらすぐに中断するから」
結局みんな文句を言いながらも先生に従うかたちに収まった。
「みのり、あんた水泳出るの?私は休む、アカだから生理重くて無理だもん」
美香がこっそりと言ってきた。
「美香、先週も生理って言って休んでなかった?その言い訳通じるかな?」
「アカだもん、仕方ないよー」
アカだから、というのはサボりたがりの学生や社会人には万能な逃げ口上だ。そう言われてしまえば深く追求するのは野暮に思われてしまう。
結局、水泳の授業は5人の生徒がアカを理由に見学することになった。
プールの中に入りながらどこか気怠くなってきたのを感じたので、私は予報より早くアカが始まったのを察知した。私は父方の遺伝でアカに対して敏感な体質なので、周りが感じる前からアカの雰囲気を感じ取ることができる。先生は自覚してないようだが、覇気が薄くなり授業に対して著しくやる気が失われているのが見て取れる。
文系クラスの私たちにとって、アカの日の体育の後に行われる数学の授業ほど身が入らないイベントは無い。クラス全体がやる気のない中、わけのわからない公式をつらつらと述べられても頭に入るわけがない。都内の私立の進学校では効率化を図り、アカの日には授業を早めに切り上げ休日に補習を行うらしい。
企業もアカに対しては敏感で、結婚式場では「アカ割」なるサービスを数年前から初めた。式の当日がアカの日だったら結構な金額を返金するというものらしい。
せっかくのおめでたい日がアカだったら祝う側も祝われる側も申し訳ない、という気持ちからのせめてもの救済措置らしい。
今日の授業はすべて終わり、美香と一緒に家の最寄り駅まで帰ることにした。
駅まで歩いている最中、街には赤色灯を回したパトカーやレインコートを着た警察官の姿が多く目についた。本格的にアカが始まると事故や事件が多くなるからだろう。
5分遅れで到着した電車に乗り込み、2人でSNSをチェックする。
「#アカ」で検索するといろんな動画付きの投稿がヒットする。街中で言い争うサラリーマン2人の様子や、前の車を煽っているドライブレコーダーの映像、掴み合いの喧嘩をする女の人など、みんなアカにやられ顔が火照っていて、着ている服がところどころ赤く染まっている。
「なんで日本にはアカなんてあるんだろうね、なんか偉い人とか最先端の技術でどうにかしてくれないのかな?」
美香が映像を見ながら呟いた。
「仕方ないよ、日本には四季があるんだからアカもあるんだよ、海外の人はその分うらやましいよね」
春には桜も見れるし、夏は海やプールがきもちいい、冬は雪が降って幻想的になったりするんだから、たまにあるアカも我慢しなければならない。
「みのり、見てあの人。めちゃ赤い、傘持ってなかったんだね」
美香がこっそり言った先にはシャツも鞄も真っ赤のサラリーマンが揺られながらスマートフォンを眺めている。非常にイラついた様子が見て取れるので近づいてはいけない。
「ホントだ、途中で買えばよかったのにね。でもほら、美香の傘もちょっとやられてるよ」美香の傘はところどころ破れている。
「うわ、いつの間に?全然気づかなかった、持ってきてよかったー」
最寄駅に着いたので、また明日買い物に行く約束をして美香と別れた。本格的にアカが強くなってきたのでお互いに「気をつけて」と言い合い、少し小走りで帰ることにした。
道路はずっと渋滞が続いていて、クラクションの音がそこら中で鳴っている。道にはいつもよりゴミが多く目立ち、お店の看板が倒れたりしている。
無事に家にたどり着き、美味しそうな匂いと共に母が元気な声で出迎えてくれた。
「おかえり!みのり大丈夫だった?あらー、傘ボロボロじゃない。それはもう捨てちゃおうか」
いつのまにかボロボロになっていた傘を母に手渡し、着替えてからリビングへ向かった。「ただいま」と父の声が聞こえたので母と一緒に玄関まで出迎えた。
「あら、お父さんも傘ボロボロ、ズボンもちょっと赤いじゃない、大丈夫?」
アカにやられたであろう父を心配する。
「あぁ、電車の中で隣のやつに少し絡まれてな。まぁ傘があったからこの程度で済んだよ」
父の傘も母が預かり、3人で食卓を囲み夕食にすることにした。
「お母さん、今日野菜多くない?高かったでしょ」
アカ商法により生鮮食品は高騰するはずだ。
「うぅん、いつもいく八百屋さんが安く売ってくれたのよ、アカの日こそ野菜食べなくちゃね」
1日中ずっと気を張っていたからか、いつもよりずっと美味しく感じる。
誰が見るでもなくつけていたテレビが明日の天気予報に変わったので、自然と3人ともテレビに目を向けた。
「明日のお天気です。西日本で薄い雨雲が目立ちますが強い雨にはならないでしょう。東日本は北陸では曇り空になりますが、それ以外の地域ではよく晴れる日になるでしょう。そして関東地方では本日と変わって、午後からアオになるところが多いでしょう」
母の目が輝くのがわかった。
「あらー、アオだって!よかったわねー。ね、お父さん、明日は早く帰ってきて3人で外に食べに行かない?」
母の提案に父も少し顔をほころばせながら答える。
「アオなんて今年初めてじゃないか?そうだな、たまには外食にするか」
外食なんていつぶりだろう、美香には申し訳ないけど明日の予定はまた延期にしてもらおう。なんたってアオだ。少しは贅沢しないと勿体無い。
家族も私も特に被害に遭っていないしご飯も美味しい、しかも明日はアオだ。毎回こんなアカなら平気なのにな。気分が良くなり、自分の部屋へ向かおうと跳ねるように歩き出した時、ゴツン!と鈍い音がすると同時に右足の小指に激痛が走った。
やっぱりアカってホントに最悪。
アカの日 渡辺 料亭 @ry00man
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