シーラさん

マツダシバコ

シーラさん

 店にはシーラさんがいた。

 シーラカンスのシーラさん。

 私が店にくるずっと前からそう呼ばれているらしい。

 シーラさんは店のこたつの一辺を陣取って胸までふとんを引き上げ、大きな顔をそっくり天板の上に乗せている。冬でも夏でもそうしている。

 シーラカンスは生きる化石と呼ばれる深海の古代魚。うすらでかい体に、足ともヒレともつかない突起物が8本も生えている。曇ったガラスような目。夢のようにぼんやりと水中に浮いている。移動するときだけ、足のようなヒレで海底をてくてく歩く。奇妙な魚。

 シーラさんはシーラカンスに似ているからシーラさん。

 「昔は驚くほどの美人だったのよ」とシーラさんはいつも言う。

 シーラさんの目はあっちとそっちを向いている。瞳は穴が空いたように深く落ち窪んでいた。シーラさんは病的なほどの数の整形手術を繰り返している。

 そのおかげで口は閉まりきらない。下あごが突き出た口の隙間からは、いつも干物のような匂いがしていた。シーラさんにとって口を閉じていることはかなりの重労働で、だからシーラさんはいつもこたつの上に顔を乗せている。

 シーラさんの歳は、五十歳か六十歳くらい。もしかすると、もっと年を取っているのかもしれない。ウエーブのかかった長い髪は、ペンキを塗ったように黄色く染まっていた。

 「Kちゃん、ちゃんと野菜も食べなくちゃダメよ」

 シーラさんはたまに駅前で買ってきた甘栗を私にくれる。

 私の名前にKなんて文字は一文字も入ってないし。甘栗は野菜じゃないし。でも、シーラさんってそんな人だ。


 ある日、店に行くとシーラさんが痛んでいた。

 こたつにのせた顔には歯痛の時みたいに、黄色いバンダナがあごの下を通して頭の上で結ばれていた。シーラさんはじっと痛みに耐えているようだった。整形に失敗して閉じきらないまぶたの端から涙が流れていた。

 「どうしたの?」私は聞いた。

 「客にやられちゃったんだよ」オーナーは顔をしかめて言った。

 「常連?」

 「まさか」

 確かに、常連はこんなことはしない。オーナーが自慢するように、常連は無茶は言うけど、みんな紳士で遊びをよくわきまえている。でもオーナーは最近、よくわからない新規の客も入れるようになっていた。

 店が扱っている商品は女だ。注文があると私たちは客が指定するホテルに出向いて、(基本)本番以外は何でもする。私たちにとっていちばん怖いのは、密室で起こるこういう事件だ。

 「そういえば、お金はもらってきた?」オーナーが思い出したように聞く。

 シーラさんは手を横に小さく振った。

 「まいったなあ」オーナーはポマードで固めた後頭部を手のひらで叩く。「お金もらってこないんじゃ、シーラさんにもお金をあげられないよ」

 「そんなのかわいそうだよ。シーラさんは怪我までしてるんだよ」私は言った。

 「そうは言ってもねえ」

 オーナーは首から下げた黒いエプロンの汚れを揉みしだきながら言った。

 店の掃除はぜんぶオーナーがやっていた。女の子はみんなだらしないし、手伝う気なんてないからだ。こたつの台の上にできた飲み物の丸い輪っかや剥がしたつけまつ毛なんかを、オーナーは丁寧にきれいにする。長い髪の毛やコンビニの弁当の食べこぼしなんかも、床を這うようにしてコロコロできれいにしていく。

 「だいたいオーナーは最近、新規の客を取りすぎなんだよ。危なそうな奴なんて電話の声でわかるじゃん」

 「そうは言ったって、うちだって商売なんだから。選り好みばかりしてらんないよ。みんなだって体張って働いてんだから、多少のことは覚悟してもらわないと」

 「だからオーナーがちゃんと客を見抜かないとダメなんじゃん。こんな怪我までさせられて、警察に通報すべきだよ!」私が勢い余って言うと、急に店の空気が変わった。

 「いつまでもふざけたことを言ってんじゃねえぞ。シーラがいいって言ってんだからいいんだよ。お前が口出すことじゃねえ。そんなにここが気に食わなきゃ、出て行け」

 オーナーはやくざみたいに声を荒げた。まあまあと、シーラさんが両手をうちわで扇ぐみたいにしてオーナーをなだめた。

 「だって、」そう言いかけて、私は思わず言葉を飲み込んだ。

 シーラさんの目が奈落の底のように真っ黒くなっていたからだ。シーラさんがウインクすると目玉がぐるっと反転して、そこにはぞっとするような闇が現れる。私はその闇を前にも見たことがあった。

 「いいか、ここにいられなくなって困るのはこいつなんだよ」オーナーはシーラさんに指を突きつけた。「こんな女、他じゃ生きていけないから俺が面倒見てやってるんだ。こたつだって俺が買ってやったんだ。馬鹿野郎」

 オーナーは着けていたエプロンをかなぐり捨てて、出て行ってしまった。

 私はシーラさんを見た。シーラさんは微笑んでいた。やっぱり、シーラさんはオーナーを殺す気なんだ、と私は思った。

 ずっと前、私はオーナーに迷惑をかけて怒られたことがある。

 その時、私は暴力を振るう彼氏から逃げて家出していた。その間、家賃を滞納して、不動産屋からの電話も無視していると、オーナーに連絡が行ってしまった。忘れていたけれど、部屋を借りるときに連帯保証人がどうしても見つからず、私はオーナーに頼み込んだのだった。滞納した家賃をオーナーはとりあえず立て替えてくれたけれど、私はものすごく怒られた。

 泣きながらシーラさんのところに行くと、シーラさんは言った。

 「Kちゃん、恋が終わった男といつまでも別れないのは、女としてはしたないことよ」

 「だって、別れたいって言うと暴力を振るわれるし」

 「毒よ」

 「え?」

 「毒を盛るの」シーラさんは微笑んだ。

 「毒って、彼氏に毒を盛るの?」

 「そう」

 「シーラさんは毒を盛ったことがあるの?」

 「星の数ほど」

 シーラさんはウインクをしてみせた。シーラさんの目玉が反転した。それは暗黒の扉が開いた瞬間だった。その絶望的な闇の穴を覗きこんだ時、私はそこに何人もの男の亡骸が吸い込まれていったことを確信した。

 その話を聞いてから不思議なことに、あんなにしつこくかかってきていた彼氏からの電話がぱたりと止んだ。恐る恐るアパートの部屋に戻ってみると、彼氏の姿は消えていた。私は今でも、彼氏はあの暗黒の死地に眠っているに違いないと信じている。

 「シーラさん、大丈夫?」

 私はシーラさんの背中をさすった。

 黄色いバンダナを顔に巻いたシーラさんは、こたつの上に顔をのせたまま、何もしゃべらず、何も食べずに3日間じっとしていた。それから、オーナーの車に乗せられて、病院に入院した。


 シーラさんが留守の間、私はシーラさんのお客の相手をした。おじいさんばかりだったけれど、誰もが紳士でやさしくお洒落だった。でも、それは私にじゃなくて、シーラさんに敬意を払ってのことだ。

 シーラさんの常連さんは、昔シーラさんの恋人だった男たちらしい。若い頃は、激しい情熱をぶつけ合って、残酷なほど愛を確かめ合ったのだという。その修羅場を生き抜いて、良き友となった者たちがシーラさんの常連となって、今も彼女の近くにいる。いわばシーラさんと常連さんは戦友なのだ。

 オーナーもかつてシーラさんの恋人だったという。シーラさんがもっとずっと若くて美人だった頃の話だ。

 シーラさんの目があっちとそっちを向いてしまったのは、喧嘩をしてオーナーがシーラさんを殴った時に、頭を強く柱にぶつけたことが原因らしい。

 オーナーと別れた後もシーラさんは情熱と欲情の海を泳ぎ続け、数々の恋愛を渡り歩いた。その度に男が望むまま、シーラさんは整形手術を繰り返した。

 「女は美しすぎても幸せになれないの」シーラさんは言う。「女は男にとってチャーミングじゃないと」

 シーラさんの腕や首や頬には、砂場でフォークを引きずったような傷跡が無数にある。他にもいろいろだ。その傷の一つ一つには、海賊船に刻まれた名誉の傷のように壮大な物語が眠っている。私がいちばん好きな話は、右手の話だ。

 シーラさんの右手は手首から先がない。

 シーラさんはその理由を「自分で大事なところを悪戯しないようにね、昔の男に取り上げられちゃったの」とおしゃれに言う。

 そのシーラさんの昔の恋人はいわゆる人体改造マニアで、中でも過激な切断嗜好者(アンピュテーション)だった。そういうマニアの間にはちゃんと闇の病院が存在して、健康な体を切り刻んでデザインしてくれる。

 シーラさんがその彼に会った時、彼の体にはすでに左手の肘から下、左足首から先、それから右の目の玉がなかった。

 「なんてかわいい人、って思った」とシーラさんは言った。「甘やかして、甘やかして、甘やかしてやったわ」

 シーラさんが彼氏の面倒を何でも見てあげたので、彼は思いのままに自分の趣味に没頭することができた。そして、彼の誕生日には、シーラさんは自分の右手をプレゼントした。

 「本当に白魚のようなすらりとした美しい手」

 シーラさんはうっとりして言う。その右手はあまりの美しさに、今もマニアの間でやり取りされ、どこか誰かの地下室の棚でホルマリンの中を漂っているのだという。

 でも、恋は終わった。

 ある冬の夜、シーラさんはバースデーケーキにろうそくを立てるみたいに、裸にした彼の体を、街の片隅に積み上げられた雪の山に突き差して、さよならした。その時、彼の体は赤ちゃんほども小さくなっていたのだという。

 「彼は死んだの?」私はわくわくして聞いた。

 「坊やはね、私の心の中でいつまでも生き続けているの」とシーラさんは言った。

 私はそんなシーラさんのぞっとするような恋愛遍歴を聞くのが大好きだ。

「ねえ、シーラさん、この傷はどうしたの?」私が話を催促すると、シーラさんは必ず、「私はね、昔、驚くほどの美人だったの」と物語をはじめる。

 あごの関節が壊れたシーラさんが口を開くと、まるで大海原に船が乗り出すようにギギギという音がした。ぎゅぎゅっとロープが締まるように喉が鳴って、ひゅーひゅーと風のように漏れる息の中で、低音の声が響く。それは深海の底で泡が沸き立つようなぞわっとする不思議な声だ。


 シーラさんは1ヶ月後に戻ってきた。

 オーナーはまだ殺されていなかった。でも、人が変わったみたいにやさしくなった。

 オーナーはもう無茶な注文をする新規の客は取らなかった。それからシーラさんが客につくときは、必ずホテルの部屋まで送り迎えする。シーラさんの肩にかかっているバラの絵が付いた安っぽい変な毛布も、オーナーがプレゼントしたものだ。

 シーラさんは入院前と同じように、こたつに顔を乗せて座っている。

 「シーラさん」私はシーラさんに声をかけた。

 シーラさんの顔は前よりも壊れていた。顎の蝶番に留められたホチキスの針のような器具が、皮膚の上からでもわかって痛々しかった。でも、もっと心が痛んだのは、シーラさんの2つの瞳が、岩陰に逃げ込むようにさらに奥まって暗く小さくなってしまったことだ。

 私は左手が上がらなくなってしまったシーラさんの代わりに、開いたままの口の隙間から、ペットボトルで水を注いであげた。

 シーラさんは器用に舌をストローのように丸めて、きゅるきゅると不思議な音を立てながら、水を喉の奥に運んで飲み下した。

 「シーラさん、これ見える?」私はこたつの上に生けたバラの花を指差した。「それにあっちにも」私が指を差すたびに、シーラさんのつぶらな瞳はあらぬ方を向いた。

 「もちろん、見えるわよ。いい香りがするじゃない」

 部屋にはバラの香りが充満していた。

 「みんな、シーラさんのお客さんが持ってきてくれたんだよ」

 「そう、きれいねえ」

 シーラさんは深いため息とともに、低温の声を震わせた。

 客はみんな、シーラさんが高級なバラとチョコレートが好きなことを知っている。私は素敵な箱からチョコレートを一粒つまんで、シーラさんの口の隙間に入れてあげた。

 シーラさんはまるで曲芸みたいに、舌の先でチョコレートをコロコロと転がした。私はカニみたいに茶色いあぶくを唇の端にためたシーラさんに言った。 

 「シーラさんばかり、どうしてこんなにひどい目に合うんだろ」

 シーラさんは声を出さずに体を揺らして笑った。

 「不思議ねー。ぶっ壊れれば、ぶっ壊れるほど、男はみんな私の虜になるの」

 それから客の指名が入って、オーナーはシーラさんの頭をスカーフで包んで頭の上できゅっと結び目を作ると、贈答用のスイカみたいにシーラさんの頭を手に提げて、二人並んで出かけて行った。


 仕事に入る前、私は念入りに化粧をして別人になる。何も感じない、何も感じないと自分に言い聞かせながら、私は顔を仕上げていく。服や体に化粧品が付くのを嫌う客が多いけれど、だから、化粧を落とせと言われると私は悲しくなる。

 私はすっぴんにされて、裸にされて、ベッドの前に立たされていた。

 早く、もっとひどいことをしてくれればいいのにと、私は思っている。そうすれば、扉が開いて別の世界に行くことができるから。

 私は大きく足を開いて、ベッドに両手をつくように命じられる。

 ハイヒールのつま先を立てて、お尻をもっと突き出すように言われる。

 ベッドに頭をつけて、両手の指でお尻を開くように命令される。

 バンッ!

 大きな音がして、手の平でお尻を思い切り叩かれた瞬間に、私は海に飛び込んだ。深く、もっと深く、私はどんどん沈んでいく。海底にはシーラさんが待っている。

 シーラカンスのシーラさん。シーラさんは巨体を紫煙のようにくゆらせて、水中にぼんやりと浮いている。外れた顎がシーラさんの証拠だ。

 椅子を並べて観客たちはお待ちかねだ(そこにはオーナーも常連たちもいる)。私も急いで席に着く。

 カタカタと音がして、シーラさんの両眼が反転したかと思うとまぶしい光が放出される。あっちとそっちを向いた右目は非常灯、左目からは深海の闇に下りたスクリーンめがけて、素敵な世界が映し出される。

 観客は皆、胸の前で手と手を握りしめ、息を飲み、よだれを垂らすほどうっとりとしてスクリーンに釘付けになる。

 シーラさんの世界は本当に素晴らしい!

 醜い肉体。薄汚れた目玉。耳障りな声。鼻の曲がる吐息。溶けた脳みそ。嘘つきの舌。フニャフニャのソーセージ。腐ったアワビ。役立たずの指先。聞こえない耳。くその詰まった臓物。開き切ったアナル。

 シーラさんが噛み砕けば、ほら!不思議!

 骨は白いバラ、血肉は赤いバラ。小鳥がさえずり、楽園にとけていく。

 うずまく花びらの中心にいるのはシーラさん。いつだってシーラさん。

 シーラさんは世界でいちばん美しいお姫様。

 シーラさんが歌を歌えば、鳥は落ち、魚は浮き上がる。

 空は割れて、世界が終わる。

 素晴らしい!シーラさん。

 楽園の正体は、死体の山、ガラクタの山、狂気のふきだまり。

 みんながシーラ姫の傍に咲く一輪の花になることを夢見てる。

 みんながシーラさんのファン。みんながシーラさんのファン。みんながシーラさんのファン。みんなが・・・。

 会場は大喝采。観客たちは満足顔で、地底から沸き立つ泡のように水面に浮上していく。

 「ありがとうございました」

 洋服に着替えた私は、客に頭を下げて金を受け取る。もう、仮面のような化粧も必要ない。

 私は道具の入った黒い大きなバッグを肩にかけてドアに向かう。

 「おい」

 客から呼び止められて、私は振り返った。

 「これも持ってけよ」

 客がベッドの中から投げたものが私の体に当たって、床の上に転がった。

 それはさっきまで客が指にはめて遊んでいた指輪の形をしたキャンディーだった。

 私が来ていた白いコートの、キャンディーが当たった部分に、私の便が付いていた。私はそれを手で払って、キャンディーを拾い上げた。

 プレイが終わったら何もなかったように、普通に振る舞うのがルールってものなのに、こういう無神経な客に会うと、殺したくなる。

 「ドウモアリガトウゴザイマス」

 私は奴隷のように深々と頭を下げて、部屋を出た。

 事務所に戻ると私は、台所の水道の水を細く出して、指にはめたまま指輪のキャンディーを洗った。水流で付着した便が少しずつ剥がれていく。

 キャンディーはダイアモンドのようにカットされていて、透明の赤い色をしていた。プラスチックでできた指輪と台座の部分も赤色だった。ストロベリーの味なのだろうと私は思った。水の反射でキャンディーはキラキラと光った。

 私はキャンディーを指にはめたまま部屋に行った。

 「ねえ、シーラさん」私は船に乗り込むように、こたつに座ったシーラさんの隣に潜り込んだ。

 「昔むかし、とても美しいお姫様がいてね、そのお姫様はとにかく美しい物が大好きでした」私はお話をはじめた。

 「それでね、ある日、お姫様はいいことを思いついて、魔法使いに魔法をかけてくれるようお願いするの。美しい物は、美しい者に。醜い物は、醜い者にしか見えなくなるように。お姫様は美しい物は、美しい人にしか見る価値がないと思ったのね」

 シーラさんは黙って頷いた。

 「ところが、魔法がかかってみると、お姫様は何も見えなくなってしまった。ううん。見たくないものだけが見えるようになってしまったの」

 私はシーラさんの右手をとってさすった。丸く途切れた手の先は、皮膚の下で骨がこりこりと動いた。

 「お姫様は魔女に呪いをかけられたと思ったけど、あとの祭りだった。お姫様にはもう、魔女も見えなかったから。お姫様は、醜い召使と醜いものに囲まれて、毎日泣き暮らしたの」

 シーラさんはどこかわからない遠くを見ていた。私は話を続けた。

 「でもある日、泣き疲れたお姫様がふと顔を上げてみると、暗闇の中で光るものがあった。お姫様が近づいていくと、それはルビーのような赤い石の指輪だったの」

 私は指にはめた赤い指輪をかざしてみせた。

 「お姫様は大そうよろこんで、この指輪こそが、本当に美しい指輪なのだと言って、『真実の指輪』と名付け、生涯、大切に大切にしましたとさ。そしてその指輪は、お姫様が死んだ後も、本当に美しい人たちの間で代々引き継がれていったの」

 私はシーラさんの手を取って、かつて薬指があったところに赤い指輪をはめてあげた。

 「それが、この指輪なの」

 シーラさんは陽の光に指輪をかざすみたいに右手を宙に差し出した。私はシーラさんに頬を寄せて、一緒に指輪を眺めた。その途端、目の前の景色は変わる。バラ園のつぼみたちは目を覚まし、指輪は本物の光を放ち出す。

 シーラさんが口を開くと、ギギギと船が漕ぎ出すみたいな音がして、ひゅうひゅうと風のように、喉の奥から大量の空気が押し出される。そして地底が泡だつようなぞっとする声に、私はうっとり耳を傾ける。

 「そう、きれいねえ」

 そう言って、シーラさんは眩しそうに目を細めた。


    

                                                             おしまい

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シーラさん マツダシバコ @shibaco_3

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