第14式 背広姿の強盗団





 吹き荒ぶ風が体を煽り、カイネの姿勢を崩そうと向かってくる。巨大な鉄剣を背に車両の屋根へと上ったカイネは、前方に向かい足を動かし始めた。

(今の所前の車両で不自然な動きは無いように見えるが……ただ上から見ただけでそう考えるのは早計か。確かリーゼの説明ではこの列車を動かしているのは先頭に居る人間だ。まずはそこへ行って現状を伝えるのが得策か……?)

 靴底に仕込んだ鉄板をスパイク状に変化させ、ゴム底を突き破り車両の屋根に食い込ませる。そうしてどうにか上体の維持と踏ん張りの下地を確保し、勢い良く駆ける。

(あまり時間をかけていられない。敵の数も練度もわからない以上、速戦即決だ。まずは汽車についての資料にあった機関部を担う人間に事を伝えてから、勘付かれる前に車両内の敵を仕留める)

 カン、カン、と小気味の良い鉄音を風に流しながらただ進む。向かい風に乱れる髪や衣服を意に介さず、やがて先頭が見えてくる。もうもうと吐き出される蒸気が遠くに見えるが、それに気を取られ足を滑らせる事は無い。車両間の連結部の隙間を軽々と飛び越え、一つ、また一つと越えていき、残り3両まで来たところで、カイネの背に電流の様な刺激が走った。それは直感。何の根拠も無い勘が、カイネの脚を訳も無く止める。

 そして、つま先の僅か数センチ先の鉄の板を、銃弾が抜けていった。

「ッ……」

 銃。知識にこそ聞き及んではいたが、カイネにとってそれは未経験の脅威だった。錬金術に非ず、さりとて魔法でもない。科学と化学の粋を集め作られた兵器が、今ここに居る敵によってこちらに向けられている。

(……時間をかけていられない理由が増えたな。最悪だ、ツイていない)

 嘆息をする間も無く、カイネは全速力で再び走りだす。最早その場に留まる猶予は一刻もない。弾丸が己が身を貫くよりも速く、カイネは一両、また一両と越え、やがて石炭と水を積んだ炭水車の端に辿り着いた。

(確か機関室には人が二人は居るはずだ。早く状況を伝え――――ッ!?)

「早く処理しろよ。外に捨てると足が付く」

「んなこと言ったってなぁ……っと。人間焼くなんて処理方法としては異常だろ? 普通土に還すモンをさぁ……」

「致し方ない犠牲だそんなもの。折角労力割いてバラしたんだから、とっとと焼いて蓋をしたらボスに報告するぞ」

「へいへい」

 けたたましい駆動音、石炭と水の燃焼によって発生する水上機によって躍動する機関の操作場。そこに居るはずの操縦士の姿は無く、二人のワイシャツに身を包んだ男二人と、火室にはくべられるべきはずの石炭ではない、つなぎを着た人間の脚がまろび出る形で視界に入ってきた。最早全体が元々その色だったと思わせる様な夥しい量の血液が染み込んだ床、そして肉の焼ける音、それもお世辞にも良いとは言えない鼻にこびりつく脂肪の臭いがカイネの鼻腔に侵入した。

 つなぎを着た人間の様な一部は微動だにしない。火室にせっせと人体を押し込んでいる男達はカイネの存在に気付いていない。あまりにも惨たらしいその光景にカイネは目を見開き、やがて手に握っていた短刀を男達の足元に放り投げた。

 カシャン、と。音を鳴らし機関室の床に落ちたそれに気が付いた男達。訝しむ様に振り返った先にあった光景は、黒い衣服を翻し襲い来るカイネの姿だった。

「なん────ッ!?」

 気が付いた時には二人の男の顔面はカイネの手によって掴まれ、そのままの勢いで後頭部を機関部の壁に叩き付けられる。鈍い音が響くのも気にせず、カイネは左手の男を掴んだそのままに横のドアの無い乗降口に向かって投げ捨てた。

「待てッ何をする気────」

 叫ぶ声は流れ行く景色と共に消えていった。後頭部の激痛と共に唖然としていたもう一人の男は、カイネによって床に叩きつけられ呻き声をか細く出す事しかできなかった。朦朧とした意識のままもがくのをよそに、カイネは床板を変形させ男を縫い留める様に固定する。そうして拘束したことを確認した後、視線は火室へと向かう。

「────……」

 衝撃によって扉が開いたその中には、今正に火に焼かれ皮膚が爛れた人体の一部が静かにあった。そして火室近くの機関の陰には、おおよそ関節を目安に切断された二人分ほどの人体パーツが積まれていた。それは熱源の近くに置かれていたこともあり醜悪な臭いが漂っており、それがまたカイネの神経をふつふつと沸き立たせる。

 理不尽、超利己的、倫理観の欠如。そう言った言葉は往々にして研究者、特に実験的研究を進める者にとっては常に他者から付与される記号であり、カイネ自身もその謂れは研究者としての側面からも、戦う者としての側面からも付与されてもおかしくない。カイネ本人も、そう言った評価が客観的な視点から下される覚悟はしてきた。してきたはずだった。自分自身にも他者にも、そこに至るまでに慮れる理由のある過程があるからだと。そうして自身の倫理観を麻痺させて。

 だが、しかし、このあまりにも惨い人間の結末を、全く自身が関与しない出来事として、認知してしまった。あまりにも閉じられた世界で居場所を守るために殺し続けてきたカイネの、あまりにも勝手で自己中心的な怒り。心の奥底で自身の行為も大儀あるものではない野蛮であるという深層的な意識と培われた正義感が、床に縫い付けられた男をそのまま変形させた木材で圧殺させるに至った。

 それでも、なお足りない。行き場のない感情。息絶えた男を視界の端で認め、カイネは機関室を後にした。





 トルネコリス、多くの隣国を侵略し併合して生まれた大国の中枢を担う一角として存在するフィアルド教会の中心、オルテナス本部。廊下をゆっくりとした足取りで歩く一人の男が、開け放たれたドアの先のバルコニーで一人夕陽に照らされている少女を見つけ近付いた。

「物憂げな表情は何か思案に耽る様な出来事でもあった証か、はたまたこの情景に対して感慨に耽っていたのか」

「…………」

「返事を一つ返すだけでも人間の印象は大差を生む。そろそろ情緒も育って久しい頃だろう?」

「……何か用? 聖骸せいがい様」

「あれほど無感動を主義の様に通していた人間が空を見つめて思考を巡らせていれば、大なり小なり気になるものだ。カノン」

 灰白色────と呼ぶには些か白が過ぎる色の髪の若い男、聖骸と呼ばれたそれは、紅と蒼が薄く滲んだような灰白色の髪色の少女────カノンへ静かな声色で話しかける。鬱陶しそうでも、面倒臭そうでもない、フラットなままの様子でカノンは返答し、聖骸と呼ばれる男もその様子に特別な反応は示さなかった。

「────初めて」

「ん?」

「初めて、胸騒ぎがした」

「ほう、それはどんな予兆を孕んでいた?」

「熾烈で、冷徹で、燃える様な冷たさ。欠落が塞ぎかかった様な感覚。荒唐無稽で思考の邪魔でしかないの」

「それはいい。お前に必要なのはお前の心を搔き乱す様な一石だ。それが今になって動き出したと考えてもおかしくない」

「根拠が無いわ」

「神なんてものが存在しているこの世界、魔法も神力もあるのならば、直感予知も馬鹿にはならない」

「年寄りの発言はあまり信用ならないのよ。話過ぎたわ、部屋に戻る」

 そうしてカノンと呼ばれる少女はその場を後にする。パキリ、パキリと音が立つ彼女の足跡には、足の着地と同時に氷の花が咲き乱れ、刹那に融けて消えていく。

「おいおい、年寄りとはなんだ……しかし、そうか」

 残された聖骸は少女の言葉に異を唱えながら、ベランダから望む夕日と街を眺める。人々の生きる証である明かりが点々と灯り始め、夜の帳が落ちていく。

「────あれからおおよそ千年、汚辱がそろそろ這い上がるか。永くもあったが、潮時が訪れた報せをあの子が初めに感じたとはな。やはり縁故は深く太いか」

 若々しい声で響く老獪な笑い声。寒々しく映る鏡面の様な床には、漸く来た待ち人を喜ぶような、そんな笑顔が映っていた。





 オルテナス行きの列車は相も変わらず、内部の異常も関係なく進んでいく。傾いていた日は段々と落ちていき、辺りは闇が広がっていく。

 徐々に暗くなっていく車内にはやがて備え付けられた電球が点り始め、ぼんやりとした光景を作りだしていた。場所は十両編成の列車における最後部車両より三両目。息を潜め怯えきった乗客を尻目に、『背広姿の強盗団』のメンバー三人は銃を片手に乗客の動向に気を払いながら、苛立った顔つきで立っていた。一番大柄な、顔に傷のある男が、落ち着かない様子で呟く。

「……チッ、出やしねぇ」

「やっぱり後ろの奴らの返答なしか?」

「まるで出る気がねぇ。やる気がねぇのか死んでんのか知らねぇが、クソッタレだ」

「真後ろのはともかく、最後尾のオッサンは元暗殺者だろ? いくら聖人とは言え不意打ちじゃ優位は取れねぇだろう」

「あの走っていた女がそれだろうが、そんなガキにやられる様じゃ暗殺者も鼻で笑えるな」

「とは言いますけど、連絡無いのは若干気になりますよね」

「だったら一番下っ端のテメェが見てこい。それが一番手っ取り早────」

 大柄な男の声が遮られたのは、甲高いガラスの破砕音。その音の出所は、一番年若い、強盗団内でも年少の青年が寄りかかっていた車両間をつなぐ連結部へと続く扉からだった。

 腕。一見か細い少女の腕が、ガラスを突き破り青年の顔横を過ぎる。そして素早く素の首を絡め取ると、気道を締め上げた。

「カッ……!?」

「なっ!?」

 驚愕の暇も無く青年の意識は落ちていく。脱力した体は細腕の支えを無くし、客席の陰にごとりと倒れていった。そして、割れたガラス窓から腕は引かれ、扉が開く。

「────聖、人……」

「フィアルド教会天譴、リーゼロッテ。これより強盗容疑であなた方をぶっ飛ばします」

 言うが早いか、リーゼロッテは手に持ったロザリオを凡そ車両横幅よりやや小さいサイズに変化させ、即座に反対端に投げ放った。風を切る速度で回転しながら進む鉄塊を見て、座席背凭れよりも頭が高くなっている立位状態の男達は、叫び声の末端を発しながら回避行動へ移ろうとした。だが、それよりも早く、鉄塊は容赦無く男達の頭部へ向かい、そして薙ぎ倒していく。

「ガッぁ!」

「ゴブッ!」

 そうして端に届くまでに二人の男を薙ぎ倒したロザリオは、投擲と同時に壁を走り反対の扉へ到着していたリーゼによって停止した。一瞬の早業。客室に居た乗客たちは、恐怖や安心感よりも先に状況の呑み込めない呆然とした雰囲気に呑まれていた。

「……あら」

「……クソったれ」

「あれを避けたんですか、運がいいですね」

「うるっせぇ飼い犬が……! テメェの前に居た奴はどうしやがった」

「あれなら私の同行者が対応しました。残念ですが、ここより後ろの車両は完全に制圧済みです。投降するならばひとまず命だけは残してあげます。加減が出来たらですが」

「言ってろクソガキ、ぶっ殺してやるよ」

 間一髪ロザリオを避けた男は、座席の陰に身を顰めながら己の武器を握り直す。狭い屋内でも取り回しの利く短刀を確かめ、ドアの前に立つリーゼを背凭れ越しに睨む。若干縮小させたロザリオを肩に乗せ、こちらを見やる者の視線が僅かに逸れたのが見えた。それが男にとっての微かな隙だった。

「ッ!!」

 手直にあった乗客の荷物を通路に投げる。相手の視線が僅かにでもそちらに向けば、こちらの勝機はできると踏んだ男は、己が身を客席の上に躍り出させ、背凭れを足場に最短距離でリーゼの下へ飛びかかる。

 対するリーゼは、正確な男の位置が把握できていなかったため、おとりである荷物に一瞬の視線を奪われ、ワンテンポ男への対処が遅れる。だが、遅れたからと言ってそれは彼女にとって致命となるものではなかった。

「死ねェ!」

「ッ……」

 真横に振り抜かれる短刀の軌跡の跡に、漆黒の毛髪が舞う。そしてリーゼロッテの頬には微かな傷が流血と共に現れた。切っ先は確かに届いた。しかし切っ先だけでもあった。

「く……そッ」

 脇に担ぎ直されたロザリオが、その大きさを変化させ、背にある扉を支えに男の方へ向く。十字の交差する中心右側に男の身は抑えられ、前方へ向かっていた体はそこで止まり、喉を掻き切る筈だった刃は寸での所で空を切った。

 男をその後襲ったのは激しい痛みと体をくの字に曲げる勢いの衝撃。静止させられた胴体にリーゼの華奢な足が蹴り込まれ、その勢いで男の体は後方へ弾き飛ばされた。

 客席に一度当たり回転した体は、そのまま板敷の床に落下する。身動ぎの無い様子から、気絶させたとリーゼは判断し一つ息を吐く。

「……ふぅ」

「リーゼちゃん、大丈夫?」

「リゼさん。もう出てきても問題ありませんよ」

「はーい。でもよかった、この調子ならほぼ怪我人は出なさそうかな?」

「相手はそれほどの脅威ではありません。人質に危害が加えられてしまう様な事態にならなければ大丈夫でしょう。カイネさんも居ますし」

「そうだねぇ。ひとまず怪我人が居ないか確認して────」

 薄い笑みと共に客席を眺めていたリゼが目にしたのは、騒ぎの落ち着いた室内のはずだった。脅威を退け、人々は恐慌状態から回復していく。その過程のはずだ。

 しかし、そうした落ち着きは甲高い破砕音と乾いた裂音だった。前方車両に続く連結部への扉が、突如破砕され破片が飛び散る。そして黒い影が二つ、転がり込んできた。

「チッ」

「…………ッ」

 一人はカイネ。所々に流血した跡が見える姿で、鬼気迫る形相で相対する人間を睨み、緩い弧を描く刀剣ではない両刃の直刀を相手の持つ武器に押し込んでいた。

 対してカイネと相対する者、黄金色の長髪を靡かせ長身痩躯の男は、ダガーを手にカイネの攻撃を防ぎ、押し返そうとする。きりきりと鉄の擦れる音が静まり返った客室内に響く中、状況は瞬く間に変わっていく。ふ、と力が抜けたように男の手が緩み姿勢が僅かに崩れるカイネ。それを逃さず、男はカイネの腹部へ鋭く蹴りを沈め込む。不意打ちの形で食らったカイネはそのまま天井を突き破り列車上部へ消える。男もそれに続き跳び、唐突な乱入者達は姿が消えた。

「……カイネさん、と敵でしたか?」

「多分……でもなんでカイネがあんなに怒ってたんだろう……」

「嫌な予感がします。リゼさん、前方の車両へ行きましょう」

「うん」

 嫌な胸騒ぎに顔を顰めるリゼとリーゼ。逸るままに着き破られたドアを越え、二人が居た車両へ移動すると、そこに広がっていたのは、

「────え」

 夥しい量の血液と、血に塗れ怯える乗客と、戦いの余波で壊れた内装と、そして壁や床に縫い付けられた男達の屍だった。

「なんですか、これは」

「……全部、強盗団の人かな。でもどうして」

「……後で問い詰める必要がありますね。まずは先を急ぎましょう」

 赤い液体でぬかるむ床を踏みしめながら一つ、また一つ車両を越えていく。その度に屍はまるで磔刑にされたかのように縫い付けられ、晒されていた。苦い顔をするリーゼはそのまま先頭車両、運転席にまで辿り着く。

「……なんでしょうか、この臭いは」

 鼻につくのは粘着質と形容できる臭気だった。粘膜に纏わりつくようなそれに顔を顰めたリーゼに対し、リゼは何かを察したように、真っ直ぐに火室の前に移動した。そして扉を開け、今ここに漂っている臭気の出所を確認する。

 人間の焼ける臭い。不完全な火力によって半端に焼け焦げたタンパク質の臭いは、医者として生きる中で知っているものだった。それに交じる石炭の臭いが余計に二人の顔を歪ませ、唇に皮脂の油が張り付く。リゼは火室を閉め、リーゼに向き直った。

「人が焼けた臭いだね」

「……これが、ですか?」

「うん。嫌に鼻につくにおいがするし、唇がべたつく。不完全な燃焼でタンパク質が焼けているのかも」

「……死体が無いようですが」

「そこにあるよ。私もさっき気付いたけど、多分カイネが移動させたんだね」

 物陰に横たわる人の足。リーゼはそれを見て、ただの死体だと思った。特に焼けた様子の無いその足元でそう判断していた彼女は、しかし覗き込んだ先にあったもので言葉を失った。

 黒く焦げた腹部から上の人体は不自然に黒ずみながらも肌色を半端に残し、苦悶の顔を彷彿とさせる大きく開かれた口と胸元で固まった握り拳が辛うじて人の名残りであると理解させるものだった。

「……これは」

「多分、強盗団の誰かが……殺してからか、考えたくないけど生きたままのどっちかで、かな」

「それは」

 何かを言いかけた口はそれ以上続けられなかった。カイネのあの怒り狂った表情、短いとはいえ付き合いの中でも善性がどれほどあるのか知っているが故の不可解な残虐な殺害方法を行った理由に、リーゼはここに来て合点が言った。ただの殺害だけなら恐らくそこまでではなかったのだろう。だが、この殺し方にはリーゼもリゼも、最早何も言うことはできなかった。

「……いったん戻りましょう。カイネさんが心配です」

「うん」






 列車は変わらず進んでいく。風にたなびく髪を鬱陶しそうに掻き上げ、べたつく血液を拭う。耳を掠める風音は騒がしくも、体に滾った熱を程よく落ち着かせるには十二分だった。

「やるね、この列車に目立って手強いのは聖人しか乗っていないって話だったけど。まさか君みたいな手練れが居るとは」

「……何者だ、お前は」

「しがない強盗団だよ。俺の部下を惨たらしく殺した君の敵だ」

「……部下の教育が杜撰なようだな。お前らの組織には人間を残忍な殺害方法で始末すると規則でもあるのか?」

「推奨行為は設けていないし、禁止行為もほとんどない。俺達は自由に動くだけさ」

「その結果がこれか」

「その通り。君もどうだい? 青年」

 カイネと相対する男。若々しくも貫禄のある立ち振る舞いの長身痩躯の男は、同じように風にあおられながらもその笑みを崩す事は無かった。肩に担いだライフルを軽やかに持ち直し、ダガーを納刀する。カイネにとって銃は未知のものであり、しかし雰囲気から飛び道具であると理解したため行動を起こせずにいた。

「他者から強奪する趣味はない」

「君も我々の命を強奪していたじゃあないか。これは暴論かな?」

「既に殺人を犯し、強奪を行っていたお前達は相応の対価を支払うべきだ。少なくとも俺はそう考えている」

「そうとも言えるな。ならどうする? ここで俺を殺すかい?」

 そう言うが早いか、男はライフルの引き金を引いていた。発射音は風に乗って消える。鉛の弾丸は風に逆らいカイネの胸元へ真っ直ぐに向かって行く。人間の視覚ではとらえきれない速度。

「…………」

「……これは、驚いた」

 それでも、カイネには対処できるだけの余力があった。向かい風による減速、意図的な心拍上昇による身体能力強化、そして鍛え上げた肉体が、飛来する弾丸を叩き切り落とした。風に乗って分かたれた弾丸は落下していき、カイネはそれを待たずに男へ飛び掛かる。直刀を真横に振り抜く。切っ先は風を切り男へ向かい、その胴を真っ二つにせんと進む。

「クッ……」

 しかし男も車内でカイネの攻撃をかわすだけの能力がある者。紙一重でそれを交わし後退すると、すぐさまコッキングし照準を定める。近距離故にサイトを覗く事も無く、すぐに二発目は発射された。カイネは上体を大きく屈める。

「銃相手に勇みのある!」

「……その程度なら問題無い」

 屈んだ姿勢のまま、まるでクラウチングスタートの様な走り出しで一気に距離を詰める。ライフルの詳細を知らないカイネだったが、それが筒状の武器であり、銃身の長さから近距離での取り回しに難があると理解し、手持ちの武器の間合いである接近戦へ持ち込んだ。直刀から分離させ作成した短刀を握り、振りかぶる。

「────ならば、これはどうだい?」

 銃声。それはライフルからではなく、男の懐から聴こえたものだった。振りかぶった姿勢で止まったカイネ。その脇腹には、赤い染みがジワリと広がっていた。

「ッ……ァ……」

「ハンドガン。見たことが無かったかい? 列車内戦闘ではこっちの方が取り回しが良いんだ」

 短刀からの攻撃を避けようとしたような姿勢で後退するそぶりを見せながら、上着の内から出した自動拳銃。その弾丸が今度こそカイネの腹部を貫いていた。

「素晴らしい身体能力だが、これの前では無意味だ。すぐにその脳天も打ち抜いて────」

 男の言葉は吐き出された息と共に止まる。鋭く蹴り出された足が、男の腹部を抉る様に捉え、体を浮かしていた。

「それが……どうしたッ!」

 浮き上げた男の体に拳を叩きこみ、弾かれる様に飛ぶ様を見ながら息を吐き出す。反撃に転じられたとはいえ、カイネにとって未知の武器で腹部を貫かれた事は、かなり堪えるものだった。痛みに強くまた戦闘中で鈍くなっているとはいえ、体内に毒などが混入させられた可能性も考えた思考では、否応なしに痛みに集中せざるを得ない。よって足元はふらつき力が抜けかける。不自然な程の足の覚束なさに、カイネは何事かと視線を送り────そこには同じように赤く血が滲んでいる太腿があった。

「……こっち、だって何度も、修羅場潜り抜けているんだよ。簡単にやられるか」

「ッ……!」

 倒れる男の持つ拳銃。その銃口からは煙が微かに出ている。

(……蹴り弾いたと同時に撃ち込まれていたのか? クソ、音に反応できない位切羽詰まっているのか俺は)

 平時の様な行動が出来ていない。多少落ち着いたとは言え沸騰した頭に未知の武器と痛みによる集中力の欠如が、雪崩るように押し寄せてカイネの行動を蝕んでいた。どうするかと思案しながらも血液が流れ出ていく。止血をしようにも何時銃が発射されるかわからない状況で、慣れない人体への錬金術の行使は二の足を踏ませた。通常時なら難無く、それこそこの状況でも治療ができるだろうだけに、カイネの思考は混乱していた。

(どうする、どうすればあれを封殺できる? 間合いを詰められたとして短刀とあの武器じゃ初速を上回れるか確証がない。かと言って距離を離すのは愚策。錬金術も出来れば不用意に見せられない)

 思案するままに膠着する状況。そこに、変化が訪れた。カイネの視界の端に何かが映る。まず線路。今乗っている列車の横に、二つ目の線路が並ぶ。そして駆動音。別の車両の音が、段々と近づいてきていた。やがてその音は間近までになり、並走する車体が姿を現した。

「これはフィルドア行きかな? やれやれ、人目につくのは避けたかったが」

 頭を掻きそうごちる男。視線が逸れ、意識も僅かにずれている。それは完全な好機だった。

「シッ」

「ん……あ?」

 心拍が上がる。心音が響き、血管が膨張し破れそうなほど脈動する。その勢いのままカイネは一瞬の後男に近付き、男が咄嗟に持ち上げた拳銃を手で押さえながら側頭部に足を合わせていた。

(弾き飛ばして列車から叩き落とす!)

 それは見事に功を奏し、クリーンヒットした。重い音と共に男の体は揺れ、体が傾いて行く。このまま後は落ちてくれれば問題無し。そう考えていたカイネは、しかし足の違和感に気が付く。

 重い。引き戻そうにも戻らない。一瞬の脈動から戻った体に上手く力が入らず、その理由も少し遅れてわかった。

「簡単に……は、落ちないよ……!」

「お前ッ……!」

 蹴り弾いた男が掴んでいたのは、他でもないカイネの足。バランスを崩したまま足を掴んだ男の自重によって、片足立ちのカイネも共に体勢を崩す。ぐらり、と体が車両の上から滑り落ち始め、勢いよく後退していく地面に吸い込まれていく────ところで、カイネの体は見えない力で弾かれたかのように隣の車両の側面に接着した。足を掴んでいた男もそのままに。

「……は?」

「…………そのまま落ちろ」

 張り付いた体を片手で支えるために突起を掴み態勢を整えたカイネは、男が掴んでいる左足を少し持ち上げると共に逆の足を振り上げ、そのまま勢い良く振り下ろした。が、

「ッフ!」

 そう容易く食らうほど、列車強盗団の男の身体能力は低いものではなかった。張り付いた列車の側面を足で掴み、掴んだカイネの足を起点に腕の力で体を持ち上げ、列車上部に戻る。空振りしたことを認めたカイネも、突起を掴む力を強め、即座に車両上部へ戻る。顔を上げて臨戦態勢に入ったカイネに、男は既に間合いの中へ接近していた。

「チッ」

「ハァッ……ハァッ……君、名前は?」

「…………」

「答える義理は無いってことかい? ならばその強さに対し、俺が勝手に名乗ろう」

 力が緩むことの無いまま、男は不敵に笑う。

「レディウス・マルコネィ、背広姿の強盗団頭領だ。君の様な強き者と巡り会えたことを喜びながら名乗らせてもらうよ」

「理解しがたいな……!」

「強盗なんてサルでもできる。だが強き者と戦うのはただ能天気に待っていれば巡るものでもない。強盗はただの手段さ!」

「……イカレ野郎」

「ハハッ、そうかい? 君こそ、随分殺す事への躊躇いが無いじゃあないか。まるで何度も殺しをこなしてきたかのように!」

 嗤い叫びながらも圧し込まれる刃の力は緩まない。体勢はきついが、それでもカイネは全力で圧し返し、そしてレディウスを弾いた。

「……凄まじい膂力だな」

 カイネは男────レディウスの言葉に明確な否定を反すことができなかった。その言葉の言う通り、カイネに殺人の、より正確に言えば自身の敵対者であり仲間や家族の生命をも脅かす存在だと認識した相手の殺害に、一滴ほどの躊躇いもない。無差別にではない、選別しての殺害対象の認定を経て、容赦は一切なくなる。今回の場合、仲間と乗客乗員への危害及び殺害を成したレディウスとその仲間に、カイネは全身全霊の殺意を以て相対している。

 故に、想定外の武装と実力に負傷すらしてしまったカイネの思考は普段よりも精彩を欠き、こうも長引く戦いとなってしまった。それは、最早恥じ入る様な失態だった。

「カイネ!」

「ッ」

 不意にかかる声。それはリゼのものであると即座に理解し、そちらに目が向く。窓を介して見えたリゼとリーゼの顔。その顔には焦燥の色がありありと見える物だった。

「カイネさん! すぐにこちらに戻ってきてください!」

「……?」

「この列車とその列車はもうすぐ別々の方向へ向かいます! だからこちらに戻らないとバラバラに────」

 その時、カイネは不意に体を後ろに下げた。嫌な予感ともいうべき勘によって下げた体の前を、何かが通り過ぎてい行った。

「おや、外したか」

「…………」

「カイネ! 速く────」

 そう叫ぶリゼ。しかし、カイネはおいそれと動くことができない。今ここで無防備な空中に僅かな時間でも滞空していれば、レディウスの持つ銃の餌食になる事は容易に想像できる。万が一にも狙撃され、体勢を崩せばあっという間にこの高速で移動している列車から投げ出され、容易く死ぬだろう。故に躊躇う。そして、列車は段々と互いの距離を離していった。

「カイネぇ!」

「……すまない」

 離れていく幼馴染と協力者に一言だけ謝罪する。段々と姿が小さくなっていくのを横目に、カイネはレディウスに向き直る。

「…………先程のお前の言葉に対してだが、お前の言葉を俺は否定しない。俺は躊躇いなく殺せる。だが、殺す相手は選んでいる」

「ハハッ、それは自分の正義のためにか? 自己中心的な事は俺達と変わらないなあ!」

「別にそれでいい。誰かを助けたいことがイコールで称賛への欲求には繋がっていない」

 徐々に。徐々にカイネがレディウスの刃を押し返す。カチカチと音を鳴らし震える刃二つの位置は段々とズレていき、金の髪の男はその表情から余裕が消えていく。

「ッ……自分の動機を正しくある様な物言いは気に入らないなァ! 殺人に貴賤なんてないんだよ青年!」

「なら尚更、俺はお前を殺すことにひと掬いの程も葛藤は無い。頭ももう冷えた」

「言い訳を……ッ」

 段々と圧されるレディウス。その表情から余裕はなくなり、対照的にカイネの顔から憤怒の感情は消えていた。露出した腕に血管が浮かび上がるほど力が篭り、カイネの刃は遂にレディウスの喉を捉えられる圏内にまで近づいた。

 あと少し、そう考えた時だった。

「────これで終わりかと思ったかい? 間抜け」

 再び嗤った。レディウスが嗤った。そして、突然目の前に発生したのは雷電。初め、魔法の類が発動されたのかとカイネは考えたが、しかし即座にその正体を理解した。理解したが、それは到底納得できるものではなかった。

「錬金術!?」

 それは錬成時に発生する雷電。それが自身とリゼ、そしてあのアウレオルス含む錬金術を行使できる存在が相手でなければ見る事は無いと考えていたものだった。あまりにも唐突で不意な現象、現実。視覚による情報だけならばどこかで確信が持てないままだった。だが、そこから流れ出たエネルギー体を知覚し、それが錬金術を行使するために必要なエーテルである事を理解して、カイネの思考は処理の限界に近い状態だった。

「驚く事は無いだろう、カイネ=トレストバニア」

「────あ?」

 名を呼ばれる。なんて事の無い行為に、カイネはいよいよ理解が追い付かなくなりそうになる。何故名乗ってもいない名を呼ばれたのか。確信をもって、不敵に。不明な現実の濁流に思考が呑みこまれそうになる。

 振りかぶった短刀が、不明な方法で行使された錬金術によって作成された列車の天板の金属でできた板に止められる。そして間髪入れずに、カイネの皮膚を切り裂く無数の何かが飛来してきた。

「ッ……」

 完全な反射運動での寸前の回避によって致命傷を避けながら、刃を支点に後退する。それでも不可視の刃はカイネの肉体を裂く。そして後退した先の足場から突起が作り出され、体勢を崩す。揺れる車体、強く吹く風、全身の傷、更には体勢を崩す要因となる突起。カイネの体は何とか捩り受け身をとるが、無防備なものとなった。

「は、ハハ、これは……素晴らしいな……あ。話では理解していたが、これほどまでに……いいな!」

 両の腕を広げ、レディウスは感慨に浸るように身を震わせる。半ば狂乱する様に。

 対してカイネは、動揺の最中に不自然な現象に眉を顰める。確かに錬金術師にとって、この世界に有るもの、肌に触れるもの、目に見えるもの、見えずとも識り得るものの全てが術の行使によって操作できる対象だ。前提として知識と技量を伴って、という文言が必要だが。足りない知識、又は技量、あるいはその両方が伴わなければ術の行使はできず、それでもなお無理矢理行使すれば現象修正と呼ばれる世界の基本となる形に修正するよう力が働き、自分自身に世界の修正作用の反動が及ぶ。規模が小さければ内臓の損傷や昏倒で済むが、代償が大きくなる行使であれば生命そのものに干渉される。死ぬだけならまだいい。それに留まらず、支払いきれない代償の余波が物理的に周囲に及ぼされる事も想定され、または人間の形から逸脱した異形の生物になる事もあり得る。

 更に言えば、錬成回路と窯を有さない人間に理論を教えても錬金術は発動せず、どう足掻いてもエーテルを取り込むことはできない。

 ────ならばどうして、今なお窯の存在も感知できない目の前の男は錬金術を行使できたのか。

「…………何故、と問い質すつもりはない。ただ一つ、その力はどんなものかを知っているのか、そして誰から与えられたのか。それを教えろ」

「はは────錬金術とやら、我が国トルネコリスに滅ぼされたらしい奴らの力と聞いてどの程度かと思ったが、存外やるもんだ。それを教えたあの男か女かもわからない者の事は大して知らないが。君もそうなんだろう? 錬金術師」

「……そうか、知っているのか」

 カイネの思考はこの短時間で目まぐるしく入り乱れていた。無残な殺人を働いた人間達への怒り、知識不足の飛び道具に対しての後手となる対応での混乱、無関係なはずの人間の錬金術行使を目の当たりにした驚愕。ぐるぐると巡っていた無作為の思考は、しかしレディウスの返答────錬金術を少なくとも誰かから聞き知っている事実が確認できた言葉で、カイネは無意味な力の抑制を止めることにした。

 錬金術の存在を不用意に口外せず、露見させない。それがこの旅の当面の制約だった。外界とのつながりを断ち籠る事を止め、外を知る事もこの旅を行う理由の一つではあるが、しかしかつて自身らの先祖を滅ぼしかけた国で曰くのつく力を不用意に見せれば、一体何が起こるのか想像に難くない。例え多くの人々が錬金術とその歴史を知らずとも、どこからそれを知る人間の耳に入るかわからない。そしてそれが起こった時、自身らの無事を確証されるかもわからない。故に現状はなるべく錬金術の使用を最小限にしていた。

 だが、今は車内からは見え辛い車両の屋根の上であり、風を切る音と駆動音が響いている。目の前の男は錬金術を知り、理由は不明だが行使できる。ならば自ずと方針は決まった。

「知っているなら最早加減は要らない、か。たかが少し前にコレを知ったばかりの素人が────」

 カイネは錬金術師だ。当代、当時代に正式には二人しか存在しない者。士を越え、その道の頂点と呼ばれる師に、二十にも満たない歳で成った、正しく天才。ならば、素人と天才が同じ土俵で立つのならば、

「どう俺に対抗できる?」

 言うまでも無い事だ。

「っなんだ!?」

 レディネスの手元で何かが落ちる音がする。視線を下に向けて見れば、そこには手に握っていたはずの拳銃がグリップを残して全てのパーツが落下し、風にあおられていっていた。

「なッ……」

「たしかに風を瞬時に圧縮し刃の形状へ固定、慣性をそのままに俺の方へと向けたのはいい機転だった。この状況で視認できない自然由来の武器は確かに強力だ」

「くっ……」

「だが、慌ただしく急いて作らなくとも、俺ならお前の武装を解除した後に余裕をもってできる。遠隔での行使は難しいだろう?」

「ッ……たかが拳銃一つで……!」

「余裕のある態度のガワはそれまでか? 後ろにも気を張ったほうがいい」

「なにを────」

 鈍い音と到達する痛み。レディウスの意識が途切れるように点滅し、前方に姿勢を崩す。なにが、どうして、どうなって。そういった疑問が浮かび上がれども痛みによって遮られ、また鈍痛と脳震盪でまともに起き上がる事も困難になっていた。

「な────を────」

「半端に切り刻む刃を作るくらいなら、昏倒させる鈍器にしろ。造形を変化させればさせるほどリソースを割く結果になり、他への注意が散漫になる。簡易な形状にすればその分空気の圧縮も確実に形成できる。小難しいことをすればいいものでもないんだ」

「きさ……ま……」

「はぁ……やっと頭が冷えた。拳銃とやらもようやく形状・構造・作動方法と理解できたが、そっちの長物はまだだった」

 ゆっくりと近づくカイネ。しかしレディウスの動きの一切を逃さんと集中は続き、そのままに転がったライフルを手にする。そして、雷光と稲妻が走った。

「……成程。この筒は内部に施条しじょうの溝があるのか。作用としては……恐らく軌道の安定が主なものか? 書物があるならそれも調べておくべきか……」

「はぁッ……はぁ……」

「そして────今お前に触れてようやく気付いたが、その体に賢者の石の反応がある。それも貰いものか? 錬金術は賢者の石の副産物か」

「なん……で、それを」

「それを渡した人間に何を言われたかは知らないが、生憎それは不完全な物だ。未だ正しい生成方法も確立されていないまま何とか形にしたような産物でも確かに強力で凶悪だが、本来の力はその程度じゃない」

 手にした鉄の筒を、カイネは丁寧に分解していく。錬金術によるものではなく、ただ純粋な手作業で。その所作はまるで淀みなく、何度も繰り返した作業をこなすように。

 そうしてバラバラになったパーツは次々に風に乗って去っていき、やがて手元に残るものは何もなくなってしまった。レディウスはそれを、ただ茫然と見ているしかなかった。

「お前の敗因は簡単な話だ。俺に錬金術を行使できるという情報を認識させる前に仕留めきれなかった、ということだ。何にどんな思惑を見出そうと俺の知った事ではないが、固執と増長によってお前は死ぬ」

「……は、はは! ははは!! 死ぬ? 君が私を殺すと? どうやって? この不死とやらになる石を埋め込んだ私を────」

「言っただろう、不完全だと」

 うつ伏せに倒れながらも不敵に笑いどこか余裕を見せるレディウス。それを冷たく見下ろすカイネは、ゆっくりと屈み男の背側から鳩尾下へ手を添える。沈む。カイネの指先が、エーテルを帯びた物に触れる。

「俺は確かに俺自身が抱いた義憤によってお前を殺すと決めたが、俺はお前を裁く事はできない。裁く人間が血に塗れているのなら、道理を説く説得力も無い」

「な……らァば────」

「だが、然るべき末路を迎えさせるだけなら、俺は誰に言われようと止まる事は無い。正当な理由も無く惨たらしく人々を殺したお前の部下も、それを是とし何度も繰り返してきたお前も、俺自身の怒りで殺す。人の生命の円環から外れることを自ら選んだお前に、二度ふたたびは訪れない」

 パリ、と何かが弾ける音がレディウスの体内で響く。それと同時に体に巡り渡っていたエネルギーは千々となっていくように消えて無くなった。四肢の力が抜ける恐怖に男の顔が青ざめる。

「そ────な……」

 震える手を虚空に伸ばす。刻々と暗くなる視界から逃れようとするその動きすらももう自覚する事は無く、レディウスは冷たい闇へと溶けていった。

「…………ふぅ」

 賢者の石の活動が停止した事、レディウスの鼓動が感じられなくなったことを確認し、カイネはようやく体の強張りを解いた。緊張がほぐれたからか、体の至る所にできた傷やリゼに治療された古傷が開いた箇所の痛みにほんの少し顔を歪める。

「い……っ、これはまたリゼから小言を言われるな。今の内に応急処置をしてなるべく怒りを軽減させないと────」

 気休め程度の応急処置。リゼから持たされた消毒液をかけながら切り傷や弾痕を表皮の治癒促進で覆い、創傷被覆帯代わりを作る。複雑な内臓系の治癒こそできないが、リゼとリーゼと合流するまで致命的な出血を抑えられればいいカイネは、錬金術を行使する。高い集中力による術はやや粗いながらも順調に肉体を修復していく。

 だからだろう。

 普段ならば接近に勘付けたはずのものに、無警戒となってしまったのは。

「────あ?」

 奔る閃光。それが質量を伴った光線のようなものだと理解したのは瞬時の反射による、いっそ習性や習慣の様な現象の解析。それと同時に脇腹に滲む血液と熱。自身の体に大きな風穴が開けられていることを悟ったのは、静寂が訪れてから僅かな後だった。

「カフッ……」

 ぐらりと崩れる膝。最早踏ん張る力も無く風にあおられる様に姿勢が崩れ、カイネの体が列車上から落ちていく。






「…………直撃したけど、凄いなアイツ。私の魔法が体に触れた僅かな瞬間に致命傷になる部分を避けた」

「報告にはありましたが、どうやら相当の手練れの様ですね。大魔法使いと名高い貴女が討ち損じるとは」

「見てる暇があるならお前も手伝え木偶男。何のためについて来たのよ」

「冷たいですね……パートナーの仕事にお供するのは不思議な事じゃないでしょう? しかし……一体どういう意図の任務なのでしょうかね。指定された地域を視察し詳細を報告、その後指定された人物に牽制……場合によっては殺害しろなどと」

「知らない。私達に断る余地が無い事は知っていてこんな任務を任せてくる奴らが何考えてるかも知りたくないし。流石に子供を手に掛けるのは少し気が引けたけど……」

「まぁ、依頼は全うしたと考えていいでしょう。あの青年も相応の手練れなら生きているでしょうが、それはそれ」

「……ん、そうね」

 列車の走る線路がある場所から数キロ離れた森林地域の端。そこには一組の男女の影があった。淡々と話しながらも先程狙撃した地点を尻目に観察する二人は、一仕事を終えたとばかりに踵を返す。が、女の方がピタリと足を止め、振り向いた。

「……」

「どうかしましたか?」

「…………アレ、多分また会うことになるかも」

「それは……なんとも。貴女のそう言った勘は当たりますからね、そうなるのでしょう」

「敵対する事にならないと良いけど」

「はは、今回の所業がバレたらどうなることか」

「面倒臭いなぁ……」






 深い森。粛々と聳え立つ巨木とそれに寄り添う樹木。獣と不老長寿の賢人、そして少数の人間が住まう“元”森林国家であり現トルネコリス領の領域『フィルドア』。その領地の端を、一人の少女が歩く。新緑の様な明るくも深い緑の髪と動きに合わせて揺れる獣の耳と尾、それは彼女が獣人であることを示している。

「……こっちかな? やっぱりする……血の臭い」

 蒼い外套が木々の枝に引っかからないように身を捩りながら少女は進む。久しく帰っていなかったフィルドアにある故郷へと帰って来ていた所、道中でした血液の臭い。それも夥しい量のものであり、なにより“人間”のものであることに少女は訝しみ、その痕跡を辿っていた。もしも迷い込んだ怪我人ならば助けようという考えで、優れた嗅覚を頼りに進み、やがて一本の巨木の下へ辿り着く。

「ここ、だ」

 一層強くなった臭い。きょろきょろと左右に動かした視線はやがて、巨木より伸びる根の陰に、血痕と人の頭部を認めた。恐る恐ると近づく少女、首元にある外套を留める鈴が小さくなる。その音が、微かな吐息さえも無い静寂であることを強く意識させた。

「……っ!」

 そんな緊張と共に少女が見たものは、腹部に貫通したと思しき塞がりかけの穴を拵えた、長大な鉄塊を傍らに置く白い髪の青年だった。最早呼吸もか細い程の衰弱。それでも少女が手遅れと断じることができなかったのは、怪我の大きさに反比例する様に焦点が覚束ないながらも前方を睨む様に視線を擡げたままの表情を見たためだった。

 正直、この者の素性もわからない、もしかしたら人間の街から逃げ出した悪人かもしれない存在と関わろうと、ましてや助けようとすることは危険性が伴う。少なくとも真っ当な理由でここへ辿り着いた存在ではない事は確かであり、少女に躊躇いを抱かせるには十二分な要素ではあった。

 しかし、獣人の少女にはそれを理由に切り捨てることができなかった。ひとつは少女自身の好奇心、この者がどこから来て、何故そうなったのかを知りたくて。そしてもう一つは、かつて同じような光景を、状況を、少女は目の当たりにしていたからだった。救い出し、止められなかったあの子。その子と出会ったあの日の様な光景。それだけで、少女がこの青年を助けるには十分な動機だった。

「っ……少し我慢してください。今安全な所まで、運びますから」

 自身よりも大きく、そして屈強な体躯の青年は少女の体格では本来は担ぐことが難しい。しかしそこは獣人。人間よりもある力で腰と背を支え、ゆっくりと歩き出す。

「……だれ、だ?」

「大丈夫です、今安全な所に行きますから。あと無駄に大きくて重いから余計に動かないでください」

 ゆっくりと、足場悪い道を進んでいく。木々をかき分けながら奥へ奥へと進むうちに、周囲の植物たちはまるで生きているかのように道を作り出す。最適な道を示す様に。

 そして少女と青年の姿は、巨大な鉄塊を引き摺りながら鬱蒼とした森の中に消えていった。






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亡国のアルケミスト 出雲 蓬 @yomogi1061

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