第28話 『和気愛々な』

 アヤの後を歩き続けること数十分、先程までの騒動が嘘のように静まり返っていた。通りを歩いている人や走行している車の姿は、ある。しかし皆々、表情は強張っている。


「ここのアパートの三階の角部屋が私の借りている部屋だよ」

「ここからだと高校かなり遠いわね。買い物は近くにスーパーあるみたいだけど」

「うん。でもいいんだ。あの学校に通うことで私の夢の実現に確実に一歩近づくから」


 嬉しそうにそして恥ずかしそうな表情を浮かべながらアヤは、コートのポケットの中から部屋の鍵を取り出す。忘れてと付け加えるとドアノブを回した。

 彼女の部屋の間取りはお世辞にも広いとは言えないこじんまりとしたものだったが、手入れが行き届いて清潔感がある。洗面所で手を濯いで、リビング中央に置かれた丸テーブルにお茶を並べていく。招きなれた手つきにアオイとメグの二人は、唖然としながらカーペットの上に腰を下ろした。


「こういう機会多いの。友達の中で一人暮らししている子少ないから。週末の勉強会の会場によく選ばれるんだ」

「そうなのね。でも今回は日が暮れる前に帰る勉強会ってわけじゃないから、長居させてもらう以上何か買ってくるわね」


 スマホに映し出されたメッセージに一瞬表情を曇らせながらアオイは、カバンを掴むと部屋を後にした。まるでその場から逃げるように道路に出ると背後から心配そうな顔をしたメグがアオイの肩を叩く。荒い呼吸を繰り返していたアオイは深呼吸をすると、自分のスマホの画面をメグに突きつけた。それを見たメグは、目を見開くとため息をついた。


「最近やけに仕事が減った理由は、それかい」

「ええ。でも何を考えているのかしら、あの人は」

「それが分かれば苦労しない、あの人はそういう人だ。で、だ」

「何?」

「……なんでもない。さっさと買いものに行くぞ。アヤを待たせるわけにはいかない」


 メグは、茶色のコートのポケットから禁煙パイプを取り出す。アオイに一本差し出すが、丁重に断られてしまう。メンソールが入っているから意外と目が覚めるんだぜと残念そうに微笑み、ポケットに戻した。

 アヤの家からスーパーまでは歩いて数分の場所にある。昔ながらの古い印象を与える老朽化の進んだ建物。それでも店は栄えていた。入り口でカゴを取るとひょいとメグに取られてしまう。仕返しと言わんばかりに次々に菓子をカゴの中に放り込んでいく。


「いくら何でも買い過ぎだろう」

「べつにいいわよ。私のお財布から出すんだから。それに」

「それに?」

「多分、これが最初で最後のお泊り会になるはずだから」

「……そうかもしれないけどね……。あたしは諦めてほしくはないかな」

「そうね、少し選ぶ言葉を間違えたわ」


 アオイは、バツが悪そうに舌を出すと微笑んでみせた。


***


「それじゃ、みんな無事に生き延びられたことに乾杯!!」

「乾杯」

「……乾杯」


 おしとやかとは真逆の豪快にジュースの入ったシャンパングラスをぶつけ合う。そのまま豪華に口に運び、一気に飲み込んだ。テーブルに並んだ料理に箸を伸ばし、三人は汚れのない真っ白な天井を見上げる。

 三人を照らす白色の発光ダイオードの光に改めて自身が生存していることを噛みしめるように目を細めた。


「やっぱり、明日の学校は休校になるみたいだね。確かに被害者の中には私達と同じ高校の生徒もいたみたい」

「当然の対処ね。熱が出ているから会社を休むのと同じよ。これで普通に登校して来いと言われても私は休むけどね」


 アヤはテレビの電源をつけるとニュース番組はどこも時計塔崩壊の事を報道し続けている。子供のようにチャンネルを変えるがどこも結論は変わらない。かろうじで見つけたお笑い番組に変えるが、部屋の空気は凍り付いたままだった。


「あのさ、最近こういうこと増えてきているよね。大丈夫なのかな」

「この世に置いて長期的に安全なことはないわ。この国は比較的平和だけど、気を抜き過ぎないことね」

「アオイ。その辺にしておけ。これ以上はご飯がおいしくなくなる」


 メグは淡々と箸を進めるが、スマホのバイブ機能によって遮られる。着信相手の名前を見ると彼女は、ちょっと失礼すると言い残すだけで部屋の外に出た。

 外の寒さに身震いするが、受話器の向こうの相手はお構いなしに話し続ける相手に彼女の表情は二重の意味で徐々に曇っていく。


「悪いけど今、友達の家に泊まっているんだから。そういう話をしてほしくないんだけど」

「――そのお泊り会をしているアオイの姿を見て、こちらの世界にいてはならないと思っているのではないのかい?」

「………………要件はそれだけ? あたしこれでも忙しい身なんだけど」

「――」

「……考えておきますよ、お母さん」

「それから――」


 相手はまだ何か言いたげな様子だったが、冬の寒さにメグは通話終了のボタンを押していた。通話相手が何か伝えたそうだったが、すぐに考えるのはやめて暖房の効いた部屋にへと戻っていった。

 メグが部屋を出たのは僅か数分の出来事だった部屋を出る前は女子高生が二人、彼女の目の前にいるのは酔いつぶれたようにテーブルに突っ伏している二人だった。


「これはどういうことだ……?」


 テーブルの上に置かれたボトルを手に取り、メグはラベルを確認する。そこには大きくアルコールの文字が書かれていた。二人の顔を覗き込むと互いに幸せそうな顔をしながら突っ伏している。近くに置かれていた毛布をそっと肩にかけると壁に寄りかかった。


「未成年が飲酒は流石にまずい。って言っても殺人を犯している時点でまずいもクソもないか」


 くすりと笑うと大きな溜息をついた。テーブルの上の食べかけのドリアを口に運びつつ、窓の外に視線を向けてわざとらしく溜息をつく。


「……声はかけ始めているけど間に合わないかもしれない」


 悪いことだと分かりつつ、栓の空いたワインをアオイの目の前に置かれているグラスに注ぐ。雰囲気を味わうことなく飲み干す。飲み干した後、噎せ返る声が静かな夜に響いた。


 窓から注ぎ込まれる日の光にまだ眠そうな目を擦りながらアオイは、のそっと起き上がる。見慣れない家具や配置に一瞬目を丸くしたが、昨晩の出来事を思い出したようで再びうつ伏せで寝転がった。枕元に置いてあったスマホは新着メッセージを受信してチカチカと点滅を繰り返している。寝ぼけ顔でスマホを操作してメッセージを確認する。周囲を見回すと二人はまだ穏やかな表情で眠っている。


「起こさないように行かないと」

「どこに行くんだ」

「!?」

「起きていたのね、びっくりしたわ」

「ノアからの呼び出しだろう? あたしもついていく」


 こたつから出てきたメグは丁寧に畳まれたコートを羽織るとカバンの中からメモ帳を取り出すと一言添えて茶封筒と共にこたつの上に置いた。部屋を後にしたアオイは昨日より下がった外の気温に思わずたじろぐ。その背中をメグに押され、一歩目を踏み出す。

 最寄りのバス停まで歩き、既に停車しているバスに乗り込んで一番後ろに座る。スマホを使い指定された場所の一番近くの停車場所を調べると、アオイは嫌な顔をする。


「どうかしたのか」

「指定された場所。今はただの空き地になっているけど私、思い出したの。そこになにがあったのか」

「どういうこと?」


 アオイは、何も答えずにカバンに入っている手入れの行き届いたハンドガンをそっと撫でる。チャックを閉じると窓の外に視線を移す。アパートが立ち並んだ場所から徐々に建物の数が減少していく。栄えている場所から徐々に廃れている場所へとバスは走っていく。


「私という人間の物語が始まった場所。そして私が一番行きたくない場所。そこを選ぶなんてあの人の人間性は疑うわ」


 嫌味を溢しつつアオイは来るべき時に備える。まるでこれから何が起こるのか知っているかのように。


***


「約束した時間ジャスト。少しは余裕をもって行動することを意識しないと。来年から社会人でしょう」

「……そんな社会人が前日にいきなり会う約束をしてくるのはどうかと思いますけど? ノアお母さん


 芝生のひかれたちょっとした広場のような場所に呼び出されたアオイは呼び出された人の言葉に嫌味を返す。カバンからハンドガンを取り出し、カバンは芝生の上に置く。ハンドガンの安全装置を外すと銃口を呼び出し人に向けた。相手は動揺する様子もなく、淡々と話を続ける。


「別に喧嘩するために呼んだわけじゃない」

「……」

「この数日間どうだった? 殺し合いの世界から離れて一般社会に戻った感想は」

「やっぱりあんたのせいだったのか。確かに知名度は高くないけどさ。そこそこ仕事は流れてきていたんだよ。それを完全に止められたとなれば、あたしか、シオンか、ノアの誰かとなる」


 ノアの会話を遮るようにメグは、アオイの前に出ると鋭い視線で睨みつける。しかしノアはまるで動じる様子はなく、メグのことをまるで認識していないようにアオイに話し続けた。終始下を向いたままノアの言葉に耳を傾けていた。


「自分勝手だということは知っている。数年間は考えてみたけど、やっぱり私は普通よりいつ命を落とすかわからないこの世界にはいてほしくない」

「……随分自分勝手なこと言ってくれるな、ノア。昔からそう。今回だってそれ以外の事が関係しているだろう。あたしは情報屋としても色々な情報を扱ってきたけど、あんたの情報に関しては空白の項目が多いんだよ」

「もういいわ、メグ。別にノアの話を聞いて私の気持ちが変わるほど軟じゃないのよ」


 ハンドガンをそっとカバンに戻してアオイは、羽織っていたコートをメグに預けると一歩一歩ノアに近づく。心配そうに見つめるメグだったが、その心配は一瞬で彼女を信じる気持ちへと変化した。自信満々なノアの頬を鋭い平手が襲う。呆然と目を見開くノアだったが、自分の叩いた人間の顔を見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「別の道の提示には感謝はしているつもりよ。でも、もう私は引き返すつもりも別の道に進むつもりも一切ないわ。その道を邪魔するなら師匠だろうが母親だろうが関係ないわ」

「全く、誰に似たんだが。でも天狗になった鼻を一度本気でへし折った方がいいかもしれない!」


 ノアが視線をメグの方に向けると目があったメグはそっぽを向いて口笛を吹いている。溜息を吐き、右手の拳を鳩尾に放たれる。アオイの口から唾液が溢れて膝をつくが、その目は笑っていた。


「一発先に攻撃したからこれは避けないでいてあげたのよ」


 強がりとも取れる発言をノアは鼻で笑うと空いている左手をアオイの頬を擦る。避けられたことに動揺する素振りはなく、眼光は確実に獲物を狙っていた。

 数歩引いたアオイは一息つくとノアの懐目掛けて飛び込み、彼女の顎を狙って右手を突き上げる。後ろに反ったノアにやすやすと避けられるが、代わり頭突きをお見舞いした。しかし、彼女の渾身の頭突きはいとも簡単に躱され脳天にノアの肘が突き刺さる。短い含み声と共に顔から地面に叩きつけられる。振り上げられたノアの片足を支える足を振り払う。鍛えられた体幹の前には無力に等しいが、それでも逃げ出すだけの隙は十分に作れた。

 一度距離を置き、産まれたての小鹿のような足取りで立ち上がったアオイの呼吸は途切れ途切れのものとなっていた。けれどもその目は諦めていない。口の中が切れて滲み出る赤い体液を足元に吐き捨てる。


「随分、頑丈になったものだな。脳天にねじ込んだはずなのに」

「……腕が鈍ったんじゃないの?」

「言うようになったじゃん」


 前のめりに体重を傾けると後ろに引いた足の力で大地を掴み、アオイの懐に飛び込む。アオイが一歩後ろに引いた瞬間、にやりっと笑うとコートの中に潜ませていたナイフを取り出す。反応が僅かに遅れたアオイの綺麗な肌に触れて後に宙を突き刺した。突き伸ばした腕を掴まれ、ノアが見ている世界が一回転する。

 地面に叩きつけられたノアが起き上がろうとすると鼻の先にナイフが突き刺さる。動きを止めたノアにアオイは口を開いた。


「残念ね、私はお母さんが思っている以上に前に進んでいるのよ。分かったら――」

「そうかな。過去にずっと縋りついてるだけにしか見えないけど。それを達成した途端に人生の目標を見失いそうだこと」

「それはその時私が考えることよ。今のお母さんが考えることじゃない」

「……まるで昔の私を見ているみたいで胸焼けしそうだ事」


 ノアが力を抜いて大の字で寝そべるとアオイは、糸が切れた操り人形のようにその場に膝をつける。近くに寄ってきたメグがそっとコートをかけるとノアに近づくとノアの手を掴み強引に立ち上がらせる。


「どうやら、読みが外れたみたいね。そろそろ引退時かな」

「まだ現役だ。あたしが辞めさせるわけがない」

「……そろそろ合わせてもいいのかもしれない、最強の情報屋と」

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あくふく!~悪夢の復讐少女~ 葉月雅也 @hazuki_masaya

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