プロット・ブレイクオンスルー
naka-motoo
強制執筆
ビルの屋上から拳銃で狙われた。
そう。当たるはずのないその真下の歩行者用のラインが引かれたアスファルトの上を一定速度で歩いていたその時、彼女の後頭部のやや左側から右顎に突き抜けるような角度で弾丸が貫通した。
ただそれは実体を伴わない透明の弾丸で、狙撃された
普段は決して履かないヒールを。
『コンバースで歩けたらどんなにいいか』
五月は高校までは典型的なスポーツ少女だった。小学の頃は投手として、中・高では内野の名手として彼女の青春はソフトボールと共にあった。
インターハイでは小さな体にも関わらず飛び抜けた全身のバネで積み重ねる安打数とヒットになるはずの痛烈なゴロをファーストに向かって走り込みながら捕球・弾丸のような送球を行うスキルでチームを全国3位に導いた。
実業団が占める国体選手にも選ばれ開催県であった自県の優勝に貢献した。
だが五月はインカレ優勝大学からのスポーツ奨学生のスカウトを断って地元近隣の国立大学文学部へと進学した。
彼女が目指したのはスポーツをテーマにした小説の執筆だった。
学部での卒論は『文学におけるスポーツの描写について』であり、彼女は論文を小説形式で執筆した。
担当教授からは強烈なダメ出しをくらったその論文=小説を彼女はWEB小説投稿サイトの「現代ドラマ」ジャンルに投稿し、その斬新で清涼なアイディアと、彼女自身が少女の頃から自らの精神と肉体とを使って真摯に打ち込んできたソフトボールへの情熱を中二病そのままに捩じ込んだ一歩間違えると執拗と捉えられるような表現力でもってPVを築き上げ、サイトの運営サイドからDMが届いた。
「オフィスにおいでください」
一応正装をと考えた彼女は大学の入学式で着て以来のスーツにヒールのある靴で上京し、運営サイドの執務スペースがある出版社本社を訪問する途中だった。
出版社のビルを目と鼻の先にした地点で、『狙撃』されたのだ。
貫通したその目に見えない弾丸は、彼女の脳髄に閃光のような刺激を与えることによって、彼女が潜在意識下で拒むことのできない『意志』を埋め込ませた。
「御手洗五月と申します。カタリ大学三年生です」
「ペンネームは」
「『躊躇無用』です」
五月と社会人となって数年ぐらいと思われる男性担当者は間借りするその出版社の編集者たちが怒号を上げる中、小さく区切られたパーテーションのテーブルで顔を近づけて向き合う。
担当者は宣言するように述べた。
「御手洗さん。あなたをデビューさせてあげます」
「え」
「書き下ろしてください。タイトルは『異世界に転生した女子アスリートが元居た世界でのオリンピック出場を目指して特訓していたら異世界でもオリンピック候補になった件』です」
「異世界・・・ですか?」
「そうです。御手洗さんの熱のこもった作風があれば、プロットさえマトモなものにしたら間違いなくベストセラーになります」
「え。『マトモ』ってなんですか? わたしのこれまで書いた小説ってマトモじゃないですか?」
「一般的ではないですよね。読む人を選ぶというか」
「それじゃダメなんですか?」
「ダメではないですよ。ただ、よくもない。このままではジリ貧の人生です。デビューもできず・・・それに御手洗さんの大学は地方ではある程度は信頼があるのかもしれませんが田舎の・・・しかも文学部でしょう? 希望の職につけそうですか?」
「わたしの希望は小説家です」
「ならペンネーム通り躊躇することはないでしょう。どうぞ、書いてください、『異世界転生』を。そして鮮烈なデビューを!」
五月はまず深く息を吐いた。
そして吐ききったその後にできる吸引力で今度は大きく息を吸った。
「いやです」
「・・・え?」
「わたしは現代ドラマが書きたいんです。暗喩でなくストレートに現実世界の人間たちが汗水垂らして目の前の世界で死力を尽くすような物語が書きたいんです」
「異世界でもそれはできますよ」
「でも現実に異世界へ行くなんてこと、できないですよね? 嫌なんです、そういうの」
「うーん。ちょっと信じがたいですねえ、アナタの応対が」
「どうしてですか?」
「だって、デビューできるんだよ? 僕が僕自身の目利きで御手洗さんの投稿を『注目の作品』としてサイトのトップページに掲載して。今アナタからそんな事言われたら推し続けた僕の立場がどうなるか分かるでしょう?」
「本当に感謝しています。わたしの小説がサイトで読まれるのは『注目の作品』で推してくださったからです。ありがとうございます。でも、書きたくないんです。異世界は」
「じゃあ何が書きたいんですか?」
「それは・・・」
そこからは五月は記憶がなかった。
気がつくと彼女は新宿の紀伊国屋書店の正面のエスカレーターを降り切ってアルタに向かって歩いていた。クロスロードで信じがたいぐらいの人混みに巻き込まれながら。
周囲を幾重にも人の汗ばんだ肉体に囲まれて五月はヒールを脱いだ。トートバッグからクリーム色のコンバースを取り出し、ヒールの靴とそれとを交換した。素足にコンバースを装着すると彼女の気持ちも否応なく熱く盛り上がっていった。
そして立ったままやはりトートバッグからコンパクトなワイヤレスキーボードを取り出し、完全文系の五月がブルートゥースでペアリングするそのキーボードの相手は、ビジョンを運営する企業が貸し出すスタジオ内でギグしているロックバンドのマニピュレーション機器だった。
微弱電波を五月は本来ならば自分が知り得ないハッキングの手法で捩じ込んだ。それまでビジョンに映し出されていたギグするメジャーデビューを既に済ませたロックバンドの映像に代わり、さっきまで運営の担当者と会っていたそのWEB投稿サイトの下書き画面、五月の小説管理画面が表示された。
その場に滞っている人間たちのほぼ全員がビジョンを見上げた。
文字列が流れ込んでいく。
『朝顔の露より脆き身を持って。いついつまでも居るように』
「なにあれ」
「なんか、アブないんじゃない?」
ビジョンを見上げるひとたちの本音だろう。
『人の悪しきに目をかけて自分の悪しきは棚に上げ。昨日も暮れた今日もまた。あるやないやに囚われて』
核心の言葉は控えつつ五月は自動筆記のような状態でコンパクト・ワイヤレス・キーボードのキーを叩き、次々と文字列を完成に向けて繰り出して行った。
「気持ちいい・・・」
自分の意思ではない何かに電撃のようなエネルギーで指先を動かされているのだと五月は自覚していた。
延々と2時間にわたって五月の自動筆記のタイピングがビジョンに流れ続けた。スタッフたちは別の画像にシフトしようとするが先回って今度はそちらに文字列が捩じ込まれた。
文庫本にして一冊の分量を五月は2時間で書き切ったことになる。
そしてそのタイピングのスピードに合わせてWEB小説の閲覧のような感覚で、『投稿』が終わるまでずっと立ち尽くしの人が幾人もいた。
初夏の、しかも梅雨の湿度がまともに混じり合った劣悪の環境の中、けれども最後まで読み終わった人たちは互いに語り合うこともなく、ある人は俯いてその思考を更に深めつつ、ある人は新宿のビルの谷間に切り取られた瞬間の青空を眩しい眼で見上げながら。
それぞれ散会していった。
『脱・躊躇』という、10代のスリーピースバンドによるロック・ムーヴメントがありとあるSNSのトップツイートを占めるのが一週間後。
青い夏空の間、永遠にそれは続いていった。
プロット・ブレイクオンスルー naka-motoo @naka-motoo
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