フシギノ国のあの娘

@SUBARU2000

フシギノ国のあの娘

貧相といえば貧相な東方のある村に1人の男の子が産まれた。その産声はあまりにも快活としていて、その子の産まれた家を囲むように建つ民家の梁が振動したとゆう。こんな噂からその子の名は村に伝わる嵐を呼ぶ守護神「荒吹ノ神」からアラキと名づけられた。アラキは村の食事に必須な稲を育てる農夫である父の跡継ぎとして育てられることになった。幼少の頃から鋤や鍬などの農具の取扱を仕込まれ、農家の男として順調に育っていった。周りの村民からは誕生の逸話から小さい頃からちょっとした英雄扱いで同じ背の子らから羨望の眼差しを浴びていた。


 11歳となる頃、アラキの体にある異変が起こった。

 舌が厚くなった。まるで舌がもう一本生えてきたようだった。そしてその違和感は日に日に肥大していき、ついに元あった舌に完全に覆い被さり、形もそのまま写したようになってしまった。

 ただ、味覚や普段の会話になんの不自由もなかった。村民には気づかれなかった。また、体の変化と同時に会話にも変化が現れた。嘘をつくようになってしまったのである。最初は河童を見たなり、稲穂がタレ下がらずまっすぐ直立していた等稚拙な創意であった。しかし嘘を重ねるにつれて孕んでいる利己性に気づき、自分にとって利がある嘘をつくようになった。収穫の数を鯖読んだり、失態をほかの同世代の子のせいにしたりと本来ならば村の信頼に欠ける行動を起こした。しかし、村の信頼は揺らがなかった。村民は人柄がよく、決して頭が悪いとかそういう問題ではないが外部との接触が一切ないため人を信用し切ってしまっていたのである。加えてアラキにはこれまでの功績があったので尚更嘘がバレにくい。仕掛けられた農夫(もっともアラキが選別したバレないと期待できる人であった)の方も自分がやってしまったんだと錯覚してしまう程であった。アラキは軌道に乗ってしまった。


 いつものように仕事をすっぽかし木の枝に横たわり上の空で木漏れ日を浴びていると、突如固い石で打ち付けるような音が聞こえた。たちまち木から飛び降り音のする方をじっと見つめると、村の入口に通づる道に今までに見たことの無い派手な様相の馬車が見えた。前後には護衛がついていて少なくとも同胞ではない目鼻立ちをした人たちであった。


「曲者!」


 と思いアラキが駆け出した時、父がその者達に頭を下げ腰を曲げる姿勢をとった。


あれ……


父がこちらに気づく


「どうした?アラキ。んなとこでボーっと突っ立って。草刈りはどうした」


 眉が吊り上がり、背筋が一気に緊張し、ひんやりと汗が出た。ぎこちない笑みを浮かべ


「い、いや。なんでもね。ただのウンコさ。どうも最近しまりが悪くて。今日は珍しく形があったぜ。いつもはあっこのドブ川みてぇなのによ。はは」


「んだ。やけに喋んなおい」


 しまった。つい焦って余計なことまでべらべらと。アラキは背筋が固まった。


「それより、客人だ。それにフシギノ国ご貴族様御一行だ。くれぐれも失礼のないようにな。客の前でウンコとか言うなよ」


「いやいや。年相応な元気ないい子じゃないですか」


 父の前に立っていたまき髭で鼻が高く七と三の割合でしっかり固められた黒髪の父より頭1つ分背の高い護衛が帽子を脱ぎ粛々と諭した。目は翡翠の色で輝き、村の男には感じ得ない高貴で色気のあるいい男であった。


「子供には、大人が気づかない秘めたる力があります。我々が想像出来ないような力がね。この歳からそう咎めちゃあせっかくの能力がダメになってしまいますよ。さて、村長様はどちらに」


「へぇ、こちらへ。皆さんも、ささ、どうぞ」


 父があんなにぺこぺこと頭を垂れたのは初めてだ。アラキは少々父に幻滅して、頬をふくらませその場で腕を組み仁王立ちした。馬車が目の前を通り過ぎる時、上質な布の隙間から女の子の姿が見えた。アラキは目を丸くした。護衛と同じ翡翠の目、濡れてるような艶のある金の長髪、洋装とでも言うのか可愛らしい格好でうさぎを模したぬいぐるみを抱えた、ただただ上品で美しい女の子。ほんの一瞬だったがアラキは網膜に焼き付いたその子の残り影を呆然と見つめた。アラキはふうと胸をなでおろした。


 後日父に迫って聞いた話だと彼女はアリスと言い由緒正しい貴族家のお嬢様であり、年は同じ11歳。ここにはお父様の外交の仕事の都合により都へ行く途中の宿村として訪れたとゆう。2日ほどいるとゆう情報も手に入れた。


 アラキは彼女が泊まる家に入ることも無くただ道の横隅で傍観するようになった。あそこに彼女が居ると思うとめったにありつけない鹿肉に飛びつきたくなるような衝動に駆られた。けど、誰かが足の裏に糊をくっつけたようにまるで足が動かなかった。鼓動の音も聞こえる。なんだか顔が熱い。体が動かない分、目は宿屋から出てくる人を逃がさない。観察も冴えて、宿屋のおじさんのシワが増えたのにも気づいた。


 俺は一体何をしているんだ。


 そうアラキは自問をひたすら繰り返し、そして「理由なんてない。ただ、こうしてなきゃいけない気がする」と、返答する。堂々巡りの中アラキはずっと父の言った言葉を頭の中で何度も聞き返す。「2日はここにいる」あと一日だ。妙に風を感じる。残暑の生暖かい南風が照りつける太陽に味方してアラキのじっとりかいた汗を煽る。手汗を服にぐっと擦り付ける。


 日が暮れ初め、空が橙色に染まり始めた時、ついに出てきた。彼女だ。アラキの目がカッと開き、脳に水がかかったように緊張した。汗の生冷たさを感じる。鼓動が早い。ドッドドッド。陽射しが眩しい。足がふわりと軽くなった。

 彼女はそのまま村の外れまで歩いていった。もちろんアラキもだ。

 彼女は村の外れにある大きい木の根に座り込み、夕陽に顔を向けた。眩しくはないのか彼女は手で影を作ることなくただまっすぐ夕陽を見つめた。

 ここだ。

 アラキはぐっと体を突き出し、彼女のいる方へぐんぐん歩み寄った。彼女は目の前に座り込んでいる。夕陽に照らされ金色の髪がますます輝きを増し風にたなびく。今の時期じゃあ厚い洋装なのに暑がることもなく背を丸めたまま動かない。少し丸みを帯びた端正な顔が豊かな肌色を照っている。アラキが口を開く。けど、何かがのどに引っかかった。


「お前、フシギノ国のもんだろ」


 あれ。


「だったら何」


「ここは、あんたのようないいとこのもんが来るとこじゃねぇ。さっさと都へおっぴきやがれ」


 なんで。


「いやね。私もこんなとこ来たくはなかったわ」


「ああそうかい。ならとっとといっちまいな。夜は熊に気ぃつけな」


 彼女はクスクス笑う。さっきまでの俺ならどう映る。


「やっぱり怖いわね。田舎は。身を潜める所も無くてだだっ広い」


「そうだぜ。俺はあんたの身を案じて言ってんだ」


「ありがと」


 やっとこっちを見てくれた。やっぱり変わらないじゃないか。


「んだよ」


 少し後ずさる。


「あなた、もう少し上手くやんなさいよ。私の国だとあなたより年下でももう少しやるわよ」


 顎がビクンと開いて固まった。ボロボロのシャツをギュッと握る。握りこぶしが強すぎて痛い。


「何言ってんだよ」

 顎が勝手に震えているのがわかる。


 彼女が夕焼けに向き、そして


「好きなの」


 突風が吹く。わざとらしい気付けのように感じた。


「ここの景色」


 忘れていた瞬きをして、眼球の乾きを潤す。目の前に広がる草原が風と唄う。彼女の背景が霞んで見える。彼女は独り言のように喋り出す。


「私ね。あなたもさっき言ったけど身分がいいの。だからお家も広いし、ご飯食べるとこも広いし、お庭も広いし、もう何もかも広いの。けど。なんだか寒くて、ただ外の空気が怖くて慌てて建てた大きな石棺のように感じるの。いくら自分の場所をはっきりさせたって、やっぱりこの原っぱには適わないのにね」


 彼女が少しうつむき笑う。


「何も無いってのは私のうちの方。さっき言った年下の男の子ってのもお父さん達との家族ぐるみ?ってやつで勝手に決められた子達だし。みんな優しいし、気前が良かった。そりゃ優しい方がこっちも安心するわ。けど彼らはそんなんじゃなかった。心の中の目が私じゃなくてお父様方に向いてるのが感じたから。いや、もっと遠くの方かもね」


 彼女はぐっと襟袖をつかみ、組まれた腕に顔をうずめる。


「私は"モノ"でムリヤリ埋められたウッデンドールなの」


 彼女の双肩が上がり、深くため息をする。息が途切れ途切れに彼女の腕の中に溶けていく。漏れ出た息がアラキの体に巻き付くような感覚をアラキが感じた。なんとなく彼女に手が伸びそうになる。けど、アラキの心をすっぽり包む返しがついた網のようなものが心がそうさせるのを許さなかった。彼女が鼻をすすりながらこっちをむく。


「あなたみたいにつっかかってくる子は初めて。ちょっとびっくりした」


「同情を乞うつもりか」


「そんなんじゃないわよ。ただ誰かに話したかっただけ。'活きてる'誰かに」


 しばらくここにいると彼女は言った。アラキはそのまま姿勢よくせっせと家路に着いた。


「なんなんだよ。くそっ」


 石ころを蹴飛ばす。畑を囲む柵に当たる直前に石ころが止まった。アラキは仕様のなくなり腹が立ってきた。その日の村の小道は坂になってるように思えた。


 次の日、彼女は旅立った。父に見舞いにいけと言われたが、そんな気力も無く馬車が来た時に寝ていた木の枝にあの時と同じように寝っ転がった。濃淡が明瞭な曇り空の下小さい馬車が出ていくのが見えた。アラキはぷいと反対を向いた。馬車の方からなんとなく視線を感じたが無視した。日光がでてないから枝がひんやりとしてた。


 その夜、今年1番の嵐が来ていた。アラキは寝つけず家から出て彼女が眺めていた木の根に座り、いつも夕日のある方を眺める。土砂降りの雨風にされるがままに揺られる木の下でうずくまっていた時、人のたくましい足が視界に入った。アラキは見あげなかった。


「アラキよ。そなたの気が渦巻いている。如何した」


「やるせないんだ。帰ってくれ」


「我は守る者。願う者は拒まぬ。そなたの願いを聞こう」


「なら、この舌を抜いてくれないか」

 アラキはべろんと上に被さった舌だけ指さした。


「それは我が名を継ぐものとしての証である。その舌は人二人分の言葉を産み、皆を安寧と繁栄へと導くため心の臓から生えたるものなり。その舌を抜くなど」


「俺には荷が重いのさ。この舌が生えてからなんか言葉が突っかかるようになった。出そうと出そうとしても、そこには針がついてる網があって痛くて出れないようなかんじになった。話す前にぐるぐる考えるようになったんだ。俺にはどうもこれが気に食わない。だから頼む」


「心の臓から生えるその舌を抜けば、痛みは心に永遠に残る。その苦痛は自分であることを崩しかねない」


「構わない」


 たくましい足がさらに力が入ったみたいに硬くなった。


「そこまで望むならいたしかたない。そなたの道に久遠の光があらんことを」


 舌が見えない何かに引っ張られる。喉、心臓の表面が剥がされるように痛い。ブチブチと舌が剥がれた。アラキは痛みで気絶して木の根に座り込んだ。


 翌朝、アラキは家の床で目が覚めた。ぼんやりする視界に父が映った。


「あっ。やっと目ェ覚ましたコイツ」


 父は覚ましたアラキの目を見るなり、厄介な感じで言った。


「ったく。どこにもいねぇと思ったら木の根に座り込んだまま眠りこけやがって」


 父の怒鳴り声を上の空で聞いていたら胸に違和感を感じた。それは痛みとゆうより、ぽっかり通気口があるように周りの空気を吸い込んで体の中から熱を奪ってるような感触だった。痛くはないが、好きにもなれないこの感覚はしばらく寝ても取れなかった。アラキは胸を押さえながら家の窓から外を眺める。ゆうべの嵐のお陰で夕暮れ時の空は夕陽が色付けていた。稲穂が収穫時を迎え髪を結ったように垂れ下がり夕陽が照りつけ金色に輝いていた。


「名前……言ってなかったな」


 アラキは胸に開いた片手を押さえつけながら夜に備え雨戸を閉めた。

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