一段 看板姫さま、物乞いの女を拾う事(一)
「まず最初に、どっちが先に殴りかかったのだ」
看板姫に聞かれると、床で正座させられていた二人は顔を見合わせてからしみじみと首を振った。どちらとも自分からではない、自分の責任ではないということを主張したかったのだが、そんなことが通るはずがなかった。目の前にいるこのお姫様がそんな言い分を許してくれるはずがないのだ。
かといって。
どちらとも、どちらから喧嘩をおっぱじめたのか、そのことについてはほとんど記憶が曖昧だった。
無理もないことだった。
彼らが頼み、ここで出されたのは三級酒といわれる劣悪な酒である。普通二級までしかない和国の酒の中で、三級というのは等級外、つまり本来ならば売り物にならない屑のような酒をさしていう言葉だ。しかしそれは元々の意味であり、和国の支配体制が変わってからは三級酒には別の意味が付与されだしている。
それは屑ではなくなったとかいう意味ではなく、むしろその意味合いを拡張させたようなものだった。
そもそもをいえば、和国でいう「酒」とは和酒といわれる米を元にして発酵させていたものをさす。もちろん、以前から果実酒や蒸留酒もなかったわけではないが、その類の酒は国内での販売には種類にも扱いにも制限がされていた。国内の酒類業者の保護というのが主な目的であるが、いい加減な業者によるおかしな酒を流通させないということも理由の一つだ。かつて舶来ものというだけでありがたがるバカな消費者が、それこそおかしな酒ともいえない色付きの酒精がいれてあるだけの水をつかまされて泣きをみたということから作られた法律だ。
しかしそれもかつての話である。
央国の属国となってしまった現在、かつての国内商人の保護として打ち出された政策はことごとくが無効、あるいは骨抜きにされ、有名無実とされた。
そうなるとこの酒類の等級についても以前のままではいられなくなる。
国内での等級性をなくしてしまえというのはまだ緩やかな意見で、和酒という酒類の酒そのものをなくしてしまえというものから、果ては和国内の酒類業者の全てを放逐するなり処刑して、央国の業者を引き入れてしまえという過激なものまで、それこそ議論は百出した。酒類にかけられた税金や専売性に関係する様々な利権が和国の宮廷における重要な収入源であったのだから、勝者である央国としてもどうにか手を入れたいと考えるのは当然であるが、熱狂というのはいつまでも続くはずがない。戦争のそれもまた然りである。
戦争が終わって半年もたつと、この和国という島国から富を吸い出すにしても、ある程度の復興をさせないと割に合わないということが判明した。度重なる侵攻への激烈な反攻は、文字通りの国内産業の総動員がもたらせたものであったのだ。それによって被った央国の被害を回復させるためには今残っている富を収奪していても到底間に合わず、かといって今ある分だけを強引に持っていってしまえば復興など不可能となる。
そうなると、とりあえずは国内自治などはある程度認めてしまって、その中から毎年毎年、何十年か――あるいは何百年にもわたって、もしかしたら永劫にでも――上納金を取りつづければよいのではないか……という、ある意味でまともな意見が支配的なものになるのは当然ななりゆきであったろう。
しかしそれにしても、以前のままに残しておくというのも業腹だ。東夷の蛮族の分際で独自の国内基準などもつ必要はあるまい……たとえば酒の等級にしても、こちらのそれにあわせるのが筋というものだ……。
もっと細かくいえば何処までも詳細に説明できなくもないが、だいたいこのようなことで和国の酒類における等級は変質してしまった。
国外……央国での基準に照らしあわせて再評価をした結果、かつての国内基準の二級までもがそろって一級となり、三級として販売基準に足りない屑みたいな酒が二級へとせり上がってしまったのだが、それは要するに和国内の基準がどれだけ厳しかったかということを示しており、それだけ高品質であったということを物語っている。
でまあ、ここからが今の三級の話になる。
敗戦以前における三級の基準ですらも酒として認められたのは、つまり央国や和国以外の大半の国では、酒であるというだけでも十分に売り物になっていたということであり、そんな国ですらも酒というにははばかられるようなものがそれより下、もはや屑みたいな酒とさえ呼べない、酒みたいな屑……それこそかつて取り締まりされた、酒精が入っているだけの色水……あるいはそれ以下のものが、まとめて三級ということになってしまったのでる。
そしてここからがなによりも重要な話になる。
かつては三級酒は売り物として流通させることは禁止されていたが。
今は三級――といわれる酒もどきですらも、販売には制限がされてないのだった。
でまあ、最初に戻る。
かつては見向きもされなかった三級酒であるとはいえ、安く、そしてとりあえず酔えるのならば飲まないという道理はない。
酔っぱらいの理屈である。
そりゃ勿論、彼らだって現在飲める三級酒というのがどういうものかというのは知っている。
下手したら食用にできないような発酵し損ないの腐れ水に砂糖をぶちこんだようなものであるかもしれない――なんてな百も承知なのだ。
だが。
そんなのでも飲んで酔いたい、管巻いて憂さを晴らしたいというのが彼らの本音だ。
敗戦から、はや二年たつ。
その間に国内の復興はある程度進んでいたが、それらは和国の民が負っていた心の傷が癒えたかというとそうではない。むしろ彼らにとっては敗北した国の民であるという事実は、まるで遅効性の毒のように彼らの体ではなく、心を蝕みつつある。
それはどういうことかというと、当たり前にあったことが当たり前でなくなった――突き詰めれば彼らを憤らせ、悲嘆させているのはそのことに尽きる。
外国から流れ込んでくる商人に仕事を仕切られ、今までの慣習を無視した安い賃金で働かせられ、そのことを役所に直訴しても軽くあしらわれた。属国の民は主たる国の人間には逆らえない。逆らってはいけない。勿論、法律としてはそのような無法はあるまじきこととして戒められているのだが、所詮は勝者の敷いた勝者のための法であり、運用する側とてもそのことは勘案して判断せざるを得ない。役人の多くは前からの居残りではあったが、それだけに上司とその同胞である央国人を怒らせる訳にもいかないのだった。
そんな扱いを受けていると、自然と心が荒む。敗北した側に立たされているということの不満が募る。憂さを晴らしたくもなる。酒だって飲みたくなる。それは本当に仕方がないことだ。
そして彼らは三級酒を飲んで――悪酔いした。
混ぜ物などされているのが普通である程度に劣悪な三級酒である。悪酔いしてしまうというのはまったくもってなんら不思議ではない展開であった。いや、まだしも酔えたという程度に酒精が入っていたというのはこの店がまだ良心的な商売をしているということの証明になるのかもしれない。
そして、暴れた。
どういうきっかけでどういう事情があって喧嘩をおっぱじめてしまったというのは記憶にない。悪酔いついでに調子外れの歌でも口ずさみ、それに難癖つけられたとか、そういうことであったかもしれないし、あるいは難癖つけてしまったのかもしれない。どちらともそのあたりのことがまったく解らない程度には酒をくらっていたのだった。
「どうした。いえないのか?」
看板娘――姫さまの声が冷ややかになった。
二人は、彼らがかつて上様と仰ぎ伏し拝んだ皇家に連なる娘の顔を見上げた。世が世なら玉顔として覗き見ることすら恐れ多いと這いつくばっていただろう末の姫様は、確かに目がつぶれるというほどではないが十分に美しかった。
いや、市井においてその端正な顔の造形、染み一つとてない肌は十分などという言葉ではとても賄えぬほどのものがあった。首で綺麗に刈そろえられた黒く艶やかな髪も、黒曜石の如く怜悧な輝きを秘めたまなざしも、到底そこらの娘にはありえるものではない。そして何よりも市井にありえないのが眉だ。小さく楕円の形に整えられたそれは、貴族階級以上の者の子女であることを雄弁に証明するものであった。
――とはいえ。
その体のちんまりとしているのはどうしようもない。
和の国の皇室の末の娘、煌姫。
今年で御年十九歳。花にたとえるのならば開花して咲き誇る大輪のようなもの。花弁に妖しげな艶もでてきていそうな年頃のはずだ。
しかして彼らの目の前にいる元「姫さま」は、どうみても十二か三か。花でいうのならば先の綻んだ蕾のようなものだ。気品のある立ち姿はしていても、安物の紬にたすき掛けし、割烹着を着ているその姿は『看板娘』という言葉が一番にあう。
そう。
彼女こそが世間で評判の看板娘にして元姫さま――なのである。
彼女の姿を見た者は、多くがその可憐さ、凛とした立ち姿に目を奪われる。年端もいかぬ少女とは思えないたたずまい、威厳はまさにただ者ではないといことがわかるだろう。だがしかし、その時点で気づく。末の煌姫さまは御年十九歳になるはずだ……
そこでこの娘が騙りの偽者だ、となったりするかというとそうでもない。
まずそこに気づいた者は、なるほど戦さに負けたことで衝撃を受けて成長を止めてしまったのだ、なんてことを考える。昔語りにたまに聞く話だ。だいたい親なり師なり、あるいは国などを失った薄幸の美少女がその時に成長を止めたりして、変転とする流浪の果てに運命の人に出会って止めてしまっていた年月を取り戻してめでたしめでたしという筋立てである。
止めてしまうのが年齢以外にも声であったり目だったりという場合もあるが、大筋は変わらない。
和国の救国を成し遂げた末の姫だというのならば、まさにそれらの民衆好みの物語の登場人物として十分以上にふさわしいだろう。
いやいや、ここでさらに目端が利く者ならば気づくことがある。
煌姫の御年が十九としたら、あの二年前の敗戦の日には十七歳。花に例える前に向こうが恥じらうという年頃だ。その時に体の年を止め邸のだとしたら、やはりこんなちんちくりんなのはおかしすぎる。
それについてはまた別の誰ともしれぬ「事情通」がさらにこんな話を持ち出して説明してくれるのだ。
「この姫は元々小さかったのだ」
末の姫がどれほど宮廷にて過酷な扱いを受けていたのかということは、戦前から噂程度には知られていることではあった。一人で宮廷の裏方で炊事洗濯をやらされ、何十人分もの料理を料理人に混じって作らされ、それでも満足に飯も食わされず、なお武術修行などもやらされていたのだという。とても皇室の姫を扱う環境であるとはいいがたい。噂である。所詮は噂であるだけに、人々もおもしろそうに語ってはいてもまじめには取り扱わなかった。都雀の話の種にはなっても、それ以上は芽をだすことさえない。それがにわかに真実味を帯びてきたのだ。ろくに飯も食わしてもらえずに重労働していたというのならぱ、背丈がちいこいというのも無理からことだ、と。
戦後になって、元宮廷人であったという者たちからの証言というのがさらにこの噂を裏付けた。確かに末の煌姫は宮廷で皇室の者とも思えない過酷な修行を課せられていたのだと。その証言自体が何処まで正しいのかということがわからないのだが、無責任にそれらしい「証言」がでてきたことによって民衆はこの煌姫の不幸と、そんな待遇でありながらも国と皇室を救うために尽力したという姫のけなげさに心打たれた。
しかしさらに証言はでてくる。
一年もたつと少しは人々も冷静になる。
関心が低まっていたということもあるが。
今度の証言は煌姫の今まで築きあげられていた「美談」の傷となりえるものだった。
曰く。
「姫様はちゃんといいご飯を食べていましたよ」
過酷な扱いを受けていたというのも本当だ、とそれはいい添えていた。重労働に武術修行、さらには学問……までもやらされていたというのも本当だ。そこまですべて本当だが、ただし飯の話は本当ではない。とにかく質、量ともにばくばく食べていたと。皇室の他の者とは時間があわなかったので共に食事をしておらず、多分それでなにも食べてないと誤解されたのだろうと。実際は賄い飯といわれる厨房の料理人が自分らで食うために作ったそれをたらふくと食べていたのだという。しかも宮廷料理の賄い飯である。そんじょそこらの料理屋のそれなんかよれよっぽど豪華だ。皇室に出したあまりものであったが、かなり旨かったというのも証言されるところである。
とたんに煌姫への同情ももりさがろうかというものであったが、ではこの証言が本当なのだとしたら、どうして煌姫がこんなにちんちくりんであるのかという説明がつかなくなる。元々、それらしい噂を適当により集められたものでしかないのだが。
この時には、この娘が煌姫であるということは疑うまでもなく確定していた。
宮廷の縮小化に伴って宿下がりを命じられた侍女やら料理人、兵士が多く野に下ったのだが、その中には煌姫の側付きだったという者もそれなりの数はいた。いかに皇室の姫とも思えない扱いではあったが、姫であるからにはなんだかんだとそういう者もいたということである。
それらの中には何処から噂をどうききつけたものか、饂飩屋にわざわざ立ち寄っては「おいたわしや」とか愁嘆場を演じる者もいたりするのである。
勿論それらもすべてが芝居ではないかという穿った意見もないではないのだが、元宮廷人というのはそれなりに氏素性のはっきりした者が選ばれる訳で、たまに現れては姫に追い返されたりする者が何処の誰それであるというのはすでに知られていることなのであった。
二年もたつ頃になると、都雀たちもかなり冷静というか適当になっていて、修行していたのは武術ではなく仙術で、幼くして羽化登仙してしまったのではないかといいだしはじめた。荒唐無稽にもほどがある。だが、それは奇妙に説得力があった。それくらいでなければ一騎当千を生身で倒せたりはしないだろう、というわけである。それになによりも浪漫があった。神仙の類が市井に潜み、時に身分卑しいが心根が正しい者に秘術を伝えて危機を救ったり仙道に導いたり、という物語も民衆が好むものだ。救う相手が身分高くとも薄幸の美少女であるのならば配役として申し分はない。自ら皇籍から剥奪されることをよしとして野に下ったというのもいい。身分にこだわらないというならばなおさらに仙人にふさわしいというものだ。
そんな訳で、煌姫は世間ではいつの間にか仙人呼ばわりされてしまっているのだった。
仙号は
貴心庵とは、この饂飩屋の屋号である。
ご近所の看板姫さま。 奇水 @KUON
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