cacao→cocoa

春日千夜

人生を変えたチョコ

 落ち着けと必死に言い聞かせても、落ち着けない時ってあると思うんだ。まさしく今の俺がその状態で。とにかく叫びたかった。

 俺にもついに、春が来たんだ!



 ●○●



 思い返せば三年前。中学一年の時だった。俺はそれまで毎年、母さんと姉さんから受け取っていたチョコレートを拒んだ。

 きっかけは、友達のタカシだった。中学に入って仲良くなったあいつは、小学生の頃からチョコをもらってたらしい。中学では何個もらえるかな、なんて言い出した上に、家族からもらって満足してる奴は大したことないとか言いやがった。

 無視したって良かったはずだけど、中学に入って背も伸びて、声も男らしくなった。きっと俺にも、家族以外から来るんじゃないかって思って。それで、「もうチョコいらないから」なんて言ってしまった。

 母さん達は、彼女が出来たのかとか勝手に浮かれ始めて。おかげでそれ以降、やっぱり欲しいなんて言えなくなった。


 俺は日本が大好きだけど、その日以来、この国の一部は嫌いになった。

 世の男に序列を付けるイベント、バレンタイン。クリスマスと並び立つ、悪の二大巨頭の片割れ。

 商売のためにと、海外から不要なイベントを持ち込んだ上に、元々のやり方から変える。金のためなら何でもやるその精神が、俺は心底気に入らない。アメリカのバレンタインは、チョコなんか贈らないし、何なら女から告る日でもないって聞いた時は、愕然としたものだ。

 中学の三年間、俺はタカシがもらったチョコの山を、羨ましく見つめるしかなかった。


 だから俺は、タカシとは別の高校に進んだ。県内随一の進学校。女と遊んでばかりだったタカシが行けるはずもなく、俺の知り合いは誰もいない。

 商売の片棒なんか担ぎたくない。俺は俺の道を行く。新しい人生を歩き始めた俺は、そう決めてたはずだ。それでもやっぱりバレンタインが近づくと、そわそわしだして。必死に言い聞かせても、落ち着けなかったんだ。


 ところがどうだ。高校に入って、初めて迎えたその日。登校時にはなかった、可愛らしい包装紙に包まれた箱が、下駄箱の中に鎮座していた。

 俺は棚を間違えたかと、三回ぐらい見直した。でもどう見ても、そこは俺の下駄箱だった。

 俺は信じられない気持ちでいっぱいになりながらも、誰にも見られないように箱を鞄に入れ、素知らぬ顔で学校を出た。



 ●○●



 帰り道、俺は必死に考えた。俺の下駄箱にあったのは間違いないが、贈り主が下駄箱を間違えたんじゃないか。そもそもこれは、クラスメートの誰かがイタズラで置いたんじゃないか。万が一にも女子からだったとして、義理チョコなのではないか。

 しかし俺の目の前にあるコレは、そんな俺の疑念をことごとく打ち破る物だった。


 見慣れた勉強机の上に置いてみると、ソレはまるで異世界からやって来たような、未知の品にしか見えなかった。

 包装紙は、ピンクと黄色のグラデーションに、デフォルメされた兎のイラスト。小さな造花とリボンまで付けられている。

 包装紙の隙間には、猫のシールで固定された小さなメッセージカードがあった。宛名は間違いなく俺の名前で、贈り主が下駄箱を間違えた線は消えた。

 義理チョコにしては、あまりにも手が混み過ぎてるし、もしこれがイタズラなら、用意した方が恥ずかしくなるレベルだ。


 全ての疑念が晴れて、俺は叫びたい衝動に駆られながら、恐る恐るカードを開いた。

 可愛らしい文字で書かれた「受け取って下さい」の一言と、贈り主の名前。

「一年C組 黒田心愛」と名前は書かれていたが、誰なのか分からない。一年は四クラスもあるのだ。その上、相手は女だ。硬派を貫いている俺に分かるわけがない。

 そしてそもそも、漢字が読めない。名字はクロダで良いだろうが、名前は何と読むのか見当もつかなかった。


 相手が誰だか分からないものの、これだけ手の込んだ包装をしてくれたのだ。無下にするわけにはいかないし、もしかすると、これが最初で最後かもしれない。俺は紙を破かないように、慎重に包みを開いた。


 箱の表面には、海外輸入物のような繊細な絵柄と英語で書かれた製品名があった。そして何かの認証マークのような物が、箱の端に描かれていた。

 蓋を開ければ、ハート型のチョコが数個と、チョコバーが数本。謎のクロダさんの想いを感じるべく、俺はハートのチョコを口に入れた。

 滑らかな口溶けと共に感じる僅かな苦味と上品な甘み。これは間違いなく、本命チョコだろう。俺の目には、自然と嬉し涙が滲んだ。


 ずっと敵視してきたバレンタインへの想いは、簡単に覆った。甘いチョコを女の子からもらえる幸せは、何物にも代え難い。彼女の想いは全て受け取らなければと、俺はチョコバーにも手を伸ばした。

 そこで俺は、バーの包み紙にも謎の認証マークが付いているのに気付いた。そういえば蓋にもあったと思い、よく見てみた。

 黒字に青と緑の葉っぱみたいなマークには、「Fair Trade」と文字があった。直訳すれば、公平な取引といった所だろうか。


 ちょっと待て。公平な取引……?


 俺は嫌な予感でいっぱいになった。これはもしかすると、ホワイトデー目当てのチョコなのではないだろうか。俺の知らない間に、世の中にそういった新しい悪習が広まったのかもしれない。

 ホワイトデーには三倍返しと聞いた事がある。タカシも毎年苦労していた。約束を反故にされないためにと、製菓会社がまた何か始めたのかもしれない。

 謎のクロダさんに突き返したい所だが、ハートのチョコはすでに俺の胃の中だ。俺は先ほどとは違った意味で叫び出したい衝動に駆られた。


 一体、この国はどこへ向かっているのか。やはりバレンタインは、俺の敵なのだろうか。一抹の不安を感じながらパソコンを立ち上げ、俺は「Fair Trade」の意味を検索した。



 ●○●



「Fair Trade」のチョコは、俺の思った通り「公平な取引」を意味するチョコだった。でもそれは、製菓会社の悪巧みではなかった。

 チョコレートの原料となるカカオは、発展途上国で子ども達が作っているが、正当な給与が支払われない事が多いという。そんな不公平を正す製品が、「Fair Trade」のチョコレートだ。認証マークは、その製品の利益を労働者である子ども達に、正しく還元しているという証だった。

 バレンタインのチョコ売り場には、たくさんの製品が並んでいたはずで。その中から、これをわざわざ選んだクロダさんは、きっと賢く、優しい女の子なのだろう。


 俺は今まで、何も知らずにチョコを求めて来た。いらないと言いつつも、本当の所は渇望していた。でも甘い幸せの裏には、暗い闇があった。カカオ農園で働きながらも搾取され、貧困に喘ぐ子どもたちの叫びは、チョコレートの苦味では表現出来ないと、俺は知った。


 俺はチョコバーの包みを開き、口に入れた。ビター味のバーは、すごく苦かった。俺の目からは、さっきと違って悔し涙が流れた。

 名前の分からない優しい女の子の気持ちを、俺は疑ったのだ。ホワイトデーの三倍返しなんて、そんな小さな事を理由に、一瞬でも純粋な彼女の想いを突き返そうとした自分を、俺は許せなかった。

 俺は自分の情けなさに泣きながら、チョコバーを食べた。



 ●○●



 俺にチョコをくれた謎のクロダさんは、ココアという名前だった。彼女は俺の思った通り、賢く優しい子で。俺には勿体ないぐらい、可愛い女の子だった。

 チョコみたいな名前の彼女がくれたバレンタインの贈り物は、俺の人生を変えた。俺の隣には、いつも彼女がいるようになった。


 あのバレンタインから八年。本当に幸せなチョコレートだけ、食べられる世界を作りたくて。彼女ココアと一緒に猛勉強をした俺は、国連職員として働き始めた。


 タカシは、今の俺を見たら何て言うだろうか。風の噂で、製菓会社に就職したと聞いたけど、あいつは今も、女とチョコを取っ替え引っ替えしてるのかな。

 俺はきっと、タカシに会ったらこう言うだろう。「俺はやっぱり、商売人は嫌いだ」と。そして、こうも言うだろう。「お前とバレンタインには感謝してる。一応」と。


 タカシもバレンタインも商売人も。いけ好かない事はたくさんあるけど、彼らがいないと成り立たないものもある。綺麗事だけでは世の中は回らないと、大人になる中で俺は学んだ。苦味と甘味は両方あって、味になる。貧しい子ども達を救うのも、結局は金なんだ。


 今日も俺は彼女と共に、世界を飛び回る。俺に春が来たように、世界にも春が来たらいいと思う。人生をかけるなんて、ホワイトデーのお返しにしては大き過ぎるけど。彼女がくれた幸せには、見合っているんじゃないかな。

 ……なんて、「Fair Trade」のチョコをかじるココアの横顔を見ながら、俺は思った。

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