第29話 遥かなる後日談

「ねえ、絵本読んで」


 やっととこについてくれたものの、一向に眠る様子を見せない、娘が言う。


「ダメよ。今日はもう一冊読んだでしょう」


 母である私は、がんとして断る。


「あれは面白くなかったの」


「あら? 今すごく人気の絵本なのよ」


「個々のシーンが面白いのは認めるけど、一連性が弱かった。話があちこちに散らばって、作者が言いたいことが、最後まではっきりしない」


 小学一年生の娘の口から飛び出した、高度な批評に、私は度肝を抜かれてしまう。


「ってインターネットで悪口を書かれていたの」


「もう、びっくりさせないで。我が子が、天才になったかと、ぬか喜びしちゃった」


「失礼しちゃうわね、私は元から天才児じゃない」


 欠けた前歯を見せてワンパクに笑う様子は、愛娘ながら、知性の欠片も見当たらない。


「ねえ、絵本はやっぱりダメ?」


 娘が、精いっぱいカワイイ顔を作ってねだる。


「お勉強の本なら読んであげるわよ」


 今がチャンスと、私は、娘のベッドの下に潜ませていた、厚手の本を取り出した。


「うげえ。いつの間に」


「三日前から」


 私は、「世界の歴史。26世紀版」と、書籍のタイトルを読み上げた。


「序文。21世紀に超科学を用いられた終末戦争(第三次世界大戦)により、絶滅の危機に一度は瀕した人類。しかし、人間はどんな苦境にあってしても、生きることを諦めなかった」


「あー、またその昔話か」


 娘の辟易した顔を無視して、私は、ためになるお話をつづける。


「わずかに生存していた人類は、英知を結集し、およそ百年近い暗黒の時代(復興の百年)を戦いぬいた。それから五百年後の私たちが、今こうして文化的な生活を謳歌できるのも、先人たちの奮闘によるものである」


「あー、あーあーあー」


 娘は、大声をあげて、内容を耳に入れまいとする。


「もう、きちんと聴きなさい。とても大切なことが書いているのよ」


「耳にタコができちゃってるの」


「昔の人たちが一生懸命頑張ってくれたから、私たちはこうして何不自由ない暮らしができるんでしょう」


「それは本当に感謝してる。電気もインターネットも無い生活なんて、想像もできない」


「でしょ。だから、昔と同じ過ちを繰り返さないように、お勉強しないと」


「お勉強は明日がんばるから。今日は絵本がいいな。いつものアレ」


 娘があざとい程の愛らしい顔をする。


「はあ」


 結局、毎度根負けをする私だった。


「どうしてこの絵本がこんなに好きなんでしょう?」


 私は、本棚から、一番ボロボロの本を取り出す。


 それは、お世辞にも人気とはいえない作品であった。


 記録のほとんど残っていない『暗黒の時代』に描かれたという意味では価値があるが、物語としての人気はほとんどない。


「いいから、いいから。早く早く」


 娘はもう待ちきれない様子であった。


「ふう」


 私は一つため息をついてから、タイトルを読み上げた。


「泣き虫ミラの冒険」


「待ってました」


 と、娘は目を輝かせる。


「昔々、あるところにミラという男の子がいました。男の子はとても泣き虫でした。ある日、ミラが目を開けると、世界はいつの間にか滅亡していていました。大好きだったお母さんはどこにもいません。ミラは途方に暮れて泣きつづけました」


「大丈夫よ、ミラくん。これからすぐにあなたは素敵なレンちゃんとお知り合いにあるんんだからね。そして、後の大親友であるシュウくんとも出会うの」


「内容を全部覚えているんだったら、読まなくてもいいじゃないの?」


「いいから読んで」


 娘が可愛げのない顔で、続きを要求する。


「はいはい」


 もうとっくに暗記してしまった内容を、今日もまた語る。


 長い物語の最後は、こう締めくくられているのだ。


「――ミラは一生懸命働いて、たくさんの人を幸せにしました。その人たちが今度はミラのことを幸せにしてくれました。いっぱいの笑顔に囲まれて、ミラは今とても幸せです」


 最後のページの挿絵は、新しい家族と戯れる、水来の姿が描かれている。


「すうすう」


 娘は穏やかに寝息をかいている。


 私は、娘の特にお気に入りのその挿絵を、静かに枕元に置いた。


「おやすみなさい」


 そっと子供部屋を後にした。

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終末の水来 アリムラA @larala

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