第49話 あとがき&おまけ

これにて『同じ 鍵で 待っている』は完結となります。続けて『同じ鍵 でも 分からない』という続編に進みます。


このあと、さくらは家族と帰京して社会人となります。夫婦はらぶらぶで仕事も順調なんですが、お悩みもつきません。お付き合い、いただけるようでしたら続きも楽しんでください。


以下、玲視点の短編。おまけです。


***


『SOREKARA』



 また、季節が春になった。京都生活、三度目の春。


 四月。



 なんとなく、行きたくなくて。

 俺……柴崎玲は、さくらに赤ちゃんが生まれたと聞いても、見舞いに行かなかった。

 行けなかった、というのが正しいかもしれない。

 好きな女が、子どもを生んだ。しかも、俺の弟の子を。かなり、しんどい。仕事を理由にして、俺は見舞いを拒否し続けた。


「玲が見に来てくれへんって、さくらが気にしとるで」


 連日のように、見舞いに行っている祥子からも、やんわりと注意された。


 そうだよな、普通そう思うよな。大切な妹の出産だもんな。新しい家族が増えたんだ、お祝いだよな。自分でも、分かっている。でも、あいつもそのへんは察しているようで、直接の連絡はない。


 だけど、父親になった類からは、あほみたいに連日、赤ちゃん画像が送られてくる。


『かわいくてどうしよう』

『嫁になんか出せないよ』


 すっかり、親ばかである。着信拒否にしてやろうか。


「DNAって怖いで。類に、そっくりや」


 おそろしいことを、祥子は教えてくれた。ますます見舞いに行く気が失せた。


 でも、先月のさくらの誕生日も祝っていない。おなかの大きいあいつの、しあわせそうな姿を見たくなかった。俺って、なんて心が狭いんだ。


 しかししかし、行くかどうかは別として、兄としてお祝いぐらいはしなければ、と重い腰を持ち上げた。



 数日後。

 とうとう、俺は口実の『お祝い』を供にして、さくらが入院している病院へと向かった。

 春の陽気には自転車が似合う。西陣の町家を出て、東山にある片倉医院まで軽快に飛ばす。観光にはいい時季なので、町は観光客でごった返している。車の渋滞もひどい。俺は巧みに混雑と赤信号をすり抜ける。自転車はいい。エコだし。交通費もかからないし。


 東山、といっても広いので、祇園の北側と説明しておこうか。具体的には、知恩院の向かい。全国的に有名な帆布のバッグ店がある付近だ。さくらと祥子の通う大学からなら、どうにか徒歩圏内。


 病院の受付で、面会希望と声をかける。

 類が来ていれば、あるいはさくらが取り込み中ならば、持参した荷物を預けてそそくさと退散しようと思ったが、どちらでもなかった。残念ながら、さくらがいる病室まであっさりと、たどり着けてしまった。


「あ、玲! 玲だ。ようやく来てくれた。あおいちゃん、おじさんですよ。ほらほら、初めまして、れ・い・お・じ・さ・ん!」


 お、おい。いきなり、お、おじさん……。


 元彼から、おじさんの座に転落かよ……まあ、俺はさくらの兄だし、生まれた子どもから見れば、その表現で間違ってはいないが、二十歳にして、おじさんの洗礼。


「悪いな。仕事が立て込んでいて」


 でも、顔には出さない。おじさんですよ、どうせ。おじさんは笑顔で答えた。おじさんだから、オトナだ。


「ううん、こうやって来てくれたし。うれしいよ」


 さくらも笑顔だった。

 確か、今日で産後四日目だったと思う。少しふっくらした顔つきで、やさしい表情を浮かべている。ふうん、穏やかなもんだ、これが母親ってやつか。

 ……きれいだな。化粧もしていないのに、頬が輝いている。


「祥子さんは?」

「今日は俺だけ。いつも一緒にいるわけじゃないし」

「そうなんだ。最近、ふたりは仲がよさそうだから、てっきり。じゃ、さっそくだけど玲、手を洗って、あおいちゃんをだっこしてあげて」


「え……いいよ。怖い」


 さくらが差し出そうとしてきた謎の生物。

 やわらかそうで、ふにゃふにゃで、目を閉じている。髪が薄くて、でもまつげもしっかり生えていた。手をぎゅっと握り締めて。指の爪もきれいに生え揃っている。


「あおいちゃん、類くんにそっくりで、世紀の美少女の予感。どうしよう」


 いました、ここにも親ばかがいましたよ。どんなに好意的に見ても、俺にはサルの赤ちゃんにしか見えない。


「よかったよ、ふたりとも無事で」

「……うん。大変だったよ。もうだめかと思った。遺書、用意しておくんだったと思った」


 生まれたばかりの娘を、さくらが大切そうに抱き締めた。


 若い初産のせいか、分娩にはかなりの時間がかかったらしい。

 陣痛は、前日の昼過ぎにはじまったそうだが、お産はなかなか進まず、生まれたのは次の日の午前中。

 不安になった類が、涙声で何回もしつこく電話をかけてきた。つまり、ひと晩じゅう。

 それとは別に、東京にいて病院へ駆けつけられなかった父の涼一からも、連絡があった。つまりつまり、ひと晩じゅう。


 俺も、眠れなかった。こういうとき、男はほとんどなにもできない。おろおろするばかり、らしい。


「これ、お祝い」


 ことばに出していうのは恥ずかしいけれど、おなかが大きくて成人式どころではなかったさくらのための、世界にひとつしかないプレゼントだ。俺は紙袋を突きつけた。

 さくらは、いったん赤ちゃんをベッドに寝かせ、紙袋を受け取った。


「わざわざありがとう。さっそく、開けてもいい?」

「ああ」


 なんだろう~♪と言いながら、さくらは袋を開いて箱を取り出した。

 片方の手のひらに載るほどの、小さな銀の箱。アクセサリーや小物ならば、入る小箱だ。


「ん、オルゴール?」


 フタを開くと、『ハッピーバースディ』の曲が流れる。

 外装は銀だが、箱の中には俺が染めた、西陣織の糸を何色か合わせて織り、張りつけてある。


「すごい。西陣織で、『さくら&あおい』の名前入り! 豪華!」


「近くの工場で、織り機を借りたんだ。古来から、銀は魔除けにもなるって言われているし、ちょうどいいだろ。お前と赤ちゃんの誕生日祝い」


 手先が器用な俺は、これぐらいどうってことない。

 本来は糸染め職人だが、織り方を教われば、多少時間はかかったが、なんとかプレゼントできるぐらいの仕上がりには、なった。

 ハッピーバースディを流すオルゴール本体や、ちょうどいい大きさの銀箱を見つけるほうが苦労した。


「ありがとう、大切にする。あおいちゃんにも見せなきゃ、家宝にしよう」


 類の名前は、悔しいから入れなかった。ほんとに俺って、心が狭い。


「……名前付けるの、ずいぶん早かったな」

「類くんが、京都にちなんだ名前にしようって。男の子でも女の子でも、前から決めていたんだ。かわいいでしょ、『あおい』。出生届も、もう出しちゃった」

「ああ、葵祭か」

「生まれるの、五月のお祭りには少し早かったけど。おなかから早く、出たかったんだよね。みんなに、会いたかったんだよね、あおい?」


 そうつぶやきながら、さくらは赤ちゃんのほっぺたをつんつんと指で差した。


「柴崎家は、ひと足早い『あおいまつり』だな」

「あ、そうそうそれ! まさしく『柴崎家のあおいまつり』! 玲、うまいこと言うね~。今の、もらった」


「……じゃあ、ちょっとだけ、抱かせてくれるか」


「うん!」


 あまり気乗りしなかったけれど、この『だっこ』という儀式を終えないと、さくらは俺を解放してくれそうになかったので、しぶしぶ進言した。言われた通り、念入りに手を洗い、おそるおそる、赤ちゃんを受け取る。


 糸を染めるときよりも緊張する。


「首がすわっていないから、首の後ろをおさえてね。そっと、やさしくね」

「お、おう」


 どこに手を回したらよいのか、よく分からない。さくらに指示されるがまま、動く。間違っても落とさないよう、俺は慎重にだっこした。軽いのか重いのか、よく分からないけれど、とにかく小さい。小さいけれど、人の赤ちゃんだ。

 抱き取るときに近づいた、さくらと赤ちゃんの身体からは、乳の匂いがした。


「ふわふわだな。あたたかい」

「ね。ふわふわ」


 寝ているのか、落ち着いているのか、なにも分からないけれど、赤ちゃんは俺にだっこされても静かだった。


 かわいいというか、この、無垢で小さな生きものを、守らなければという気持ちにさせられる。そんな俺の変化を察したのか、さくらがほほ笑んだ。


「あおいの誕生を、いちばん喜んでもらいたかったのは類くんだけど、いちばん認めてもらいたかったのは玲だよ。ありがとね。これからもよろしく」

「俺、お前の出産には、さんざん反対したのに」

「でも、こうやって来てくれた」


 類を通して母さんの血、俺の血も流れている赤ちゃん。

 でも、やっぱり類によく似ている。目もと、口もと、耳の形、髪質……ここにはいないのに、あいつの顔が浮かんでくる。


 思わず、涙が込み上げてきた。


「……帰る」


「え。類くん、もうすぐ来るよ? 少し、話すれば? 類くん、あおいが生まれたときのことを聞かせるんだって、張り切っているよ。『あおいちゃん☆誕生物語』っていう、紙芝居を作って。類くんって、絵もうまいんだよね、字もきれいで」


 俺は生まれたばかりの赤ちゃんを、さくらの腕の中に無言で戻した。


「よろしく伝えておいてくれ。いずれ、また来る」


 振り返らない。



 ……だから、ここには来たくなかったんだ。

 さくらは悪くない。母になったというのに、まだまだ無邪気で、ちょっと無神経なだけだ。


 腹立たしいのは、俺自身。


 俺の行動がひとつ、違っていたら、あの赤ちゃんの父親は俺だったかもしれないのに。そんな気持ちが込み上げてきて、どうしようもない。



「……ばかだな」


 もう、遅いのに。



 さくら。あおい。

 しあわせになれ。


 世界でいちばん、しあわせになれ。


 俺は、花が散りはじめた葉桜を見上げ、強く思った。(おしまい)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同じ 鍵で 待っている fujimiya(藤宮彩貴) @fujimiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ