第29話 終わり良ければすべて獅子! 3

 ジャポネスク・シティの春は薄紅色の木に咲く花に象徴される。

 桜と称されるその花は、樹の本体を覆い尽くさんばかりに咲き誇り、薄青い空に映えてことのほか美しい。

 キャンパス内の公園はたくさんの花見の人々で賑わっているが、二人がシートを広げたのは、かなり端に位置するこんもりとした丘の上だった。花のただ中にいるよりも、こちらからの方が全景を見渡せる。

「キレイだな……」

 レオは整った鼻梁を見せてうっとりと呟いた。

 その金の髪に淡い色の花びらが幾枚もくっついている。

「レオ君はハナヨリダンゴの人じゃないんだね」

 ムツミはリュックサックからハンカチで包まれた四角い箱を取り出している。小さな包みと、大きなそれと。

「獅子と桜かぁ……獅子には確か牡丹じゃなかったっけ?」

 飽かずに花を眺めている野人にムツミは、はいと弁当を差し出した。そこにはきれいにぎっしり詰め込まれたおかずがぎっしり詰まっている。

「ボタン?」

 レオは大ぶりのお重を受け取りながら、シャツに連なる小さなボタンを見下ろす。

「ボタンが何?」

「あはは、違うよ。でも面倒だから説明はしないけど」

「センセイがそんな事でいいのか?」

「うわ、レオ君も言うようになったねぇ……さすがに子ども達のカミサマだね」

 ムツミは白いコットンのシャツとブラックジーンズを着こなしたレオに笑った。服装さえ以前とは違う。中身はちっとも変わらないが。

「カミサマじゃない。スポーツインスト……なんとか」

「インストラクター」

 ムツミはタマゴヤキを口に放り込んだ。隣にレオが腰を下ろし、嬉しそうに特大の弁当箱を広げる。

 中身は大体ムツミと同じだが、米を丸めたオニギリと言われる食べ物の代わりに、くるくると花のように巻いた薄肉がぎっしり詰め込まれていた。

「美味しい?」

「うん」

 器用に箸を使いながら、もくもくとレオは弁当を食べている。しかし、その目はじっとつがいを見つめていた。

「なぁ、ムツミ? 俺考えたんだけど……」

「何を?」

 ムツみは少々警戒しながら尋ねた。

 レオが神妙な顔をして考えた事など、ムツミにとってあまり歓迎するべきことではないと、最近ようやく分かってきたのだ。だが、明日にはレオの部屋での暮らしが始まる。いつまでもその問題を放っては置けない。

 人間の女と野人の男。そこには何の障害もないとムツミは信じている。少なくとも生物学的には。

 ――しかし、

 問題はもっとデリケートな部分にあるのだ。

「ムツミ、俺、その……やっぱり……」

「……レオ君?」

「シたい」

「……」

 そう、

 問題は彼らの素直で直接的な愛情表現なのだ。

 行間を読む民族の末裔であるジャポネーゼのムツミには、中々慣れるものではない。

「したいって……」

「交尾……じゃなくて、セッ……」

「いい! 言わなくていいから! わー!」

「わーって……そんなに嫌なんか? 俺とスるのが」

「ううう、レオ君、そう言う訳ではなくて、青空と桜の下でする話じゃないよ……」

「青空とサクラの下でスる?」

 大真面目に言っている事だけに始末が悪い。体だけは大層立派だが、この野人の若者の中身は少年に近いのである。

「じゃなくて! もっと日が暮れてからと言う意味で……」

「ムツミ、大丈夫だ。心配するな。俺、あれから結構人間の事を色々調べたんだ」

「は?」

「ほんとは今すぐにでもシたいんだが、人間にはいろいろ、難しい段取りがあるってことも分かった。要するに俺が急ぎ過ぎなんだな。ちゃんとした手続きを踏めばムツミも安心するんだろう? だからこれ……」

 レオは突然ごそごそと尻のポケットを探りだした。

「これ、やる。今すぐつけてくれ」

 差し出したでかい手の真中にちんと置かれた四角いケースは、どこから見ても男性用装着式避妊具。

「きゃあ! こ、これ! これを……」

 つけろだと? いまここで?

 ムツミが真っ赤な顔でワナワナと震えだした。

「……え? ひ!」

 自分が致命的な間違いをしでかした事に気付いて、レオの顔から血の気が引く。

「うわぁあああ! 違った! 違うんだムツミ! コレじゃない! いや……コレも使うが……今は違う! ここここれを渡すつもりだったんだ!」

 レオは大慌てで別のポケットを探って、再び手を差し出した。しかし、ムツミは今にも逃げ出しそうにそっぽを向いている。

「済まねぇ……ムツミ、こっち向いて」

「知らない!」

「そんな事言わねぇで……俺が悪かった。頼むから機嫌直してこれを見てくれ、な?」

「……」

 大きな体を折って懇願する男に、不承不承ムツミは向き直った。大きな目に不審の色が濃い。しかし、レオはつがいが自分を見てくれた事だけで、安心したように頬に血を昇らせた。

 長い指がゆっくりと開く。

 そこには深い青の古風なベルベットのケース。

 レオは片手で器用にそれを開けた。深い藍色のサテンの中にキラキラと輝いているそれは――

「リング?」

「そ……らしいな。ケッコンするつがいに贈るもんだって、ある男に聞いたもんで」

「きれい……これ、イエローダイヤモンド?」

 ムツミは憤慨も忘れて希少な宝石を見つめ、うっとりと呟いた。

「そ、そんな名前だったな……コハクとか言う石もあったんだが、こっちの方が値打ちがあるって言うもんだから……」

 それは闇の中で光るレオの瞳だった。

「レオ君の目の色ね」

「分かるか? その……いつも俺がお前の傍にいてるって思ってもらえたら……つけてくれるか?」

「うん、これだったら今すぐつけるよ」

 ムツミは嬉しげに箱に手を伸ばした。

「あ、待て。俺がハメる」

 レオはケースからリングを外すと、ムツミの背に合わせて片膝をついた。彼は知る由もないが、それは古来から女に愛を乞う時、人間の男が示す儀式なのだ。

「タカトウ・ムツミ。どうか俺とケッコンしてくれ……ださい」

「はい!」

 ムツミは精一杯元気に答えた。

 さっきまでの不機嫌はもはや大気圏外である。

 細く短めの指に、些か不釣り合いな立派な指輪をはめてもらい、サクラを被せた青空に透かしてみる。それは春の陽にキラキラと輝いた。

「ありがとう……一生大事にするね。でも仕事の時とかは外すけど」

「え?」

「だって、こんなすごいもの学校で付けらんないよ」

「そうなのか……」

 たくましい肩が気の毒な程下がった。レオにしてみれば、これで四六時中ムツミは自分のものだという、タグをつけたように思い込んでいたのである。

「外してしまえるのか……」

「ごめんね。でも絶対に無くさないから」

「なくしたって、また買うからいい」

 気を取りなおしてレオは宣言した。

「そういう事言わない」

「けど、こっちも是非試してみたい……これを使えばムツミの希望をかなえつつ、俺の悲願も果たせる……人間は便利な道具を作るんだな、よし、今夜にでも……」

 さっきムツミの不興を買ったばかりのもう一つの箱を眺めながら、最早胸中の決意がダダ漏れの野人に、ムツミは今度こそ逃げ出した。

「馬鹿! レオ君のえっち! すけべ!」

「え? え? おい待て、ムツミ!」

 レオは訳が分からずに、大慌てで追いかける。

「リングを贈ってケッコンしたら許されるんだろ! ちゃんと――」

 人間の段取りは全部完璧に踏んだはずだ。

「なんでだ!」

 とりあえずつがいを捕まえなくては。

 ――この腕の中に。

 ムツミは笑いながらサクラの坂を駆け下りている。駆けながらふわっと振り返り、レオに向かって手を振った。

「レオ君!」

 呼ばれた。

 ならば、駆けつける。何があろうと、どこまでも――

「ムツミ」

 レオは大喜びで地を蹴った。花びらがふわりと舞い上がる。

 あと三秒で追いつけるだろう。

「絶対に放さねぇ」


 それが野人の恋なのだから。



 

 

 

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