疑心暗鬼の村
ファランはマリウスとラウラに伴なわれ、村へ続く険しい道を進んだ。
一休みした川辺からまだ歩いたが、夜の闇を切り裂く様な灯りが前方に見えてきた。
夜闇の浮かび上がる無数の松明が放つ光は、燃え盛る炎の様でもあり、村の行き先を暗示しているようにファランには思えた。
村に近づくにつれて、明るさは増し人の気配も感じられるが、同時に人々の罵り合う声も聞こえてきた。
不安に押しつぶされそうな彼等は、互いを罵り合い、獣を呪い、襲撃に怯えながら不寝番をしているのだろう事が伺える。
いや、今この村で眠る者の方が少ないのだろう。
もう、誰を頼って良いのか分からない程に、村人は疑心に囚われているのだとファランは静かに思う。
マリウスと言う男の言う通りに。
番をしている村人に一声掛けにラウラが一時離れた。
流石に声掛けもせずに中に入ろうとすれば、一悶着起きると言う事だろうか。
少しだけ話が込み入っているのか何やら話し込んでいるラウラへ一瞥与えて、ファランは村の様子をつぶさに観察した。
柵の外からでもこの村に広がる暗雲は感じ取れる。
何とも、滑稽だと密かにファランは思ったが、自身の感覚が何やら麻痺しているようにも思えて、薄寒さを感じて身を震わせた。
程なくして、ラウラが戻って来れば三人は村の中へと向かった。
その際に、ファランはラウラと会話していた村人が急ぎ何処かに向かう事に気付いた。
村に一歩足を踏み入れれば、ファランはこの村には独特な、そして嫌な感情が渦巻いている事に気付く。
耳を澄ませば聞こえてくるのは、誰かをなじる声、疑いを口にした為に起きる諍いの声。
明日の朝日を拝めるのか怯えた様に問う子供の声、慰めようとしながらも繰り返される問いかけに苛立ちを隠せなくなった母の声。
獣の襲来に備えるように呼び掛ける声は、不安と疑惑に揺れている。
そして……声にならぬ声までファランは聞き取っていた。
村に駐留する逃げ帰って来た兵士達と村人の間にわだかまる隠された憎悪の声。
偉そうにやって来た割りには役に立たない兵隊と村人は嘲りを、へつらいと張り付けた笑顔の向こうに隠す。
村人の為に仲間が死んだと考える兵士達は憤りを、横柄な態度に滲ませている。
それらが噴出しないのは、獣の恐怖が先立っているからに過ぎない。
恐怖に抑圧された猜疑と不安が巣食うこの村は地獄に違いないとファランは思う。
ローブの男マリウスが村に赴くのに乗り気じゃなかった理由はこれで在ろう。
そこまで考えが及び、ファランはマリウスについて考える。
ラウラにせよ、マリウスにせよ、完全に部外者の筈。
そうだと言うのに、あまりにも落ち着いている。
似たような事態を経験をした事があるのか? そう言えば、マリウスはそんな事をラウラに言っていた。
――この二人は危険かもしれない。
不意にそんな思いを抱いたファランは、そっとマリウスを伺い見る。
彼は眉間にしわを寄せて、難しい顔で何やら考えている。
と、徐にマリウスの灰色の瞳がファランを見据えて、引き結ばれていた唇から問いかけが放たれた。
「部隊の仲間に裏切られ、取り残された者達はバラバラに逃げた。そう仰ったが……」
「ええ、それが?」
「いや、なに。君がいた場所には、なぜあれ程多くの兵士の死体が在ったのか不思議でね」
「……それは……」
……確かにおかしい。
皆バラバラに逃げたのに、何で……。
餌として一カ所に集められた?
巣でも無かった筈なのに……。
「餌として運ばれてきたのでは?」
「――ないとは言えんね」
ラウラの言葉に肩を竦めながらマリウスは答える。
その所作、物言いから、彼はその選択肢は除外している様だった。
やはり、この男は危険だ。
そうファランに囁く声が聞こえる。
一体誰が囁いているのか、頭を振ってその声を追い出そうとする試みたファランだが、その拍子にふと気づいた。
何故自分は、仲間の死に様を克明に記憶しているのだろう、と。
その疑問に辿り着いた瞬間に、ファランは自分の中から答えがある事を思い出した。
(獣を操り殺したから。私が、命じて殺したから)
――そうだ。
私が、殺させたんだ。
その事実にファランは漸くたどり着いた。
思い出すのは、獣の襲撃直後の事。
裏切ったのは『あの人』だけでは無かった。
彼女達も裏切っていたじゃないか。
そんな思いと恐怖に突き動かされ、喚き、叫びながら獣を逃れて走り回っていたファランは、運悪く獣の巣である洞穴に転がり落ちてしまった。
衝動が消え去り、恐怖だけが取り残された体は、痛みを訴えていた。
ここが獣の巣とは知らないファランだったが、何を感じ取ってか急ぎ逃げ出そうと足掻いた。
それでも、動かない体。
如何しようと足掻いている間に、洞穴の入り口から獣染みた唸り声が響いてきた。
その声を聴きファランは、奥に進むしか逃げ場が無い事を悟った。
最早助からないかもしれないと言う絶望を抱えながら奥に進んだファラン。
洞穴の奥は暗く途中は何も分からなかったが、不意に薄明かりが灯っているのを見つけた。
人が居るのか? いや、居たとしても……。
希望とも諦めともつかぬ思いを抱きながら、進んだファランの目に飛び込んできたのは……魔術師と思しきローブ姿の白骨死体だった。
肘掛けの付いた椅子に座ったまま死んだと思われる白骨死体の首には、いやに目を惹くペンダントが掛けられている。
何処に光源があるのかさっぱり分からない薄明かりに照らされ、ぬらぬらと怪しく光り輝くペンダントに、ファランは手を伸ばす。
何故そうしたのかは分からない。
ただただ、そのペンダントを欲したのだ。
そして、掴み取ったペンダントを手にしたその瞬間に、獣を制御する方法が脳裏に過った。
裏切り者を全て殺そうと言う強い意志と共に。
後は簡単な作業だった。
目前に迫っていた獣をペンダントの力で制御して、裏切り者を殺しに向かった。
アニタも、アネッサも、クリスも、酒の席でからかいを発した男の兵士も、獣は嬲るように殺していった。
哀願を無視し、懇願に罵り、絶叫に哄笑を迸らせてファランは作業を続けた。
彼女らが死んでいく様を見ながらファランは胸のむかつく様な吐き気と、それを上回る喜びと法悦を感じて身震いしていたのを思い出す。
凡そ、今まで感じた事の無い様な歓喜は病みつきになりそうだ。
そう感じ艶然と笑ったそ彼女を、化け物でも見るような目で死んで行く者達は見ていた。
全てを思い出したファランは、耐えかねた様に膝を折った。
溢れ出る脂汗が、全身を濡らす。
突然の急変にラウラが慌てたように声を掛けた。
「ファラン殿? 大丈夫ですか?」
「すいません、少し……休ませて頂きます」
ふらつきながらも立ち上がったファランは、兵士達が詰めている家屋へと向かっていった。
一体何事かと呆然と見送るラウラにマリウスは声を掛ける。
「所要を済ませてしまおう」
それだけ告げて、歩き出すマリウスの顔には、明らかに不快げな色が浮かんでいる事に気付いた者は居ない。
ファランは、『あの人』を探していた。
死ぬときはどんな顔で死んでくれるのか。
最後まで騙そうと愛を囁くのか、嫌悪を示すのか。
どちらにせよ、これ程淫らな行いはないだろうとファランは期待した。
期待しながら、ポケットに収まっているペンダントを衣服の上から確認する。
これさえあれば、何をするのも自由だ。
犯そうと、殺そうと、圧倒的暴力がファランを守ってくれるのだ。
ファランはガントレットを外してから、その絶対の力の源であるペンダントをポケットから掴みだして首に掛けた。
口元に浮かぶ笑みは、既に暴力と退廃に酔いしれている。
これからの事は全て、あの人を弄んでからだとファランは笑いながら詰所になっている家屋へと滑り込んだ。
ファランが家屋に入ると、その場で苛立ちのままに待機していた兵士達が凍り付いた。
それも当然だ、裏切った筈の相手が生きて戻って来たのだから。
だが、裏切られた筈のファランは何処か陶然とした笑みを浮かべて、自身のブレストアーマーを外した。
アーマーが床に落ち、金属音がけたたましく鳴り響くのを無視して次に血にまみれた上着を脱ぎ捨てた。
露わになるのは傷があり鍛えられていながら女らしさを損なっていない上半身と異様なペンダント。
それらを目にした瞬間に待機している兵士達の目がギラついた。
死が間近になると人は性的な興奮を覚えるともいう。
詰所となった家屋では程なく獣染みた人間の矯正が響き始め、程なくして獣の咆哮が加わった。
この狂った劇に幕を下ろす最後のひと時が始まったのだ。
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