中人たちとの遊戯

naka-motoo

損を被る職業

『先生』という言葉がこれほど無意味な時代があっただろうか。

 今、先生と呼称して尊敬されている職業にはなにがあるだろう。


 政治家?

 医師?

 弁護士?

 作家?

 いいや。もし作家をミュージシャン等と同様アーティストに分類するのだとしたらそういう議論以前の問題だろう。だって、ストーンズのことを「先生」なんて呼んだら本人たちからぶっ飛ばされるだろう。

 プロ棋士?

 武道の師範?

 研究者?

 研究者ならセンセというのがお似合いかも。


 教師。


 そもそも人にモノを教えるから先生というんだとしたら、教える資格のない人間は先生ではないのだろう。テキスト解説者や事務部分だけの運営者ならばそれは先生とは呼べないのだろう。


「高嶺さん。おはようございます」

「・・・三谷先生・・・生徒にシメシがつきませんからわたしのことも高嶺先生、と呼んでください。あるいは『教頭』とか」

「え。名前に『さん』ではいけないんですか?」

「だから高嶺と名前を呼んでその後ろに『先生』とつけてください」

「ふーん。ずいぶんくだらないことを気にかけられるんですね」

「くだらない・・・ですかね」

「だって。合理的な民間企業では『さん』付で呼んでますよ。年齢や役職に関係なく」

「他所は他所です」


 終わっている、と三谷は思った。けれどもそういう扱い方をされて幸せなのならばそうしてやろうという情けだけでもって三谷は同僚の教師たちをあしらった。


「ミタニさーん」

「ああ。ヤベくーん」

「ミタニさーん。今日もエロいねー」

「ははは。ヤベくんこそ妥当だね」

「なにその『妥当』って」

「『中学生ならこんなもんでしょ』って感じかな」

「傷つくなー」


 三谷は自分が数学を受け持つ3年2組の矢部と登校時のいつものじゃれあいを交わした。三谷は卵色のポロシャツに黒のスリム・デニムという特筆すべきポイントのないファッションが常だったが、矢部はそのジーンズに包まれた脚の細さを隠微なものと表現した。中3男子にありがちな反応なのだろうと三谷は考え、更に矢部のシルエットに視線を遣るが矢部は地方公立中学の制服なのでコメントのしようもなかった。

 他の男子が通りかかり『おはようございます』の代わりの応答をした。


「へっ。三谷だよ」

「おいこらテメエ」

「な、なんだよ・・・」

「ちゃんと『さん』付けしろこのボケが」

「て、テメエこそ教師の癖にテメエとか言うな」

「やかましい! 礼儀を知ってるくせに無礼な奴には今のうちに叩き込んでやる。お前はダメだ」

「な、なにがダメなんだよ」

「すべてにおいてダメだ。帰れ、このボケ!」

「う・・・ああ! 帰るぞ! 三谷! テメエのせいで授業に出れなかったってネットで広めてやるよ!」

「やるなら覚悟しろクソが。テメエのツイートに全部わたしが返信して論破してやるよ。テメエのフォロワー、ゼロになるかもな」

「み、三谷!」

「おい・・・やめとけ」

「なんでだよ!」

「三谷・・・さん、は本当にそれをやっちゃったんだよ。ほっとけ」

「・・・」


 ・・・・・・・・


「はい。じゃあこれを佐藤さん」

「・・・」

「佐藤さん・・・大丈夫?」

「は・・・い。だ・・・いじょうぶ・・・です」


 三谷は午後の数学の授業で設問の解答を指名した女子生徒の顔面が急激に蒼白になっていくのを目にして、何か深甚な事態が生じているだろうことを即座に理解した。まずは佐藤の安全を確保しようと考えた。


「佐藤さん、気分が悪いんでしょう。誰か佐藤さんを保健室まで連れてってあげてください」


 だれも反応しない。


 佐藤が教室でやや浮いているのを三谷は雰囲気で感じ取った。


『下剤? マジ?』


そういう声がクスクスといくつかの座席から笑い声と共に聞こえた。


 三谷がもう一度保健室へと促すと教室の隅からほとんど聞き取れない微かな声が三谷の耳に届いた。


「ゲリマンジル佐藤」


 特に視線をそこへ遣ることもなく三谷は呟いた男子の座席へと歩んだ。そのまま机をコンバースで蹴り上げた。


 ズシャ、と机の中のテキスト類がぶちまけられた後、ゴワンゴワンと机自体が二回転する勢いでの蹴りだった。

 無言になる教室。


「誰か、佐藤さんを」

「わ、わたし行きます!」


 このクラスの中では一番良識と良心がありそうな女子が佐藤の背中に手を添えて歩き出した。


 ・・・・・・・・・・・


 三谷が最終時限の授業終了から事務仕事を終えて通勤に使っているクロスバイクを駐輪場に取りに来ると、男子生徒が5人立っていた。


「どいてくれるかな」

「やだね」


 5人の内一人が制服の袖から細身のナイフをするっと滑り落とし、クロスバイクの前輪をそのまま刺した。


「・・・」

「次はこっちだ」


 後輪も同じように刺す。


「三谷。無茶苦茶だろ、テメエ」

「そうかな」

「でも美人だ」

「そうでもないよ」

「少なくともをする時の鑑賞に耐える顔だ」

「どうも」

「ナイフ突きつけての方がいいか? それとも合意の上がいいか?」

「どっちもやだね」


 ゴス


 三谷は右手に持っていたデイパックを振り子のように右から左へ払うように振り、ナイフを持つ男子生徒の左手の甲を潰した。


「うああああ!」

「おいおいおい!」


 ドス


 次に拳を突き出そうと反応した別の男子の腹にテニスのバックハンドのようにデイパックを振って布の底あたりを当てた。瞬時に駐輪場のアスファルトに膝をついてぎゅうぎゅうと自分の両手で腹を絞るように抑える男子。ほとんど声も出せないが、あ・あ・あ・あ、と短い息遣いで死ぬ直前のような蒼白な顔色に変わる。


「どいて」


 残りの3人にそう言うと三谷はパンクさせられた前輪をはずしてリムからチューブラーのタイヤを刮ぎ剥がしてデイパックからスペアのタイヤを出し、リムセメントでスムースに固定していく。後輪も同様にする。作業用の道具を出す過程でデイパックから黒い塊が出てきた。


 鉄アレイだった。


「行ってもいいかな」

「は、はい・・・」


 ・・・・・・・・・・・


「あなたが三谷先生ですか!」

「はい。三谷です」

「ウチの子供に怪我させてなんでそんんなに落ち着いてるんですか!」

「ああ。彼のお母様ですか」


 校長室のソファ。

 三谷が防犯のために常にデイパックに仕込んでいる鉄アレイで拳を砕かれた男子生徒の母親と父親が、校長、教頭、学年主任、三谷の上座に座り、三谷の打ちひしがれた表情の前に勝ち誇りたかった意向とはまったく真逆に、三谷は無表情に茶をすすりながら言い放った。


「彼、わたしをレイプしようとしたんです。ナイフで脅して」

「な・・・なにを!? ナイフを持っていたって言うエビデンスは?」

「エビデンス、て。わたしちゃんと防犯カメラの映る真正面の位置に彼を誘導しましたから。データもわたし個人で保管しました。に削除されたらつまらないので」

「け、警察に・・・」

「あ、行きますか! その方が手っ取り早いですよね。彼にどういう前科がつくのかわたしは法律が専門じゃないのでちょっとわからないですけど」

「くっ・・・く・・・く・・・!」

「もう失礼してもよろしいですか? 授業がありますので」

「三谷先生! ご父兄にきちんと応対しなさい!」

「教頭センセ。これ以上のことはわたしの雇用契約上の職務範囲に含まれていません。生徒の学業の進展をフォローするのがわたしの教師としての職務であって、レイプ未遂をしたの人格再構築までやってたら永久に仕事が終わりません。もう、いいですか? 他の生徒たちの授業を受ける権利とわたしが授業を行う義務を放棄するわけにいきませんので」


 全員、無言のまま数十秒経った。


「では、失礼します」


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