1-17『決着』
「……ンだよ。痛ェ、じゃねェかよォ」
「シグを、返せよ」
「…………痛ェじゃねェかよォォァッッ!!」
グスタフの精緻な顔面の造形がひしゃげた。鼻血と吐血が混じり合い、彼の口腔を錆色に沈めていた。
足元に魔力の床を錬成し、空中にロキは立つ。グスタフを見上げて、睨みを利かせる。
「魔王の力なンか持ちやがってよォ!! その力を……、お前の身体を寄越せェッ!
――貴様の無様な頭脳じゃできねェ、ありとあらゆる欲望をォ、オレの頭脳で昇華してやるンだァ!!」
「欲望の、昇華ぁ……?」
「貴様は知り得ねェことだ――知るよりも前に、オレが潰すッ!」
迫る殺気。呼吸する間も与えず、グスタフが間合いを一気に詰めた。
魔術を展開する。【半重力膜】――向かってくる力をそのまま反対方向に跳ね返す闇魔術だ。が、
「無駄だァねェ」
打撃が到達、するよりも前に術を解除し、宣戦から離脱。
「異臭が微かに臭った……、毒か?」
「バレちまッたかァ。――ああ、そうだよ毒だ。科学で生成した毒だァ」
「……始祖神教の幹部やっているくせに、禁忌破ってていいのかよ」
「ハッ。オレはオレの野望を叶えるために始祖神教ッていう資金源を得たンだよ。金と場所さえあれば、あとは誰にも干渉されず、オレはオレの実験に明け暮れることが出来るッてンだよ」
「知るかよ、科学者の事情なんざ。
だが、『科学』なら、不得手だったな、グスタフ。僕は一介の無知な魔術師よりも科学を知っている」
「それは――せいぜい、学院で得られる知識、だけだろォ?」
グスタフの気配が消える。次の瞬間、背後に回られていた。
「簡単な問題だがァ、致死性のある毒にはどう対処するゥ?」
首筋に痛みが走った。管を通して、何かが吐き出される音。
――血管に直接、薬が打たれている。
「直接、毒を投与したらすぐに毒は回る。貴様は逃れられねェ」
まずい、まずいまずいまずいまずい!?!?
「ぁあ!!」
ゼロ距離で、背後のグスタフへと魔弾を放つ。
鳩尾に収束したそれは、容易くグスタフを壁へと打ち込んだ。
カプセルの瓦礫へと突っ込んでいく。
白衣を、筋骨隆々の肉体を、厳つく目つきの悪い顔貌を、緑の液体が浸す。
グスタフは、ロキに悪辣な嘲笑を向けていた。
その口元から、つぅ、と赤黒い血糊が流れをなしているにもかかわらず。
「どうだ、苦しいだろう? 手に負えないだろう?」
「……」
声が、出ない。熱い。呼吸が苦しい。目に見えるものすべてがチカチカしている。足が鉛。首が閉まる感触。
「返す言葉もないか、もしくは、もう、死んだのかァ?」
正直、死にかけている。だが、膝を崩したら今度こそシグを取り戻せないかもしれない。
体内が焼き切れていく。器官が不全になっていく。おえ、と音を立てて口元から黄土色の胃液が吐き出される。瞼が重い。視界が真っ暗だ。五体満足のはずなのに、末端に神経が繋がっていない。
「あ、だ、や、ロキ、君……」
微かに、声が聞こえた。怯えだった。幼馴染のものだった。もう、戻らない関係だった。どうしてこうなった。いつから僕は間違えた? 魔王の力を得たときか。ヴェルを失ったときか。そもそもシグと出会ったこと自体が間違っていたのか?
「救いは届かなかったようだなァ! ほら、最後の爪を剥がせェ!!」
「ああああああ、ああああ、、あ、あ!」ベリベリベリベリベリッッ!! と最後の爪が剥がされて、ペンチから離れていく。「ぎ、ああ、あああああああああああああ、いだい、いだいよ、やめで、やだ、あ、ああああああああああああああああああ!!」
「――やめろッ!」
グスタフの肩に五指を乗せる、力の限りで掴む。
僕の首からは噴水のように血が溢れていた。注射針の周縁の皮膚はじゅくじゅくと燃えるように熱い。
「死に際のあがきか? 弱弱しいんだ、よ……!?」
何故だか、身体が軽くなっていた。先程まで毒で苦しんでいたはずなのに。
僕は、グスタフの肩を人間の持てる最大級の握力で握られていた。
みし。
みしみしみし。人骨が軋む音が耳を打つ。とても心地よい環境音。
「あ、ぎゃ、があああああ!? 肩が、もげ、あ、だ!?」
「うるせえよ、クソ神父」
首の血が止まる。口から赤黒い痰が吐き、グスタフの背に一点の染みを遺す。
林檎を掌で握り潰すように、グスタフ・ロムニエルの肩を完全に握り潰す。再生が不可能なくらいに。
「ど、どうしてだ!! どうして生きて」
「人体にできないことは魔術に任せてしまえばいい。それに――僕はもう、人間としての器官を必要としない」
注入された箇所から毒に汚染された血を吐き出してしまえば、毒が体内に吸収されることない。注射された傷から血を吐いたのはつまりそういうことだ。
「魔術と科学は相いれない。魔術には魔術、科学には科学しか効かない――だが、それは直接的に作用させることが出来ない、ってことを示しているだけだ。
つまり、魔術で補助をかけた科学ならば、科学と相いれることはできる。
ゆえに、毒に侵された血液だけを魔術の力で抜き出すことは可能だ」
「調子に、乗るなァ!!」
残った左腕だけではもはや殴ることもできない。
グスタフが起こした行動はたった一つ、白衣の中から、光沢のある黒色の球体を取り出した。
「爆ぜろ」
殺意が至近距離で重なった。その中央で、球体が膨張していき、灼熱を放つ。
爆弾だ。高い破壊力を持ったトリニトロトルエン爆薬。科学の英知、別称ダイナマイト。小型化された爆炎発生装置が、魔術では防ぎきれない無数の爆散を四方八方へ無差別に解き放つ。
ガァァァッッッ!! 炎で喉が焼ける! 肺が文字通り燃える灰になる!!
「んな簡単に、」僕は魔弾を手に込め、「くたばるかよッッ!」投擲。
グスタフの頬を掠め、彼の背後で金属音を鳴らす。
「付け焼刃の魔弾かァ……? 当たらなかったら意味ないがなァ……!」
「当たらなかったら、意味がない?」爆発を受け止めきれず、落ちていく。自由落下が加速する。「過程がなっていないよ、お前は本当に科学者か?」
「どうしてェ……! どうして貴様はァァ! 余裕気な顔見せられるんだよォ、あぁぁ!?」
敗北の可能性を考慮に入れていないからだよ。
怒りに任せて、グスタフは白衣のうちから黒い球体を振り落とす。その数、五〇。
だが、それらの間隙を断つように、高速な針のような鋼が駆け抜ける。
まっすぐに落ちてきたのはシグの細剣を握った。シグの魔力がほのかに香る。
僕はお前を乗り越える。塗り替える。上書きする。
腕の先からオドを放ち、柄から鋼へと流れていく。
白色潤沢の刃を黒と緋色に染めていく。
さながら、魔王の得物のように。純潔な乙女を地の底へと叩きつけるような冒涜を侵す。
「――一振りだ。何もかも、薙いでやる」
剣に名前はないし、名前を付けるつもりもない。強いていうなら『魔王の剣』か。武骨でよい。
力を入れる必要はない。細剣の刃先は魔力を帯びて切っ先の面積と硬度が跳ねあがっていた。
剣を横に薙いだ。瞬間、床に迫る自由落下が止まり、――切っ先から衝撃波が生まれた。
それは弱い波から空気を鼻梁の魔力を吸い上げて、急速に威力が増していく。紫電をまき散らして、破壊を熾す。暴走ではなく、理性を以て、最恐の破滅を一点に集中させる。
爆発を、真っ二つに裂く。それでも、収まることを知らない。爆轟を得て、波は人の身体に容易く裂傷を入れられるくらいになっていた。
「【帝檄一閃】」
銀髪の科学者は。避けられない。避けることを許されない。
断末魔はなかった。グスタフの右肩から左の腿まで斜めの一直線が引かれ。
「ぁ、……」
目玉をぎょろりとひん剥きながら、五賢司祭第四席は真っ二つに切断され――僕の真横を落ちていった。
僕とシグの間に誰も邪魔をする敵はいなかった。オドを吸い上げる。周囲に撒き散らしていた黒色の魔力が収束していった。
戦いが終わったはずなのにシグはまだ、僕へ恐怖の視線を投げかけてくる。
「え、あ……、ロ、ロキ、く、ご、ごめ、いや、ぁ」
ひたひた、と。彼女の制服――男装のズボンには薄暗いシミがしっとりと浮かんでいた。
いまだに、黄金色が滝となって滴っている。
「……んだよ、漏らしやがって。これじゃあ、殴れないじゃないか」
笑顔を、当たり障りのない笑顔を作ることに徹した。
幼馴染との絆はもう、完全に修復されることはない。
シグの髪にポンと手を置いた。
「また、笑えるようになったら殴らせろ。それまで、僕は君に納得しないから」
「………………、」
シグは黙りこくったまま、血まみれの両手でロキのローブを握っていた。
強く、握っていた。怖がっているはずなのに、離そうとしてくれなかった。
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