フリードリヒの恋人

シュローダー

第1話 七瀬美空の場合

私の彼氏の千葉くんは、ちょっとヘンだ。

そう思ったのは、これで10回目のような気がする。

例えば、1か月くらい前、喫茶店で私のほうから一方的にしゃべり続けていた時に言った言葉は「君は曇ることを知らない高気圧ガールだな」

私にはその言葉の意味がサッパリわからなかった。

そして、つい数時間前に言われた「もう君とはうまくやっていけそうにない」との一言も、私には意味がサッパリわからなかった。


その言葉を聞いた時の私はまるで生まれて初めて神聖かまってちゃんの音楽を聴いたときのような驚きに脳を支配された。そして、ムキになった。


「キミってそんな事言える人? 私が悪いみたいに言うけれどあなただって…」


私が喋っている途中でも、あの人はお構いなしに反論する。


「事実というものはこの世にない。あるのは各々の解釈だけだ」


お得意のニーチェ攻撃が始まった。こうなると、もう私は太刀打ちできない。

だけど、今日は口が勢いに乗った。


「それって自分の言葉じゃないでしょ? 誰かの言ったことをコピペした物は意見って呼ばないと思うけれど?」


珍しくキマッた。と思った。完璧な反論をカマせたと思った。


「…神は死んだな」


少しの沈黙の後、うつむきながらそんな言葉を彼は口にした。彼がこちらを見上げた時、彼の掛けているメガネに私の顔が反射した。その自分と目が合ったとき、心のうちに抱え込んだ本音が、つい口から洩れた。


「最低…」


頭がまっしろのまま、私はロッカーに向かい、荷物を取り、学校から立ち去った。耳にお気に入りの赤いヘッドホンをつけた。このヘッドホンのために、私は髪型をボブカットにしている。いちばんヘッドホンが際立つからだ。とにかく、さっきのやり取りの残響をはやく消したかった。流す曲は何でも良かったからランダム再生にした。流れてきたのはよりにもよって私のお気に入りの、the pillowsの「Ladybird girl」この曲のまっすぐさは、今の私には逆効果だった。帰り道を歩く足が、どんどん重くなる。哀しさという鎖に引っ張られて。


結局そこから3日間、私は千葉くんはおろか、隣の席の大清水くんとも、話をしなかった。音楽に逃げたのだ。なぜならば、千葉君と初めて会ったのも、CDショップだったから。千葉くんボイコット3日目の後半戦。放課後の教室に忘れ物を取りに行くまでの道すがら、私は2カ月くらい前のタワレコで出会った時のことを思いだしていた。


「七瀬さん、だよね?」

「え? そうだけど… キミは確か…」

「同じクラスの千葉だけど…覚えてる?」

「ああ。千葉くんか。そっかそっか なんで私に?」

「いや、なんでアジカンのコーナーの前でそんな暗い顔してるのかなって」

「アハハ… いや、大したことはないんだけどさ。ちょっと、ね。」

「…アジカンだとどの曲が好きなんだ?」

「え? えーと、『ループ&ループ』

「おお! 良いチョイスじゃん」

「あ、ありがと 千葉君は何の曲が好きなの?」

「『アフターダーク』」

「へぇ~ イイじゃん」

「ありがとさん」


この時、2人の間に沈黙が流れたことをよく覚えている。その後、特に特筆するような会話はしなかった。しかしながら、この瞬間、私たちは不思議と、波長が合った。そんな感覚だけで十分だった。気が付くと、私たちは学校でも良く話すようになり、一緒に帰るようになっていた。だけど、ある時を境に、千葉君の波長は変わっていってしまった。R.E.Mの「What's The Frequency. kenneth?」の歌詞が、そのまま当てはまるようだった。


神聖かまってちゃんの「秋空サイダー」を聴きながら階段を上る。この曲を聴くと、たかはしほのかの声に合わせて鼻歌を歌ってしまう。そうした事を考えてる内に、教室に着いた。だけど、誰かいるみたいだ。話し声が聞こえる。


「こんな言葉がある。 『なぜ生きるか』を知っている者は、 ほとんど、あらゆる 『いかに生きるか』に耐えるのだ。 君もそうなんだろ? 教えてくれよ」


この声には聞き覚えがあった。 問題は、誰と話しているかだ。これが別の女の子だったら、とっても気まずい。だけど、確かめるしかない。私は意を決してドアを開けた。



そこに待っていたのは、やっぱり千葉くんだった。だけれど、千葉くんのほかには誰も居なかった。じゃあ、千葉くんは誰と喋ってたんだ? そんな至極真っ当な疑問を考える数秒の沈黙の後、彼は座っていた椅子から立ち上がり何の脈絡もなく言った。


「七瀬、海を見に行かないか?」


私は自然と首を縦に振っていた。

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