第30話 藪をつついて雌獅子を出す

 その朝、ムツミが目を覚ました時、最初に目に飛び込んできたのは、太陽を紡いだような黄金の束。


「……レオ君?」

「おはよう」

 野人の豪華な髪は、乱れてあっちこっちで飛び跳ねている。それが金色の束のように見えたのだ。

 ついと視線を逸らすと、広い部屋は透明な夏の光で満たされ、何もかもが白っぽく見えた。

「……おはよう……むぐ」

 ムツミが目を覚ますのをじっと待っていたらしいレオが、すぐさま唇を押し付けてくる。あっと驚いたところに熱いぬめりが侵入し、口腔内で思う存分に暴れた。

「ん……んむ……はぁう」

 夢中で口づけるレオを受けとめながら、ムツミは二人とも裸であると分かった。確かに昨日はレオの部屋に越してきて、二人で初めて迎えた夜だった。

 そこであーんなことやこーんなことがあったのは流石に忘れてはいないが、その記憶はムツミにとって少々……いや、かなり強烈な出来事だったのだ。

 優しく延々と続いた愛撫。そして身を引き裂かれるような痛みの後に訪れた突き抜ける感覚は、酷い痛みとほんの少し悦びをムツミに与えた。

 そんなものを一気に体験した後、おそらく彼の一部を包んだまま、ムツミは深い眠りに落ちてしまったのである。

 一夜明けても、色んなところが痛くてだるい。

 ――なのに。

「あ……やぁ! レオ君、レオ君! レ……オ君」

「好き」

 レオはその雄渾な体でつがいを組み敷いて、柔らかい胸の間に夢中で顔を埋めている。彼の長い腕も足も太い木の根のようにムツミに絡まり、それぞれがいいように這い回って胸や尻を撫で擦っているのだ。

 しかし、己の重さを自覚している彼は、ぴったりと肌を合わせはしても上手に体重を分散し、決してつがいに負担を掛けないように細心の配慮をしていた。

「あ! ああっ」

「好き……いい匂い。舐めてよい?」

 言い終わるより早く、濡れた熱い舌が、首筋をなぞる。びりびりとした感覚がムツミの全身を駆け抜けた。

「あんっ……ダメ!」

 これではまた昨夜のようなことになってしまう。嫌と言うのではないが、いろんなところが痛くて、とてもその気になれない。ムツミは必死に首を振り、ぞわりと這い上る快感を逃がした。

「ダメ……?」

 途端に悲壮な顔で野人は顔を上げた。ムツミに絡みついた腰が切なくくねる。その荒々しい感触に顔から火が出そうだ。まだそこまでその行為に慣れたわけではない。ムツミは心を鬼にしてきっぱり言った。

「無理です」

「したい……ムツミ……」

「……朝です」

「朝……」

 凛々しい眉を落としながら、尚もレオは未練がましく、薄い皮膚に唇を擦り付けて文句を言った

「……できねぇのか?」

「う……概ね、そんな感じ」

 レオの情熱に流されないように、ムツミは彼の目を見ないで言った。

「朝はキライだ」

 |剥(む)くれて頬を膨らまし、それでもレオはムツミを抱きしめる。

「まだ全然足りねぇのに」

 確かにそれは強烈に証明されている。野人は体も心も正直なのだ。ムツミは自分が意地悪をしている気分に陥ってしまった。

「ほんとにごめんね。でもちょっと体が辛いの」

「え!?」

 途端に今まで情欲に濡れていた瞳が、さっと危惧の色を刷いてムツミを覗き込んだ。

「どうした、また風邪か? 熱は……」

「あ……違うの」

 おろおろとうろたえた挙句、脇のテーブルに置いた端末に手を伸ばすレオである。レスキューを呼びかねない慌てようだ。それを止めようとしてムツミは鋭い痛みに顔をしかめた。

「いったぁ……」

「ムツミ!」

 レオは顔色を無くしてムツミを抱き寄せた。冷水でも浴びせられたかのように体が急速に萎えていく。

「……大丈夫。女の子は初めての後はしんどいものなの。少し休めばへいき……だと思う」

「……俺の所為か?」

「えっと……」

「俺の所為で体が辛いんだな」

「大丈夫だよ……」

「済まねぇ……俺、いろいろ初めてで……抑えがきかなかった……」

 レオはそっとムツミの背中に腕を入れて具合のいいように寝かしてやる。体をずらせた所為で、シーツに擦れたような赤い痕が現れた。それを見た野人の瞳が怯えたように潤む。

「これは俺が……やったのか……」

「あ、大丈夫。女の子なら誰だって……」

「済まねぇ……済まねぇ、ムツミ……俺はお前を傷つけるつもりは……」

「わぁ! 泣かないで!」

 いつかムツミがお金の事で怒った時のように、レオの目から涙が溢れだした。

「|あいつ(アナスタシア)に気を付けてやれって言われてた……なのに……痛むか? ごめん」

「……少しだけだから……泣かないで?」

「……」

「すぐに治るよ。それに……そうだレオ君は? レオ君は痛くなかった?」

「俺は……ものすげぇ気持ちよかった」

 若い野人のおとこは、泣いていても正直に言った。 

「……あんなのは初めてだった……分かってはいたけど、つがいは……ムツミは最高だ。あったかくて……柔らかい」

 言う内にあれやこれやを思い出したのか、破瓜の証を見て一旦引いていた体の熱が、再び勢いを取り戻す。とことん馬鹿である。

「……ああ、ヤりてぇ……」

 レオは切なそうに呻き、ムツミを見下ろしてその端正な顔に陰を作った。

「ケガ……治るか?」

「うん……でも少しだけ待ってね」

「ああ。大丈夫だ俺は待てる。だけど、ムツミ」

「なぁに?」

「ケガしたとこ……見せて」

「……は?」

「舐めたら早く治るかも」

「何するの!」

「見せ……」


 がすぅ


 真剣な表情でムツミの下半身を覗き込んだ野人の顔面に、小さな足が真正面からめりこんだ。

 




「え~、目なんて合ったかなぁ? 覚えてないなぁ。だってあの時僕、窒息寸前だったんだ。アナの気のせいじゃないの?」

「間違いない。タツミが私を見て、私の体に電流が走ったんだから!」

 のんびりしたタツミの言葉をアナスタシアはきっぱりと否定した。

「その瞬間分かったの。この人が探し求めていた私のつがいだって」

 そう言ってアナスタシアは、自分より一回り小柄な、愛するつがい――タツミの顎を掬って口づけた。

 一日に何回もされるものだがら、真面目極まりない純朴青年も流石に慣れっこになりつつある。

「僕にとってはその後に起きたことの方が刺激的だったよ。あのレオ君を蹴り倒して吹っ飛ばすんだもの。おかげで酷く腰を地面にぶつけたし、吐くし」

「ごめんなさい。あの馬鹿をぶちのめすことしか考えてなかったのよ。……腰は大切よね。良かったわ、大事に至らなくて……」

 アナスタシアは白い頬に血を昇らせながら独白した。昼間から際どい事を想像しているに違いない。

「うん。僕も最初は驚いたけど、今じゃアナに会えて本当に良かったと思ってるんだ。タカトウさんもそうだけど、僕も身寄りが少ない奨学生だから、自分を想ってくれる人間が傍にいるって初めてで……それはすごく嬉しい事なんだよ。きっとタカトウさんも今そう思って……」

「嫌! 私といる時に他の女の話をその口から言うのは止めて!」

 アナスタシアはしなやかな腕をヘビのようにタツミに巻きつけた。

「うわっと! アナ! く、苦しいよ」

「あ……ごめんなさい。私ったら年甲斐もなく焼きもちを……」

 確かに年齢だけは立派なのだ。年甲斐と言うのかどうかは別として。

「いいんだ。僕、焼きもち妬かれるのも初めてなんだ……照れ臭いけど、思った事言うね。アナ……君はすごく可愛い人だよ」

 タツミは素直に思ったことを口にした。もともと大人しいけれど率直な性質である。回りくどい口説き文句は知らなかった。

「君に出会えて良かった。君のつがいになれて良かった。これからもよろしく」

「たっ、タツミ……」

 アナの美しい銀の瞳から、光る膜がぶわりと盛り上がり、破けた。

「嬉しい! 嬉しいタツミ!」

「え? そんなに? アナみたいな人だったら可愛いとか、きれいだとか言われ慣れているだろう?」

「好きな人に言われたのが初めてなの! それに可愛いなんて……ほんとに生まれて初めてで……」

 銀髪の美女は、少女のように頬を染めて俯いた。そこへ、

「こんにちは!」

 現れたのはもう一人の野人のつがいである。

「あ、タカトウさん、珍しいね大名出勤なんて。もう昼だよ」

「う……うん、色々と……」

「大変そうね。お察しするわよ。それであなたの愛しいつがいは何処?」

 口籠るムツミにアナスタシアはぽきぽきと尋ねた。そこに先ほどのデレはもうない。

「……」

 ムツミはむっつりと肩越しに視線を送った。

 赤い建物の陰に情けなさそうに肩を落としたレオが隠れていて、恐る恐るこちらの――と言うか、ムツミの様子を伺っている。アナスタシアはフンと鼻を鳴らした。

「引っ越しは落ち着いたの?」

 空気を読まずにタツミが無邪気に尋ねる。

「いつか遊びに行ってもいいかい?」

「ええ、家主さんの了解があればだけど?」

 珍しく意地悪そうにムツミが言った。離れて立っていても、彼の耳にこちらの会話が筒抜けであることは分かっている。

「あの様子だと一生了解しそうにないわよ」

 御明察。レオは向こうで口をへの字にしてぶんぶんと首を振っている。

 せっかくの愛の巣に他の雄を入れたくないという、原始的な縄張り意識である。

 それを見越してアナスタシアはムツミの肩を抱いた。

「ムツミ、ちょっとこっちへ来て。ああ、女の子同士の内緒話だから、ダーリンはちょっとだけ待っていてね……お前もだ!」

 最後の言葉は、気色ばんで一歩踏み出したレオに向けてのものだ。

「そうよ、女の子同士の話なの。邪魔しないでね」

 アナに乗じてムツミも無慈悲にレオに命じる。野人は冗談でなく壁を噛んでいた。

「大変だった?」

 流石に聞こえないだろうという距離を取ると、アナスタシアはムツミの耳に口を寄せた。

「はい……今もあちこち痛くて……」

「そりゃまぁ……仕方がないわね。あいつはまだ若いし、馬鹿だし……でもね」

「ええ、分かっています」

 ムツミはまっすぐに野人の女を見た。

「レオ君、心から私を大切にしてくれているんです。ちょっと暴走気味なだけで」

「ええ、分かってくれてたら上等上等。私が保証するけど、野人の雄は人間の男よりずっと頼りになるわよ。優しいし、稼ぎはいいし、絶対浮気はしないし、なにより尽くしてくれるし。だからあなたは、にっこり笑って命じればいいのよ。あっちの方だってそのうち慣れるわ」

 美女はそう言って嫣然と微笑んだ。

「……頑張ります。私だってレオ君に負けないくらいレオ君の事、大好きなんですから!」

 最後の言葉は、建物の影から心配そうに顔を出しているレオに聞こえるよう、はっきり言った。途端に野人の瞳が金に輝く。後ろからタツミに肘当てをもらっているのにも気が付かない。

「愛してるの」

 美しく雄々しい姿、形、その心。

 彼がムツミのつがいなのだ。

「だから私も、もう野人のおんななんでです! つがいを牛耳るくらい朝飯前よ!」

 そう言って心から――

 ムツミは笑った。

 

 

 

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獅子が子猫に変わる時 文野さと(街みさお) @satofumino

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