1-18『グスタフ・ロムニエル』
落下していく速度が異様に遅い。
グスタフの脳裏では、助けたかった最愛の人が燦々とした笑顔を浮かべていた。
彼らは結婚する約束をしていて、当時進めていた研究がひと段落付いたら結婚する予定だった。
二人は、魔術師であると同時に科学者だった。
魔術と科学の共存性について常に熟考を重ねていた。
科学は喪われた技術だった。かつて始祖神教によって禁忌の指定を受け、その信者から迫害されてきたのだ。
同じように、居場所を失った科学者たちは徒党を組んで、科学の復興を謳い、内密に実験を重ねた。その一人にグスタフ・ロムニエルとその婚約者……、カリエスという女性は含まれていた。
科学者は科学を承認してくれる国で隠れるように研究をしていた。表向きは薬屋として働きながら。
だが、唯一魔術に勝る学問だと彼らは捉え、科学者と呼ばれる異端者は密かに研究を重ねていた。
科学の全面禁止が人魔大戦の二〇年後だった。研究は徐々に、子の世代へと引き継がれていく。
次の研究に確証が取れれば、世界各国に科学の存在を再認知させようとしていた。
科学は喪われた技術ではない。魔術に対抗しうる唯一の現実的な武器なのだ。――そう、説き伏せるために。
――その矢先に始祖神教内の過激派組織が研究所を破壊。
研究の首謀者たる婚約者カリエスはその場で無残に殺された。
彼女の身体はほとんど跡形もなく破壊されていた。唯一の奇跡は彼女の脳が無事だったことだろうか。
すぐさま、防腐のために専用の溶液に漬けて棺のような容器に閉じ込め、聖樹帝国へと向かった。
科学技術を創り出す環境もほぼ失われてしまった。必要なのは金と人材。
いかに手っ取り早く金を得るか。脳もあまり長い期間保存することはできない。溶液にも鮮度があった。
そこでグスタフが目を付けたのが始祖神教であり聖樹帝国だった。
始祖神教は、聖樹帝国と裏で密に繋がっている。資金の多くを融資してもらっているという噂がことあるごとに流れていた。融資というか、賄賂というか。彼らの行っている布教事業の多くは盛大に豪華なものが多く、そちらを鑑みるに金は余るほど持っているのではないか、と推察できた。
始祖神教で偉くなれば、金が手に入る。彼らの中で偉くなるには、信仰心のみが必要だった。自分の命をも犠牲にする信仰心が。彼は自分の命と科学の復興を天秤にかけて、後者を取った。科学への信仰心で無理矢理ひねり出した、憎き宗教への転向。すべては――もう一度、実験を始めるための作業だ。
手始めに――背負った棺の中にいるカリエスを蘇らせよう。
死者の蘇生。それは奇跡と呼ばれる魔術にもなし得ない神の所業だ。
だが、科学と共存さえすれば、それは現実味を帯びてくる。
歴代の科学者の打ち立ててきた理論と法則を駆使すれば、脳だけしか残っていない個体にも身体を分け与えることが出来る。
――グスタフにとって、蘇生の実験を成功させるにあたって、シグルーン・ファレンハイトはいい手駒となった。脳しか残っていない人間を蘇生させるためにはまず器が必要だ。それも、婚約者の彼女と顔を、背を、形作るパーツすべてを極限まで近似値にもっていく必要がある。
奇跡的な確率だった。奇跡的に、シグルーン・ファレンハイトはグスタフの婚約者のフォルムと合致していたのだ。少なくとも外見は。細部こそ違うが、後は他の肉体から継いで接げば完全に近似する。
僅かなブレすら許せなかったから、彼は何人も殺した。殺して、カリエスの肉体を細部まで仕上げていった。求めるのは生きていたころのカリエス。写真と記憶を頼りに、繊細な彫刻を一から削り上げる。
殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。殺した。中身をさばいて精査した。事件が騒がれている。殺した。いい目を手に入れた。殺した。迷宮魔術師殺害事件。中身をさばいて精査した。知ったものか。殺した。
何度も何度も、殺害と採取を繰り返して、素材は充分に集まっていた。世間様がやかましいが、碌な証拠は見つからないだろう。彼は殺すにあたり一度も魔術を使わなかった。薬品での毒殺。魔術師ばかりの世の中じゃ、科学的に生み出された薬品は正体が見破られない。彼は、科学者として最大級の皮肉を受け取っていた。
人間の臓器と器を繋ぎとめるには膨大な魔力が必要だった。糸ではなかなかつながらない。血液型の問題もあるだろう。だが、魔術ならばできる。強引に縫合してしまえば、些事を気にする必要もない。
絶対にほどけない魔術の糸を生み出すには、全身がオドでできた魔族を解くのが最適解だった。使い切ってしまえば、殺した証拠も残らない。――始祖神教が所有していた、魔王妃の肉体を見たとき、グスタフの脳内で生まれた発想だった。
何もかも、計画通りだったはずだ。
教皇から、ロキ・ディケイオの監視を任されるまでは。
グスタフを介して、シグルーンが直接監視していたとはいえ、その監視は実に怠惰なものだった。
――相手は、魔術も使えない劣等生なのに。劣等生、だったのに。
(どうして、魔王の力なンか宿しちまうんだろォなァ……)
魔王妃に危害を加えられた魔王に復讐されたような。運命が巡り巡って流転したような。
そんな、偶然。望んでもいない奇跡。
(ツイて、ねえ)
走馬灯が終わった瞬間、グスタフの身体が床で跳ねた。
彼の意識はぷっつりと途絶えた。
※※※
破けた一一階層の天上から、僕と会長は未踏の最上階層に降り立った。
迷宮踏破者にしか見られないはずの光景が、目の前に広がっている。
「虚しいものですね、聖樹の最上階には何もないんですもの。街の景色が一望できたら最高でしたけど、さすが聖『樹』――枝葉に遮られて舌が何にも見えないわ」
冷たい風が吹き付ける。アンセルの巻いた金髪が揺れていた。
シグはアリアとローザによって集中治療されていた。爪がすべて剥がされたのはまだマシだ。
いつの間にか――というか、一一階層に到達したときには既にできていた腹への刺傷がかなり深手を負っているらしい。半覚醒のまま、シグは何かに魘されていた。時折目を細めて僕の方を向くが、すぐに顔を逸らし苦しそうな顔で「来ないで、怖い……やめて……」と呻いていた。その場にいるのが間違いに思えて、僕はシグの目の前から姿を消すことにした。会長は、というと迷宮魔術師殺害事件の犯人、グスタフ・ロムニエルの関与を裏付ける証拠物品を探すべく、最上階層を見回るらしい。
聖樹の頂点は古代神話に出てくる神殿のような外観だった。
白い大理石の床が正方形で広がっていて、それらを囲うように等間隔で白く太い柱が突っ立っていた。
唯一、異様さを醸し出すものがあるとしたら、……中央に鎮座しているカプセル状の器か。
一一階層で並んでいたものと同じものだ。
ただし、所々に浮き出ている傷やくすみから他のものよりも年季の入ったように見える。
「……これは、人間の、脳かしら?」
近づけば、その器には一一階層のものと同様、ラベルが貼ってあった。
「カリアス、……後ろは読めないな。会長、これは事件の証拠になり得ますかね」
「なる、かもしれませんね。念のため、生徒会室に転送しておきましょう」
アンセルは脳の入った器に触れて、魔術を唱えた。カプセルが光を帯びて、次の瞬間、その姿が消えた。今頃、生徒会室の一角に移されていることだろう。会長のことだから、魔術の誤爆はほとんどないだろうし。
「結局、グスタフ・ロムニエルは何をしたかったんでしょうね」
「さあ。彼は貴方の力を欲していたようでしたが……欲望の昇華、とか口にしていたような」
最後の最後まで、よく分からなかった。よく分かるよりも前に仕留めてしまった。
幼馴染を奪った、傷つけたから。たったそれだけの動機のもとで僕は彼に立ち向かった。
でも、結果的に得たものは何だ? 魔王の力、だけだ。
魔術をまた使えるようになったのは、もちろん嬉しい。嬉しいはずなのに、大事なものが欠けていく。
「……不毛でした。とても、不毛な一幕でした」
「そう、かしら。貴方は強くなった。シグルーンさんは守れたわけですし。
あの魔王妃の二人が何か、大事なことを隠していたりしたら……、ちょっと、怖いけれど」
既に何もかもが失われた聖樹の頂上。僕は立派な床を蹴上げた。
不毛な乾いた音が二転、三転して空に呑まれていった。
※※※
「グスタフ・ロムニエル。君はもう長くはないだろうね」
老齢の男の、物腰柔らかな声が死に際のグスタフの耳に届く。
ただし彼の視覚は既に機能をなしていない。
死に抗えず、朽ちていく身に、声だけが届く。耳を塞ぐことは許されない。
教皇の、声。
婚約者を奪った男。クソ宗教の首領。圧倒的な強者であり狂人。
グスタフ・ロムニエルが生涯で初めて、心の底から憎んだ人間。
――身体が、ァ、震え、
「背信行為をするから、こんなことになるんだよ。敬虔な教徒は善き駒だっていうのに、背信者の下ではあのザマだ。全くもって機能していないではないか。
シグルーン・ファレンハイトは処分決定だよ。可哀そうな話だけれどね」
無感情に、無感動に。当たり前のように手駒を捨てる。
憐憫を吐こうとも、内心では何の感傷も起きていないのだろう。教皇の残虐な人間性が窺える。
「貴重な人材だったのにねぇ。惜しいことをしたよ、科学者、グスタフ・ロムニエル」
最初から全部バレていたらしい。その上で踊らされていた、というのか。
言葉を返すこともできず、横たわったグスタフの頭蓋に何かが鋭利で冷たいものが刺さる。
細身の剣だ。教皇が愛用していた仕込み刀だろう。曖昧な意識の中でグスタフは思い出した。
もう、走馬灯も観終わった。
残っているのは、虚無。
真っ暗闇な、死の世界。
婚約者すらも、そこにはいない。
地獄に立たされた人間は、
ただ果てしなく――――、暗弱だ。
「ぁ、ゃ、だ、や……め、」
最後のあがきで、グスタフは白衣の内側から黒い球を握った。
転がした。
――貴様も、道連れだ。
悔いはもう、残されていない。
足掻いただけで教皇に勝てるなんて、思っていない。そんなの科学への盲信に過ぎない。だが、不意打ちの一発で眉を僅かに吊り上げることが出来たなら。
もう、今はそれ以上を求め、ら、れ……な――――。
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