第27話 『揺れる大地』

「メグさんの様子何かおかしくないですか」

「そうね。今月まだだったみたいだし、そっとしてあげましょう」


 注文したコーヒーに口を付けながらアオイは、通りを流れる人の波に目を細める。コートのポケットからスマホを取り出し、電話帳に入っている数少ない連絡先の中からとある人物を選んだ。短めのメッセージを送信して厚切りのトーストにナイフを入れた。


「この後はどうするの? アヤが見たいところがあればそこに行きましょう。私、こういうところあまり来ないから」

「うーん。やっぱり名物の時計塔は見たいかな。結構有名で色々な噂があるから、この目で見てみたいんだ」

「そう。それならそうしましょ」


 綺麗に完食した二人は、はぐれないように声をかけあいながら人混みの中に溶けていく。その様子を通りの中央に設置されているベンチに座っている男は、視線を逸らして口角を少し上げた。それと同時にゆっくり立ち上がると人の流れに抗うように入り口の方に向かった。


「……さあ、ショーの始まりだ。悪夢と悪夢どちらが勝るか」


***


 もし仮にドローンを飛ばし、上空から敷地全体の様子を確認すれば、人口密度が一番高いのは間違いなくアオイ達が今いる場所だ。パンフレットで大々的におすすめスポットと書かれれば、自然と足が向かう。


「しかし人が多いけど、こんな中でメグさんが用事が済んだあと合流できるかな」

「難しいでしょうね。私から連絡入れておくから心配しないで」


 アヤを安心させるためにスマホ画面をちらつかせ、微笑みを浮かべるが彼女の笑顔は瞬く間に消えていった。彼女のスマホから繰り返される音声はメグのものにしては、やや機械的で不在を繰り返すだけだった。そっと通話停止ボタンを押す。何かあったか尋ねたそうなアヤには首を振って上手くごまかした。

 人の流れに従いようやく時計塔を見上げるスポットまでついたときには、かなりの時間が経っていた。その間もメグからの連絡は一切ない。心のどこかに拭いきれないものがありそうだったが、アオイは今考えることをやめた。


「アオイちゃん、なんか時計塔の内部の見学ができるんだって。行かない?」

「そうね、こういう機会は滅多にないからね」


  アオイとアヤが内部見学の希望者の列に並ぼうとした。途端、彼女達の遥か上空で空気を振動させるほどの爆発と共に多量の瓦礫が飴のように降り注ぐ。それだけで周囲を混乱に陥るのは十分だった。

 瓦礫が降り注ぐ様がまるでスローモーションのようにアオイの瞳には映っていた。我に返ったアオイは、その場に崩れ落ちているアヤを抱きかかえる。何が起こっているか分かっていないアヤを抱きかかえて駆け出した。


「え、ええ?」

「喋らないで、舌噛むわよ! 生きたかったら黙って私に命を預けなさいっ!!」

「は、はい」


 スニーカーを選んだ今朝の自分に感謝しつつ全力で駆け出した。他者が慌てふためいている中、アオイは園内マップを思い描きながら裏路地を目指していた。


「そうなると、この道を左に曲がれば……」


 もう既に背後では砂ぼこりを巻き上げながら計塔は近くの建物に、もたれかかるようにしてギリギリで完全崩壊を免れていた。そっとアヤを地面に立たせるとアオイは、大きく溜息をついた。額に浮かんだ汗を拭いつつ、アヤの両肩を掴み、真剣な表情で詰め寄った。


「アヤ、よく聞いて。ここからは自分が生き延びることを最優先に考えるのよ。私とメグの事を気にするよりもね。生きていれば会えるはずよ」

「で、でもアオイちゃんはどうするの?」

「そうね、とりあえずメグを探して合流するわ」

「そんな! いつ時計塔が完全に崩れるかも分からないのに。それにあれを自然崩壊とは、考えにくいし」


 彼女達の背後では斜塔のように傾いている時計塔の反対側の建物が、轟音と共に瓦礫が弾け飛ぶ。崩れ落ち、砂ぼこりが舞い上がっている。アオイは視線を時計塔に視線を移す。

 崩れるまでまだ時間がありそうにも見えるが、油断は出来ない状況なのは変わりない。その下では多数の人々が相変わらず逃げまどっている。


「この路地をまっすぐ進めば、正面エントランスまで行ける。そしたら救助隊がいるかもしれない。少なくともここよりは安全ね」

「で、で、でも……」

「いいから!! 私の邪魔をしたいの!? それとも二人して仲良く生き埋めになりたいの!!」


 普段絶対に見せることがない怒りの感情を前面に出したアオイに尻込みしつつも、アヤはエントランスの方に駆け出す。途中何度も足元がもつれそうになるが、前だけを見つめていた。

 徐々に姿が見えなくなっていくアヤの背中を見つつ、アオイは今日何度目かのため息をついた。呆れた様子で口を開きつつ、路地の入口に立つ人を睨みつける。


「これは、全部貴女が仕組んだことなの? 正直に答えないと痛い目に合わせるわよ」

「……」

「無視ね、いい度胸しているわ」


 狐のお面をつけ、口元は黒いフェイスマスクで隠され、引き締まったキャットスーツを纏った人物が仁王立ちしている。全身から溢れ出す殺気で二人の空間だけ切り取られているようなぴりついた緊張感が漂う。

 アオイは固唾を飲みこみ、一歩下がる。仕事の時とは異なり、重火器は所持していない。入場時の持ち物検査に引っかからないようにするためでもあった。


「でも、やるっきゃないわね」

「……」

 右足を一歩下げ、前のめりに駆け出して一気に距離を詰める。右足を高く上げて相手の顔面に蹴りを叩き込む。しかし、相手は防御を固めることも回避する素振りも見せない。普通の人ならば、全治数週間くらいは覚悟しなければならない。

 狐のお面にひびが入るが、動じる様子は見せない。アオイの足をガッチリ掴み、手に力を入れた。アオイの骨が悲鳴を上げて、彼女の表情も曇る。後ろから発砲音に彼女の足を掴んでいる手の力が抜ける。黒いスーツに身を包んだ


「さて、こんな騒ぎを起こしている馬鹿者はお前か。処すか? 処すか?」

「……情報屋、裏方の人間だと把握している」

「あ? そんなのは普通の情報屋の話だろう。生憎、枠組み通りの生き方は好みじゃないんだ」

「……」


 キャットスーツの人物は舌打ちを残し、発煙手榴弾を地面に叩きつける。徐々に上っていく濃煙に紛れて路地裏へと消えていく後姿を見つめて、右手の中で薄っすらと煙を垂れ流しているハンドガンに安全装置をかけるとコートの内ポケットに忍ばせた。

 肩で息をしているアオイは差し出される右手を疑いつつもそっと触れる。その手をぎゅっと握りしめられ、引き上げられるように立ち上がらされる。煙が薄くなっていくと自分を助け出してくれた人物に思わず安堵の息が漏れた。


「……」

「メグじゃなくて得体の知らない男で悪かったな」

「別にそんなこと言っていないでしょう。とにかく助かったわ、ミノル。単独行動が多すぎるから一般人の命を一つ考慮しないといけないと考えるといつも以上に疲弊するのよね」

「当たり前だ。現場は一瞬の判断が重要視される。だからお前にはアイツがいるんだろう。さて、こんなところで長話をしている余裕はない。脱出するぞ」


 アオイの手をしっかりと掴むと男らしく力強く彼女を先導する。裏通りから大通りまで戻ってくると人々の混乱は留まることを知らず、地獄絵図と化していた。人々は我先に逃げ出そうと他人を差し押さえて出口に向かおうとしている。スタッフも誘導を繰り返しているが、その言葉はなかなか届かない。

 次の瞬間、先程と変わらない地響きと共に時計塔は塔であることを完全に放棄した。一際大きい悲鳴に混乱の波は更に高まる。


「行くぞ、絶対に手を離すな。もう既に時計塔の崩壊以外の二次災害で死人が出ている。俺から離れるなよ」

「別にそこまでしなくても平気よ。これでも私は――」

「頼れるところの一つや二つくらい見せたっていいだろう」

「……わかったわよ。大人しくついていくわ……」


 アオイがしおらしく俯いて答えるとミノルは、少し表情を緩めて人の波をかき分けていく。人の波に揉まれ、アオイの表情にも不快感が現れる。それを察したかのように人の波から外れていく。看板の先には大きく関係者以外立ち入り禁止と書かれているが、ミノルはお構いなしに突き進む。途中何度もアオイは声をかけようとするが、ミノルは一言も話さない。代わりにひたすらアオイには聞き取れない声で何かを呟き続けるだけだった。

しばらく迷宮のように入り組んだ道を駆け抜けると正面ゲートにたどり着いた。


「どういうこと……あの道はここに繋がっていると知っていたの……?」

「知らないのか、ここはよく会合とかに使われるんだぞ。あの有名な喫茶店の地下にその会場があることを知らないのか」

「初耳よ」


 正面ゲートの前に広がる広大な駐車場には、点々と支給されたレジャーシートを引き肩を寄せ合っている人々の姿が目視で確認できる。

 アオイは周囲を見渡すが、どこにもメグとアヤの姿はない。不安で親指をかじりながらスマホで呼び出そうとするが、電波が一向に入るそぶりを見せない。


「無駄だ。これだけの人間がいて一斉に連絡を取ろうとしているんだ。回線がパンクすることくらい想像できるだろう」

「それくらいわかっている。こうでもしないと心が落ち着かないのよ」

「心を乱さない。乱したら死ぬって師匠から教わったでしょう」

「メグ!?」


 額から血を流しながら砂ぼこりまみれになったコートを掃いながら、メグは二人の前に姿を見せた。二人に軽く微笑んで見せるメグにアオイは、ゆっくりと近づくとしっかりと抱きついた。一瞬戸惑ったような表情を浮かべるメグだったが、甘えるアオイを優しく抱きしめ返す。


「ミノル。悪かったね、うちの我が儘お姫様を警護してもらって。このお礼は必ず」

「いや気にするな。俺も仕事でここに来たんだ。俺の仕事相手は端から姿を見せるつもりはなかったようだ。始めから俺を殺すのが目的だろう」

「情報屋という職業上仕方ないことだけど、あんたも気を付けなよ。知り合いが屍になったと聞いたら次の日から目覚めが悪くなる」

「それはお互い様だ」


 しばらくの間が開いた後、二人は肩を震わせて笑いあった。


「二人とも! 無事だったんだね!」


 園内から順次出てくる人の波をかき分けるように砂ぼこりを浴びたアヤが姿を見せた。メグから離れたアオイは、アヤに近寄ると優しく抱きしめる。

 三人に気を使ったのかミノルは、メグと軽くアイコンタクトを取ると人の間を通り抜けるように駐車場に停めてあったバイクに跨った。


「しかし、こんな状況じゃ交通機関も混雑してそうね。家に到着する頃には日が沈んでいるのは間違いなさそうね」

「そっか。アオイちゃんとメグさんの家はかなり遠いね。よかったら私の家に泊まる? 女子会と行きましょ!」

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