二人の旅人

 ファランを助けたのは麗しくも精強さを誇る金の髪の女戦士と、細身ながら眼光鋭く、独特な雰囲気を持つローブ姿の男であった。

 精根尽きたファランに女戦士が肩を貸し、山を降りる最中に男は周囲を警戒しながらファランに問いかける。

 問いかけの内容は獣について、ではなくファランの所属していた討伐部隊の人数やその指揮官の地位などであった。


 もし、ファランが精根尽きてなければ、或いは無意識化の気付きを、意識的に気付いていれば何処かのスパイかも知れないと疑っただろう。

 だが、そんな事を考える余裕は既になく、問われるままに答えを返すだけだった。


「……すると、あの連中がそうか」

「あの後、援軍を呼びに行ったのでしょうか?」

「そうであれば良いが、連中の動きもおかしい」


 そう話し合う二人の言葉の意味を理解しかねたが、ファランは問いかける気力もなく、肩を貸されながら如何にか村に向かうだけであった。


 谷を下る獣道に等しい山道を降りて、少しだけ開けた川辺に辿り着くとローブ姿の男が何やら腰袋から黒い粉を取り出して、それで川辺に印を描く。


「この印の中であれば魔獣は感知できない。少し休んで戻るのが良い。今戻れば少し厄介ごとに巻き込まれるかも知れんしな」

「ああ、ありがたい。女性とは言え武具付きの人間を担いでの山歩きは難儀しておりましたので……」

「す、すいません」 


 ついつい零れた女戦士の本音に謝罪の言葉を理解するだけの余力を取り戻したファランは、思わず謝罪の言葉を告げていた。

 それを聞いた女戦士はバツが悪そうに、男へと視線を投げるも、男は我関せずと火を起し、その後は儀式めいた行いに没頭していた。


 火を見つめ、漸くファランは落ち着きを取り戻せた。

 赤々と燃える炎は、闇を払ってくれるが、獣は恐れるのだろうかと言う不安は残ったが、それでも、この灯りから離れる心算はなかった。

 闇に戻るのは、怖いのだ。

 炎の明かりが届かぬ場所は全て、あの獣が潜んでいるようで、恐ろしい。

 いや、この恐怖はもっと別の所から湧いてくるような……。

 ぼんやりと思考するファランだったが、観察する様な男の視線を感じて、取り繕う様に笑みを浮かべた。


 一方の女戦士はファランが落ち着きを取り戻したとみてか、漸く名前を告げた。

 女戦士は自分の名をラウラと、ローブ姿の男をマリウスと言った。

 男の名前も、女戦士が告げるその間も、男は胡坐をかいて小さく何事かを呟き続けていた。

 時折、ファランを見やり、ラウラを見やるも特に言葉を掛けずに。

 その行いからも、この男には獣とは違った薄気味悪さがあるが、女戦士は何処か頼もしげに男を見ている。

 この人たちは何なのだろうかと訝しく思うと、それを察してかラウラが口を開く。

 自分達がここに来たいきさつと、コルラネ村で起きた一連の惨劇について。



 ラウラが語るには魔獣の出現は、ヘルゲン王の治世17年目足る今年の、晩春の月に話は遡るのだと言う。

 

 コルラネ村の住人ケーロンの娘コナッタが野山に木の実を取りに行き、獣に食い殺された。

 山に慣れた筈のコナッタだったが、夕方になっても戻らないため村人総出で探す事になった。

 そのおかげで夜になる前には、コナッタは見つかったが、彼女は無残な死体となっていた。

 嘆き悲しむケーロンを宥めながら、コナッタの遺体を持ち帰り埋葬したコルラネ村の者達であったが、それは獣を刺激する行為であったとラウラは語った。


「マリウス殿によれば、一部の獣は獲物に強い執着心を持つと言う。奴もそうだったらしく、村人は計らずに村に獣を招き入れてしまったのだ」


 あの魔獣は非常に貪欲な性質を持っているとラウラは告げ、ファランは背筋に冷たい汗が落ちるのを感じた。



 ラウラは更に語った。

 惨劇の夜はすぐに訪れたと。

 コナッタを連れ帰ったその日の深夜。

 村はずれの共同墓地に埋葬されたコナッタの墓が荒らされた。

 墓はほじくり返されコナッタの死体は一部を残して消えていた。

 そればかりか、村が共同で飼っている家畜も襲われ、田畑を耕す労働力を無くしてしまった。


 突然の娘の死に衝撃を受けていたケーロンであったが、翌日この惨状を見にして激怒した。

 危険な獣が出る様になった、山狩りが必要だと皆に懸命に訴えた。

 コルラネ村は人口が百人未満の小さな村だ。

 その為、各家々は家族に等しい付き合いがあった。

 そんな状況だからケーロンの訴えは最もと村人が賛同したのは当然の成り行きであった。

 それに、村の共同財産である家畜を奪った獣はやはり捨て置けなかったのだ。

 

 しかし、その行為こそ村の破滅に繋がる行いだった。

 村人にとって勝手知ったる山野とは言え、獣と人では適応能力が違い過ぎた。

 農機具のフォークと松明を手に日中の山を探索するも成果はなく、夕刻が迫り皆が村に戻り始めると獣の狩は始まった。

 一人、一人と抵抗の間もなく襲われ、その日だけで五人の村の男が死んだ。

 その中には、獣の姿を見て激高し、フォークを振りかざして獣に迫ったと言うケーロン自身も含まれていた。

 結局、村人はその日以降、山狩りを行う事は無かった。

 殺された男達の家族は、せめて死体の回収をと訴えたが村長は頑として村人が山へ向かう事を禁止した。

 その所為か、殺された男達の家族は、ケーロンの遺された妻と息子に辛く当たる様になった。


 徐々に村の中の雰囲気が悪化していく様子を語るラウラは顔を顰めていたが、儀式めいた動きを繰り返していたマリウスが、不意に二人に向かって口を開く。


「獣は死をもたらしただけでは無く、悪意も村に蔓延らせた。それこそ、本当の惨劇の始まりだ」

「少年を送り届けた時も確かに雰囲気は悪く感じましたが……そこまで?」

「疑心が疑心を呼び、獣の居ない夜は人同士がいがみ合うようになる」


 面白くもなさそうに語るマリウスにラウラは少しばかり困ったような顔をした。

 戸惑うファランを他所にラウラは一つ嘆息を零して話を続けた。


 

 村の雰囲気に暗雲漂う中、村長はこれ以上被害を出さないために行動を開始した。

 一番近隣の都市、ドルソンに軍の派遣を求める使者を送り出す傍らで、村を囲う柵の補強や見張り台の設営など急ピッチに推し進めた。

 家畜の飼料や村に保存されている食料を切り詰め、軍隊が来るまで迂闊に村を出ない様にと指示を出す。

 だが、軍が来るまで速くても十日は掛かる。

 どうしても、村を出て山野近くに赴いて、干し草や薪など集めねばならない。

 そこで数名の男達が警戒しながら作業に当たった。

 まだ十二歳のケーロンの息子もその作業に従事していたが、ある日、彼だけ戻らなかった。


 村の外での作業を持ち回り制にした所為で、関係が悪くなっていた家の者と一緒にケーロンの息子サモンは作業に出た。

 そして、作業がもう終ろうかと言う頃にその相手と口論となり、体格に勝る相手に殴り倒されてしまった。

 痛みで暫く蹲っていたサモンを置いて、殴った男は村人と合流し村に戻る。

 その日は、コナッタが食い殺されてから既に八日が経っていた。

 人の肉の味を覚えた獣が、腹を空かせるには十分な頃合いだ。


「その少年はやはり……あ、もしかして、先程送り届けたと言っていたのが?」

「そうだ、村の外で獣の気配を感じて慌てて逃げだし、道に迷ったと言っていたが、ドルソンに逃げたかったのかも知れない」


 家族を失い、ただ一人の母親を残して逃げ出そうとしたのだろうか?

 ファランにはそれが如何なる心の流れか分からなかった。


「迷ったのならば、良い。結果として我らに出会い一命をとりとめた。だが、逃げたとあっては、村に疑心を撒く存在になったと見ている」


 マリウスは陰鬱な声でそんな言葉を告げて、大きく息を吐き出した。


「そして、君の部隊の生き残りも、な。君の話によれば、彼等は仲間を見捨てた負い目がある。そして、誰もが自分を見捨てる可能性があると思っている。今宵、村に戻るのは厄介で在ろうな」

「マリウス殿は何を危惧されているのですか?」

「責任のなすり付けから始まる惨劇を。つまりは殺し合いだ」

「それは……」


 マリウスの予言じみた言葉に絶句したラウラ。

 その様子を眺めてから、マリウスは灰色の瞳をファランに向ける。

 

「時に……君は何故無事だったのか? 何か獣除けの技術でもお持ちで?」

「……え?」


 突然の質問に、何の意図があっての質問か、ファランは分からず素っ頓狂な声を上げた。

 マリウスの声には、ふと疑問の思った程度の色しか感じなかったので、単なる確認なのだろうと思い。


「それが……無我夢中で逃げている間の事は覚えていないので……」

「なるほど」

「それよりも、村が心配です。訓練中とはいえ村の為に派兵された身、惨劇が起きるかもしれないなどと言う事実は見過ごせません。急ぎ戻らないと」


 答えを返した後、ファランは先程のマリウスの言葉をようやく理解したのか、そんな事を付け足す。

 その言葉を受けたマリウスは眉間にしわを寄せただけで答えを返さない。

 ファランには急ぎ戻るつもりが無さそうなマリウスの気持ちが分かった。

 あの絶望を……仲間に見捨てられたファランだからこそ、今、村に渦巻く疑心の渦が何をもたらすのか容易に想像がついたからだ。

 それでも、ファランは口を開く。 

 

「――私一人でも戻る所存です」

「マリウス殿、ファラン殿を一人で送り出す訳には……」


 ファランの決意とラウラの言葉に押されるように、マリウスは立ち上がる。


「人の性を見せ付けられる。以前とはまた別の地獄に、アンハイサー殿は耐えられますかな?」

「私は貴方の剣だ。他者の醜さに動揺している暇はない筈です。それと……家名は捨てましたのでラウラとお呼び下さいと念押ししたはずですが?」


 マリウスの灰色の瞳を受けて、真っ直ぐに緑色の瞳を向けるラウラの言葉には迷いなど欠片も見当たらないようだった。

 ファランは、こんな状況でありながらそのあり様が羨ましいと思った。

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