032 諦観のサンセットクルーズ
「……で、今ここな」
船の甲板から夕映えの空を眺めながら、爆風に巻き込まれたような日々を振り返って昌真は深い溜息をついた。
豪華客船でのサンセットクルーズ――高校生同士のデートとしてはいかにも不相応なそれは、迷惑かけっぱなしの娘のためにといってあやかの父親がプレゼントしてくれたものだ。
チケットには手紙も添えられていた。
『君のおかげであやかが国民的ないじられキャラになって私としても鼻が高い。いつかその周辺について君とじっくり話がしたい』
……という色々な含みを感じさせるその内容に、今回のプレゼントも一度はお断りしようかと悩んだくらいである。
船に乗ってみたらそこに――という展開も半分覚悟していたが、実際にそこで昌真を待っていたのはあやかだけだった。
「ん? どーしたの浮かない顔して」
「……なんでもねえよ」
「ひょっとして、この前あたしが言っちゃったこと気にしてる? 昌真がマキちゃんにも言い寄られてた、って」
「……言ってたな、そんなこと。でも別に気にしてねえよ。だいたい佐倉が俺狙ってるってのはもうあいつの定番ネタみたいなもんだし」
あやかの台頭は何気に関係各位にも少なからず恩恵を与えている。
『YOYOよーちん』は亞鵺伽&ドッペル彼氏情報の発信源として視聴率が鰻登りで、近々ゴールデンに移るという噂まである。もともとトップアイドルだった佐倉はドッペル彼氏を識る数少ない芸能関係者ということでバラエティ番組に引っ張りだこで、相変わらず過激な表現で昌真との関係を吹聴しているらしい。
恩人にあたる彼らが自分たちをネタに活躍してくれるのであれば喜ばしい限りである。ただ、不慮の事故としかいいようのない形で有名になってしまったドッペル彼氏・昌真本人としては、そのキャラを未だに受け容れられないでいるというのもまた事実なのだ。
「やっぱり昌真はやさしいなぁ。あたし、どんどん好きになっちゃう」
「つか、何回も言ってるけど、くれぐれもラブホの件だけは口に出すなよ?」
「わーかってるよ! そんなこと言ったら昌真が童貞だってバレちゃうし!」
「んなこと心配してんじゃねえよ!」
あやかの発言をコントロールするなどという器用な真似は昌真にはできない。いや、そんな駱駝を針の穴に通すようなことは世界中の誰にもできないだろう。
1か0か。この件についてはデジタルで考えなければならない。そして昌真は1を選択したのだから、あやかがどんな恥ずかしい秘密を暴露しようとも甘んじてそれを受け止めるしかないのだ。
「そんで、何か報告があるとか言ってなかった?」
「うん、実はあたし、出られることになったんだ」
「出られる? 何に」
「大晦日のアレ」
「大晦日のアレ……って、大晦日のアレ!?」
「うん、大晦日のアレ」
大晦日のアレと言えばアレである。それに出られるということは、つまりそういうことである。
「すっげえじゃん! おめでとうあやか!」
「うん……ありがとう」
そう言って少し涙ぐむあやかを、昌真は眩しいものを見る目で眺めた。
ロスジェネの出場はこれが初めてではないが、ランキング圏外だったあやかの姿はそこにはなかった。あやかにとっては文字通りこれが初出場である。なるほど、あやかのお父さんからのプレゼントにはそういう意味もあったのかと、いきなりの大盤振舞に戸惑っていた昌真は少し安心した。
これであやか――藤原亞鵺伽は名実共にトップアイドルの仲間入りということになる。ぜんぶ昌真が吹かせてくれた風のおかげだとあやかは至って謙虚だが、昌真が吹かせたのは追い風ばかりではない。
反則すれすれの技でのし上がったことであやかへの向かい風は強い。その向かい風から守ってやれないことが昌真にはもどかしい。だがいつか佐倉が言っていた通り、その世界で戦っているのはあやか自身なのだ。
「この前、高岡涼馬に会ったよ」
「マジで? なんか言ってた?」
「君たちのおかげでCDが売れて困るって褒めてくれた」
「……褒めてんのかなそれ」
「大晦日のアレ、高岡涼馬も出るよ。『ホムンクルス』歌うんだって」
「え、『ホムンクルス』歌うの? 何だってまたあんなマイナーな曲」
「もうマイナーじゃないよ。あたしと一緒で昌真が有名にしたんじゃん」
「そうだっけか」
「昌真にも聴いてほしいんだって」
「そりゃ聴いてやらないとな」
「NH○ホールで」
「え、なに? 招待してくれるの!?」
「うん、特等席」
「うお、やった! すっごい楽しみ!」
何しろ大晦日のアレである。昌真も一度は生で観てみたいとかねてから思っていたのだが、抽選がものすごい倍率だということで
あやかの晴れ舞台をこの目で見られる。そればかりか俺が歌ったことで人気が出た曲を高岡が歌ってくれる。これはアツい年末になりそうだ……と思ったのも束の間、次のあやかの一言で昌真は立ち止まることになる。
「良かったぁ。あたしもう昌真連れてくるって言っちゃったし。これで高岡涼馬も一安心だね」
高岡涼馬も一安心――そのキーワードに昌真は危険のにおいを嗅いだ。
これまで何度となくあやかにジャイアントスイングばりの大技で振り回されてきた昌真である。危険を感じ取る嗅覚は良くも悪くも鍛えられつつある。研ぎ澄まされたその嗅覚が今、昌真に危険を告げていた。
……これは何かある。そこへ行くと約束する前にそのあたりをしっかりと確認しておかなければならない。
「ひとつ聞いていいか?」
「んー? なになにー?」
「なんで高岡が安心するんだ?」
「うん。なんかね、あたしと高岡涼馬、N◯Kの人から密命ってやつ? 受けたんだよねー」
「密命ってどんな?」
「ほら、大晦日のアレってその年有名になった人が座るとこあるじゃん。一番前に」
「……審査員席?」
「そう! 審査員席! そこに昌真に座ってもらうようにって◯HKの人に言われてて」
「行かねえ!
「えー! どうして!? さっきは楽しみとか言ってたじゃん!」
「さっきの流れで審査員席だなんて思うわけねえだろ! てか、俺がそんなとこ座れるわけねえだろ!」
「大丈夫! 高岡涼馬と間違われないように名札も用意してくれるって話だから!」
「そんな心配してんじゃねえ! 行かねえ!
「えーやだよ! 来てよ、一生のお願い!」
「一生のお願いこないだ使ったばっかりだろ!」
「あ、ひょっとして昌真、歌いたいの? 『ホムンクルス』だもんね、そこだけ高岡涼馬に審査員代わってもらおっか? あたしから頼んであげよっか!?」
「だからそんなこと言ってんじゃねえええ!」
暮れなずむ空と海との境界に昌真の叫び声が吸い込まれてゆく。あやかはなおいっそうムキになって昌真を説得にかかる。
やがてあやかは目に涙を浮かべ、別れると言う恋人に翻意を求めるヒロインさながら、映画のワンシーンのように昌真に泣きつく。何事かと近寄ってくる初老の夫婦に曖昧な笑みを返した後、昌真はあやかを抱えたまま思わず天を仰ぐ。
――ラブホテルの一室で初めて出会ったあの日から二人はずっとこの調子である。そして、きっとこれからもそうなのだろう。
そんな二人の行く末を祝福するように船の汽笛がぼぉーっと間の抜けた音を鳴らした。
逆襲のドッペルゲンガー Tonks @ei-shin
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