哺乳類の母

@ns_ky_20151225

哺乳類の母

 勉強している息子を見る。ちょっと姿勢が悪い。でも気を散らさないようあえて注意はしなかった。

 茶を一口。あの夜の事を思い出す。その時もあんな感じだった。

 ただ、あの夜は健太はふすまの向こうで宿題。私の目の前には酔っ払いがいた。子供に聞かせたくないので声を荒らげないように気をつけつつ、もう切り上げるように言う。

「もう十分だろ、そろそろ終いにしたら」

「いいじゃない。二連休なんて久しぶり。業者が手間取ったおかげ。電気が来なきゃね」

 内容とは異なり、悔しそうな口調だった。機密保持とやらで外での仕事や資料の持ち出しは認められていない。見つかったら勤続年数や貢献度に関わらず即追い出される。前例もあると言っていた。

「連休なんて今年初めてだろ。飲んでばかりいないで、明日はみんなで出かけよう」

「それはあなたにまかせる。毎週土日休みなんでしょ? あたしは飲むの。で、明日はひっくり返ってたい」

 数を数えた。顔を寄せて小さな声で言う。

「あいつには母親がいる。甘えさせてやれよ」

「もう小三よ。子育ては定時でお仕事の片付くあなたがやってよ。今いいとこなの。競争相手もいるし」

 私の会社では残業は無能とみなされる。また、子供と関われない親は重要な業務にも関わらせない。そういう雰囲気だが、大学の研究所というのはまだまだ旧態依然としている。研究一筋が有能の証のようだった。

 しかし、こちらに合わせて小さな声になってくれた。それをいい傾向だと思った私はもう一歩踏み込んだ。

「仕事が大事なのは分かる。大切な研究なんだろ。でも、もうちょっと家庭、いや、健太を気遣ってやってほしい」

 また始まった、という顔でつまらなそうに黙っている。けれど、その夜は止めなかった。

「あいつの成績知ってるか。理科と国語、特に作文がいい。今度授業参観に一緒に行こう。それから運動会も」

「待って。ほんとに無理。当分だめ。そんな暇はないの」

 素数を数えた。おかげで声の小ささを保てた。私は、だ。

「子育ては暇だからやるもんじゃない。分からないのか」

 彼女は酒を飲み干し、音を立ててグラスを置いた。

「なら、産むんじゃなかった」


 その夜から離婚までは坂を転がり落ちるようだった。許せなかったのは健太に聞こえるように言った事だった。親権は譲らなかったし、向こうもこだわらなかった。彼女が家を出ていった。

 ただ、義両親は気の毒だった。事情を聞き、彼女が認めるとただただおろおろしていた。そんな娘に育てた覚えは……というお決まりの言葉を繰り返し、こちらに謝るばかりだった。

 健太には、『産むんじゃなかった』というのはあの場で勢いで出たもので本気じゃない、と言っておいた。喧嘩をすると思ってもいない汚い言葉が出るだろ、それと同じだ、と。まだこの子は幼い。真実はむごすぎる。

 でも、彼女は面会日をすっぽかすようになった。きちんと会ったのは最初の一、二回、それからなんやかやと理屈をつけてネット越しになり、とうとう現れなくなった。思い出したようにぽつぽつとメールが届くだけ。

 そういう時の、表情を無くした健太の顔を見るのは辛かったが、最近では何でもないと笑顔を作るようになったのでなお応える。

 彼女は直接話をしてくれない。すべて弁護士を通すよう言ってきた。健太に直接会ってやってくれという願いに対しては、面会は権利であって義務ではありませんのでという返答がその弁護士から返ってきた。

 義両親、特に義母が孫に会いたがっているのは知っていたので、両親とも話し、健太のためにも来て下さいと伝えたが、娘の態度に自分たちが後ろめたさを感じているのだろう、遠慮して来なかった。そうして、画面越しにいつも謝っていた。


 夜の時間が過ぎていく。


「おい、勉強はいいけど、そろそろ寝る時間だぞ。まだ終わらないのか」 改めて健太を見る。また背が伸びた。

「難しいんだよ」

「どこが? 見てやろうか」

「お願い」

 テストの誤った問題をやり直すのが宿題だった。半分ほど間違っている。ざっと見ると間違いの内理屈すら分かっていなさそうなのは少しで、ほとんどケアレスミスだった。

 なんでも離婚に結びつけるのは嫌だし短絡的だが、ひとつのきっかけなのは間違いなかった。注意深さ、根気、そういった性質が失われてきている。

「ここに書いてあるよ。問題を飛ばし読みしたらだめだ」

「だってさ、テストってむかむかするんだもん」

「あがるのか? いつもの調子でないのか」

「うん。のどになんかつまる」

「こればっかりはな。慣れるしかない。俺もなるからな」

「お父さんも?」

「お客さんの前での発表はドキドキする。練習で百として、本番じゃ八十の割合だな」

「じゃ、練習で百二十出せるようにしとけば?」

 私は笑った。

「それはお前もだ。あがらないコツは練習しかない。この場合は問題をたくさん解くのが練習」

 肩を叩いて背中をなでた。

「さ、これで片付いた。もうお風呂に入って寝なさい」

 そして、健太お気に入りの漫画のキャラクターをまねてニヤリと笑って言う。

「それと健太、さっきの計算おかしいからな。練習で百の時に本番で八十の割なら、本番で百の力を出すためには練習で百二十じゃない。やり直し」

「ひでぇ」

 健太もその漫画をまねて言った。

 子供が風呂に入っている間にそこら辺を片付ける。音が急になくなったのでニュースを流した。

 国際、国内問題、時事、スポーツ。そして、最近の話題として脳研究が取り上げられ、彼女が映った。前より痩せていた。

 彼女は立体映像をつつきながら哺乳類を哺乳類たらしめている部分、大脳新皮質について説明している。思考など高次機能を担う部分だと。そして神経細胞が層状になった薄いシートが折りたたまれて脳の形になる動画が流された。

 その部分で、『産むんじゃなかった』と考えたわけだ。と私はなぜか腹が立った。今さら怒ってもしようがないのだが、その映像のそばで解説する彼女の話し方にあの時の口調が重なった。

 彼女はさらに続ける。進化の過程で哺乳類が発達させたこの大脳新皮質を研究した結果、すべての哺乳類が共通して持つ要素について発見しました、と。

「母です。すべての哺乳類が母の心象を持ち、大脳新皮質の構造自体に織り込まれています」

 ここでその論文が投稿された学術誌のネット版が紹介された。論文には彼女の旧姓が一番に載っていた。

『哺乳類の母 哺乳綱共通の心象の存在および所在の解明とその操作』

 そこで彼女の出番は終わり、後は科学担当の解説になった。

「お母さんなの?」

 いつの間にか健太が来ていた。うなずきながら寝間着を直し、まだ濡れている髪を拭いてやった。

「なんて?」

「ニュースだよ。発見したんだって」

「何を?」

「哺乳類って分かるか。犬や猫や人間」

「分かる」 水を持ってきて座った。

「哺乳類みんなが同じように持ってるものを発見したんだって。で、それをどうにかできるって言ってた」

 首を傾げている。

「難しすぎるな。明日の準備は?」

「出来てる」


 それから空しい面会日が数回過ぎた頃、学校から呼び出された。健太がいじめに関わっていた。いじめた方だった。

 特定の学科のみ別に受けている子がいた。ちょっぴり受け応えに難があるが、それ以外はただの子だった。ほんの少し違っているだけの子。

 でも、その少しの違いが誰も幸せにならない暗い結果となった。謝罪。クラス替え。カウンセリング。

 その中で、健太は自分を見つめ直すよう指導された。心は色々な紙を切り貼りしたようなものだと。そこには二度と見たくないような色や模様もあるが、それも含めて自分自身であると教えられたようだった。

「でも、正しいかどうか分からない。ほんとはあいつをけってる時、なにも感じてなくて、感じてないのが気持ちよかった」

 ある風呂上がり、ぼそっとそう言った。私は抱きしめるしか出来なかった。

 私はこの子に言うべき言葉を持たない。この一連の事件が収まるまで、とにかく表沙汰にならなければ、訴訟など起こされなければそれでいい。そう思っていた。相手に対する心からの謝罪や反省は、こう言っては何だがひとかけらもなかった。だから相手がそのように収めてくれた時は感謝した。謝罪じゃなくて感謝。公にしなかったから。

 自己嫌悪という言葉があるが、本当に自分が嫌になった。だから、健太を導いてやらなければならない時なのにそうしなかった。いや、出来なかった。

「学校、行きたくないな」

「行け」

「行きたくないんだ」

「でも、行け。今はそれしか出来ないだろ?」

 頭をなでる。理解したようだった。のろのろと出かける。私はランドセルの背中が角を曲がるまで見送り、出社した。


 様々な報道で彼女や彼女の研究を見かけるようになった。『哺乳類の母』というフレーズは人々の心を捕らえたようだった。

「哺乳類の母とはどういう姿なのですか」

「心象と表現しましたが、描けるようなものではありません。我々は視覚中心の動物ですから、母の心象と言うと姿があると思いますが、種によっては匂いや感触こそ母なのです。そういったすべてをひっくるめた母が存在します。それは普遍的な存在であって、生みの親とか育ての親とか、そういう個別的、限定的な母でもありません」

「それが大脳新皮質に存在していると?」

「いいえ、特定の場所ではなく、構造そのものに母がいるのです。大脳新皮質は神経細胞が層をなしたシートが折りたたまれていますが、構造それ自体が情報なのです。高次の機能を働かせて電子や化学物質が移動するたびにその情報が読み出され、宇宙の背景輻射のように母が現れているのです」

「では、我々の思考の背後には常に母が出現している?」

「我々という言葉が哺乳綱すべてを含むならそうですが、我々は思考するたびに母に浸っていると言うべきでしょう。それは哺乳類の特性です」

「それでは、思考は母そのものなのですか」

「そのとおりです。母とはこれまで語られてきたような文学的、情緒的な存在ではなく、哺乳類的知性そのものと同義の存在なのです」

「それにしても、なぜ母なのですか。そう分かる理由は?」

 彼女は少し考えた。一般向けに言葉を探しているのだろう。

「当初は大脳新皮質が活動する際に現れる電気信号として検出されました。非常に微弱でごく短時間しか現れず、最近までノイズとして除去されていました。しかし、ヒトを含む多くの哺乳類に共通して現れ、爬虫類や鳥類には見られませんでした。これがきっかけです」

 インタビュアーは先を促した。

「我々はこれをノイズではなく意味のある信号と仮定しました。他の研究機関でも同様の観点から研究を行っているとの話もありましたが、一歩先んずることができました。さらに、再現にも成功しました。対象に強度を高めた信号を流すと、例外なく幼体として反応したのです。落ち着き、安心し、腹が満たされたと感じる状態です」

「それが母ですか」

「母の心象以外にこのような反応を引き起こす信号はありません。また、これが有効なのは哺乳類に限ってでした」

「しかし、私たちは常に考えていますが、そんな反応はしませんよ。パズルを解いて満腹になどならない」

「そうです。この哺乳類の母はもう役割を終えています。今では哺乳類すべてに存在するだけの意味のない信号でしょう。はるかな昔、哺乳類の先祖が大脳新皮質を発達させはじめた時、考えれば母の安らぎが生じるという構造になった個体が現れたと推測しています。突然変異でしょう。高次の思考ができるだけではなく、安らぎという報酬がつくのです」

「考える事が好きになるわけですね」

「そうです。それは生存上かなり有利だったでしょう。なんでも考える生き物です。その瞬間、生物の進化の歴史上初めて考えれば得になるようになりました。学習に意味があるようになったのです」

 このインタビューを見た後、私も論文を読み、ネットの解説を読んで再確認した。

 哺乳類にとって母は安全と食を意味する。子にとって必要不可欠なものだ。すべての哺乳類の先祖に当たるネズミに似たちっぽけな生き物は思考するための大脳新皮質を発達させつつあった。その過程で安全と食の象徴である母の心象が強く織り込まれ、その織り込みを持った個体はより良く考えられるようになり、現在の哺乳類となっていった。

 今となっては母は思考そのものと同一になり、報酬としての意味はなくなったが、痕跡として残っている。

 しかし、再現実験で行ったように信号強度を高めて流し込んだらどうなるか。実験動物ではなく人間も同じように母を感じるのだろうか。赤ん坊のような行動を取るのだろうか。

「その実験は許されないでしょうね」 彼女が別の報道で答えていた。「心身に与える影響がまったく分かりません」

 実験動物は信号を流している間、学習や問題解決能力に著しい上昇が見られた。大脳新皮質の活発な活動は報酬を増大させるようだった。そして、止めても上昇した能力は残った。少なくとも現時点ではそう観察されていた。どのような悪影響も現れていない。信号に対する依存性も確認されていない。

「いいえ。倫理上許されるものではありません。さらに動物実験を続けますが、大型類人猿を用いる予定はありませんし、出来ません」


「理科の先生が教えてくれた。素晴らしい所と、心配な所両方あるって」

「どう素晴らしくて、どう心配って言ってた?」

「脳がうまく働かなくて考えるのが苦手な人が減るかもって。でも、脳に信号流すのはどんな影響があるか分からないから不安だって」

「健太はどう思う?」

「マヌケがマヌケじゃなくなるんだから、いいんじゃないかな」

 汚い言葉遣いを軽くにらむと口の中でもごもご謝った。

「じゃあ、まったく害がないとしたら受けるか? その操作」

「分かんない。お父さんは?」

「受けない。今の自分が気に入ってるから。自分が自分でなくなるかもってのは嫌だ」

「お母さんがそばにいたらあがらなくなるかもしれないよ。お父さんもうまく発表できるようになるんじゃない?」

「そういう考え方もあるか。だけど、ここでの母っていう言葉は一人一人にいるお母さんとはまた違う意味だけどな」

 分からない顔をしている。私も分かるように説明できるとは思っていない。哺乳類共通の母。思考の背景輻射として現れる母。大脳新皮質のしわそのものが形作る母。

「どういう意味?」

「ご褒美。考えるといい気分になれる。だから哺乳類は考えるようになった。そのうちにご褒美は感じなくなったけど、考える力は残った。哺乳類の母ってそういう意味」

「なんでお父さんじゃないんだろう?」

「さあな。哺乳類の雄の役割ってなんだろうね」

「お父さんは勉強見てくれるし、問題の解き方教えてくれるのに」

「大昔は違ってたんじゃないか。雄は闘ってばかりだし、お乳も出ないし。子にとっては雌のそばが良かったんだよ。きっと」

「僕のお母さんは会ってもくれない」

「そばにいた方がいいか」

「いや、別にいいけど」

 そう言って私の顔を見上げると、お風呂に入る、とばたばた行ってしまった。

 私は息子に気を遣わせてしまったばつの悪さでため息をついた。


「お母さんまた出てる」

 少し前から知っていた。健太には黙っていたが、すぐに気づくと思っていた。何気ない風を装う。

「何て?」

「謝ってるみたい」

 重大な倫理違反があった。法の網をすり抜けようとしたのか、外国で大型類人猿を用いた実験を行ったと告発されていた。そして、大筋で認めていた。

 法的には問題はなかった。どちらの国でも裁判はない。しかし、それ故に国際的な非難を浴び、今後の評判の悪化や補助金の減額を恐れた大学は厳しい処分を行うと予想されていた。

 健太は繰り返し流される謝罪の動画をじっと見ている。「あんなに謝ってるんだから許してあげれば」

「反省してたらな」

「してないの?」

「だって、実験データは破棄しないって言ってる」

「はき?」

「棄てる事。今回はやっちゃいけない実験をやったから、その結果は棄てなさいって言われてるのに、あの人はそれはそれ、せっかく得られたんだから棄てないって」

「オランウータンはどうなったの? 死んじゃった?」

「生きてる。ものすごく頭が良くなったって。賢くなったからおもちゃを作って遊んでるって」

「じゃ、良かったんじゃないの?」

「それで、そのオランは幸せかな?」

「利口になったんだから幸せでしょ」

「利口になって、自分が囲われた場所でずっと一人って気づいたらどうだろうな。こんな実験に使われたんだし、野生に戻される可能性はないな」

 健太は複雑な表情になった。大人になってきた、と思う。今、息子の頭の中では様々な考えが渦巻いているのだろう。

 報酬なしでも考える事は出来る。我々哺乳類はすでにそうなっている。きっかけとして母という褒美はあって良かったが、現在では無理をしてまで欲しいというものではない。思考する上において、乳離れは済んでいる。哺乳類の母はもう必要ない。他人はどうあれ、少なくとも私には。


 しかし、お母さんは必要だ、この子にはまだ。

 連絡してみよう。私の妻でなくなっても、お母さんである事はやめられないはずだ。

 私は考え込んでいる健太を見る。安らぎと物足りなさを同時に感じる。正しく導けるだろうか。

 私も考え込む。健太と一緒に。


 健太は六年生になった。

 彼女はまたもや話題の中心になっていた。

 中東とアフリカの一部の国々が彼女の研究に注目し、国内で飼育しているチンパンジーの提供を申し出た。それを受けた事で日本での地位を失ったが、気にもしていないようだった。権威ある学術誌への発表もできなくなったが、研究成果はネットで発表した。いくら非難した所でネット上で無制限に見られるものを止めたりは出来ない。

 研究は進んだ。強化した信号は対象の知的能力を大幅に増加させ、目立った害は見られなかった。

 後は、いつ、という問題だけだった。手を挙げる者はそれこそ数え切れないほどだった。

 その頃、彼女の弁護士から連絡が来た。取材などがあった際の防波堤になるという申し出だった。こういう事に詳しい人にも相談し、今後のために受けた。事務所は優秀で、おかげで身の回りはずっと静かだった。

 ついにその日が来たが、彼女のチームではなかった。アジアで、アメリカのある起業家の後援を受けたチームが行った。その起業家の一家三人全員が受けた。娘は五歳だった。

 健太はその報道をじっと見ていた。私は批判した。五歳の子に決断できるはずがない。あまりにも親の勝手がすぎる。

「お父さんたちの離婚だって親の勝手でしょ」 低くなった声でそうつぶやいた。

 一度誰かがしてしまえば、もうなし崩しだった。信号の再現やそれを強化して送り込む事自体に技術的困難はない。彼女の論文が読める程度の知識と技術があれば十分だった。哺乳類の母の再現はほとんどどこでも誰でも比較的安く出来た。

 学ぶ事、考える事自体が安らぎと充足感をもたらし、特に低年齢の子供において知能の大幅な上昇がはっきりと見られた。

 また、数が増えるに従って人間ならではの副作用が目立ってきた。考える事自体がもたらす安らぎによって宗教心が消滅した。正確には宗教による愉悦がなくなった。無宗教になるのではない。所属する社会や家族の信仰には従い、儀式などにも参加するが、心からではなくなった。

 この事実は処置を受ける者の増加にブレーキをかけたが、一時的なものだった。

 彼女は毎日世界のどこかの国の報道に顔を出していた。称賛と非難。客として招かれる所あれば、道徳的犯罪者として拒否される所もあった。

 日本人もその処置を受けるようになった。国内では認められていないので、海外で受けた。第一号は帰国後注目されたが、考える事が好きになり、知能が上昇したからと言って即座に知的スーパーマンになりはしない。それでも思考に報酬が付き、有意に頭が良くなるという事実が保守的な人々をも動かしつつあった。


 健太は中学受験し、合格した。中高一貫校だった。彼女は弁護士を通じて祝いのカードを送ってきた。今は発音も難しいような国にいて、入学式には出られないとの事だった。

 そして、追伸に、健太も処置を受けないかと書いてきた。その追伸と署名は手書きだった。


「急がなくていいんでしょ。返事は。ちゃんと考えたい」

 カードを渡すとそう言った。私は感心した。この子はもう半分以上大人だ。

「お父さんはどうする?」

「受けない。覚えてるか? だいぶ前に言ったけど、自分が自分でなくなるのが嫌だから。ほら、宗教的な気持ちが無くなるっていうだろ。俺は何かの信者だったり信心深いんじゃないけど、そういう気持ちがなくなるって事はこの処置が心を作り変えるって事実を示してる。その点を用心したい」

 健太はうなずき、カードを大切そうにポケットに入れた。私は付け加える。

「でも、受けたくなったらいつでも言え。手配くらいは手伝ってやるから」

「うん、ありがと」


 哺乳類の母を感じるようになる者はこれからも増加していくだろう。彼らは高まった知的能力でどんな社会を作るだろうか。願わくは皆が幸福である社会を望むが、この処置が発展した経緯自体が倫理を欠いた部分を含んでいる。そう考えると不安が無いわけではない。


 知恵の木の実と原罪。誰が罪を背負う?


 しかし、私に出来る事は少ない。せいぜい投票と、それから健太を導くくらいだ。

 その責任は果たそうと、息子の背中をみて決意した。


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