第6話 私は姪っ子

 軽やかな晴天にめぐまれた大安吉日。決して有名ではないけれど、アットホームな清潔感のある結婚式場。新婦は十三時からの挙式にあわせて、七時半に会場に入りだが、新郎は遅くても平気というセオリーを無視して同時刻に会場入りさせた。というか、車をお願いしたんですよ。駅徒歩十分というアクセスは、荷物を持ちあるくには少し距離が長い。


 今時めずらしい仲人に、松井課長を指名した。他にもっとお偉い人がいるだろうと気遣っていただいたが、結局は二つ返事で受け入れてくださって、とても感謝している。二つ返事で快諾しながら、結婚の報告に動揺したことが見え見えで、普段しない大失態は、半年たったいまでも語り草となっている。


 時計が十一時を指した。控え室にも、ホールにある時計の音が響く。


「銘子、準備できた?」


「うん、できた」


 燕尾服の、今日からの旦那さんが部屋にはいる。もと同じ部署の先輩社員。小林主任――今は係長になった彼が、顔をほころばせてほめると、この笑顔にいったい何人の女がだまされたのだろうかと考えることもある。自分もその一人か。


 これからは、唯一の人に、なりたいなぁと、淡く、強く思う。


「ご両親は控え室についてるから、挨拶に行こうか。斎木先生も、いらしているみたいだし」


「あれ、今日は授賞式と重なって来れないってきいてたけど?」


「会場近いから、都合ついたみたい」


 この如才ない男はそういう根回しが得意なんだと、一緒に仕事をして何度思い知らされたことか。


「……ありがとう」


 メイクを終えたばかりで、時間にはまだ余裕がある。旦那さんに手を引かれながら、親族の待つ部屋へと急いだ。




「おねーちゃん、きれー」


 感動して言葉もでない両親に変わって声を出したのは、弟の紡。もう十二になってしまって、背があまり変わらなくなってしまった。そのわりに顔立ちだけはよく似て、紡は時々女の子に間違えられるそうだ。


 紡の隣に立ち尽くす父は号泣寸前だ。否、白いハンカチを取り出し、目を赤くしているのだから、寸前などと言うレベルではないのかも。


「来てくれてありがとう、紡」


 着慣れていないせいで、うまく動けない。会場の人が椅子を持ってきてくれたので、それに腰掛ける。ドレスの裾も会場の人がさばいてくれる。


 近くにあった紡の手をちょっと握ると、母によく似た相貌でほほえむ。


 おじさんも来てるよ、と紡が後ろを振り返る。


「結婚おめでとう、銘子」


「こーすけ、ほんとにきてたの??」


「せっかく授賞式の前に駆けつけた叔父に対して、その言い方はないだろう」


 今日は大切な授賞式の日だ。映画化を含めて多数のメディアミックスをした作品の次の作品が、二ヶ月前に歴史ある文学賞を受賞した。さすがにタイミング的にずらすことができず、欠席の予定だった。


 ……そう、授賞式に出席するのだ。式次第なんて、穴が開くほど何度も見返した。だから、そうせざるを得ないと、理解できているんだけれども。


「その格好、紛らわしいんだけど」


 旦那さんのグレーと色こそ違うものの、黒の燕尾服。どうして式場にそんな格好でくるかなぁ、この男は!! 絶対同じ服装の人、いるから!!


「すぐに時間なんだ、これくらい許してくれ」


 ちらりと時計をみる。そんなの、私が一番よく知ってる。


「でも、大変だな。九月からの転勤、急に決まって」


「まさか、出版社勤めで海外勤務になる日が来るとは思いませんでしたよ。でもそのおかげで、銘子の誕生日に合わせて式挙げられたかなと」


 そう、先に引っ越しやらあれこれ済ませてから、ゆっくり挙式準備をしようと思っていた。お互いに親族会食だ結納だ、初めてのあれこれを処理しながら、挙式準備なんて無理だと判断して。

 案の定、半年早めた挙式で私は一時五キロ痩せ、ここ一ヶ月で二キロ戻した。ドレスの体型のために。


「銘子もよく、ついて行く気になったな」


 人によっては水を差す言い方かもしれない。だが、たしかに私も悩んだ。


「向こうにいるのは二年の予定だから。三年以内に戻ったら、復職の融通をしてくれるって」


「銘子が原稿の取り立てにこないと思うと、気が抜けそうだな」


「ちょっと! 戸隠くん、困らせないでよね! 今月二十六日の雑誌の締め切りだって、わかってる?!」


「わかってるって……ここで締め切りとか言わないでよ、花嫁さん」


 ここ一、二年、こーすけにあう度の口癖だったからなあ。振りかえると、懐かしくてびっくりする。


「……そろそろ、本当にまずいんじゃない? お見送りするよ」


 いすから立ち上がろうとすると、こーすけがとめる。


「花嫁さんが式場の出口まで見送りにいったら、会場の係員さんがはらはらするでしょ。しかも、燕尾服の男を」


 笑いのツボに入ったらしい旦那さんが、少し吹き出した後に腹筋と戦いを始める。笑いどころじゃない! そこ笑いどころじゃないよ旦那!


「だから見送りは、ここで十分。窓からでも、十分見えるでしょ?」


 そういって指さした窓からは、たしかに会場の正面玄関がのぞける。でもと言いかけた口の動きを察して、それよりも早く、紡が動いた。


「僕が行ってくるよ。ねーちゃんは残りの準備もあるんでしょ?」


「ありがとな、紡」


「じゃあ、お願いね、紡。……またね、こーすけ」


 椅子に一度座ると、座り直すのが大変なのでなかなか立ち上がれない。何か伝えたいような、もやもやとする。


「どうした、銘子」


 そっと涙を拭われて、あらためてこーすけを気障ったらしいと思ったけれども、当たり前だった。もともと私は、スーツ姿のこーすけにかっこいいと思って惚れたクチなのだ。


 この男性が私の初恋で、ずーっと、忘れきれないままだった。かなうはずもない初恋は、フラれることもできないまま、ずっと心の中で住み続けていた。


「もし子供が生まれたらさ、見に来てよ」


「おう、出産祝いもって駆けつけてやる」


 ふと、思い出す。


「またサンタクロースのコスプレして、クリスマスプレゼントくれたっていいんだよ?」


 ふっと笑って背中を向け、手を振る。こーすけの所作に、かっこつけすぎと言い切れた自信のない私は、座ったまま、窓の外をみつめた。


 部屋から立ち去ったあのひとは、しばらくもせずに式場の門を越えていった。振り返らず、真っ直ぐに背筋を伸ばして。



 ――社会人になって、やっと隣に、たてたと思ったのに。



 初恋がかなわないと知ってから、それでも彼にとっての何かになりたかった。姪以外の何か、特別な存在になりたかった。やっと、担当編集という名の「ひとり」になれたと思ったけれど、それだって私以外のだれかがすぐに代わりになってしまう。


 結局わたしは、姪っ子だ。


 手に温もりを感じると、旦那さんが手を握ってくれていた。こうしてあたたかく、包み込んでくれる人がいる幸せを、私は選択した。




 浩介に関わる思い出を振り返ると全てがまぼろしのようで、淡い色彩が過去の出来事を色づけていく。すべてを、どんどん暖かな色合いの走馬燈にしていく。



 それが私の、初恋の、次第なのだ。

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初恋次第。 天霧 @fuwafuwa120

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