1-19『されど魔王は覇道を征け』

 術儀式帝国学院、生徒会室。

 応接のテーブルをはさんで、僕とアンセル会長はソファに腰かけていた。

 テーブルには諸々の書類。生徒会長に任された仕事の数々。

 生徒会の庶務に属する僕は、会長の奴隷として今日も今日とて無賃労働をしていた。


「にしても、事件もようやくひと段落つきましたわね」


 会長は書類への署名と判を押す作業が一通り終わったらしく、紅茶が淹れられたカップを口にした。優雅な所作は様になっていて、さすが上流貴族様の格を自然と見せつけられる。


「そう、ですね……、あまり釈然としませんが」


「わたくしも同感ですわ、それについては」


 書類の隙間に置かれたカップを手に取って、中で揺れる無糖の珈琲を呑み込む。

 緩やかな、平和な空気が広がっていく。

 迷宮魔術師殺害事件の顛末はいささかあっけないものだった。


「犯人はグスタフ・ロムニエル。ロキくんが集めてくれた証拠物品から証拠は取れた。


「ただし、彼の死体は戦闘を終え、迷宮の入口で見つかった。それも、無慚に四肢を切断された状態で」


 僕はグスタフをこの手で倒した。が、四肢の切断はしていない。そもそも戦闘直後、彼はまだギリギリ命を繋いでいた。会長は『事情聴取をするために』、ロキとローザにグスタフの治療を要請し、彼女たちは渋々承諾したのだった。事実、僕が最上階層に上る直前、グスタフの治療に当たっているローザの姿はあったのだから。


「誰かしら手を加えた人間がいる――共謀者か、グスタフをさらに操っていた、真の主犯格か」


「相手は始祖神教。聖樹帝国を裏で操っているような組織ですから」


 なんでもアリってことか。グスタフはお上からの指示に従えなかったうえに、科学という禁忌まで犯していた。内部からの不満が時頃よく彼へと集中したのだろう。


「――ロキくんも魔王妃の二人もまた狙われるでしょう。シグルーンさんだって、危ないのです。始祖神教の命令を遂行できなかったのですから」


「その、命令ってやつは、信仰者だったら誰でも任されるのか?」


「そういった話がセロージュ家に入ってきたこともありますわよ。まあ、わたくしはあまり敬虔な教徒じゃないので、そういった命令を受けることはなかったけれど」


 アンセルの属するセロージュ家もまた、上流の貴族だった。そういった家系は皆、始祖神教への崇拝を重んじるようだ。


 会長のことだから、猫を被って「信仰していますわよキリッ」って真剣な口調で言って誤魔化してそうだ。


「宗教というか、独裁国家みたいな響きがしますね……」


「政教分離がなされていない、宗教の力が強い、国家が無能――悪条件が重なってしまえば、シグルーンさんのような犠牲も増えるのでしょう。それに加えて、離反者への風当たりも強くなる。たとえ幹部陣でも、禁忌を犯せばグスタフのような目に遭うなんて、ある意味平等ですわね」


「一一階層から最上階層まで実験のために私有していたら逆にバレない方がおかしいと思いますが……」


「知っていたうえで泳がせていたのかもしれないわね。どんな魂胆かはまったくもって想像できないけれど」


 余談だが、後日再び聖樹迷宮の一〇階層に赴いたが、次の階層に続く階段は相変わらずなかった。

 けれど、水滴が落ちてくる岩場があったので叩いてみた。

 脆かった天井はすぐに崩れる。上の階にあったのは一〇階層と同じような作りの迷宮で、グスタフと戦った真っ白な空間は既に存在しないものとされていた。


「消えた巨大な研究室、いつの間にか惨殺されていた事件の犯人、それに……、」


 アンセルが背後へと振り返る。何を指そうとしているかは一目瞭然だった。


「聖樹の最上階で見つけた、謎の『脳』のことですか」


「そう、事件の全容を確かめるための重要な鍵になってくれる……って思っていたんですけど、まったく役に立たなくて……」


 意味ありげに鎮座していた、『脳』。その正体は一切掴めていない。カリエスが誰なのか。グスタフとはどのような関係にあったのか。そもそも実在していたのか、すらも。


 結局用済みとなった『脳』は生徒会室の一角、器のど真ん中に鎮座していた。

 心なしか、僕らの方を向いているような気がする。


「脳は何も喋ってくれません」


「喋ってくれないなら。喋らせてみればいい」


「んな強情な。不可能ですよ、目も口も耳もないのですから。ただの臓器でしかないですから」


「不可能を可能に変えるのは、魔術師の使命であり、きっと科学者の使命でもあったはずよ」


「生憎僕は魔術師でも科学者でもないです――ただの、ロキ・ディケイオ、なんですから」


「ふふっ。いつまでそんな冗談を宣っているのかしら。貴方にはもう、わたくしすら上回りかねない力が宿っているのですから」


 魔王の、力。それが本物か偽物かなんて分からない。魔王妃の存在とかもまだ曖昧だ。証明ができない。


 ローザと、アリア。二人の少女。


 証明されていることは――彼女たちが魔族であることと、魔王様に心酔している、ということだけ。


「実際に魔王の力だったなら、もちろん驚きですけれど。

 魔王妃さんたちの発言が嘘だったとしても、貴方は強い力を持ってしまったわけよね」


「まあ、そうですが」


「――ねえ、ロキくん強くなってしまった人間の宿命って何だと思う?」


「なんですか、いきなり」


「わたくしが先輩らしいところ見せてあげるわって言っているの」


 十分先輩でしょうがと反駁しかけたが、会長は強情で面倒臭い人間なので、すぐに折れることにした。


 だけど……宿命、か。考えたこともなかった。


 身の回りにいる強い人々――主に生徒会の面々だったらどう、答えるだろう。


 暫く熟考したうえで、僕は一つの結論に辿り着く。


「みだりにその力を行使しない、とか」


「惜しい。六割五分正解ってところかな」


「お手上げです。力がなかった人間にはそう簡単に解けませんよ」


「ふふ、簡単なことよ。実は誰だって、できることなの」


 硝子窓から日差しが差し込んで、会長を照らした。金髪が、白磁の肌が煌めいて。

 ああ、女神っていうのは実在するんだな、とかそんなくだらない感想を、実感を抱くのだ。 


「――みだりに使わない、じゃなくて、大事な誰かのために使いなさい。


 生徒会長からのお言葉。というよりは、セロージュ家の家訓なんですけれど、ね」


「じゃあ、」咄嗟に疑問が募る。「アンセル生徒会長にとっての、大事な誰かって誰ですか?」


「それはね――、」相変わらず、学院第一位の余裕をもって彼女は応えた。うっとりと、綺麗なものを見るような目でこちらを見つめ、「幸せになって欲しいと、心から願える人、でしょうか」


 出てきた解答は、あまりにもズルかった。


 ※※※


 ――幸せになって欲しいと、心から願える人。


 果たして、僕だったら誰に当たるのだろう。

 分からない。今まで守られてばかりだったから、いざ力を持ってみても実感が足りない。


 アンセルから掛けられた言葉に思考を奪われていたら、僕は貸家の玄関の手前に突っ立っていた。

 扉ごしに、なにやら中が騒がしかった。わー、とか、きゃーとか高めの声が軽やかに叫んでいる。

 僕は玄関の押し戸を開いた。目の前で待っていたのは、ローザだった。顔色から窺うにかなりの上機嫌。


「ただい――」


「魔王様魔王様! おかえりなさいませっっ! ませっ!」


 飼い主の帰りを待ち侘びていた子犬のように飛び掛かってくる。女性の割に大きめの体躯が覆いかぶさった。胸に丸みを帯びた大きな半球が衝突し、潰れていく。


 ふむ……、柔らかい。シグに飛び掛かられるのとえらい違いがある。

 というか。


「……キャラ壊れてませんか、ローザさん」


「あ! すいません、つい……。というか! それどころじゃなくて!」


「それどころじゃなくて?」


「――あの子、目を覚ましたよ、魔王様」


 抱き着いてきたローザの奥、キッチンからひょいと顔を出し、半目で僕の方を見つめながらアリアが言った。


 頭がガツンと鈍器で打たれたような衝撃の後、すぐさまブーツを鳴らして、リビングへと駆ける。


 買い直した寝床の上で、彼女はぼーっとした様子で座っていた。心なしか伸びたように見える緑髪は整えられていないからかボサボサだ。一週間も眠っていたはずなのに目は隈だらけで覇気が感じられない。


「シグ」


 シグルーン・ファレンハイト。僕の……唯一の、幼馴染。

 彼女は、声の聞こえた方を向いて、僕と目を合わせて、正体を認知して、すぐにその目を大きく開けた。


 ただし、


「…………ひ、ぃ、……あ」


 作ったのは怯えたような表情。肩がふるふると震えている。

 にもかかわらず、僕へと腕を伸ばしてくる。言動があべこべで一致していない。

 触れただけで折れてしまいそうな人形の腕。シグルーン・ファレンハイトはもう、人形だった。

 僕の中で描いている彼女の像はもう、死んでしまった。

 彼女の右掌の前に、僕は右掌を添えた。そうしたら、ゆっくりとした動きで握られる。

 力はないが、温もりはある。死んでいるのに、死んでいない。

 不思議な感触がただただ気持ち悪くて、すぐにでもシグに握られた手を離したかった。


 だが、手を引こうとしたら、


「う、ああ、や、……あああっ」


 彼女は呻いたまま、いやいやと喚いて、離してくれなかった。


「シグ……おい、聞いているか」


「ううう、」


「おい、冗談だよな。何があったんだよ、おい」


「ううううううっ!!」


 言及しようと顔を近づけたら、彼女の瞳からぼろぼろと勢いよく涙が溢れて、落ちていった。

 どうして。どうして。彼女は泣いている?

 僕を見つめたまま、怯えたように涙を流し続けている?


「……アリア、これは、いったい」


「どうみても怯えだよ。魔王様、アンタに怯えてるんだよ」


 信じたくない。


「…………僕に?」


 信じたくない。信じたくない。嘘だと言ってくれ。


「……魔力の臭いが教えてくれるの。きっと彼女はこう言いたいんだ。

『ボクが守り通すはずだったのに。守らなきゃいけなかったのに。ごめんなさい、嫌だ、殺さないで、許して、ごめんなさい、ごめんなさい……』――って、さ」


「嘘だ。でまかせだ」


「嘘だと思うなら、そう思い込んでいた方が幸せ、かもね」


 アリアが横で悲しそうに、微笑んだ。剥き出しの憐憫が首元を締め付ける。

 それ以上、シグに掛けてやる言葉が見つからなかった。腕を振り解いて、彼女の前から逃げ出す。


「ちょっとだけ、外の空気、吸ってくる」


 玄関を抜けた。

 誰にも呼び止めてもらいたくなかった。

 木製の扉が音を立てて閉まる。

 閉まった途端に、膝から力が抜け落ちていった。

 倒れていくのを止める気にもなれず、僕はその場に崩れ落ちた。


 なあ。 


 力ってなんだ。


 魔王ってなんだ。


 魔術ってなんだ。


 始祖神教ってなんだ。


 聖樹帝国ってなんだ。


 学院ってなんだ。


 僕って、なんなんだ?


 深層に浮かぶ知識は知識のまま散らばったままだ。それらは結び付かない。

 哀れにも、僕には力があった。力があれど、僕は壊してしまった。























「ああ、ああああああっ!! ……なんでだよ、力があってもなんで失うんだよ! 欲していたはずなのに、傷つくなら力なんていらないじゃないか。シグ、どうして……どうして僕を怖がるんだよ。そんなんじゃ、元に戻れないじゃないか、戻せないじゃないか! 僕は一発でも殴れれば満足なんだよ! それとも殴られるのが嫌なのか? 僕を一人殺しておいてどの口が叩くんだよ! 殴れるわけないじゃないか、あんな怯えた顔を真正面から殴れるわけないじゃないか! 何が『ボクが守り通すはずだったのに。守らなきゃいけなかったのに』だよ! ずっとずっと守られてきたよもう十分だよ! むしろ僕が守らなきゃ、示しがつかねえだろ! 恩返ししないといけないのは僕なんだよ! 分かんないよ、分かんない! 力ってなんだよ! 守りたい誰かって誰なんだよ、浮かばねえよ。ずっとずっと無能でッッ! ずっとずっとずっと温室でぬくぬく育ってしまったから! 甘受してしまったからッッ!!

 戻してくれよ……! 誰か、僕が僕であった瞬間を! 今の僕は、僕じゃ――」




















「ロキくんは、もう、ロキくんじゃありませんよ。もう、魔王様になってしまったのです」


 戸が開く。紫の長髪が歩みとともに緩く動いた。

 現実を突きつけられる。現実ってなんだ。


「……ローザ。僕はもう、僕に戻れないのか?」


「魔王様は、魔王様ですよ」


「そうじゃない!」求めている答えじゃない。「僕を戻してくれよ、ロキ・ディケイオに! 戻らない魔術に苦悩しながらもそれなりに平穏な日々を過ごせていた、ロキ・ディケイオの日常を!」


「そんなもの、いつか亡くなる運命だったんですよ」断言される。鋭い視線で射抜かれて、声帯が使い物にならなくなる。「貴方が痣を得た時点で。魔術を使えなくなった時点で、貴方に平穏な世界が訪れる可能性はゼロになった。こうして、わたし達と出会ったのも必然だったんです――魔王様に選ばれてしまった。逃れることはできません」


「じゃあ。僕は、どうなったらいい。僕はどうすれば、この喪失を埋めることができる……」


 しゃがみこんだローザの影が差す。僕は大きな緋色の目を見つめた。

 毒々しい、紅だった。


「魔王は――我が道を、絶対的な覇道を征くしかありません。ロキ・ディケイオを喪失することでしか、貴方の悲しみは拭えないんです。選定者は常に魔王様なのですから」



 涙は乾いていた。僕の首から何かが落ちていき、チャリン、と音を立てて床に転がった。


 ペンダントだ。落ちたはずみで中が開いたらしい。


 中身は写真だった。幼いころの僕と、そして、白髪の少女。


 いつか、憶えていたはずの、大事な人。


 大事な人? 








   ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………この女の子は、誰だったか。








「……初めて見る、顔? そんな、そんなわけない、何だよ、これ。誰なんだよ!!」


 気味が悪い。僕はそれを手に取り、勢いよく投擲した。

 貸家の面する路地の暗い奥地の方へ、僅かな月明かりに照らされたそれは、流れ星のように落ちていった。


「幸せになって欲しいと、心から願える人――、僕にとってのそんな人はもう、いないんだな」


「いえ。貴方にはわたしとアリアが付いています」


 淡々と告げられる。救いとは、到底思えなかった。


「……僕が縋るべきは、この力、しかないんだな」


「ええ。魔王様にできることは力を行使して、『魔王』の再誕を世に知らしめること。そういう一種の英雄譚を今から記述していくことなのです」


「そうすることでしか、僕は救われないんだな」


「そうです。救いは得られません」


「ハッ」


 なんだか何もかもが可笑しくなって、鼻で笑い飛ばした。

 涙は枯れた。

 流すべき相手はもういない。

 身体を起こす。

 さっきまでの重苦しさからは解放されてしまった。

 全能感に浸されている。

 魔王の力さえあれば、救われる。

 今まで救われなかった自分自身を否定することで、幸せになれる。


 ――力さえあれば、絶対に幸せになれる。そう絶対だ。


 絶対っていうのは他との比較対立を超越しているのだ。

 例えば、無力な人間にとって力が備わっていないことが悪のように感じるように。

 少なくとも僕は無力を悪だと断定している。無力ゆえの犠牲を生み出した経験があるから。


 ――無力ゆえの犠牲。それは自己犠牲だ。無力ゆえに自分を傷つけてきた。


 誰も傷ついていない。何故なら、僕よりほかの人間は皆、僕よりも優越性に満ちていたから。

 ならば、力を得たならば。僕は誰も征かぬ道を進もう。






 運命がねじ切れて、あらぬ方向へ仕向けられようとも。

 されど魔王は、覇道を征け。





 《第一章 完》

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