第4話 彼と彼女とカノジョの場合

電車を乗り継いで15分程。僕と七瀬は海に着いた。



千葉くんと私は、片瀬江ノ島駅に着いた。



しかし、一体僕はなんであんな事を口走ったのだろうか。よりにもよって海だ。僕の最も嫌いな匂いのする場所に、何故自分から行くんだ? これも西宮美沙希の所為なのだろうか。



私の携帯のプレイリストには、あいにく海に似合うような音楽は入っていない。だから、この赤いヘッドホンに、今回はあまり出番がないかもしれない。だけど、使う予感だけはあった。何せあの千葉くんのことだ。また私に訳の分からない事を言うに決まっている。嫌な事を忘れる為には、やっぱり音楽しかない。その事は、誰よりも私が一番知っている。



僕と七瀬は海に着いた。天気は曇り空。なんなら少し肌寒いくらい。波の音は良く聞こえる。今の僕らには、何の癒しにもなりそうになかった。僕たちは取り敢えず、岩場に座った。座ったからって話が始まる訳でもなかった。沈黙が破られたその瞬間から、僕たちの運命の歯車は音を立てて動き始める。


「この3日間、どんな曲を聴いてた?」


「…椎名林檎」


「…」


「the pillows」


「…」


「…ロビーは一階」


「ん? それは聞いた事ないな どんな曲なんだ?」


「『夜な夜な』って曲があるの。どんな曲か教えて欲しい?」


「…ああ」


「はにかんだり、目があったりするキミは誰が好きなのかって、夜な夜な枕と一緒に考える歌だよ」


「…」


「ねぇ。さっき誰と話してたの? まさか独り言じゃないよね?」


「お前が信じてくれるとは思わないが、取り敢えず聞いて欲しい」


「へ? うん…」


「お前、西宮美沙希って女、知ってるか?」


「え!?」


「な、何だよ? そんな驚く事か?」


「… 千葉くん」


「え?」


「私と千葉くんが初めて会った日の事、覚えてる?」


「ああ。タワレコで暗い顔してたお前に声を掛けた。だろ?」


「あの時さ、なんで暗い顔してたと思う?」


「なんでって言われてもな…」


「その前の日にね、友達が、死んじゃったんだ。通り魔に刺されて」


「…え? 通り魔って… 嘘だ。嘘だよな? 嘘だと言ってくれよ!」


「千葉くん!? どうしたの!?」


「見たんだ。彼女が死ぬ現場を」


その時、僕の脳内で、必死に押し殺していた記憶が音を立てて襲ってきた。


学校の帰り道、新しい本を買った帰り道。偶々通りかかった路地裏で、人が、女の人が刺されていた。しかも、まだ息があった。小説とはワケが違う余りにも悲惨な光景に、僕はたまらず逃げ出してしまった。助けを呼ぶでもなく。


「西宮美沙希を殺したのは僕なんだよ。僕が助けを呼べば、助かったかもしれないのに」


「千葉くんが、まさか目撃者なんて…」


「殺したのは僕。僕なんだ…」


ふと、その時。七瀬は自分が首に下げていたヘッドホンを僕に付けてくれた。


「え…?」


「いいから聴いて!」


音楽が流れ出した。激しいドラムの音に、ギターのリフ。聴いたことのある曲だ。


「七瀬、これ…」


「最後まで聴こ?」


彼女はただじっと僕が聴き終わるのを待っていた。僕を見つめる眼差しは、どこか優しいように思えた。


甘美な3分15秒が終わった。

ヘッドホンを外す


「…終わったよ」


「私の言いたいこと、わかる?」


「…いや、教えてくれ」


「"夢なら覚めた。だけど僕らは、まだ何もしていない" 千葉くんは、まだ何もしてないんだよ。夢から覚めただけ。」


「だからさ、何をするかは、これから決めようよ。正しいことをするためにさ」


視界が少しぼやけてきた。どうやら僕は泣いているらしい。七瀬美空。末恐ろしい女の子だ。とんでもない人間と出会ってしまった。


「え! 千葉くん泣いてるの!? ごめんね? そんなつもりはなかったんだけど…」


「いや、良いんだ。君は最高だ」


「そっか…」


「ねぇ、私たち、これからどうするの?」


「明日考える」


「え? どういう事?」


「答えは道すがら考えるってことさ。じゃあな。また明日」


僕は立ち上がって歩き出した。


「ちょ、ちょっと! 待ってよ千葉くん!」


七瀬が何か言っているが、気にしない。僕はこれから、ケリをつけに行くのだから。



波打ち際に立った。僕の予測だと、そろそろ現れるはずだ。


「私を待ってたの?」


「その通りだ。僕の"運命の女"は君だったからな」


「… 怒ってる?」


「なんでそんな事聞くんだよ? 僕は君が見えてしまって当然の男だ」


「…」


「ごめん。僕には、西宮さんは救えない。それだけは、分かって欲しい」


「…」


「でも、こんな言葉がある。『世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め』ってな」


「…クスッ こんな時までニーチェの引用?」


「僕らしいだろ?」


「まあ、そういうことにしといてあげる」


「西宮さん。昨日には決して進めない。だから、目を閉じたまま走っても、そこは未来だ」


「だから、進んでくれ。未来に」


「… あなたという昼の光の裏にある夜の闇に、私がなってあげる。忘れないで。あなたの裏側に、私が居るから」


「ああ。わかってる」


西宮さんが笑った。僕も笑顔になった。この数秒間は、何にも代えがたいものだった。


「そういえばね」


突然西宮さんは言い出した。


「いままでのあなたとこれからのあなたにピッタリの映画があるの。『フ…」


僕に映画を教える前に、一瞬の瞬きの内に彼女は消えてしまった。ただ、さざなみの音だけが僕の耳に響いていた。


彼女が教えたかった映画とは何だったのだろう? 最初の文字もおぼろげで聞き取れなかった。そうだ。今日からTSUTAYAに通う事にしよう。しらみつぶしに作品を観ていけば、いつかは彼女が言おうとしていた映画に出会えるだろう。僕は一抹の長い別れに想いを馳せながら、砂浜を歩いていった。何処へ行くとも決めずに。




千葉くんは行っちゃった。逃げられたって言っても良いかもしれない。でも、少なくとも、明日にはまた会える。今はそれで十分だよ。

私はヘッドホンを付けた。聴く曲は勿論…


「右手に白い紙

理由なき僕の絵を

描いた途中で投げ出す

その光る明日を


左手汚して

名も無き君の絵を

描いた宇宙で出会った

その光る明日を

とめどない青 消える景色

終わる冬を


抜け出す扉を沈めるひどい雨

染み込む心の奥底に響いて

頼りない明日の儚い想いも

僅かな光で切り取る白い影


所詮 突き刺して彷徨って

塗りつぶす君の今日も

つまりエンド&スタート

積み上げる弱い魔法

由縁 失って彷徨って

垂れ流す 僕の今日を

走り出したエンドロール

つまらないイメージを壊せ

そうさ


君と僕で絡まって

繋ぐ…未来

最終形のその先を

担う…世代


僕が描いたその影に

君の未来は霞んでしまった?


所詮 突き刺して彷徨って

塗りつぶす君の今日も

つまりエンド&スタート

積み上げる弱い魔法

由縁 失って彷徨って

垂れ流す 僕の今日を

走り出したエンドロール

つまらないイメージを壊せ

そうさ」

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