第2話 千葉繁の場合

2019年6月16日。僕は辛酸が血管を流れるような不快感を感じた。


「エイドリアンブロディみたいな死んだ目ね」


西宮美沙希の映画好きは常人以上な事は、ここ1カ月の付き合いでわかっていた。


「あなたはどうしたいの?」


教室の椅子に力なく座る僕に、西宮美沙希は抑揚のない声で話しかけてくる。


僕の中のセカイが完結するまで、あと15分と22秒。


「さあ? こっちが聞きたいね」


「甘いわね。だからあなたは人に好かれないのよ」


耳障りな意見が聞こえる。その中で、この半年間をふと回想してみた。そうして思い返してみると、このやけに具体的な焦燥感は、全て2カ月前に七瀬美空という女に出会ってから始まっていた。


僕の中のセカイが完結するまで、あと14分と41秒。


あまり時間はない。



僕が七瀬と出会ったのは、タワレコだった。彼女はやけに悲しそうな顔をしながら、アジカンのコーナーの前に立っていた。僕は別に特別アジカンが好きなわけじゃなかったが、彼女の存在にとても興味を惹かれた。だから話しかけた。そこから僕たちは知り合い、面白いほどに関係は進展した。客観的に恋愛関係と言えるほどに。ただし、肉体関係だけは持たなかった。僕も彼女も、その手の話題を口に出すことはなかった。そしてこの頃同時に、僕の目の前に現れた女性がもう一人いる。それが、西宮美沙希だ。


西宮美沙希は、僕が図書室に居る時に話しかけてきた女だ。彼女とのファーストコンタクトは刺激的だった。ポニーテールを右に流し、常人よりも白い肌をした彼女は、何の前触れもなくいきなり目の前に現れてこう言った。


「見えるの。私のこと」


「え? 逆に聞くけど、僕以外に見えてないのか?」


小さな声で呟いた。


「どうかしらね」


「ねぇ。なんであなたはいつも本を読んでいるの? 利口に見られたいから?」


「え… え、ああ。そうだ」


思わず心の声が漏れてしまった。何故だか彼女の前では、嘘がつけなかった。


「なんだ。やっぱり昼の光に、夜の闇の深さは分からないんじゃないの」


彼女の抑揚のない声は、僕の興味を引くのに十分だった。


「いや、光なのは君のほうじゃないのか? それに僕の考えはこうだ。自分を破壊する一歩手前の負荷でしか、人は強くなれない」


「……クスッ」


笑った。この女の子を笑わせられた。そんな自分が嬉しくなった。


「あなた、名前なんだっけ? 私は西宮美沙希だけど」


「千葉って呼んでくれればいい」


「そう。なら、また来るわ。あなたのバカっぷりは観察し甲斐があるから」


そういうと彼女は立ち去った。この嵐のような出会いは、僕を興奮させた。本を読むことを忘れて時間が過ぎていた。2019年5月16日の放課後が過ぎた。


そこから、一週間に一回のペースで、僕は図書室に行った。西宮美沙希が来るかどうかは完全にランダムだったが、僕は彼女に確かな希望を見出していた。



僕のセカイが完結するまで、あと7分と34秒

気が付くと時間が半分過ぎていた。


「ねえ。七瀬ちゃんはどうしたのよ」


「…ここ3日は喋っていない」


僕の中のセカイが完結するまであと5分と55秒


「あなた、ほんと救いようのないバカね。あんな可愛い子他にいないのに」


窓を見つめながら彼女は言った。


「結局あなたは他人の瞳に映る自分しか見てない。あなたのメガネに映る相手の顔を見たことある訳?」


僕は力なく押し黙ったままだった。


西宮美沙希に出会ってから、彼女にだけ僕の真実の姿を晒すようになり、七瀬にはペルソナを晒すようになっていった。具体的に言えば、わざと奇抜な表現を使い、バカみたいな態度を取って彼女を遠ざけようとした。しかし、七瀬は僕と距離を置くことをしなかった。何故なのかは僕が一番理解できなかった。だから自分から決定打を与えた。彼女を呼びつけて言いたいことを言った。彼女の心中は想像できないが、さぞ怒りに打ち震えたことだろう。


僕の中のセカイが完結するまで、あと2分と2秒


「こんな言葉がある。 『なぜ生きるか』を知っている者は、 ほとんど、あらゆる 『いかに生きるか』に耐えるのだ。 ってな。 君もそうなんだろ? 教えてくれよ」


「ニヒリスト擬きの童貞野郎に教えることなんかないわよ。ただ、ひとつだけ言っておく…」


僕の中のセカイが完結するまで、あと1分と30秒


「あなたが誰かを見るとき、あなたは見られている。当たり前のことだけど、忘れないで、あなたが私のことを見たこと。覚えてるから」


僕の中のセカイが完結するまで、あと0分と12秒


「え?」


僕の中のセカイが完結するまで、あと0分と0秒


ドアが開いた。僕は振り返る。そこにいたのは七瀬だった。

僕は立ち上がった。


「七瀬、海を見に行かないか?」


あれ? なんで僕はこんなことを言ってるんだ?


そしてなんで彼女は頷いているんだ?


なにより西宮美沙希はどこに消えたんだ?


僕を突き動かしていたファムファタールは、”不可解”は、どこへ消えて行ってしまったんだ?


こうして、僕の中のセカイは完結した

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