第3話「安心するとお腹がすく」
僕がかつて17年という人生を送ってきた世界のことを”現世”と呼ぶとするのなら、僕が今いるファンタジーのような世界のことは”異世界”と呼ぶことにしよう。
実のところを言うと、僕があの時、現世において白仮面が創り出した”空間の歪み”つまりは異世界への入り口に飛び込んでからこの老婆の家の前でくたばるまでの記憶というのは断続的なものではなく、入り口へ飛び込んだところで一度途切れてしまっているのだ。
『殺気』の察知により意識を取り戻し、生存本能のままにどこから放たれたかも分からない攻撃を頬の薄皮一枚を切らしながらもすれすれのところで回避する所から僕の記憶は始まる。
(それにしても今のもなかなかにヤバかった...)
と、冷や汗を垂らしながらも立て続けに自分の身を襲う危険が迫ってきていない事を確認したところで、僕は今自分が置かれている状況を確認するために周囲を見まわした。
見上げた先にあるのは空...ではなかった。暗闇......、暗闇がそこにあった。しかしそれは空を雲が覆っているというわけではなさそうだった。よく見るとそれは葉っぱだった。木の枝たちがしつこく絡み合い、僕と空の間を隔てていたのであった。
(ここは...森の中.......?)
木々は苔むしており、樹木は鬱然と地面を覆っていた。この森を表すには鬱蒼としたなどという言葉では足りないように感じた。そこはまるで沼の底のようであった。
(でもなんで、風の音一つ聞こえないんだ...?)
そう、この森には不自然な程に静寂が広がっていたのだ。
風が葉を揺らす音も、動物たちの鳴き声も、虫たちの蠢く音も、まるで編集して切り取られたかのように、そこには存在していなかったのだ。
「いや違うな...一つだけあったか。」
と僕は、すぐそこまで迫ってきていた『殺気』の塊を今度は難なく躱しながら呟いた。
すると
「どうして...今のが避けられるんですか...?」
どうやら白仮面は純粋な疑問をぶつけてきたようだ。もっとも、独り言のようなものではあったのだが僕はそれに答えを返してやることにした。
「僕は『
返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう、白仮面は面食らったかのように身体を強張らせ、さらに聞き返した。
「殺気...?」
「そう、殺気。だから君は僕にもう一撃も攻撃を食らわせる事は出来ない。まあ最初の攻撃に関して言えば、あんな速いスピードなんて僕の住んでた世界じゃありえなかったからね。だから避けられなかったんだ。」
「殺気だったら私だって感じ取れます!!たかがそれくらいであの攻撃を避けられるはずないです!もっと他にからくりが......」
「だから『殺気』を感じ取れるだけって言ってるだろ??」
僕は白仮面に強く『殺気』を向けながらそう言った。
「そもそもなんで僕を殺そうとしてるやつにそんなこと丁寧に教えなくちゃいけないんだ?他にからくりがあったとして僕がそれを言うわけがないだろ?」
僕は『殺気』を誰よりも敏感に感じ取ることができるし、誰よりも『殺気』に詳しい自信がある。つまり自分の『殺気』を相手に伝えるのだってお手の物というわけだ。
さらに僕は続ける。
「『殺気』のことを君に話したのも、君には絶対に負けないという確信を得たからだよ。君には色々聞きたいことがあるんだ。その為にわざわざこんなわけのわからない所までついてきたわけだからね。」
僕はさらに『殺気』を強めた。
ただでさえ閑静としていて緊張感のあった森が、さらに張り詰めたようだった。
白仮面の腰が引けているように見えた。
無理もない。さっきの会話からは思っていた程に歳をとっておらずまだ成熟しきっていないという印象を受けた。察するに10代後半~20代前半、17歳の僕と歳はそう離れていないだろう。
かつて現世で僕は一度だけ、同級生の女子に向かって本気の『殺気』を放ったことがあるのだがその子は自分に一体何が向けられているのか知る間もなくパタリと気を失ってしまったのだ。
今僕の『殺気』を真っ向から受けて気絶していないだけでも白仮面は十分に立派であると言えよう。
さぁそれではと、白仮面の現世での発言について色々問いただそうと思ったその時だった。
「ッッッッ......!!!」
白仮面は喉元までせり上がる悲痛を堪えながら、自分の太ももにナイフを突き刺したのだった。
「これで......何とか動ける......。せめて報告だけでも...知らせなくちゃ...!!」
そう言って白仮面はさらにぶつぶつと何か呟きながら、大きく後ろへとバックステップをとった。するとなんとそのバックステップの先に、現世で見た”空間の歪み”が生じているのが見えた。
(まずい!!逃げる気だ!!!)
白仮面は”報告”と言った。そして現世で死にかけている僕に向かって”任務完了”という独り言も発していた。つまり僕を殺そうとしているのはこの白仮面個人ではなく何らかの組織だということになる。そうなるとここで白仮面に逃げられるのが非常に危険であるということは極めて明白であるといえよう。そもそもここが何処なのか、それも地図的な意味すら超えて概念の規模でここがどういう世界なのかを理解していない僕にとっては危険増し増しと言ったところであろう。
そう考えている間にも白仮面の身体は歪みへと溶け込んでいく。
今から走っても白仮面が完全に歪みに消えていくまでには間に合わない。そう判断した僕はせめてもの、と思い、もしもの時の為に服の内ポケットに常備してあったサバイバルナイフを反射的に取り出し、ほぼ消えかかっている白仮面の身体に向かって一直線に投げた。
どうやらナイフは見事なことに白仮面の右肩を掠めたようで、血飛沫だけを残して空間の歪みは消え去った。
逃げられてしまった。僕はこれから謎の組織から付け狙われて死の恐怖に怯えながら、日々を過ごさなくてはならないのだろうか。そもそもあの”歪み”のような便利な移動手段を持たない僕はどこまで続くかも分からないこの樹海を抜けられるのだろうか。
そんな一抹のどころか百抹くらいの不安を抱えながらも、どこかほっと一息ついている自分もいた。先程までは命の危険がすぐそばにあったからだろう。命の危険は続くとは言っても今すぐに死んでしまうというようなことはない、組織にしろ樹海にしろ考える時間はまだある。
さて、安心したらお腹が空いてきた、なんて台詞はよく耳にするが、かく言う僕も安心したらお腹が空いてきたようだ。
まぁ僕の場合”お腹が開いていた”なわけであるが。。。
そうである、緊張が解けてほっと一息安心した僕は、自分の腹に穴が開いていたことを今になって思い出したのであった。自覚してから、気の狂いそうになる程の鈍痛が僕を襲うまではなんとも早かった。
(痛い痛いイタイイタイイタイ!!!!!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!!!)
実際は悠長に考えている時間などなかったのだ。
目が霞み、真っ暗な森がグレーに見えた。
(なんにせよ...急いでここを抜けるしか僕の助かる道はない......!)
僕はその時、身体中を駆け巡る痛みでほとんど何も考えられなかった。ただ足を動かし身体を引きずり前へと進んだ。意識ももう既に無いようなものだった。
久しぶりに光を目の当たりにしたところで完全に僕の記憶は途絶えていた。
慣性で進んだ先に老婆の家があったのであろう。
僕はとうとうその家の前で倒れこみ、それを発見したこの老婆が親切にも、見ず知らずの青年である僕を介抱してくれたというわけだった。
人間不信俺、異世界で謎を解き明かしたい~魔法とか知らないけど攻撃全先読みで実質最強~ @Roku78
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