第18話 第4章 揺り戻された革命ー4『フランス革命の意義』と後記


5 【フランス革命とはどのようなものであったのか】

年表でワシントンが初代大統領になった年に、フランス革命が起きているのである。アメリカの独立戦争は、独立革命ともいわれる。制定された憲法に、人権宣言が発せられ、市民原理が謳われていた。それはフランスにも影響したであろうし、対イギリス戦争において決定的な戦いにフランスは艦隊を送って協力しているのである。

しかし、アメリカは新天地であった。独立戦争に勝ってイギリスを追っ払えば、王をギロチンにかける必要もない。おのずから共和政なのである。干渉する国も他にはない。現在を縛る過去、アンシャン・レジームもない。

州はステイツであった。植民地の成り立ち、年代によって出来上がった自治国家であった。問題はまとまった連邦国家か、分権国家かであった。そしてこの時代として持ってしまった奴隷制度が内部矛盾として大きく、これを越すことが近代国家への課題であったのである。


フランスに先行したイギリスの市民革命も、宗教色をおびながらも、国王は処刑され、短期間ではあったが、共和政が実現しているのである。また、次の名誉革命では王は追放されて、オランダの王を宣誓させて迎えた。そうして出来た立憲君主制である。絶対王政の最強期はエリザベス一世の時代、16世紀で終わっているのであった。


フランスはそれらとは違った。まわりは絶対王政時代の強国に囲まれていた。また啓蒙思想が国王にまで影響力を持つ時代になっていた。革命の最初の落ち着きは、立憲君主制であっただろう。ところが国王が国外逃亡をはかった。ここから革命は共和制をめざす。国王をギロチンにかけてしまった。

共和政の近代国家を作る、それは初めての試みであった。古代の時代の共和政を別にすれば、中世にヴェネチア共和国が存在したが、それは商人たちで構成された都市国家でしかなかった。


いま私たちが享受している自由、平等、人権、主権という価値観は謳われたが、ではそれを具体的にどう実現していくのか、全てははじめてのことである。議会もはじめて、そもそも王と貴族が対立して開かれた3部会がスタートではなかったか。クラブというのは出来たが、政党とはどうあるべきなのか、それも初めて。私有権の絶対を決めたがどの範囲までとするのか、経済活動との関連は、土地の所有は、宗教をどう考えるのか、日々の礼拝は、軍隊は、パリは治めたとして地方はどうするのか、農村はどうするのか?憲法を作る、それも初めて。


何もなかったわけではない。軍隊もあった。役人もいた。しかしそれらは王政時代のものである。使える部分、排除する部分をふるいわけて改変していかねばならない。

そもそも、国民とはなんぞや?市民はいた。市民意識はあった。王がいて、国らしきものがあって、国らしき意識はあった。国民なんて一夜でできあがるものではない。

王様がなくなりました。あなたは共和政フランスの国民ですよ、「はい」と言ってもそれは返事でしかない。共和国国民(共同体)を作って行かねばならないのだ。それも、内では反革命の内乱、外では強国連合の干渉戦争の中でだ。よくぞ革命は持ちこたえたことと思う。幾多の過ちがあったとはいえ、革命に殉じた指導者たち。そして民衆の絶やさなかった革命への情熱。あと挙げるなら、貴族や教会の土地・財産の分配によって国庫が豊かになって戦費が賄えたことである。


考えただけでも、凄まじい権力闘争、蜂起と鎮圧、そして虐殺。多くの血が流れるのは、歴史的に致し方ないと思うしかない。私たちが心に刻むべきことは、今享受している自由、平等、博愛という価値観は、このような血の上に出来上がったということである。そしてそれらはいまだ完成途中である。いや、いまだ端緒についたばかりなのかもしれない。



後記

フランス革命について書かれた本を何冊か読んだ。歴史書は基本的に客観的に書かれている。しかしミシュレの本は違った。わずか10歳とはいえ、革命の終焉のパリの空気を吸っている。彼は、実践活動は行わなかったが、7月革命を見、2月革命には熱烈な支持をしている。そしてナポレオン3世の反動には怒りをあらわにしている。それによって、大学からの追放処分も受けている。勿論資料も念入りに調べているし、革命を生きた人たちからも聞き取り調査をしている。しかしそれですべてがわかるわけではない。その間を埋めるのが大局に立った歴史家の直観的推論であるとしている。革命の熱気と息吹が感じられる一味違った歴史書として面白く読んだ。


参考:歴史家ジュール・ミシュレ(1798年~1874年)

パリで生まれる。フランス革命が始まった9年後に生まれている。印刷業者の父の仕事を手伝いながら勉強に励んだ。1827年、高等師範学校の歴史学教授。1830年の七月革命を境として、王党カトリック的立場を離れ、自由主義に転じた。1831年、国立古文書館の歴史部長。1834年、ソルボンヌ大学でギゾーの講座の代行者。1838年からコレージュ・ド・フランスで教鞭をとった。保守化した当時の支配者ルイ・フィリップや、体制側のギゾー批判を行った。1848年に二月革命が起きると熱狂的に支持した。1852年、ナポレオン3世への宣誓を拒否し、コレージュ・ド・フランスの教授の地位を追われた。晩年は隠棲し、博物誌シリーズなどを著述。

その歴史記述の手法は、過去を生き生きと再現し、つまびらかに描写することにあって歴史の中での民衆の動きを生き生きと捉えている。ミシュレにいれば歴史家の任務は、人類社会を支えてこれを進歩せしめてきた人民、不幸な貧しいもの言わぬ人民、彼らにかわって歴史を物語ることであるとする。


『フランス史』 藤原書店(全6巻)

『フランス革命史』7巻だが、中公文庫(上下)(抄訳版)が読みやすい。 


2016/11/26記

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戦争と革命の時代 フランス革命 北風 嵐 @masaru2355

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