1-16『激突』
「安い餌でも釣れるモンだなァ」
真上から、ドスの効いた声が木霊する。
円筒の上空に一筋の影が浮かんだ。人型の、影が。
オールバックの銀髪がコンセプトの、神父紛いがこちらを睥睨している。
「グスタフ・ロムニエルっ! まさか、ここにある臓器は、全部貴方がっ!」
「あァ、その通りィ! オレが第四席に就任してから手に入れてきた新鮮な器官の数々だァ!」
「貴方が……『迷宮魔術師殺害事件』の、主犯ッッ!」
「ご名答だよ学院生徒会長さんよォ! コイツらはオレの野望を果たすために必要なンだよ。五臓から六腑まで、サンプルが多いのは素晴らしィ! あハァ! 憎いか? 恐れているンかァ!? なァ!!」
「グスタフ・ロムニエル、貴方の行いは万死超えています。せめて、孤独な死に際に、ギリギリ死なない程度の暴力を振るい続けてあげたいですわね」
眉目が寄せられ、不機嫌そうに会長の目が細められる。
「ご高説とは結構なご身分なこッたァ。
まァ、いい。餌が釣れたのなら、ちょうどいい見世物を披露してやるよォ……!」
グスタフが指をパチンッ、と打ち鳴らすと、その音を合図にして、ズズズ……、と床が小刻みに揺れ始める。
それは悲鳴に聞こえなくもなかった。虐げられてきた人々が臓器の欠片だけになって、緑色の溶液に浸されたカプセルの中から号哭を垂れ流している。その重なりで生じた、地鳴り。
「ロキくん! 円柱の天上に人の形をしたものが磔にされていますわ! あれは……!」
会長の驚愕が閉鎖空間に跳ね返る。僕は反射的に彼女と同じ方向を見上げた。
見上げて、掠れた喉が、震えるのだ。
「シ、グ」
シグルーン・ファレンハイトが手足を鎖で幾重にも巻き付けられ、拘束されたまま、一一階層の光り輝く白い壁に繋ぎ止められていた。
「え、あ、ロキ君、ど、どうして、ここに、」
「……一発、ぶん殴るためだよ。裏切った罰として、な」
半ば冗談のつもりだ。殴った後で、僕らはきっとまた、ただの幼馴染に戻れると、信じていたから。
だから、
「うあ、あ、やああ、やめて、来ないで、痛い、あが、ああ……!!」
「……シグ?」
頭上から、ひた、ひたと黄金色の液体が零れ落ちる。それはアンモニアの臭気を帯びていて、
床を汚していく尿溜まりと、腹の底から恐怖で泣きじゃくっているシグとを交互に見合わせた。
二〇年近く、積み上げていった絆の消失を、悲しくも自覚してしまった瞬間だった。
心の中心にぽっかりと底なしの穴が空いた。双眸ではっきりとシグを映そうとしたが、ぼんやりと陰る。
「ハハッ! ちょうどいい。大事な大事な幼馴染がいる前だったら、なおさら面白いよなァ?」
シグの細い首が第四席の、巌のような掌によって掴まれる。かはっ、と呼吸ができずに苦しむ、シグ。
どこまでも果てしなく、僕の思考は混濁していた。
「シグルーン・ファレンハイト、――オマエは今から、幼馴染の前で死んでもらう」
グスタフの空いていた手が白衣の中に手を突っ込む。
取り出されたのは――ペンチだ。その刃先はシグの右手の親指を挟んでいる。がちがち、と刃先が噛む。
その様は、飢えた狂犬がとびっきりの得物に襲い掛かるようで。
「ひっ、あ、や、やだ! ボクは、ま、まだ死に、」
ペンチが、シグの右手の親指を捉えて、
僕はすかさず、きゅっと目を閉じた。ただ、視界を遮ったところで、聴覚がより敏感になり、
「う、あ――ぎゃあああ!!」
べりべりべりべり、と。肉が二枚に引き裂かれていく音がより鮮明になった。
頭上から鼻っ柱へ生温い雫がぼたぼたと滴った。
「ぎゃああっ! ああああ、いだい、いだいよ。やだ、あ、血が、あ、ああ……」
痛切な断末魔。目を見開く。紅色の流れはもはや両目を埋め尽くす瀑布のようだった。
視界が、真っ赤に染まっていく。対して、体温は急速に冷えていった。今すぐに膝から崩れ落ちて、床に内容物をぶちまけたかった。胃液でも何でもいい。この気持ち悪さを忘れさせてくれるなら。
「今からシグルーン・ファレンハイトの断罪だァ!
爪の一枚一枚から丁寧にはがして、足先手の先端から丁寧に切り刻んで――」
この気持ち悪ささえ忘れさせてくれるなら。
「…………………………………………………………………………………………………………許さない」
この気持ち悪ささえ忘れさせてくれるなら。
「絶対に、ぶっ潰すッッ!!」
この気持ち悪ささえ忘れさせてくれるなら。
単純な激情であろうとも、僕の味方をしてくれる。
膝が一瞬だけ下に沈ませて、ダンッ! と目にもとまらぬ速さで床を蹴っていた。
「魔王様!?」
ローザか、アリアか。誰が呼び止めようとも聞く耳を持たない。立ち止まるわけにはいかない。
体内から湧きあがる無尽蔵のオドが、皮膚から無駄なくらい吐出される。
纏う空気が、一一階層に瘴気をもたらす。体外に排出されたオドが向きと速度を得て、高速に回転を始める。
龍がとぐろを巻くように、魔力の渦がひとりでに魔術を展開し、カプセルをなぎ倒していく。
許せない。許せるわけがない。
シグが許せない。それ以上にシグを操っていたグスタフ・ロムニエルが許せない。
幼馴染を操り人形に仕立て上げた挙句、見せしめにして切断していく嗜好が胸糞悪い。
「アハハッ! オレの邪魔をするンじゃねェ!!」
天空へと渦が殺到する。
だが。グスタフが虚空に向かって手を振りかざしたことで、あっけなく空気が一変する。
僕の解き放った渦は一一階層の半ばで、何か、柔らかい障壁のようなものに阻まれ、解かれた。
――迷宮の外側に張り巡らされていた薄い膜と似ている。目を瞑り、魔力の組成を確認しようとした。
その時! 魔力の渦が孕んでいた風力が天井から束になって襲い掛かってきた。
「危ないっ! ――【龍噛砲餓】!! ローザも、魔王様を助けてっ!!」
「ええ、分かっています――【連鎖縛嬢】!」
アリアが大剣を片手で振り回し。ローザが敵を捕縛していく。
魔王妃の二人と渦だったものと正面からぶつかり合う。衝撃波が前髪を舞い上げ、すぐに破砕が連鎖する。
壁際のカプセルが、外側からの圧力に耐えきれずバラバラに砕けていく。
無味無臭、やや粘性のある溶液を靴裏で舐める。
「あの壁は……!」
「さっき、アタシがぶつかった壁に似ているね。こちらが攻撃を与えれば、波打って力を分散しつつ、溜めたエネルギーで反撃してくる」
グスタフは依然、こちらの辛苦を構わず、ペンチでシグの爪を剥がしている最中だった。
他の部位に移られるよりも前に、どうにかしなければならない。
「会長、あの膜の構造ってどうなってると思いますか?」
「――魔力。魔術ではない。魔力が何重もの層になっているうえに、何故だか魔術に匹敵するくらいに組成がしっかりしていますわね。
ただ、聖樹の外に掛かっていたものよりは薄い、ように見えますわ。けれど、」
アンセルが上空に向けて魔術を放つ。壁に衝突し、そのままの威力で跳ね返ってくる。
彼女は跳ね返った魔弾に向けて、手を伸ばしそれを掴むことで、威力を殺した。
「この通り、同じ威力で戻ってきてしまうのよ。物理的な干渉はロキくんやアリアさんが試した通り、できない。となれば、後はどうすればいいでしょうか」
もうすぐ、もうすぐでグスタフに拳を叩きこめるんだ。あと、一〇〇メートル。
その間にある壁は魔力の塊。瓦礫の山みたいなものだろう。
魔術として完成しているわけでなく、魔力。
「――あれが、まだ魔術になっていない、ただの魔力なら。吸収してしまえば」
単なる思い付きだったが、試さずに終わるよりはマシだ、そう思い、宙に身体を飛ばした。
すぐに不可視の壁へと到達。
僕が起こした行動は、魔術での衝突を避けて、壁にただ触れる、ということだけだ。
力がこもっていないから、今度は跳ね返らない。
――むしろ、壁がぴったりと僕の肌に吸い付いていたのだ。
「ローザ、アリア! 壁から魔力を奪ってしまえ! そうすれば壁は抜けられるし、」
「その後の一撃が、まさに一撃必殺になりかねませんね……!!」
両手に壁が密着している理由。それは、波が発生する間際に魔力を吸収しているからだ。
地表からローザとアリアが両手を伸ばし、障壁の魔力を急速に奪っていく。一〇階層で疲労を蓄積させたのが、ここに来て功を奏した。
壁を構成する魔力はたちまち薄くなって、卵の殻が割れるよりもあっさりと崩壊した。
足下からエネルギーを爆発させる。膂力は留まることを知らない。腰をひねって、右腕を背中の後ろへと振りかぶる。銀髪の悪漢へと距離が一歩、二歩、三歩――、至近にまで到達する。
「僕はァァッ!」
浅い呼吸。
「お前をッッ!」
吐いた吐息が紫煙の如く、ほの白く染まり、
「お前らをッッッッ!!」
血眼が、グスタフ・ロムニエルの視界を覆いつくして、
「許さないッッッッッッッッ!!!!」
渾身の、叫び。膂力。正確無比な銃使いが放った鉄砲玉のように、僕の拳は黒々とした魔力で軌道を描き。
直後。シャボン玉が割れるようにあっけなく、グスタフの右頬を抉りぬいていた。
あたりには破裂した壁がまき散らした、虹色の色彩が粒となって振り撒かれている。
それらを振り切って。
ロキ・ディケイオは続けざまに、もう一発。
シグの拷問に夢中になったグスタフ・ロムニエルの胸へと潜り込み、
「くたばりやがれッッ、――【帝檄一閃】」
真下から顎に拳をブチ込み。紫電が四方八方へと散開する。
ドゴシャ、と肉が潰れる音が耳朶で跳ねて、一点集中の破壊が一一階層の真っ白な帳をぶち抜いた。
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