第48話 同じ 鍵で 待っている(完結)

 北澤ルイ結婚のニュースは、たちまち広がった。

 夕方の民放報道番組や翌日のスポーツ新聞では、トップニュース扱いだった。


 本人が会見を開き、ルイのことばで正式に発表したため、批判よりも祝福の声が集まった。春先、すでに婚約を公言していたこともあり、ファンにはある程度の覚悟ができていたようで、おおむねプラスに働き、好感度は上がったらしい。


 ただし、さわやかイメージを破壊するような、悪意ある報道もあった。十九歳で『でき婚』なのは事実だし、仕方がないけれど。人気者はつらい。


 入籍に必要な書類を揃えるのに時間がかかったが、準備が終わったら類はさっさと区役所へ婚姻届を提出した。さくらも母子手帳をもらい、なんだかいっぺんに不思議なしあわせに包まれた。


 しかも、類は三年後にモデルを引退するという円満契約も結んだという。社長は類の生き方を、全面的に受け入れてくれたらしい。

 類は後輩の若手を育てつつ、三年後のその日までモデル仕事をやり遂げる決意だという。モデル卒業の件は、まだ非公開。時機を見て、徐々に発表するらしい。


「おめでとう、北澤はん」

「まさかとゆうか、やっぱりなあとゆうか」

「体調、だいじない?」

「おなか、まだ目立たへんな」

「痩せとるさかい、このあとぐぐっと、出てくるんや。きっと」

「ここに、ルイくんとの愛の結晶がおるんか」


 大学のクラスメイトにとっては、さくらは入籍したことよりも妊娠したことのほうが驚きだったようだ。

 女子たちは、遠慮なくさくらの下腹部をさぐるようにして触ってくる。


「てゆうか、名前は変わらないから、柴崎だから。入籍しても、柴崎さくらだから。赤ちゃん、とてもいい子みたいで、おとなしいの。パパとママが忙しいこと、分かっている様子」

「うわー。さっそく、『パパとママ』か。あんさん、ルイくんのファンどもに襲われへんよう、気いつけなあかんえ。学校の中とはいえ、油断できひんわ。うちらが盾になるで!」


「ありがとう、みんな」


 実は、妊娠したことで、奇異の目で見られるのではないかと、心配していた。クラスメイトたちの雰囲気は、いつもと同じだった。


 とはいえ、さくらに未練をいだいている橋本は、ショックを隠しきれない様子だった。


「でも、大学生のさくらちゃんが妊娠なんて! 十九でしょ、まだ。生まれたら、どうするの? まさか、大学は退学?」

「いやや、追加ちゃんと一緒に卒業せな」

「みんな一緒やで。退学せえへんで済むよう、うちらも協力しよ。先生や事務局を説得して」


 みんなの声が、身にしみる。さくらは、自分のおなかを撫でた。


「……ほんとうに、ありがとう。私も、一緒に卒業したいよ。入学したときは、東京者で追加扱いされて、つらいこともあったけど、みんなやっぱりやさしい」

「てゆうか、こないに面白い娘、ほかにおらへんもん。あんさんが消えはったら、キャンパスライフがつまらのうなるさかい」

「学校での、追加ちゃんいじり。これ、最高や」

「そやね。三年生になったら、ぼちぼち就職活動もはじめなあかんし、はあ。憂鬱」


「その点、追加ちゃんはルイくんに永久就職決定。ええなあ、羨ましいわ。ね、ルイくんの実家って、おしゃれ家具で業績が伸びとる、シバサキファニチャ―なんやてね。コネで、うちにも就職を斡旋しておくれやすう」

「うわ、うちもあんじょうよろしゅう頼むで。そしたら、一生追加ちゃんいじりができるやん」


「それは魅力的やけど、もしルイくんが会社を継いだら、追加ちゃんは社長夫人やで。いじる勇気あるん?」

「ルイくんはモデルさんやで。社長はできひんやろ。お兄さんは糸染め職人やし」


「そしたら、ゆくゆくは、追加ちゃんが社長……?」


 クラスメイトが、いっせいに息をのんでさくらに視線を集めた。

 雰囲気が、変わった。


「な、ないない。ないよ。社長は、ないって!」

「あんさん、羨まし過ぎる。素敵なだんなさんに、かいらしい子ども。いずれは、おしゃれ企業の幹部役員」

「追加が、夢のようやね。信じらへん」


 クラスメイトは、口々にさくらの幸運を羨んだ。

 さくらは黙ってほほ笑んだけれど、ここまでたどり着くには険しい道のりだった。今後も、なにが起きるか分からないので油断はできない。



「さくら」


 背後から、大好きな声が聞こえた。

 さくらは笑顔で振り返る。


「類くん」

「さ、行こうか」


 自然に、類はさくらに向かって手を伸ばす。

 今日の類は、いかにも『北澤ルイ』が着そうな、めちゃ細身の黒スーツである。


「ひー、噂をすれば王子さま」

「ルイくんや。今日も素敵やん」


「こんにちは、みなさん。ぼくの妻といつも仲よくしてくれて、ありがとう」


 さわやかな『北澤ルイ』の顔で、類は愛想を振りまいた。

 しかし、居合わせた全員が『ぼくの妻』という部分で吹き出した。さくらも、である。さらっとまじめにこういうセリフを言えてしまうあたりが、見上げた性根の持ち主だと思う。

 でも、そんなところも、すき。さくらはしみじみとしながら、差し出されている類の手を握った。 


「妻やて、妻! うわー、こないな美男子に、一度でええさかい、妻扱いされてみたいわ」

「しあわせもんやね」

「おめでとう。末永う、おしあわせに」

「ところで、ルイくんは今日、さくらちゃんをお迎えに来たの?」


 かろうじて、橋本が話題を変えた。


「うん。身重の大切な身体だからね、と言いたいところだけど、今日はこのあと大学の事務局と、話し合いの席を持つことになっていて。妊娠中も通学させてほしいって、お願いに行くところ」


「ああ、それで黒いスーツなんだ。決まり過ぎていて……非の打ち所がないよ」

「ルイくんからのお願いやったら、オッケーやで。オッケー間違いナシや」


「だといいんだけど。さくら、オトーサンも待たせているから、そろそろ行こうか」

「父さまが? わざわざ来てくれたんだ」

「なんとか半日、時間を開けてもらって。ぼくが、京都駅まで迎えに行ったんだ。このぼくが、電車やバスを使って駅まで。そして、さくらのいる大学まで案内した!」

「ありがとう。うれしい。えらいよ、類くん」


 いやでも目立ってしまうので、公共の乗り物嫌いな類が、父を迎えに出るなんて。一般市民ならば威張ることではないが、類は超有名人だ。それだけで、さくらは感謝した。


 さくらに褒められた類は、鼻高々。


「さくらを守る自信はあるけど、未成年だとなにかと面倒だよね。保護者がいたほうが、説得しやすいと思ってね。でも、忙しいから話が終わったら帰るそうだよ。ひと晩ぐらい、泊まればいいのにさ。ま、ぼくたちが、新婚らぶらぶすぎてまぶしくて、オトーサンには難しいか」


 多分、うちのマンションに父さまは、絶対に泊まらないと思う。なんたって、エロモデルさまのお城だもん。


「それじゃ、みんな。また明日。がんばって、通学許可をもらってくるね。類くん、急ごう。父さまに早く会いたい」

「さくら、走っちゃだめだって」

「あ。そうか」

「ほら、手。しっかり、つないで行こう」



 家族は、ずっと父ひとりだった。


 玲を知り、聡子と出逢い、類に触れた。

 そして、さくらの身体には新しい命が宿っている。


 大切な家族が増える喜びをかみしめつつ、さくらは類の手を笑顔で強く握り返した。



 新婚のふたりが、ゆっくりと歩き出す。 


「聞いてくれる? ぼく、子どもの名前を考えたんだよ」

「気が早いんだね。性別も分からないのに」

「うん。男でも女でも、生まれた子には『あおい』って、名前にするんだ」


「あおい?」

 

 さくらは聞き返した。


「そう。葵祭の『あおい』。男の子だったら、漢字一文字の『葵』にして、『類』と合わせる。女の子だったら……」


「『さくら』と一緒で、ひらがなだね」


「そうそう。一応、京都で生まれるってことを意識したんだけど。ちょうど、葵祭の前ぐらいに生まれるでしょ、赤ちゃん」

「葵祭に、ちなんで?」


「本音では女の子がいいけど、どうだろうなあ。こればっかりは、ね。まあ、子どもは、ひとりじゃないつもりだし、名前候補をたくさんストックしなきゃ。ぼく、五人ぐらいほしいよ?」

「ご、五人……!」


「そ。ひとり生んでも、終わりじゃない。はじまりのはじまり」



 いいかも。『あおい』。響きも、かわいい。

 桟敷席で見学した、今年のお祭り当日は、暑い暑いと言いながら、うんざりしていた様子だったのに。


 さくらが照れておなかをさすっていると、ふと小さく揺れる感覚があった。


「あ。今、赤ちゃん動いた。もにょって! くるくるって」

「まじで! 触らせて! パパですよ!」

「えええ? ちょっと、シャツの中に手を入れたら、だめだって類くん。やめて。ここ、学校!」


                                 (了)

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