第26話 『平穏な休日』

 アヤと遊園地に遊びに行くと予定した週末の日。アオイとメグの姿は家から遠いバス停にあった。二人とも最低限のお洒落はしつつも動きやすさを重視することを忘れていない。うきうきな表情で鼻歌を歌っているアオイとは対照的に、うなだれたようにバス停のベンチに座っているメグは何度目かの溜息をついた。


「メグは溜息をつくと幸せが逃げるって聞いたことないの? この十分間で少なくとも七つは幸せが逃げていったわね」

「溜息の一つくらいつきたくなるような現実だからな。どこかの誰かさんが前夜からハイテンションでそれに付き合わされる身になれば、あたしの気持ちがわかるんじゃないか」

「し、しょうがないじゃない。私こうやって遊びに行かないし。行くとしてもメグしかいないし。お詫びにそこにあるコンビニで何か買ってくるわよ」


 ポールダンスのようにバス停のポールで回っていたアオイは、スタスタとコンビニの方に向かった。

 ポーチ片手にコンビニに駆け込んだアオイを冬場の気温に合わせて調整された空調が包み込む。店内にほのかに漂うおでんの香りに彼女の表情も思わず緩む。


「もう、冬も本番ね」


厚着をしたカップルが仲良さげに並んでいる姿を見てアオイは、溜息をつかずにはいられなかった。ふとコンビニの窓から小さく見えるメグの姿を見て不意に昔のことを思い出すような遠い目をする。


「こっちに二人して引っ越してきて本当に色々なことがあったわね。何度喧嘩したことか」


 レジに入っているスタッフに声をかけられようやく現実に戻ってきた彼女は入ってくる時よりもいくらか重くなったカゴをレジの前に置いた。


「風が吹くと流石に身に染みるな」


 メグは店内に入っていくアオイの後ろ姿を眺めつつ、隣に置いてあった飲みかけでぬるくなったホットレモンを飲み干す。遠くに見える山々を眺めつつ大きく息を吐いた。


「こうやってのんびり過ごせるのもありかもしれないな。全盛期の“Alice”の頃じゃ想像も出来なかったな。しかも最後の依頼で“Nightmare”の補助についているなんて」

「メグさん、お待たせしました。あれ、アオイちゃんは?」

「アヤか。アオイなら今コンビニで買い物している。悪いけどもう少しだけ待っていてくれ」

「うん」


 自分の座るところだけベンチを軽く払い、メグの隣に座ったアヤはカバンの中から保温性の水筒を取り出すと几帳面に水筒に付属しているコップに移す。コップに注がれたお茶が湯気と共に心地よい香りを周囲に撒く。差し出されるコップをやんわりと断るとメグは、アヤと目を合わせないようにしつつ口を開いた。


「誘ってもらった立場として言うべき言葉じゃないとは重々承知しているけど、どうしてあたし達なんだ? 自分で言うのも滑稽だけど近寄りづらい雰囲気を出していると思ったんだが」

「……友達を遊園地に誘うくらい普通ですよ」


 小悪魔のような笑顔を浮かべながら水筒をカバンに戻したアヤに、先程までとは逆にメグは目が離せなくなっていた。コンビニでの買い物を済ませたアオイに肩を叩かれた。ようやく我に返ったメグは、はぐらかすように笑うとアオイの荷物を持つ。


「二人ともバスが見えて来たよ。早く乗りましょう」

「ええ、そうね」


 バスの中は休日ということもあり、席の半数以上が既に埋まっていた。一番後方まで行くと窓際の席が空いている。腰を下ろし、夫々が手にしているカバンを抱えるとバスはゆっくりと走り出す。

 目的地である遊園地前のバス停に着いて一歩降り立った時、周りの人々の表情が笑顔になる。


「アオイちゃん、あそこで園内マップ配っているみたいだから二人の分も貰ってきちゃうね。開園まで少し時間あるから列に並んでもらってもいい?」

「わかったわ」


 短いアオイの返事を聞き終えると同時にアヤは、マップを貰いに駆け出した。しばらくヒラヒラと手を振っていたアオイだった。しかし男女二人組が横を通り過ぎた際、その笑顔は凍り付いた。本人達はアオイ達のことなど、まるで気にすることなく何かを話しながら離れていく。

 アオイ達だからこそ気が付くもの。


「……メグ、私の勘があの二人が只者ではないって言っているんだけど。もしかして入院している間に感覚まで狂ったのかしら」

「そうだといいけどね。嫌な予感が当たってしまえば、今日は間違いなく愉快なことになるな」


 少しギョッとしたような顔をするアオイだったが、遠くから駆け寄ってくるアヤの姿にすぐに笑顔を作ると彼女に居場所が分かるように手を振った。


「お待たせ。なんか機械の点検で開園が少し遅れるらしいよ」

「へぇ、それは仕方ないな。ん、列が動き出したみたい。ほら二人ともあたしの前に並んで」


 メグに急かされつつチケットを改札に差し込み、大きく敷地内に一歩踏み込む。複数ある入場ゲートから一斉に流れ込む人の群れは、闘牛そのもののように我先に進もうとする。その様子はまるでコミケ初日のラッシュのようだ。


「アオイちゃんとメグさんはこういうところ来ても走らないの?」

「走る必要ないわ。わざわざ無駄に体力を使いつつ大して進みもしないならこのまま流れに任せる方が賢明だと思うのだけれども?」

「そういうアオイだけど普段より歩くスピード上がっているから人のこと言えないんだけどね」

「早くしないと置いていくわよ!」


 しっかりメグに指摘され顔を真っ赤にして更に歩く足を速めた。幾千人が数時間後に危険に晒されることなど露知らず。


***

「そろそろお昼時だし、あそこの店でいい?」

「賛成! あそこの店って特集組まれるくらい人気なんでしょう。待ち時間が……」


 アヤの言葉を遮るように二人は店の方に歩いていく。疑問がぬぐい切れていないような表情を浮かべるアヤだったが、二人の後を追いかけた。

 入店と同時に店員が作り笑顔で寄ってくるが、メグはそれを片手で止めるとバルコニーに唯一空いている席を指さす。


「あの席は他のお客様が既に予約しておりまして」

「普通、予約の有無を確認するのが先かと。仕方ない、店長は不在? あたしの見た目を伝えれば分かるはずだから」

「は、はあ」


 疑いの眼差しをメグやその後ろにいる二人に向けつつ店員は、店の奥に消えていった。しばらくして怒鳴り声が聞こえ、店全体の背筋が伸びる。数分後、涙目の店員がメグに頭を深々と下げて先程メグが指さした席に通した。メグは席に座ると同時に大きく溜息をついた。


「あまり師匠関連のコネは使いたくなかったんだよね。あの人の影がちらつくっていうか」

「メグさんの師匠ってなんの師匠ですか?」

「!?」


 メグにしては珍しいミスだった。普段アオイと二人っきりで行動することが多く第三者が近くにいることを見落としていた。表情には出さずともアオイの目にはメグの動揺が手に取るようにわかった。


「彼女は武術を少々嗜んでいるのよ。それの師匠よ」

「へぇ、だからメグさんって運動神経よさそうなんだ」

「そうよ。はい、これメニュー。私はコーヒーとトーストのセット」


 手にしていたメニューをアヤに差し出すとメグに向けてニヤリと笑って見せた。

 メグは肩の力を抜き、カバンの中からタブレットを取り出す。溜まりに溜まったメールを雑に纏めて削除しだした。数分後、その手がピタリと止まる。文面をなぞるように何度も見直すが、文字化けを起こすことも書かれている内容も変わることはなかった。店員に珍しく笑顔で注文しているアオイの顔を見る。


「こんな時に話を出すのも野暮ってことか」


 カバンにタブレットをしまうと席から立ちあがった。不審そうな目で見ているアヤと対照的に問いかけるような眼差しを向けている。店員は、気になっているようだったが立場上、気にしていないようにしているようだった。


「二人ともごめん、ちょっと席を離さなくちゃいけなくなった。水を差した詫びとして支払いの足しにして」

「う、うん。そうなんだ」

「わかったわ。できる限り早く戻ってきてね。……せっかくの休暇なんだから……ね?」


 メグは何も答えなかった、答えられなかった。ただ微笑みを浮かべて席を立った。店を出たメグはコートのポケットからイヤホンを取り出し、外部の音を遮断する。


「相変わらず面倒くさいものに巻き込まれるなぁあたし


 彼女のぼやきは誰にも受け止められることなく宙に浮かぶ。

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