第27話 終わり良ければすべて獅子! 1

「私の顔を知っていたか……ムツミ」

 搬送された病院で父と娘は初めて向き合っていた。

 あの後すぐにレスキューが駆けつけ、速やかに処置されたシンジョウは、即入院となった。

 銃創自体はさして大きくはなかったが、動脈を傷つけていたので足は固定されたまま、しばらくはベッドから降りられない生活になるという事だった。

 狙撃手は未だ逃走中だったが、黒幕には見当がついているシンジョウは、病床にありながら幾つかの指示を矢継ぎ早に部下に命じる。そこには人生を仕事に捧げた男の厳しさがあった。

 現在当局は、市のゲートを全て封鎖し、市内中に包囲網を巡らせている。ニュースはこぞってこの事件を伝えていた。ジャポネスク・シティでは久しぶりの大捕り物と言う事だそうだが、ムツミにはそんなことはどうでもよかった。

 初めて見る父であった。

 白髪混じりの髪は短く、体つき自体はがっしりしているが、疲労の色が濃く顔に出ている。

 レオは寝台から少し離れた病室の出入り口の壁にもたれ、忠実な番犬の役を担っていた。

「知っています。お母さんが一枚だけ取っておいたのを見せてくれたから。これです」

 そう言ってムツミが見せたのは、若い父と母が並んで移っている一枚の写真だった。二人とも若い。

「万が一間違うといけないから持ってきました」

「そうか……済まない。メグミ……メグミは……俺を全ては捨ててしまわなかったんだな」

 シンジョウは弱弱しく微笑んだ。その目元に濃い隈が出来ている。

 やつれたその顔を見てムツミは、男に同情を感じた。初めて言葉を交わした他人も同然の父親である。母から見せられた写真とは、年齢も髪型も雰囲気もまるで違う。なのに、騒然とする店内の椅子に横たわり、苦痛にゆがむ顔を見ただけでその人と分かってしまったのだ。

「……お父さんは私の名前を知っていたんですね」

「ああ、メグミがこの街を出ていく時に教えてもらった。いつも人とうまくやっていけるように、睦美……ムツミとつけたと。そしてその口でもう会わないと告げられた。当然の結末だ」

 シンジョウの口調に苦さが混じる。

「大きくなったな、ムツミ」

「……」

「実は二人がこの街に戻って来てから……我慢できなくて、こっそり見に行ったこともあったんだ」

「堂々と会えばよかったのに」

「メグミはそういうとこ厳しいから……怖かった」

「うわぁ……分かります」

 心根は優しくも、普段は大変厳しかった母を思い出してムツミは笑った。

 その笑顔が病室の二人の男を打ちのめす。

「済まない、ムツミ。ゆ……許してくれとは、如何に俺が恥知らずでも言えないが……だが、俺が愛した女はメグミだけだったんだ……こんなに馬鹿な男でなければ、お前と三人で暮らせたのにな」

 壮年の男は静かに瞼を閉じた。

「最後にやっと会ってくれた時には彼女はもう起きる事さえできなくなっていて……」

 助からぬ病と知っていた。

 男の目尻が濡れる。

「馬鹿ねと言われた。メグミは生涯俺を許してくれはしなかったんだ」

「じゃなくて。許すとか許さないとかじゃなくて、母は満足して安らかに往生しましたよ。誰にも頼らずに私と二人で生きていくことが好きだったようです。現に、この写真の人があなたのお父さんと教えられてからは、私はずっとあなたの事を父と認識していました。母も別にそれを咎めたりはしなかったし」

 母を愛していると言った父の心情を目の前に、胸に迫る熱いものがあったが、ムツミはあえてそれを抑え込み、淡々と言った。その方が伝わると思ったからだ。

「そうか……だからお前は俺をお父さんと呼んでくれたんだな」

「お母さんはお父さんの事をきっぱり諦めたんだと思います。別に恨んだり、怒ったりはしていませんでした。そんな事は無駄だと思っていたんじゃないでしょうか? それよりも働いて、自分の力で生きていくのを楽しんでいましたよ。たくさん趣味も持っていたし」

「……そうか、目に浮かぶな。……親しい男性はいなかったのか?」

 いつも生き生きと前向きだった女性を思ってシンジョウは微笑んだ。

 彼女は切り捨てた男のことで自分の人生を台無しにはしなかったのだ。それは正しくもあり、捨てられた男にとっては、自分の所為と分かっていながらほろ苦い現実だった。

「さぁ? 仲の良い人はいたみたいですけど。でも、全部お友だちだったと思います。私にも会わせてくれたし。でも、私には相当厳しかったです。ちゃんとした教育を受けて、一人でも生きていけるようにってずっと言って聞かされてきました。でもそのお蔭で、母が亡くなってから辛くてもやって来れた。けれど……」

 ムツミは自分を見上げるシンジョウを見て、それから向こうの壁に凭れてまっすぐ自分を見ているレオに視線を向けた。

「でも、やっぱり私にも好きな人ができたわ……」

 レオがその言葉を受けてウンと頷く。

「好きな人?」

 娘の視線を負ったシンジョウはがくりと顎を落とした。

「え? って、おい! ちょっと……ウソだろ?」

 シンジョウは余程驚いたらしく、半身を起こし――痛みに顔を顰め――それでもレオに向かって声を上げる。

「お前たち……知り合い? それともこれは何かの陰謀か!?」

 口調までがらりと変わっている。きっとこれがシンジョウの素顔なのだろう。

「許さんぞ! 俺の……俺の娘をっ……!」

「お父さん!」

「ムツミ! こいつはっ……」

「落ち着いてください。陰謀だなんて……そんなの何処にもありません」

「しかしっ!」

「ないんです」

 きっぱりとムツミは告げる。

「!」

 その姿が妻に非常に似ている事にシンジョウは男は初めて気が付いた。

「……済まない。つい……ハメられたかと……最早病気だな」

 ぜいぜいと息を突きながら、娘に助けられてシンジョウは身を横たえた。

「これも自業自得か……」

「それは知らないけど、私とレオ君はお父さんの仕事とは関係なく、以前からの知り合いなのです」

「……付き合っているのか?」

「……はい」

 ムツミは恥ずかしそうに頷いた。

「ツキアイ?」

 いつの間にか傍に来ていたレオが、耳慣れない言葉を聞いて心配そうにムツミを見た。

「えっと……恋人同士って意味」

 ムツミは父の前で照れながら言った。

「この男は野人だぞ」

「知ってます」

「野人と知って付き合っているのか?」

 シンジョウの口調に含まれるわずかな嫌悪にムツミはきっと顔を上げた。

「野人は人間とは種が違う」

「知ってます。でも私は野人も人間も関係なく、レオ君だから好きなんです。彼は信頼できる人だわ。お父さんもそう思ったからお仕事の依頼をしてたんじゃないのですか?」

「……そうだな……済まなかった。ははは、会ってから謝ってばっかりだ。そもそも俺はお前に何か言う資格などない人間なのに」

「資格はないです。でも、私の為に言ってくださったんですよね? その気持ちはありがたいです」

「そうか……ムツミ……今更何をと思うだろうが……」

 シンジョウは体を改めた。身を起こそうとしているのだと知って、ムツミはその背に枕をいくつかあてがう。何を言われようと自分は何も変わらないが、父の気が済むようにしてやりたいと思ったのだ。

「本当に済まなかった。お前にもメグミにも。メグミを確かに愛してた。でも、俺が道から外れてしまったんだ。ずっと……孤独だった。それが自分への罰だった」

「……」

「ムツミ……」

「もういいですよ。ぶっちゃけ、今日初めて会った人に謝られたってピンときません。でも……」

「……でも?」

「援助してくださってありがとう。実は結構助かってたの」

「え?」

「してくれてたでしょ? 実際それがなかったら会いに来なかったかもしれない。最初からお礼を言うつもりだったから」

「あんな、あしながおじさんの真似事で……」

「経済的にもだけど、私は一人ぼっちじゃないと思えたから」

「アシナガオジサン?」

 レオが口を挟む。ムツミはふふと笑った。

「大切な人をこっそり支援する事の例えよ。旧世界の物語なの」

「俺なら真っ向からお前を守る」

「レオ君ならそうね」

「守る。絶対」

「うん、ありがとう」

「だからこっち向いて。こんな奴見るな」

 さっきからムツミが自分を見てくれないので、面白くなさそうだ。

「レオ君ったら」

「お前……」

 いつも無口で取りつく島もなかった護衛の野人が、自分の娘に蕩けるような目を向けている。その余りの格差にシンジョウはげっそりんだ。この数時間で信じられないような事ばかり立て続けに起きて、もう許容量は限界だった。

「こんな奴って……私はその娘だよ」

「だが、つがいから捨てられた最低な奴だ」

 野人はきっぱり断じた。

「レオ君、言い過ぎ。大人には色々あるんだよ」

 ムツミは物わかりのいいところを見せた。

「……こんな親父を庇ってくれてありがとうな」

 シンジョウはすっかり肩を落として二人を見ている。やっと会ってくれた娘は既に他の男のものだったのだ。

「あ、そうだ」

「ん?」

「アナの呪文を調べたんだ、俺」

「?」

「こんな事は不本意なんだが、仕方ねぇ。全く人間は面倒だ」

 レオはしぶしぶムツミを離すと、シンジョウに向かって姿勢を正した。

「ん?」

「は?」

 ぽかんとしている二人の前で金色の鬣が下げられる。

「オトーサン、ドウカオジョーサンヲ、オレニクダサイ」

「え? レオ君!?」

「……ああ、そうくるか……それなら私も正面切らねばなるまいよ」

 シンジョウもゆっくり頭を垂れた。

「娘を頼みます。私にはもったいない、いい子です」

  

 

 

 

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