第47話 仮面も告白②

「母子の、大切なお話なんですね」


 落ち込むさくらを見かねた片倉が、なぐさめてくれた。


「ええ。とても大切な話です。でも、聡子さんも、類くんもつらいはず」

「それはもしや、社長が類の、実の父親だということでしょうか」


「片倉さんは、真実を知っていたのですか?」

「北澤ルイのマネージャーになる前、社長から直接知らされました。けれど、社長は類本人に告げるつもりはなかったようで、今回も言いませんでした。父子の絆で類を釣る気配は、まったくありませんでしたね。さすがです。社長は、ルイの才能と資質を高く評価していますので、わざわざ真実を告げなくても説得できると考えていたのでしょう」

「だったら、伝える必要はないかも。やっぱり、お母さんを止めなきゃ」


 駆け出そうとするさくらの腕を、片倉はつかんだ。


「いえ。薄々と、気がついているはずです。類は察しのよい性格。社長がなぜ、北澤ルイにこだわるのか。漠然と、分かっていると思います。近々、類も親になる身。むしろ、このタイミングで知っておくべきかと」

「でも、お母さんから面と向かって言われたら、傷つくかも」


 類を傷つけたくない。さくらの思いはそれだった。


「あなたがいます、さくらさん」


 片倉は強い口調で断言した。


「以前の類ならば、心に傷を負ったかもしれませんが、今の類にはあなたがいます。事実は事実として受け止め、割り切るでしょう。そもそも、類は父を知らずに育った。それが、実は生きていて、しかも間近にいたとあっては、むしろ鬱陶しいと思うかもしれません。お母さまも、ずっと黙ってきたことを謝罪できて、わだかまりがなくなれば丸く収まります」

「類くん、いつも前向きですから」


 さくらも同意した。


「そうでしょう?」

「私も、類くんを見習いたいです。片倉さん、元気な赤ちゃんが生めるように、よろしくお願いします。はじめてのことばかりで、実はちょっと……かなり不安です。自分の身体のことなのに、なにが起きているのか分からなくて、怖いです」

「お産は、誰でも不安がつきものですよ。喜んで助力します」


 さくらは、片倉と握手した。



「……あの、片倉さん。ひとつだけ聞きたいことがあります!」


 手を離したあと、思い切ってさくらは、お願いしてみた。


「なんでしょう。私に答えられることなら」


 片倉はさくらにじっと見つめられてしまい、間が持たなくなってしまったようで、ビールの入ったグラスに手を伸ばした。


「……その、ちょっと聞きづらいことなんですが、類くん本人にはもっと聞きづらくて。でも、この際なので……その」


 質問しておいて、さくらはためらった。


「この夏のこと、なんです。南の島のロケ兼夏休みで、類くんが毎晩違う女性とベッドに入っていたって、ほんとうなんですか?」


 片倉は、飲んでいたビールをむせてしまった。


「ご、ごほっ……それ、誰に聞きました? 類ではないのですよね」


「武蔵社長です」

「あの人が、おのれの手の内を種明かしですか。珍しいですね。確かに、北澤ルイの夏の海外ロケには、社長の差し金で、いろいろな女性が出入りしました。しかし、それらをすべて、類は撥ねのけて拒否しましたよ」


「ほんとうだったんだ……」

「ここだけの話、中には少しだけ、類が心を動かした女性もいたようです」


 聞いておきながら、さくらはひやりとした。心を、動かした? 地雷、踏んだ私?


「……あの、あれですか? 胸の豊かな、年上女性ですか。類くんの好みの」


 震える声のさくら。たぶん、表情も固まっていると思う。片倉に苦笑されてしまった。


「いいえ。現地の、地味で控えめな若い女の子だったそうです。日本語も、ほとんどしゃべれなくて。けれど、声があなたによく似ていたそうです。社長はその女の子に『るいくん』とだけ言うように、ことばを教えたようです。類は、夜の闇の中で名前を呼ばれたとき、ほんとうにどきりとしたと。思わず、手を伸ばして抱き締めそうになったと」


 しゃ、社長……卑劣! さくらを思って連夜ひとり寝を守る、一途な類のもとに、自分に似た女子を送り込むなんて。策士!


「でも、なにもなかったと、類の名誉のために申し上げておきましょう。類は、誰とも関わりませんでした。さくらさんとの将来のために」


 たくさんの危機を乗り越えて、今日がある。


 類と聡子の間に、しばらくはしこりが残るかもしれないけれど、今のまま思い悩むよりはましだ。玲や涼一、それに聡子の亡夫には打ち明けられないから申し訳ないけれど、さくらは家族全員を支える覚悟でいた。


 負けない。


***


 聡子と片倉が帰った。


「今なら、新幹線の終電にはじゅうぶん間に合います」


 片倉が、聡子を京都駅まで送ってくれると言う。


「さくらちゃん、ごはんおいしかった。ありがとう、またね。身体に気をつけて」


 憑きものが落ちたみたいに、聡子は笑顔だった。


***


 一方で。類は、まだベランダから戻って来ない。

 そろそろ、外は冷えると思う。心配になってきたさくらは、類のパーカーを持ってベランダへと向かった。


 窓をそっと開ける。ひんやりとした夜気が流れてきて、さくらの頬を打つ。


「類くん。ふたりとも帰ったよ?」


 類は、手すりにもたれかかり、ぼんやりと空を眺めていた。

 幽鬼みたいにたたずんでいる。それでも、絵になるというか、文句なしにかっこいい。


「冷えない? はい、上着」


 さくらはパーカーを着させようと、類の肩にそっとかけた。

 されるがままだった。


 その様子だけで分かる。聡子が、類の出生の秘密を告白したのだ。


 類が、両手を空にかかげた。


「……空、見ていた」

「空?」


「星。意外と見えるものだね。東京よりも、たくさん」

「京都は、高い建物が少ないせいかも」


「うん。星の数ほど……って言うけれど、ぼくたち、よく出逢ったよね。同じ時代の、日本に生まれて、しかも、想いが通じ合って、子どもまでできるなんて。奇跡だよね」

「私はその奇跡に感謝するよ」

「また、かわいいこと言ってくれちゃって」


 類がさくらを抱き寄せて頬を重ねた。だいぶ、冷えていた。あたためてあげたくて、さくらは類の頬に唇を寄せる。ふわふわでやわらかい類の髪が、さくらの頬に触れた。


 さくらの耳もとで、類はささやく。


「……社長が、ぼくのほんとうの父親なんだって」

「そうみたいだね」


 まじで、と類は驚いた顔をした。


「さくらは知っていたの?」

「ごめん。夏に、社長さんから直接聞いて」

「なんだ。知らなかったのは、ぼく本人だけ? ひどいや」

「でも、類くんは類くん。なにも変わらないよ。お母さんだって、ほんとうのことを知ってほしかったんだよ。ずっとずっと社長さんが、どんなに強く類くんのことを思っているのか」


「……なんで、ぼくにこだわるのか、ようやく分かった。最近、若い子がどんどんデビューしてきて、ぼくなんてスキャンダル魔人だし、もうそろそろ干されるんだろうな、でもまあそれでもいいかって思っていたけど、ぼくは社長の息子だったんだ……」

「社長さん、類くんのことがすごく、大切なんだよ」

「うん……」


 それでも、考え込んだ様子のまま、類は冴えない表情をしている。


「おかしいと思ったんだよね。大人気アイドルモデルの結婚なのに、提示された条件が全部、ぼく個人に有利すぎて。片倉さんを失うのは痛いけど、さくらの出産のサポートに回ってくれるんだから、むしろ喜ぶべきことだし。裏で、社長がなにか企んでいたのかなって、邪推したのに」


 さくらは、類の頬をぺちぺちと軽くたたいた。 


「私たちの、かわいい赤ちゃん、早く見せてあげよう。武蔵社長にとっても、孫だよ孫!」

「そっか。社長にとっても、孫かあ。なんか、笑っちゃう。たくさんの人に祝福される子になってほしい。でも、その前に、入籍しようね」


 類はさくらの顔をじっと見つめた。


「ぼくのお嫁さんになって、さくら?」


「はい! なります。……とても、うれしい、です。類くん」


 ふたりは、ほほ笑みを交わす。


「ありがとう、ぼくもうれしいよ。生まれてきてよかった。生きてきてよかった……これまでぼくを支えてくれた母さんと社長に、柴崎家や高幡家にも感謝しなきゃね」


 いつになく素直な態度の類に、さくらは泣きそうになったけれど、今の類の姿を涙で曇らせたくなかったので必死にこらえた。


「じゃあ、冷えると身体によくないし、そろそろ部屋に戻ろっか。真実を聞かされても、ぼくにはさくらがいるから、こうして立っていられるよ」

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