夏思いが咲く

新巻へもん

星辰が正しく揃う夜に

「お師さん。どうして、あの子の事を忘れろ、言うの?」

 百合は目元の涼やかな少年の面立ちを思い出しながら、お銀に向かって聞いた。

「我らは妖じゃ、人と交わるとお互いに不幸になる。今日助けてもらったことは感謝するといい。ただ、もう会わぬことじゃ」

「会わないならええんやね。分かったで、お師さん」


 今日の昼前に百合はいつも通りに人に化けて村で悪さをした後に、村はずれの古寺に遊びに行った。ご本尊へのお供え物をくすねて頂くつもりだった。鄙びた田舎では滅多に目にすることのないものが時々備えられているからだ。村娘に化けて本堂に上がり込もうとしたときに先客がいることに気が付く。出直そうかと身を翻しかけた時に首筋を何かが強打して意識が遠くなった。


 気が付くと12ぐらいの利発そうな目鼻立ちの整った男の子が膝に手を当てて百合のことをのぞき込んでいた。自分の白い前脚が目に入り、術が解けて本相を現してしまっていることを知る。背後に威圧を感じて振り返ると髭面の精悍な男が立っていた。


「若様。このような狐狸の類、切って捨てた方がよろしいのでは?」

「軍大夫。ここは不殺の結界内だよ。だからこそ、軍大夫も鞘ごと打ち据えたのだろう?」

「はい。境内を汚してはと思いまして。ですから、外に連れて行き……」


「駄目。無益な殺生をしては。この子は綺麗な目をしているし、悪い子じゃないよ」

「若様がそうおっしゃるのであれば」

 軍大夫は素直に従う。男の子は百合を助け起こして言った。

「さあ、お行き。もう、悪戯をしないように。狐汁にされてしまうぞ」


 少年は太郎丸と言った。この寺に縁のある家の子供である事情から預けられるようになったのだった。百合はときどきあけびや茸、柿などをそっとお寺に届けるようになる。師匠の言いつけを守って、太郎丸を物陰からそっと眺めては土産を置いて帰るのだった。そして、軍大夫の姿が視界にない時は決して近づかないようにした。その強さは身に染みている。


 そして、数年が過ぎ、太郎丸はすっきりとした立ち居振る舞いの青年に育つ。地味な墨染の衣を着ていても匂い立つような気品があった。百合は足しげく通い、物陰から太郎丸の姿を見てため息をつく。


 ある日、いつものように見に行くと軍大夫が文を手に興奮したように太郎丸に話しかけていた。

「若。御屋形様より城に戻れとの仰せにござる。隠忍自重した甲斐がございましたな。やっと若様がお世継ぎと認められましたぞ」

 太郎丸は少し寂しそうな顔で聞いていたが一つ頷き、本堂の方へと向かっていった。軍大夫がその後ろに続く。

 

 数日後、百合が訪ねたときにはもう太郎丸と軍大夫の姿は寺に無かった。百合は旅の商人に化けて聞き込みをして回り、太郎丸が山をいくつか越えた先にあるお城の世継ぎであること、嫡男が病死したために急遽呼び戻されて、同じく病に倒れた父に代わり家督を継ぐことになったことなどを知った。


「お師様!」

「くどいのう」

「どうして、私があの方を思ってはいけないのですか?」

「何度も聞かせたじゃろう」


 今日は百合も引き下がらない。

「人と交わってはならぬですか? では、お師様はどうなのです? 新左エ門様とは?」

「どこでその名を聞いたのかえ?」


「お師匠様の思い人でしょう」

 お銀は力なく首を振る。

「昔の話じゃ。百合。お前の大切な太郎丸というたか、一介の坊主ならいざしらず、あれは今や一城の主。我らのような妖には縁がない。諦めよ」

「嫌じゃ。私はあの人と添い遂げたい」


「無理を言うでない」

「お師匠様のけち。自分は一度は新左エ門様と添うたのでしょう。なら、私も」

「人の命は短いぞよ。好いた相手も先に死ぬ」

「それでもいい! ねえ、お師匠様、お願いじゃ」


 お銀は深いため息をつく。

「そなたは言い出したら聞かぬからな。この数年の想い、もう消せぬところまで育ったか。ならば聞け。明日の夜は七夕の節句。星辰が正しく揃い、陽の気が強くなるときじゃ。そなたの願いが天に届くやもしれぬ」

「ありがとう。お師様!」


 ***


 小さな城が燃えていた。黒煙が城と呼ぶには慎ましい建物を覆い隠している。払暁に始まった攻城戦も夕刻には大勢が決まっていた。寄せ手2000に対するは200ちょっと。しかも、防御側は当主を先日失くしたばかり。よくここまで時間稼ぎができたと褒めてもいいぐらいだった。


 曲輪の一番奥の屋敷で具足を身に着けた武士が2人いた。一人は血のにじんだ布を頭に巻いている。武士は言い争いの最中だった。

「ここは我らが食い止めます。奴らも搦手には人を回していない様子。落ち延びくだされ」

「私もここでそなた達と共に戦う」

「なりませぬ」

 布を頭に巻いた軍大夫が太郎丸改め井上義政にぴしゃりと言った。


「ここで死んでも犬死。落ち延びくだされい」

「しかし、そなた達を死なしておめおめと私だけが……」

「それが我らの勤め。気になさることはござらん」

「私一人では何もできぬ。落ち武者狩りにかかって辱めを受けるくらいならいっそ」


「若殿。あのまま寺で平穏な生活を送れるものを還俗させて、このような事態を出来させたは、この軍大夫、一世一代の過ちでござった。若殿には落ち延びて命を全うして頂かねば、先代様にあの世であわす顔がござらん。なにとぞ落ち延びくだされ」

 悲痛な声を絞って言う軍大夫の声に義政が答えようとした途端、種子島の発射音が鳴り響き、屋敷の外からくぐもった声が聞こえた。


「もはや、詮無きこと。かくなる上は武門の意地を見せようぞ」

 義政は戸を引き開け外に躍り出る。軍大夫もその後を追った。夕闇の中、木柵や小屋の燃える炎が照り映える。まだ昼間の熱気が残っていた。城兵の遺体が転がる中、義政と軍大夫は太刀を抜き払い歩みを進める。


 取り巻く寄せ手の中には見知った顔もあった。寄せ手に寝返った連中だ。先ごろ身罷った嫡男の近習だった者達である。妾腹の義政が家督を継いで自分たちの立場が無くなることを恐れて、それならばいっそと火を放って内応したのだった。その裏切りが無ければまだ城門は破られてなかったかもしれない。


「誰か、あの小童を膾にしてしまえ」

 寄せ手の大将らしい男が配下の兵を煽動する。軍大夫が義政を守るように前に出た時だった。城門の方から騒ぎが起こりばらばらと兵がこちらに駆けてくる。

「どうした。騒がしい」

「お、大入道がで、でたあ」

 

 すぐに騒ぎの原因は分かった。身の丈が2丈ほどもある真っ白な肌をした大入道が錫杖を振り回しながらやって来たのだ。弓矢を射かけても種子島を撃ちかけても相手は痛痒を感じないかのように錫杖を振り回す。大入道の前に何とか立ちふさがった者も槍を吹き飛ばされて泡を食って逃げ出した。


 余裕綽々だった寄せ手の大将も脱兎のごとく逃げ出し、それにつられて寄せ手の兵たちも一斉に城門の方へ走っていく。軍大夫は大入道を見上げていたが、ニタリと笑って太刀を収めた。

「若殿。確かに功徳は積むものですな。よもやこのようなことになろうとは」


 怪訝そうな顔をしていた義政の前で大入道は消え、真っ白な1頭の狐がうずくまった。綺麗な毛並みのところどころに血がにじんでいる。狐は苦しそうな声で義政に呼びかけた。

「ああ。太郎丸様。ようご無事で」


「そなたはあの寺にいた狐ではないか」

「はい。あの時、命を助けて頂いた者です。陰よりお慕い申し上げておりましたが、矢も楯もたまらずお会いしたく参上した所、お城の危難を見かけてあのような姿にて……」


「手傷を負うておるではないか。苦しくないか?」

「これしきの傷、太郎丸様にお会いできた喜びに比べれば……」

「おい、しっかりしろ」

「最期のお願いにござります。どうか、百合と我が名をお呼びくださいませ」


「百合、百合。しっかりいたせ。この恩、どのように返してよいものか。これ、しっかりいたすのだ」

「ああ。その声を聞けただけで私は満足にございます」

 そう言ってがくりと突っ伏す百合を義政は抱きしめて叫ぶ。

「百合。逝くな。百合っ」


 ***


 街道を3人が歩いている。一人は厳つい髭面の男。一人は白面の若侍。そして、一人は深い編み笠を被っていた。

「この根性悪の雌狐め。若様を誑かしおって」

「自分がその御面相で女子に相手にされないからって……おほほ」

「なにをっ」


 笠の下の臈たけた美女は舌をべえっと軍大夫に向かって突き出す。

「太郎丸様。今宵は早めに宿を取りましょう。ご家来は早めに下がらせて……」

「う、うん」

 満面の笑みを咲かせる百合に身を寄せられて満更でもない顔を見せる義政とそれを歯がみせんばかりの顔で見つめる軍大夫であった。


 

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