第二章『賽の目を振れ Dance on the board.』

2-00『会長の助手』

「なあ、生徒会長様」


「随分と他人行儀だけれど、何か御用かしら?」


 術儀学院生徒会室。

 新学期の諸々のイベントが終わり、ひと段落ついた会長は今日も今日とて優雅に紅茶を啜っていた。


「いや、呼ばれたのは僕の方なんですけど」


「そういえばそうだったわね」


 ……相変わらず随分と傲慢な口を叩く女だ。僕の中で、彼女へのネガティブな評価はそんくらいのものだった。庶務をこき使う女王様。彼女のせいで春先には少々厄介な事件に巻き込まれたことはまだ記憶に新しい。


「本題を。時間は皆等しく一日二四時間しか設けられていないので」


「無駄を愛するくらい余裕を持ちなさいな」


「愛すべき無駄であればともかく、ですがね」


 唾棄した愚痴にけらけらと朗らかな笑みを返されちゃ、憎まれ口もいたたまれない。


 学内アナウンスで『大至急』と念を押されて呼び出しを喰らった。会長命令は絶対だ(少なくとも僕の中では今のところ)。ゆえに疾風の如く、迅雷の如く参ってみれば、独りお茶会中の会長が佇むのみ。


 帰っていいかな?


「帰ったら退学届が受理されるようにしてあるのでご安心を」


「勝手に安心してんじゃねえ」


 ってか心の声を読むな心の声を。


 こちとら不安で心臓がバクバクしているんだよ。


 他人の事情などいざ知らず。弱肉強食が上手いこと成立している学院内ヒエラルキーだからこそ為し得る暴挙、かもしれない。


 ……魔術師社会の縮図とも取れるが。


 強ければ強いほど、権力を持てる。肉弾でしか争えない低能な蛮族に比べ、魔術師は高等な人種として扱われている。それが、魔術師が崇められる聖樹帝国に古くから伝わる風土だった。


「ともかく」


 流されたままじゃ、時間をいっこうに潰すだけだ。


「会話をしましょう、論議を始めましょう。さもないと、会長だって無駄な時間を過ごすことになります。それって非生産的でしょう?」


「別に、非生産的、じゃないんだけれど……」


「……何か、言いました?」


「いえ、何も」


 かぶりを振って、聖樹学院生徒会長、アンセル・セロージュは応接用のソファに居直す。


「酷くせっかちでわたくしを軽んじている哀れで愚かな部下のためにさっさと本題に移りましょうか」


「端々が刺々しいのはどうしてでしょうか」


「うるさいですわねちょっと黙ってくださいわたくしが上から、真上から果てしなく天上から!! ロキ・ディケイオ庶務に貴いご命令をするんですから」


 口を塞がれた。もちろん、魔術で。


 むごー、と唸ってみるもののみっともないものを憐憫の目で冷笑されてしまったので目を逸らし黙る。


「満足しました。では本題です――、

 ロキさん。――わたくしの進めている実験の助手になりなさい」


「……?」


 思わず首を傾げた。途端、口元の金縛り(魔術)がほどけて舌が滑らかに蠢く。


「被験者じゃなく?」


「もう被験者にはなれないでしょう? だから助手です。なりなさい」


「話が急展開過ぎて読めないんですが……、一から説明していただけますか?」


「一から説明する必要もないでしょう?」


 むすー、っと会長は幼気な少女のように頬を膨らませた。


「どうして貴方が被験者になれないのかーー、そこを辿ればおのずと解は導出できるはずです、できなかったらぶち転がしますわよ?」


「やめてくださいセロージュ家のお嬢様、ぶち転がしますわよなんて汚い罵倒吐かないでくださいっ」


「全部ロキさんが悪いんですわ。心当たりはありませんの?」


 …………うーん。


 いつどこで僕が会長の勘尺玉に触れたというのだろう。彼女の顔は僕が返答に迷っているうちに、真っ赤になっていった。


「ほんっとうに自覚がないのかしらっ?」

「申し訳ないところですが……」


 申し訳なさげなトーンで謝ると深々と溜息をつかれてしまった。規則正しく背筋をピンと伸ばしていた彼女は一気に脱力して、ソファにもたれて眉間を摘まんでいた。


「お疲れのようでしたら、肩もみの一回くらいはしてあげられますが」


「夢のような提案ね。そのまま貴方を冥土の度に道連れしたいくらいですけど」


「後輩を道連れにするのはやめてくださいね」


「貴方が悪いんでしょうがぁっ!!」


 突然の御冠だった。ビクッと肩が震える。心臓が縮こまるから本当にやめてほしい。人間はそんなに頑丈な生き物じゃないのだから。


 ぜえ……ぜえ、と肩で息をする会長を鑑みるに、僕は知らぬ間に何かをやらかしてしまったらしい。


「いいわ、馬鹿な後輩のために一から教えてあげる」


「是非に」


「調子に乗らないでくださいませ?」


 断じて乗っていないのだが、弁明しようが鉄槌で黙らされるので学習的無気力がはたらいた。


「まず、貴方がわたくしの被験者になれない理由についてですが……、そもそもロキさんが被験者として相応しくなくなったからです。わたくしの実験テーマ、覚えていらっしゃる?」


 ……破壊された魔力野の再生。魔術が使えなくなった人間が再び魔術を使えるようにするという目的の下で成り立っている実験。そのための被験者として、僕はつい一か月前まで機能していた。


 でも、今じゃ不成立だ。


「手段はどうあれ、僕が魔術を使えるようになったから、でしょうか」


「大正解。喜ばしいことではあるんだけれど、何かを得るには何かを手放さなきゃいけないのがこの世の理のようね」


 一か月近く前に起こった『魔術師殺害事件』。その操作を(会長命令で半ば無理矢理)任された僕は様々な損失といくつかの利益を得られた。


 その利益の一つとして、治る見込みがなかった魔力野――体内の魔力を操作して体外に排出するための脳の一器官-―の機能が事実上復活したというものがあった。ある事件をきっかけに失われた僕の魔術が事実上再び手に入ったのだ。


 ……事実上、と念を押すのには相応の理由があるが、話しの本題がらズレるので割愛。


「勝手に自己解決してしまうんだもの。それまで色々と根回ししてあげた身としては裏切られた気分ね」


「……すいません」


「いいのよ、ちょっとした愚痴を聞いてくれて、今後もわたくしの命令を聞いてくれれば。魔術が使えるようになった分、よりハードになるけれど」


「死なない限りのことでお願いしますね」


「善処しますわよ、もちろん。

 ――で、先の命令の一環が助手になるっていうことなんだけれど」


 とっくに助手のようなものだろう、と突っ込むのは野暮だ。彼女とて、知ってて口にしているんだろうから。わざわざ『助手』ってつけることで『被験者』だったときと同じように関係を保とうとしている。


 不思議な人だな、と訝ってみる。関係性に名前を付けようが付けなかろうが、僕らは既に『会長』と『庶務』という繋がりがあるというのに。人とのかかわりに几帳面、というか。プライベートはプライベートとしてきっちり壁を設けているような。


 そういうところが、彼女は絶対的な生徒会長として学院の頂点に立っている理由なのかもしれない。半ばテキトーな論理だけれど。


「助手ですか。僕にできることはもはやないような気がしますが」


 破壊された魔力野の再生に関する実験、とか、僕はあくまで被験者であって、その道について詳しいわけじゃない。個人的な調査はしているものの、僕ができることは座学――デスクワークくらいだ。今のところ。


 それとも、魔術についてこれから深掘りしていけ、という意なのか。だとしたら、納得できそうだ。『これから一生、わたくしの助手をしなさい!』と命令されることもあるかもしれない。永久就職先が得られるならそれはそれでいいかもしれない。金はたんまり要求しよう。


「……がめつい助手だこと」


「だから心を読むなください」


「でも、永久就職も悪くはない、かしら。……ふふ、ふふふ」


 何この人、笑い方が怖い。絶対よからぬこと考えているよ。腹の隅から隅まで真っ黒そうだ。


「え、えーと、会長?」


「……………………………………こほん、で、何の話をしていた、かしら」


 会長の顔がほんのり赤くなっていた。目線もぽやぽや上の空。日頃の業務で疲弊しているのだろう。日頃のねぎらいも兼ねて、プレゼントの一つくらい贈ってみてもいいかもしれない。


「助手の話ですよ。本当に僕なんかが助手でいいんですか?」


 ソファに寄りかかっていた彼女がずい、っと前のめりに迫ってくる。


「貴方じゃなきゃ駄目なんです」


 即断、断言。術儀学院のありとあらゆる老若男女が彼女に惚れるのも無理はないだろう、この押しの強さなら。得も言われぬ迫力と均整の取れた美貌に勝てる輩は数少ない。


 平常心を保てばどうってこと、ないんだけど。


「実験内容的に僕じゃ多分何もできないですよ」


「それなら不安がる必要はないっ! ですわっ!」ずい、とさらに前のめりに突っ込んでくる。思わず身を引いたら、僕らの間に置かれた応接の机に、彼女は膝をついた。行儀が悪いぞお嬢様。


「な、何を根拠に……」


 反駁しようとした唇に細長い人差し指が重ねられる。




「だって、――実験は引き続き、調、ですから」




 ………………………………………………………………………………………………………………へ?


 頭のなかが刹那の空隙が生じ、次の瞬間謎の納得を得た。


「『破壊された魔力野の再生に関する実験』の延長線上、ってことですか」


「事実上は。厳密には破壊された魔力野を再生させた力についての研究にシフトさせるっていうかたちですが、何にせよ、ロキさん『で』実験するわけではなくなるので、貴方を被験者にすることはできません。でも――、貴方を知るための実験なんですから、何が何でも『助手』として付き合ってもらいたいのですけれど」


 どうかしら? と目を潤ませて懇願されてしまった。断る不義理が許されるとも思っていない。


「……マジでお願いされなくても、会長のためだったら動きますよ、僕は」


「ふふ、お世辞でもそういう口説き文句が呟けちゃう辺り、貴方はそこそこの遊び人かしらね」


「飼いならされたって方が正しいでしょうけどね」


 ふふ、ふふふ……、とアンセルが口元を隠しつつ微笑を漏らしていた。生徒会長としての一面よりも、私生活的な面を押し出していけば、もっと彼女の虜になる人々は増えるんだろうな。


「では、『助手』のロキさん、早速ですが、三日後から実験に付き合ってもらいますわよ」


「いいでしょう。で、僕はまず何をすればいいんでしょうか」


 馬乗りになっていた机から立ち上がった彼女は柔らかな微笑を解かして、目線をキリッと怜悧なものに切り替えた。腕を組んで、僕を見下ろし、勝気な笑みとともに、




「わたくしとともに、魔界大陸に行きましょう!」



「……………………はぁ」




 アンセル・セロージュは何度目か分からない、無理難題を言い渡した。

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