第13式 車上の喧騒




 アウレオルス、及び超弦人形とホムンクルス撃退から二日が経過した昼下がり。大規模な損害を被ったレストニアでは、襲撃後明朝より混乱した状況を立て直さんと、エルシアを筆頭に教会の信徒、使徒が忙しなく走り回っていた。怪我人、生存者の確認と治療。被害状況の把握。復旧の計画。辺境の街という事もありトルネコリス政府の援助は未だ到着できないため、現状は小規模な国軍の面々とフィアルド教会、そしてレストニア市民の人々が自力での復興をすることを余儀なくされていた。

 そんな慌ただしい町の様子も、時間の経過と共に徐々に落ち着いて来る。明け方より人の行き交う声が聞こえ、二日経った今は、崩壊した建物の残骸と言える瓦礫の撤去も進み、街の風景は幾分か平時のものに戻っていっていた。超弦人形達の街周辺の発生もとんと無くなり、魔獣の姿もまばら。一般使徒達でも対処可能な程度の平穏さが広がる中、教会内の一室に二つの影がベッドの上にあった。

「…………あの、カイネさん」

「なんだ?」

「何故私達はベッドに括りつけられている上に重しが付けられているんですか?」

「……リゼが言っていただろう。俺達が安静を守るだけの信頼が無いからこうしていると」

「二日も布団に縛り付けられているのは一般に虐待なのでは……?」

「なら脱走するか? お前と俺ならこんなもの破壊するのは簡単だしな」

 不満げにベッドの上で括られた鎖を忌々し気に持ち上げる少女、リーゼの言葉に対し、事もなげに返す青年、カイネ。カイネの言葉に息を吐き考えたリーゼは、昨日脱走しようと鎖を破壊しロープを断ち切った姿を偶然目撃したリゼの、あまりにも悲し気な顔を思い出した。

「…………あの顔は正直狡いと思います」

「アイツからしたら俺達は患者でアイツは医者。その安全と健康を確実にするための完全善意に反する事をされて、しかし嫌がることをしている自覚も確かにあるからな。その結果のあの顔だ」

「ある意味そこいらの医者より質が悪いですよ」

「それを無視できないリーゼの性分があってこその結果だろう」

「褒めてます?」

「ああ」

 心が籠っているのか判断に困る声色に訝しげな顔を浮かべるリーゼを端目に、カイネは体内にエーテルを循環させ、治癒状況を確認する。リゼの治癒を受けたとはいえ、アウレオルスとの戦闘から帰還した二人の身体状況は普通なら致死に近いものだった。それ故の絶対安静。

 互いに臓器に骨が突き刺さり、夥しい出血量により貧血状態。アドレナリンの多量の生成や神力の代償である痛覚の剥奪により一見問題無いように行動していたが、吐血をしていたことが紛れも無い重傷を示すものであることは明らかだった。戦闘時特有の興奮がカイネとリーゼに自分自身の状況を誤認させていたのは幸か不幸か。カイネが行った応急手当も、正しく比較的無事だった部分の手当てに過ぎない。帰還した後に診察したリゼの怒髪天を突くような説教には、さしものリーゼも怯んでいた。それについては彼女の名誉のためにカイネは沈黙し気が付いていないフリを通しているが。

(さて、内臓器官の治癒はほぼ問題無いか。骨も過度な負荷を掛けなければいい。これなら明日にはここを出発できるか)

 カイネの思考は、病み上がりでありながら既に次の目的へと変わっていた。事態は一旦落ち着いたとは言え、アウレオルスを筆頭とした外界に居る錬金術師の末裔達の存在が推測とは言え複数存在している事が確認できたのは大きい収穫だった。村から出立して間もなく大きな収穫が得られた以上、そしてそれがこの街を離れ行方をくらませているならば、怪我程度で数日も拘束されているのはあまりにも不合理。合理性を求める錬金術師がそれを看過するにはあまりにも事態は切迫している。

 と、不意に病室である部屋の扉が開かれた。ゆっくりと動く扉の先に立っていたのは、現状二人の主治医とも言える少女リゼと、この教会を統べるシスターエルシアだった。その姿を見た拍子に微かにリーゼの体が揺れたが、それほどまでにリゼのあの姿が意外だったのかとカイネは思案する。昔から付き合いのある彼からすれば見慣れたあの心配故の怒りは、見知らぬ人間には刺激が強いものだった。ついと視線を逸らすリーゼをちらりと見たリゼは小さく溜息を吐くと、エルシアが入室したのを確認し扉を閉め、病床へ歩み寄った。

「二人とも、大人しくしていた?」

「検診の時間です、カイネさんはともかく、リーゼは大人しくしていましたか?」

「何故私だけ……」

「前科があるからですよ。貴女はリゼさんの忠告を無視してここを出ようとしたではありませんか」

「ぐ……」

 ぐうの音も出ない、自身の負い目も理解しているリーゼは喉を鳴らす様に低く唸った。呆れた顔でリーゼを見つめるエルシアの横では、リーゼが現在の状態を確認する器具を取り出し、一つ一つを確かめる様にサイドテーブルへと並べていた。手際のよいそのままに準備を終えたリゼは、リーゼへ向くと胸元を指す。

「心肺の状態を見るので、服を上げてくださいね。カイネは後ろ向いてて」

「ああ」

「それじゃあ失礼して」

 ぴとりと当てられる聴診器のひやりとした感覚にリーゼの体が震える。それを構う事無くリゼは目を伏せ静かに鼓動と体内の状態を確認する。ハッキリと聴こえる鼓動は怪我による不調を示す乱れも無く、拍の弱さが微かにまだ残ってはいるが、十分に体を動かすには問題ない状態にまで回復していた。

「んー……うん。この具合なら大丈夫かな? 流石聖人、だっけ? 神力に伴う自然治癒力の向上は目を見張るものがあるよ」

「そうなのですか? 確かに卓越した神力操作を行えるものならば治癒能力は常人の比にならないとは聞いていますけれど……貴女方の力の方が直接的に治すことができるので凄いと思うのですが……」

「私達のはあくまで現状ある物での治療であって、特に生体に関しては復元できないからね。情報を基にしてほぼ完璧に復元できるのはせいぜい無機物、それもその物質に精通していないとできないし。私みたいに医者をやっていても、人体とかは材料があっても完全に元には戻せない」

「私も気になっていたのですが、お聞きしてもよろしいですか? リゼさん」

「どうぞどうぞ。リーゼちゃんは服を元に戻したら着替えていいですよ」

 エルシアがおずおずと手を上げる。リゼは質問に対して答える姿勢を取りつつ指示を出し、促されたリーゼは患者衣から自前の聖職衣に着替え始める。

「材料があっても元には戻せない、と仰りましたが、人体の生成自体は可能なのですか?」

「そうですね。単純にその人のパーツの複製品を作るだけなら問題ないですよ。あくまで物体として、オブジェみたいなものですけど。一応錬金術師達の間では忌避し行うべきではない行為として伝聞されています」

「それは何故でしょう」

「カイネ服も脱いでジッとしてね……理由の一つはそれを生成したとして、実際に接合した場合ほぼ間違いなく拒絶反応が起こるんです。錬成回路や窯に流れるエーテルと呼ばれるエネルギー体は、人間の血液型の様に型が違い、その差は個人差にまで細かくなっています。その体に、他者のエーテルを用いて作られた物体が接合されると、そこから拒否反応と自壊が始まり、最悪死にます……うん、カイネも問題ないね。傷もほとんど塞がっている。服着ていいよ……他には、どれだけ卓越した制御が出来たとしても、神経系含めた完全な接合があまりにも難しすぎる事も理由です。錬金術師じゃない人にはエーテルの拒絶反応は出ないんですけれど、それでも完全に細部にまで完全な接合を施すことができないので、人体生成から接合治療は原則禁止されているんです。だから、自然治癒力をひたすら高める神力の力はある意味医者にとってありがたくもあるし泣かせるものでもあるんですよね」

「……成程。私達の観点で言えば、神の御業とも言える生命の領域に人が手をかければ、相応の代償が伴う。という事ですね」

「そんな感じです。さ、二人とももう動いて大丈夫だよ。縛りつける様な真似をしちゃってごめんね」

 ぽす、と背を軽く叩くリゼの合図を受け、カイネは衣服を元の黒を基調にした服に着替える。ぴっちりとしたインナーや様々な細工が施された上着にパンツを身に纏い、手を何度か握り、開き体の調子を確かめる。リーゼもカーテンで遮られた場所で赤と黒を基調にした聖服とローブを着る。ようやく着慣れたその感触に安堵感を覚えながらカーテンを開け、リーゼは身支度を終えた事を示す。

「よし、もう問題無いのならすぐに移動するぞ」

「もう行かれるのですか? 快復してからすぐに移動はこの僻地からでは堪えると思うのですが……」

「ベッドから動けない間に、調べ途中だった資料や未読のものをエフィー達が用意してくれていたので、ここで手に入る情報は全て精査し終わりました。現状有効な情報は少なかったので、より情報の集まる場所を目指したいんです」

「では首都であるオルテナスに向かうのが一番効率的だと思います。其処ならば教会の本部もあり、国内最大の蔵書量を誇る国立中央図書館もありますし。何より人が多いので情報も多く、また身分を隠しやすいでしょう。まぁ、リーゼが側に居ない時に一度でも調べに引っかかれば逃げられませんが……」

「その提案は大いにアリだ。リーゼがこのまま当初の予定通り同行してくれるのならば、俺達としても心強い」

「私もカイネと同じ考えです。カイネは確かに強いけれど、一人では限界があります。私は戦闘に関しては門外漢なので、リーゼちゃんも居てくれれば百人力です」

 互いに頷くカイネとリゼを前に、リーゼは観念したようにエルシアに視線を送る。エルシアはそれに一度頷くと、首を傾げ言葉を促した。

「はぁ……乗り掛かった舟です。お互い助け合った縁もありますし、その旅路に同行させていただきます。幸いと言うべきか、天譴は他階級と違い定期的な報告会以外は自由に行動できる時間が多いので力になれるかと思います。ただ、教会本部からの仕事もありますから────」

「それはこちらも協力しよう。そちらにばかり力を貸してもらっていては対等の関係とは言えないからな。そちらに不都合の無い範囲で助力する。リゼもそれでいいな?」

「うん、異存は無いよ」

「ではそう言う方向で動きましょう。本日の予定は?」

「教会の方々に頼んで移動用の手段をいくつか教えて貰った。その中で費用と時間を考えた結果、列車を使うことにしたんだが……問題無いか?」

「長距離の移動ならばそれが最善でしょう。国内を走る路線は大体何処へでも行けると言っても過言ではありません。私も基本的には列車を用いているので滞りなく進めますね」

 リーゼは指折り、自身の中で移動のためにかかる時間と費用を計算する。比較的安価な一般客車でならば、教会より費用が出るリーゼはともかく自腹を切るカイネ達にと言っても必要経費と納得できるものといえる価格。時間に関しては悠長にはしていられないとは言え、金で時間を買うには些かリターンの内容が不安定である以上矢鱈に急ぐものではないだろうとリーゼは結論付けた。

「善は早まれ、ですね。教会の方や町の方に挨拶する時間はありませんが、これから広がる被害の心配を考えれば致し方ないという事で」

「善は急げだ、早まるな」

「────喧嘩ですか?」

「まぁまぁ……」

「言い間違いの指摘で喧嘩をしないでくださいリーゼ。兎角、今は少しでも早く情報を集め纏めなければならないという事なので、すぐにでも出立いたしましょう。お二人の荷物はシスター達に入口まで運ばせます」

「すみません。荷物自体は既にまとめてあるので、手間はそれほどかからないと思います。俺は少し買うものがあるから、リゼとリーゼは荷物を受け取ったら先に集合場所の駅で集まっていてくれ」

「わかった」

「承知しました」

 互いに首肯したのを確認し、各々が行動を始める。カイネは外套の状態を検め、足早に部屋を後にする。その姿を見送ったリゼとリーゼは、簡単な軽食を摂るためにエルシアと共に食堂へと向かうことにした。その道すがらにエルシアは、ふと過ぎった疑問をリゼに投げた。

「リゼさん、カイネさんは何を買いに行かれたのでしょうか?」

「私も聞いていないんですよね……多分先日の戦いでいくらか消耗品を使ったから、それかそれに対する代替品を探しに行ったんじゃないかなって」

「あぁ……確かに何か色々と隠し持っているような様子でしたね。私と共にホムンクルスを討伐した時も、丸い鉄球を投げたかと思えばカイネさんが触れたと同時に棘状となったのを見ましたし」

「鉄球が棘……? もしかして磁性流体って名前かな。前にカイネが少しだけ説明してくれたことがあったけど、戦いのために改良していたんだねぇ……」

「えぇ、鉄球を渡されてタイミングを合わせて投げてくれと言われた時は一体何をするつもりかと思いました。あの時は四の五の言わずに言う通りにしましたが」

「カイネは言わなくても伝わってるよねって感じで接してくるから、慣れていないと面食らっちゃうよね。私もたまに一拍置かないとわからないときあるし」

「ふふ……カイネさんにもそう言ったお茶目な面があるのですね。普段からとても厳格でしっかりしている様に見えるので」

「あはは、そんなことないですよー! 昔はもっと凄くて────」





 日が傾き始める頃合いを見せる時刻、忙しなく人々が行き交い復旧作業を行っている街の先。レストニア北西部にある駅舎にそれぞれ行動していたカイネ達一行は集合していた。豪奢さや荘厳さよりも、効率性を求めた設計をされたその建物には、人よりも貨物が行きかう頻度が高く、見慣れないその景色に視線を動かすカイネやリーゼの脇を、大小さまざまな荷物が横切っていく。中には片田舎に居るにはやや気取った様な格好でコートを翻す集団も居り、入り乱れた構内は煩雑な雰囲気のまま一行を呑み込んでいった。

 そんな最中に立つカイネ、リゼ、リーゼ、エルシアの四人は、雑踏から少し離れたホームの隅で出立に向けて最後の方針確認を行っていた。

「では確認だ。目下目標とすることは、オルテナスでの情報収集、及び錬金術師の痕跡の捜索。そして目標とする敵性個体を確認した後に撃破。問題無いか?」

「はい、問題ありません。私はそれと並行して聖人としての職務も行い、カイネさん達とは非公式の協力関係として扱うことでよろしいですか?」

「あぁ、それで問題ない。必要な場合の俺達の身分の保証も付随して頼んでしまうが、よろしく頼む」

「お願いします、リーゼちゃん。エルシアさんも、身分も定かじゃない私達をここまで良くしてくれてありがとうございました!」

「この街をその身を挺して守ってくれたお二方なのですから、当然の事をしたまでです。それに折角繋がれた縁、どうか今後も、私に可能な事ならば存分にお声がけください」

 互いに確認と謝辞を述べながら、ふと天井から下がる時計を見やる。時刻は間も無く列車の発車時刻。貨物を積み終えた乗客は各々が見送り人との別れを済ませ、乗車口から列車へと消えていく。いよいよ本腰を入れた出立だとカイネが足を動かそうとしたその時、軽やかな足音が三つ、人ごみを必死に掻き分け近付いてきた。

「か……カイネ様!」

「ん? エフィー、ミーナ、ユニ。どうしたんだ」

 目の前で息を切らしながら現れたのは、教会にてカイネやリゼの身の回りの手助けを担っていた三人の少女達。出立の挨拶の時に姿を見かけなかった少女達の前に跪くカイネの目の前で、金髪の少女エフィーは赤褐色の髪の少女ミーナと黒髪の少女ユニに一度視線をやると、おずおずと手を差し伸べてきた。その小さな掌の中に握られていたのは、三つ葉のクローバーが押された小さなお守りが二つ。手製と思える若干歪んだそれを、カイネの目の前に差し出す。

「そ、その……本当に本当に、ぜんぜん足りないかもしれないです、けど」

「僕達のせいいっぱいのお礼、なんだ」

「み、皆で見つけて作ったの……! カイネ様もリゼ様も、街も皆も守ってくれたから……」

「三つ葉のクローバーの花言葉は『愛』と『信仰』、あと……『約束』です。またここに、会いに来てくれたら嬉しい、です」

「…………」

 驚いた様な表情のカイネ。少しの間の後に慈しむ笑みを浮かべたリゼ。両者とも暫しお守りを眺め、顔を見合わせると、互いに微笑みながら少女達に向き合った。

「……ありがとう。そしてお礼を言わなければならないのは俺達の方だ。身元もわからない俺達の傍で助けの手を貸してくれた三人も、教会の人々も、今の俺には言葉にまとめられない程の恩がある。だから、必ずまたここへ来る」

「どうか健康に気を付けて、元気に居てね! すぐにとは言えないけれど、必ずまた会いに来るからっ」

 少女達の頭に手が添えられる。武骨な手、華奢な手がその髪を梳き、やがて名残惜し気に離された。

「それでは、リゼと共にお世話になりました。健在であれば、また会いましょう」

「はい。カイネさんとリゼさんもどうかお気をつけて。危険が伴いましょうが、お二人の活躍をこの地より祈っています。リーゼもお二人を助けながら、その身も健やかであれる様気を付けなさい」

「えぇ、もちろん」

 そうして汽車の汽笛が鳴り響く。もうもうと吐き出される蒸気が立ち上ると共に、客車へと人が吸い込まれていく。カイネ一行もそれに連なり客車の中に入り、手ごろな席を見繕うと座った。駅のホームの目前にある窓からは、少し離れた場所で少女三人と目を覆った聖人が手を振っている。それに応えるようにリゼが振り返すと、列車はゆっくりと進み始めた。硬い椅子が揺れ、窓の外はやがてホームから自然の景色へと変わっていった。

「さて……暫くは時間がかかるか」

「そうですね。途中にも小さな町や村にも経由したりもしますので、オルテナスへは夜に着く事になりそうですね。宿泊場所などは既に目星をつけていますので、それまではゆっくりとしていましょう」

「うぅん……こんな長い移動初めてだから不安だなぁ」

「何か暇つぶしでもしていればいい。俺は暫くできていなかった研究の続きを────」

「失礼、どうやら席が埋まってしまったみたいで……ここの一席を座らせていただく事はできるかな?」

 カイネの言葉の途中で入ってきたのは、朗らかな笑みと共にこちらを窺う初老の男性。フォーマルな格好で皮の鞄を持ったその男性は、一回あたりを見渡すと申し訳なさそうな声色でカイネ達にそう尋ねた。

「私は大丈夫ですけれど、カイネとリーゼちゃんは?」

「問題ありません」

「俺も構いません。人も多いようですし、ここには誰も座りませんのでどうぞ」

「ありがとうございます。お若い旅人達」

 小さく会釈をし座席に座る男性。一息ついたその様子を一瞥したカイネは、そのまま手元の研究資料に目を戻そうとして、僅かにでも内容を見られるリスクを警戒し閉じた。無論全ての研究資料は暗号化をしているため容易に理解する事は出来ないが、リスクを嫌ったカイネは僅かな危険性を排除した。そうして結局手持無沙汰となったカイネ。窓の外を眺めるカイネは、何時の間にか初老の男性と和気藹々としているリゼとの会話に耳を傾けた。

「お嬢さん達は旅を続けて長いのかい?」

「いえいえ~、実はつい先日旅を始めたばかりなんです! 広い世界を見たいなぁって思って、二人を説得して一緒に出てきたんですよ~」

「おやおや、それはいいことだ。世の中を一カ所で知るには広すぎる。若い内に様々な経験をするのはとてもいいことだ」

「えへへ……おじさまは何をなさりにこの列車へ?」

「私は仕事でセイレノアへ。あの海運都市は様々な商機がそこかしこに溢れ返っている。懐を肥やすのには最も適している場所だ。それに海産物もトルネコリス随一なんだよ」

「そうなんですねぇ……私もいつか行ってみたいなぁ」

「すぐに行けるさ。足は軽いだろう?」

 他愛も無い会話。連日気を張っていたことによる反動の緊張の緩和に加え、生来の明るさと社交性もありリゼは瞬く間に男性との話に花を咲かせていた。ふとカイネが見れば、リーゼが所在なさげに目をカイネに向けていた。だからといってその輪に自然に入れるだけの陽気さはカイネにはなく、しかし何もしない訳にはいかないと致し方なく向き直った。

「失礼ですが、少し伺いたいことがあるのですがよろしいですか?」

「私が答えられる事であれば、どうぞ」

「いえ、簡単な雑談程度に思って頂いて構わないのですが……近頃魔獣の被害が多いと聞いています。これからの旅に警戒心も持ちたいので、もし何か噂程度でも知っていることがあれば教えて頂けませんか?」

「魔獣……その切り出し方からすると例の中々死なない新種ですね。私も風の噂程度にしか認知していませんが……ああ、そういえば」

 悩ましげな表情で顎をさする男性は、ふと何かを思い出したのか人差し指をピンと立てる。

「風の噂程度だが……その魔獣は何故か人の少ない郊外の町や村には滅多に現れないとか。その姿が確認されるのは、人口が少なくとも教会支部が置かれている程度にはある街が最低の基準になっているのではないか、ともね。丁度我々が出発したレストニアでも先日魔獣騒動があっただろう?」

「なるほど……出現条件には人口密集度が関わってくると」

「人口、密集度……そうだね。それが関わってくるだろう。私が知っているそれらしき有力な噂はその程度だ。すまないね」

「いえ、大変貴重な情報でした。今後の行動指針の参考にします」

 そうしてその後も、カイネやリゼと男性は会話を続けていく。やや込み入った、頭を使う会話にどうにも馴染めずにいたリーゼは、リゼに小声で席を外す旨を伝え、席を立ちあがった。

 その時、男性が持っていた鞄の側面が偶然にもリーゼの視界に映る。特に意識した訳でもないその視線の先で、鞄の側面に何やら紋様が刻印されている事を発見した。それはサイズとしてはさほど大きくも無く、聖人としての視力強化が無ければ見逃してしまう程度の物。それに引っかかる様な見覚えを感じながら、しかし思い出せずにリーゼは他車両にある手洗い場へと向かった。

 ゆったりとした足取りで移動するリーゼは、各車両ごとにある連結部分を器用に跨ぎながら先頭方面にある手洗い場備え付けの車両へと向かう。滅多に人が移動する事が無い車両間の様子は長距離移動を頻繁に行うリーゼはよく知っており、それ故にすれ違う者も遭遇する者も居ないと考えていた。

「……ん?」

 しかし、二つ目の連結部に辿り着いた時、引き戸の硝子越しに連結部にて何やら会話をしている男二人が居ることに気が付いた。身なりは小綺麗にされ、然して怪しい様子も無い。普段ならば多少違和感を覚えながらも通り過ぎたであろう。だが、その男達の足元に先程見た初老の男性が持つ鞄と酷似した物がある事に気が付き、咄嗟に息を潜める。幸い男達には存在を勘付かれてはおらず、聴力を強化し陰から会話を聞く。

『────はどうだ?』

『あぁ、既にポイントは済んだ。後は一つ示せば始まる』

『オルドの報告で最後尾の車両に聖人らしき人間がいたと聞いたが』

『この限られた空間では大した相手じゃない。辺りには一般人も居る。それに何かあればそれぞれに渡された信号受話機に連絡が来る。そうなればすぐに動く。なにより────我々には奥の手がある』

『了解した。では────』

 不自然なワードが混じる会話。聖人とは恐らく自身の事を指していると理解したリーゼは、何やら不穏な空気を感じ取り、ゆっくりとその場を離れながら座席へ引き返していく。

(……あの会話、ただの乗客のそれじゃない。わざわざ人の少ない、それも風と駆動音で会話のし辛いあの場所でのやり取り……何か怪しい。しかし何が────待って)

 戻る足がはたと止まる。リーゼの脳裏に先程座席で談笑していた男性の鞄と模様、そして先程の会話。ピンポイントで聖人と言う存在を居場所ごと把握している事が偶然ではないとするならば、それは何故か。

(あのシンボル、教会やトルネコリス軍が警告を出していた危険団体のシンボルと似て……いや、同じ? ならあれは────)

 その答えは、即座にリーゼが自ずと導き出した。それは、今別行動の状態になっている二人を慣れない場所に、それも危険人物が真直にいる状態にしてしまっている事がどういうことなのかを理解させるには十分な結論だった。カイネがどれほどの実力と警戒心があれども、仲良く談笑するほどに関わりを持った人間から不意打ちを受けるのは、リーゼが初対面で奇襲した状況とは大きく異なる。

 脱兎の如く駆ける。車両内の通路、それも一般人もいる通路を車両内での限度一杯までの速度で走り、最後尾の車両へ走る。そして最後の扉を開き叫んだ。

「カイネさん!!」

 叫びが車両内に木霊す。乗客の殆どがこちらに向き、名を呼ばれたカイネ本人も驚いた表情と共に座席から体を捩りこちらを見ていた。

「すぐにそこからリゼさんと離れてください!! 今目の前に座っているのは列車強と────」

 叫び声が聞こえると同時に、カイネの背に陰が落ちる。カイネの隣に座っていたリゼの視界の端に辛うじて映ったのは、先程まで朗らかな笑みと共に談笑に勤しんでいた男性の、無機質な顔。そしてスーツの下から取り出したと思しき暗器の刃。それに対しての感情が追い付かない程の僅かな時間に、刃の切っ先はカイネの首筋に吸い込まれ────そしてカイネの手に生成された短刀が男性の顎下、喉元、鳩尾へと続けざまに刺し込まれた。さらに追い打ちにと、カイネは男性の首を絡め取り脊椎を外す。

「────完全に油断していた。まさかこういう形で暗器使いが潜んでいるとは……」

「大丈夫? 治ったとはいえ病み上がりだし……」

「問題無い。リーゼが危険を叫んでくれたおかげで即座に反応出来た」

「……ひとまず無事でよかったです。そして周りの方達の説明もしないといけないのでその方をその場に降ろして下さい」

「わかった」

 頷き、カイネは男の体をゆっくりと床に降ろした。完全に脱力し、生気のない顔のまま動く事の無くなった体を席の陰に動かすと、カイネは一度ぐるりと車内を見やった。そこには、突然の騒動に唖然とし、また人間の死体を目の当たりにし顔面を蒼白にした面々があった。

「どういう状況なんだ?」

「先程の男性────恐らくオルド・ヴィデンスキという名の者が持っていた鞄。そこに刻印されていたシンボルは近頃問題になっている列車強盗及び殺人を繰り返しているギャング、アウトローとも呼ばれる集団、教会や国は「背広姿ノウブリッシュ強盗団バンディット」と呼んでいる者達のものです。最近共有された情報の中にそのシンボルと同じものがあり、ついさっきには恐らく仲間であろう人間も確認し、またその男であろう名も言っていました。教会にも、人相書きの不明な名前だけ判明している人物のリストもあるのでほぼ間違いありません。つまり────」

「この列車は、そいつらに実質占拠されている……しかも乗客と言う人質付きでか」

「はい。幸いこの車両には一人しか居なかったようですが、他車両に何人いるかは全く分かりません。しかしこれを見過ごす訳にはいきません。聖人として、この国を守る者として、私が責任を以てこの事態の責任を取ります」

「なら俺達は、お前との当初の契約通りにその行動を支援する。リゼもそれでいいな?」

「うん。できる事はそんなに多くないけれど、治療なら任せて」

「ありがとうございます。では私は今から車両の皆様に改めて説明をします。カイネさんは……そうですね」

「俺の獲物は室内で振るうには大きすぎる。どれほど足音を消せるかはわからないが、偵察と奇襲目的に屋根から行く」

「……行けますか?」

「小細工をすればな。成功するかどうかは期待しないでくれ」

 そう言いカイネは傍にある窓を開け放すと、彼の背格好からは若干狭いであろうその隙間に軽やかに体を滑り込ませ車両外へと出る。風が窓から吹き込み、車内の血の臭いが薄くなるにつれて乗客達の張り詰めた雰囲気が若干緩む。そして次第に、目の前で殺人が起こった動揺の回復から、次に人々に訪れたのはこの列車に起こっている緊急事態への不安だった。辺りから微かに聞こえるそれらの声に、リーゼは一つ息を整えるとはっきりと口にした。

「皆様、私はフィアルド教にて聖人の位を賜った者、リーゼロッテと申します。今ご覧になった、そしてお聞きになったように、この列車には最近よく名をお聞きしているであろう列車強盗団が混ざり込んでしまっている可能性があります。ここで先程私の同行者に仕留められた者もその一味の一人です。この事態に不安に思う方も居るでしょう。ですが心配はありません」

 一拍置き、周囲の人間の反応はざわつきが消える。静まり返った人々はみな、聖人の言葉を待っている。それが今縋れる唯一の生き延びる道だと理解しているからだ。

「私が、そして今この事態を解決しようと走り出した彼が、ここに居る彼女が、皆様を必ず救い出します。なのでどうか、まずは落ち着いてこの車両で身を固めていてください」





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