71話 『未来』の半券

 北村修一と別れて視聴覚室に戻ると、もうクラスメイトたちが後片付けを始めていた。片付けと言っても、ポスターを剥がしたり、簡単に掃除するだけなのだけど。彼らは掃除をしながら、文化祭が終わったらクラスで打ち上げをするという話で盛り上がっていた。


 私は監督の姿を探して歩き回っていると、クラスの女子が声をかけてくる。


「あ、塔子、これよしのちゃんが渡しといてって。塔子もこの後カラオケくる? もちろん無理強いはしないけど」


「ああ、ありがとう。考えとく」


 彼女から渡されたのは、私がよしのに預けたフィルムケースだった。視聴覚室から出て、よしのに電話をかけたけど、出なかった。おそらく電源を切っているんだろう。


「……大事な話があるって言ったのにな」


 さすがに校内放送で呼び出す気にはなれなかった。というか、もう学校の外に出てしまっただろう。カラオケが嫌で帰ったわけじゃないだろうな。


 仕方なく私は別の相手に電話をかける。最近の私の相談相手はすぐに電話に出てくれた。


「どう? 上手くいった?」


 好奇心剥き出しな声で篠原先輩は早速訊いてくる。


「それが、話をする前に逃げられてしまいました。やっぱり、私には無理だったんです」


「そう。でも、逃げたってことは意識してるってことよね。案外向こうも追いかけて欲しいのかもよ」


「それも、先輩の経験ですか?」


「そ、そうよ。ほら、簡単に手に入ったらつまらないでしょう? きっと相手はあなたを試しているのよ。そうに違いないわ」


「……たとえそうだとしても。行き先がわからないんじゃ、追いかけようがありませんよ。先輩の経験上、どこ探せばいいかわかります?」


「そ、それは流石に経験豊富な私でもわからないわね……」


「そうですか。……頼る相手を間違えたかな。ところで、よしの知りませんか? これから閉会式なのに出てこないんですよ」


「よしのちゃん? 今彼の家にいるけど、こっちには来てないわよ。まあ、よしのちゃんの行きそうなところなんて、一つしかないでしょうけど」


「へぇー、じゃあお兄さんと二人っきりなわけですか。もしかして先輩、やらしい事してませんよね?」


「あ、あったりまえでしょう! 彼が寝てるからって、き、キスなんてしてないわよ」


「なるほど、参考になりました。では、また」


 先輩の抗議は無視して電話を切る。ほんと、先輩を揶揄うのは面白い。


 ……よしのが行きそうなところは一つしかないか。まったく、私まで学校をサボることになるじゃないか。




 シアターに入ると、新作の予告編がスクリーンに写されていた。映画館は祝日なのにだいぶ空いていて、私たち以外に客がいなかった。随分人気のない映画らしい。中央に座る少女を見つけ、一人分の間隔を空けて隣に座った。


 彼女の手元目掛けて、私はフィルムケースを投げる。フィルムケースは無事に彼女の手に収まった。


「それを持っていて欲しいって私言ったよね」


 私たちの他に誰もいないのになんとなく小声になる。でも、彼女にはちゃんと聴こえたようだ。不機嫌そうな顔がこちらを振り向く。


「上映中に喋らないでください」


「いいでしょ。まだ予告編なんだから」


「今日は予告編を見に来たんです」


「え? そんなに楽しみな映画があるの? じゃあ、一緒に観に行こうよ」


「塔子とは行きませんよ」


「どうして?」


 彼女は何も答えなかった。随分と嫌われてしまったらしい。もう挽回することはできないのだろうか。私たちは今日部活を卒業する。写真部兼映画部は、このまま廃部になってしまうはずだ。教室に行けば、よしのには会えるだろうけど、それはもう今までとは決定的に違う気がする。


「私ね、人を好きになったりとか、愛したりとか、そういうのがよくわからないんだ。今日みたいにね、告白されたことも幾度かあるけど。私のことを特別だって言ってくれる人のことを、私は全然特別だと思えなかった。正直な話、あの人たちが明日死んだって、悲しむ気にもならない。ましてや涙さえ流さないだろうね」


 映画の中では、今日も恋人たちが抱きしめあって、愛していると口にしている。


「愛なんて、それこそ映画の中で俳優たちが演じている出来事だと思ってたんだ。そんなものはフィクションにしか存在していなくて、そのフィクションを真似する人たちが辛うじて保っているものに過ぎないって、偉そうに決めつけてた」


 最初のきっかけは篠原先輩だったのかもしれない。その時植え付けられた疑念が、よしのと出会って確信に変わった。あの校内放送がよしのだけじゃなく、私の人生まで変えてしまったんだ。


「でも、きみがお父さんのために泣いているのを見て、それが私の思い上がりだったことに気付かされた。それだけじゃない。私にも欲が出ちゃったんだ。きみがお父さんを愛していたように、私を愛してくれたらって」


 私は誰のためにも泣いてあげられないけど、でも私が死んだ時に誰も泣いてくれないのは嫌だと思った。それがどんなに自分勝手で、傲岸な考えなのはわかっている。それでも、きみが私のためにあんな美しい涙を流してくれたらどんなにいいだろうか。一度、それを知ってしまったら欲しがらずにはいられなかった。


「だから、私はきみの隣で映画が観たいんだ」


 どうしたらきみはその権利を私にくれる? 私が差し出せるものだったら、なんだってきみにあげるよ。だからどうかお願いだ。私を拒絶しないで。


「…………このフィルムケース、開けてもいいですか?」


「構わないよ。私のお守りだったんだ。今日、ちゃんと最後まで話せるようにって願をかけたの。子供みたいだよね、馬鹿だって笑ってよ」


 フィルムケースの中には映画の半券がびっしりと詰め込まれている。よしのと、映画の話がしたくて、彼女の隣に座るのにふさわしくなりたくて、必死に映画館に通った成果だった。そんなものを後生大事にしまっておいたなんて、女々しいやつだと自分でも思う。


「ほんと、塔子って馬鹿なんですね」


「そうだよ、知らなかったの?」


「私の隣に座りたいなら、勝手に座ればいいんです。だって、私の隣はもう……空席じゃないですか。それに、塔子が死んじゃったら、私はちゃんと悲しいです。たぶん、泣くと思います。……どうしてそんな当たり前のことがわからないんですか」


 暗がりの中でよしのは笑っていた。いつか、彼女の涙よりその笑顔を欲しがれる時がくればいいな。その時は私でも、真実、愛に近づけるかもしれない。

 

「……観たい映画があるんです」


「うん、教えて」


「その映画には監督がいないんですよ」


「そんな映画があるの?」


「ええ、主演女優だけは決まっているらしいんですけどね」


 シアターの暗がりに彼女の声は溶け込んでいく。


「塔子も、一緒に観にいきましょうね」

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学校一の美少女が俺の持ち物に難癖をつけてくるんだが。 円谷忍 @shiere

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