第28話 終わり良ければすべて獅子! 2

 シンジョウは傷ついた血管が塞がると、車椅子に乗ってすぐに仕事に復帰した。やり残した仕事と、自分に降りかかった事件の後始末をする為に。

 その後は早期退職に志願し、半年後に勇退の予定である。公安局ではかなりの長きに渡り、第一線で仕事をしてきた彼だったので、内々では非常な混乱があったようだが、それについては彼は何も言わなかった。

「仕事ならもう一生分やったんで、残りの人生を楽しむことにしたよ。せっかく娘ができたのに、殺されてはたまらないしね」

 すっかり調子を取り戻した彼はいつものように飄々と嘯いた。レオに肩を抱かれたムツミを見るときだけ、彼は小さく微笑む。

 彼は退院の際、娘に向かって頭を下げた。

「見守ることを許してくれてありがとう」

 彼の妻と同じように娘も、自分の力で人生を切り開くことを望んだ。愚かな男は手助けさえ、させてもらえない。

 彼は苦笑と共に、それを受け入れたのだった。

 満ち足りてはいない。だが、非常に気分がよかった。

 

 そして――もう一人の男は。

 病室ではさも無関心な風でシンジョウの昔話を聞いていたレオだが、実は心に切々と訴えるものがあったらしく、レオはジャポネスクシティでの仕事を終えた後は、ハンターの依頼を一切受けなくなった。

 西の大都市、ロマネスク・シティから幾つも儲けのいい依頼があったにも拘らず。

「俺は仕事よりもシアワセがいい」

 レオは、ムツミとシンジョウの前でおごそかに宣言したのだ。

 仕事で大切なものを失ってしまったという、シンジョウの話が余程堪えたのだろう。

 ハンター仲間の同朋からはいくつか、からかいのメールが届いたようだが、もともと野人は群れを作らないし、特に雄はつがいの為につくすことを最大限に尊重し合うので、トラブルにもならなかった。

 彼はムツミの就職先である小学校の教師、アズミの斡旋で、地区のスポーツ教室の非常勤コーチになった。正式な戸籍や出生証明と言うものを持たぬ彼であったが、その辺りはシンジョウ公安局長官がうまく動いたと見える。

 得られる報酬はハンターのそれとは比較にもならないが、レオにとっては全く問題はない。大手を振ってムツミといられる時間が増えたからだ。

「子どもは面白い」

 レオはそう言っていたが、今ではムツミはただ単に精神年齢が近いからだと思っている。

 

「そう言えばレオ君って何歳なの?」

 構内のカフェでタツミ達とお茶を飲んでいた時、ムツミは思い切って尋ねてみた。アナスタシアの件で、野人の実年齢と見た目が大きな格差がある事を知ってから、レオの年齢が気になって仕方がなかったのだ。

「あ……答えたくないなら別に……」

「正確にはわかんねぇけど、大体三十年とちょっと生きてる」

 気を使うムツミに、レオはあっさり言った。周囲でこっそり聞き耳を立てていたギャラリー達に、密やかなどよめきが走る。何人かの女学生は盛大に紅茶を吹いていた。

 驚きはムツミも同様である。

「ええっ!」

「ひゃああ! オヤジだぁ」

 どう見ても二十才前半にしか見えない、皮膚も艶やかな美丈夫が、アラサーだなんて。

「オヤジ?」

「おじさん」

 きょとんとするレオにムツミは頷いて見せた。オヤジと言う言葉は彼の語彙にはないらしい、知ったら怒るだろうか? それとも泣くだろうか?

「おっさんだよねぇ」

 タツミも意地悪く同意する。

「餓鬼よ」

 アナスタシアはあっさり断じた。

「野人の三十歳なんて、人間でいえば中学生よ。子ども」

「うるせぇ、婆ぁ!」

 犬歯を見せてレオは言い返した。

「フン、そういう所が、餓鬼だってのよ。生殖能力だけは一人前でさ。いいこと? がっつくんじゃないわよ」

「アナさん!」

「ムツミもいい? こいつの言いなりになってたら身が持たないわよ?」

「……肝に銘じます」

「命じなくていい!」

 実はそれほどの事は、まだない二人なのだが。

「僕も肝に……」

「タツミはがっついていいの! ねぇ、お願い……今夜も離さないでねぇ、ダーリン」

「ひぃい」

 明るい昼下がりの出来事である。

 

 ムツミはレオの部屋で一緒に住むことにした。

 何にもなかった彼の部屋がムツミが持ち込んだ品々で、生活感あふれる空間になってゆく。

 それは、レオの満たされてゆく心とと同じであった。

 ちまちまと料理を作るムツミに、レオは内心びくびくしながら自分の、野人の食の話をしたが、ムツミはレオの収入が減ったことに頓着しなかったように、人間とは異なる野人の習慣にも平気だった。

「生のお肉を食べるなんて別にどってことないわ。私達の祖先は、取れたてのお魚を生で食べてたんですからね。サシミとか言って。だから大丈夫、好きなだけお肉食べてね」

「……気持ち悪くないか?」

「大丈夫。でもお箸は使ってね」

 レオにはただの木の棒に見える、繊細な塗りの箸を渡しながらムツミは笑った。

 レオはとても優しい。

 重いものは決して持たせないし、彼にはとても弱々しく見えるらしいムツミの体を、いつも労わってくれる。実際は別に弱くはないのだが、レオはひたすら構いたがるのだ。

 また、教えたことは比較的早く飲み込むし、手先だって存外器用で、機械の修理などはお手の物だった。

 甲斐甲斐しくムツミに尽くす様は、当のムツミでさえ驚くくらいなのだ。こんなに優しい人が危険なハンターなどと言う仕事を、今まで良くできていたなと思う。だが、その仕事について尋ねることは、ムツミはやめておいた。きっとレオは辛そうな顔をするに違いないからだ。

「お肉、薄く切ってオショーユつけたら、きっと美味しいよ」

「ああ、分かった。そんで……そんでな、ムツミ」

 ムツミは野人を、野人の習慣を否定しない。分かっていたがレオは非常に嬉しかった。期待に胸を膨らませて勢い込んで尋ねる。

「いつこの部屋に来てくれるんだ? 今すぐでもいいぞ、今すぐ!」

「えっとねぇ……今のお部屋の契約が切れてからかな?」

「いつ切れるんだ。切れないとダメなのか?」

 のんびりとした答えに、がくりと気落ちしながらレオは尚も迫った。

「ダメじゃないけど……でも、短かったけどお母さんとの思い出もある部屋だし……色んな物を整理して、お掃除もして……一月ぐらい後かな?」

「待てない……今すぐ来て」

 レオは小さい体を引き寄せ、熱っぽい吐息を耳朶に吹きかけながら哀願した。

「これ以上我慢したら、俺死ぬかも」

「大丈夫。そんなに簡単に死んだりしないわ」

 せっかくムツミの情に訴えようとした姑息な手段は、朗らかにくつがえされる。それはまるで優しい姉か教師が、しようのないいたずらっ子に説いて聞かせる態度に似ていた。以前からレレオの中身が、外見ほどハードボイルドではないと思っていたムツミだったが、アナスタシアから聞いた言葉でそれが確信に変わったのだ。

「もう少し待ってね。それに、レオ君には(教室の)子どもがいるんだし。死ぬなんて、そうそう言ってはいけない言葉よ」

「んんん~~ムツミ……むっちゃん、そうじゃなく……、くそ! なんてったらいいんだ……あの……コレ」

「え? きゃあ!」

 レオは切なそうに足の間につがいを挟んだ。

 ムツミはこれでも教師だから、思春期の男子の厄介な現象について、一応の知識はある。性教育のレクチャーも受けたし、実際に授業もしたこともある。しかし、これは……こんな露骨に強請られては、雰囲気色々ぶち壊しである。

「レレレレオ君?」

「な……? ムツミ」

 レオはつがいの名を呼びながら、キスの雨を降らせた。突き上げる愛しさで体中の皮膚が粟立っている。早く触覚で、視覚で、嗅覚でつがいを味わいつくしたい。普段から鋭い野人の五感は、交合の前にさらに鋭敏になるのだ。

「お……俺もう」

 若い野人の息が荒い。ムツミの首すじに鼻を埋め、夢中で匂いを嗅いでいる。

「や……レオ君、レオ君ってば……あん……苦しいよ……少し離して?」

「嫌だ。いやだいやだ、イヤダ」

 レオは駄々っ子のようにイヤダを繰り返し、まるでドでかい赤ん坊である。その太い指先は、大きさの割にけしからぬ器用さを発揮しながら、するするとムツミの編まれた髪を解いてしまった。

 豊かな髪がゆるやかな編み癖を残し、背中に流れる。鼻腔に甘い香りが広がった。

「ううっ、ムツミ……むっちゃん……キスする。舐める」

 うっとりとレオはムツミの顎を捕えた。

「ん~ダメ~」

 野人は聞こえぬふりを決め込んでいる。その長い指が偶然を装って胸にかかった。無論確信犯である。

 その優れた聴覚を知っているムツミは、少々頭にきて言った。

「レオ君ってば」

「……」

「いい加減にするの!」

「!」

 愛撫の手がぴたりと停止した。金にけぶる瞳が、恐るおそる支配者たるつがいを見上げる。

「急にそんな事しちゃダメ!」

「そんな事……って交尾の事か?」

「こっ……コウビ?」

「そう。だって、ムツミは俺のつがいだろう? そんで俺はムツミのつがい。なら……」

「あのね、レオ君」

 噛んで含めるようにムツミは言った。

「女の子は急にはそう言う事できないの。それに、そんなに何にもなくイキナリわーってしちゃったら……困った事になるかも……赤ちゃんとか」

 このまま情と力で押し切られてはムツミに勝ち目はない。

 レオの事は大好きだが、こんなに何もかもすっ飛ばして子どもを作る訳にはいかない。

 苦労してきたムツミは常に現実的なのだ。しかし、恥ずかしくて代名詞ばかりになってしまった説明は野人には当然理解できていない。

「それは、いけないの」

「いけないのか?」

 欲情に目も眩みそうなおとこを止まらせる存在は、やはりつがいだけなのだ。

 レオは渋々僅かに身を離した。しかし、その手は未練がましくゆるゆると滑らかな肌を擦っている。

「なら、いつならいい?」

 子孫繁栄を願うのは何も人間の専売特許ではない。野人は繁殖し難い種だから、子を成すのは雄の本能なのだ。無論、すぐにできるわけでもない。つまりで勝負なのだ。

「……そりゃね、いつかはきっと欲しいけれど、私もお仕事始めたばっかりだから、今はダメ。何年か待ってね」

「待つ? なんねん? って年? 日じゃなく?」

 言いながら目の前が真っ暗になった。

 これ以上我慢したら死ぬかも。

「今すぐ交尾……したい」

「待つんです! それから交尾なんて言わないで!」

 物欲しさ全開の視線を見ないようにしてムツミは叫んだ。

「じゃ、じゃあなんて言うんだ?」

「セ……いやいやいや! 知らない!

 レオ君、と、ムツミは野人をがっきりと見据えた。

「もう少し人間……いや、女の子の心理を調べなさいね!」

「うう」

 野人のおとことしては頷くしかない。

 

 

 

 

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